謝罪と謝罪(1)
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同日夜。
今宵はリヒターとオデッサからの要望という体である高級レストランにある最上級客専用の個室が開放されていた。そこでは場の空気を壊さない程度の給仕を残し一見和やかで明るい雰囲気の食事会が開かれている。
この食事会の表向きの名目はリリーナ、ディードリヒ、オデッサ、リヒターの四人は立場と年齢が近いのでこの機会に親交を深めよう、といったもの。
ディナーコースのメインは海に面したフレーメンの特色を生かした魚料理となり、提供された舌平目のソテーのクリームソースがけはレストランの一押し料理ということもあってオデッサとリヒターも喜んでいた。
ディナーとして用意されたコース料理と共に四人が広げた話もとてもありきたりなもので、今回のリリーナの結婚式に出席するにあたって旅行を兼ねて数日滞在しているオデッサとリヒターの二人が首都や周辺の地域を巡った感想を中心に広げていく平和な会話ばかり。
それこそそこだけ見たらリリーナの冤罪もリヒターの罪も何もなかったかのようだが、食後の紅茶が運ばれてきたタイミングでディードリヒが室内から完全に給仕を退室させ、テーブルについている四人だけが残された。
「人払いいただき感謝します、フレーメン王太子殿下」
「こちらとしても内々に済ませたいものですから。お気になさらずに」
しんとした室内は、先ほどまでの和やかさが嘘のように張り詰めている。そしてその緊張感を最も表しているのは、愛想笑いをやめ氷のように冷たくなった表情のディードリヒの存在であった。
その冷え込んだ空気の中で、リリーナだけがさも平然と紅茶を飲み下している。
「では…僭越ながら、俺たちから話をさせていただいてもいいでしょうか」
「構いません」
「構いませんわ」
リリーナたちの返答に一つ礼を述べたリヒターは、オデッサに目配せをして彼女と共に席を立つと深々と頭を下げた。
「リリーナ・ルーベンシュタイン嬢。俺たちは貴女にかけた冤罪とこれまでの非礼を詫びるためにこの場を設けさせてもらった。これまでのこと、本当に申し訳なかった」
折り目正しく頭を下げる二人を、リリーナは得に言葉も返さずに見つめている。そのせいで流れた十秒ほどの沈黙には耳が痛くなるほどの静寂が流れ、その間リリーナはじっと二人を見定めるように見つめてから口を開いた。
「よろしくてよ」
そして短く言い切ったリリーナはまたすん、と口を閉じ、リヒターとオデッサはあんまりにもあっさりとした返答に驚いて頭を上げる。
「り、リリーナ…本当に許してくれるのか?」
「レイノルド陛下にも申しましたが、あの件は私自身の身から出た錆も元凶ですわ。それ故に初めから特に言うことはないと決めておりました」
「…そうか」
まるで“もはや関心もない”とも取れるリリーナの返答に、リヒターはやるせない思いを抱え視線を逸らした。あれだけのことをされてもあっさりと切り捨ててしまえるのは果たして器が大きいのか、それとも自分たちにはもう歯牙にかける価値もないと判断したのか、と。
その気まずさに表情を曇らせるリヒターに視線を向けたオデッサは彼を気にかけるように表情を心配に曇らせる。
「ですが、礼儀は弁えていただかなくてはなりません」
と、不安に揺らぐ二人の間に声を割り込ませたのはリリーナだ。だが彼女の表情は眉間に深い皺を寄せやや嫌悪的にリヒターを見ている。
「私のことを呼び捨てになさるのはやめていただけませんこと? 立場を弁えない人間の謝罪などお飾りと同じでしてよ」
「あ…そ、そうだな。すまない、ルーベンシュタイン嬢」
「おわかりいただけて何よりですわ、パンドラ王子殿下」
自分を馴れ馴れしく扱ってくるリヒターに向かって嫌悪を持ち、少し吐き捨てるようなリリーナの物言いを聞いているディードリヒは機嫌がいい。その感情を表に出すことはないが、リリーナは自分の感情としてよしみではなくディードリヒを優先したのだから彼の機嫌は今有頂天である。
確かにリリーナは不用意に距離を詰めてくる人間を嫌う。それは人との距離が近い人間を指すのではなく、相手を舐めてかかり無礼を働く人間を指す。今のリヒターは正しくリリーナが“以前通りの”態度で接してくるという無意識的な甘えを持ってリリーナに接していた。それはわかりやすく彼女の嫌悪する人間の典型例である。
しかし、そのことを指摘するだけならばあそこまで嫌悪を纏った態度をとる必要はない。だが彼女があそこまでわかりやすくリヒターを拒絶した理由は一つ、ディードリヒが側にいたからだ。
リリーナ本人からすればリヒターなどもはやどうでもいいと言って過言でないが、ディードリヒはその関係に多大な嫉妬を示している。なにせ十歳の時に彼がリリーナの当時を知った瞬間からの怨念なのだ、しかもリヒターが“リリーナの許嫁”という唯一の立場とくれば…その怨念の炎は一体何度になるのやら。
故に、リリーナはなるべくディードリヒにわかりやすく拒絶を示したのである。そしてディードリヒはリリーナのその“面倒ではあるが気持ちはわからんでもないのでできうる限りのことはしてやろうではないか”という意図を感じる故に勝手な優越感に浸っているのだ。ここにミソラとファリカが居たらそれこそ白い目で見そうな話である。
「それにしても、貴方がこのような場を自ら設けるようになっただけ成長したものですわ。おそらくオデッサにせっつかれたのでしょうが」
「な…っ」
「根性のない貴方の本性に私が気づかないとでも? もう貴方と結ばれることもないのですから、多少の嫌味に文句を言われる筋合いもないというものです」
リリーナからリヒターへの視線は呆れ切ったもので、リヒターからリリーナへの視線は驚きと怒りといったものだ。しかし“今日は謝罪のためにきたのだ”と彼はその感情を必死に耐えている。
「お父様のことは、おそらく貴方が『責任を取る』とでも言って陛下と共に状況を鎮火したのでしょう。でなければお父様があの立ち位置を維持するのは難しかったですもの」
「…それは、そうだが」
「その点には感謝していますわ。貴方のやることの全てが半端なのは本当ですが、そういうところは変わらず憎みきれませんわね」
「…」
“自分と彼女の歩いてきた何かが一つでも違ったとしたら、こんなことにはならなかったかもしれない”。そうリヒターは長く考えていた。
自分たちが許嫁にならなかったら、
リリーナが今ほど完璧でなかったら、
母親であるハリエットがリリーナを気に入っていなかったら、
自分がもっと、もっと、あの目をこわがらなかったら…
全てがあの時の自分にとって都合の悪いもので、自分はただオデッサの手を取りたかった。ただ決められた相手のリリーナではなくて、ずっと一緒にいたい人を見つけたのだから。
なりふりなど構っていられなかった。他のどんな誰もがリリーナには勝てない、“そうあるべき”としてそこに立ってきたリリーナには。
だから彼女を、他の誰かを傷つけてでもリリーナをあの場から引きずり下ろすと固く心に決めて、それは無事成功した。だけど自分はオデッサに隣に立って欲しかっただけでリリーナの家族まで巻き込みたかったわけじゃない。
リリーナの家族への被害を抑えるのは、リリーナに対するせめてもの償いだった。彼女が家族を大切に思っていたのはずっとわかっていて、彼女の父親がパンドラにとっていかに重要な人物なのかもわかっていたから。
結局自分には、リリーナに対して行ったことの責任を取ると言ってもそんなことしかできなかったが。
「ですが貴方の行いは所詮自己満足でしかありませんことよ。そうやって自己満足ばかり積み重ねるからオデッサに愛想を尽かされかけるのです」
「!? お前がなんでそれを」
「本人から聞きましたもの。彼女は昨日、私の元に直々に謝罪に来てくれましたわ。今日とは別件ではありましたが、行動としては彼女の方が誠意を感じられますわね」
いつもの彼女らしからぬほど、相手に対して言いたい放題と言わんばかりに嫌味を羅列するリリーナ。まるでその行動は“自分はお前を許すとは言ったが、文句の一つも受け止められないのであればお前はこれまでと変わっていない”とでも言いたげだ。
そしてリヒターもまた無意識に彼女の言葉を理解して反論を堪えている。あくまで謝罪に来た、という理由も勿論だが、彼自身己の未熟さは彼なりに把握しているつもりではあった。
「なんですの、その苛立ちを耐えているような顔は。私は確かに貴方を許すと言いましたが、文句の一つにも誠意を見せられないのであれば、やはり———」
「リリーナ様」
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