裏切り者の告白(2)
「この事件は、リリーナ様が冤罪をかけられるその八日前に起きた出来事でございました。あの時私は、マイヤー様が主犯の手によって階段から突き落とされるその瞬間を見てしまったのです」
「「!!」」
「あればかりは本当に偶然でございました。リリーナ様がレッスンを受けておられる部屋の周辺を警護していた最中、お手洗いに寄った時のことでございます」
そう、あれは確かに麗らかな昼のことであった、そうミソラはあの日を振り返る。自分の中の“少し珍しい”が重なった少し特異なあの日を。
「お手洗いを出て一度リリーナ様の元に戻ろうと廊下の角を曲がり階段が視界に入った時、リリーナ様とは似ても似付かぬ醜い後ろ姿を見かけたのでございます」
以前リリーナが言っていたことではあるが、この時リリーナは縁があって知り合いに美術品の審美眼を鍛えるためのレッスンを受けていた。
その周辺警護として一度リリーナのもとを離れたミソラは、一通り周囲を見て回った後休憩も兼ねて化粧室に向かい、用を済ませてリリーナの元に戻ろうと移動している最中にリリーナと同じピンクブロンドの長い髪を下ろしたドレスの少女を見かけたのである。
「パンドラ国内におきまして、リリーナ様のお母様の家系であるトロヴァーレ家の方々以外にピンクブロンドの髪色は存在致しません。ですが見かけた少女は確かにピンクブロンドの髪を持ち、リリーナ様とは背丈と後ろ髪の長さ以外何も似ても似付かぬ仮装のような姿で階段の前に立っていたのでございます」
確かにあの少女がリリーナと同じ背丈であったことは覚えているが、本当にそれ以外はなんともお粗末な真似方の仮装であったとミソラは内心であの姿を吐き捨てた。
確かに背丈と後ろ髪の長さ、髪色は簡単に真似ることもできただろうが、とてもリリーナが好むとは思えない柄物の布を大きく使ったくどいほど甘いドレスと見てわかるほど違う体格には「醜い」としか言いようがない。
だがあの特徴的な髪色と背丈があれば、顔を見られない限り周囲は一見あの仮装でさえリリーナだと感じるのだろう。全くもって吐き気がする、とミソラは内心で舌を打ったが今は関係ないと気を持ち直し話を進める。
「その姿を視界に入れてから明らかにおかしいと感じ声をかけようとするまで本当に一瞬のことでした。しかし私が声を出す前に大きな物音がしたかと思えば目の前の人物は後ろに振り向きそのまま去っていってしまった…私は物音に嫌なものを感じ階段の上から踊り場を覗き込み、そこで倒れているマイヤー様を見つけました」
その時聞こえた音は、明らかに重たいものが突き飛ばされ転がり落ちていく音であった。最初に何かを突き飛ばした音が聞こえたその瞬間にはもう転げ落ちていく何かの音が耳に飛び込んでくる。
その音に心臓が締まるほどの嫌な感覚を覚えながら、ミソラは走り去っていく犯人を無視して階段へ向かった。
「マイヤー様は頭部に裂傷ができており、ひとまず持っていた道具で応急処置をしてから簡単な変装をして助けを呼びに向かいました」
「変装をした理由は、リリーナを巻き込まないためか?」
「はい。リリーナ様の仮装をした人物が主犯となりますと、私がそのまま助けを呼べばリリーナ様の自作自演を疑われる可能性があると判断し髪型を変え小道具で顔を隠しました」
本当にこの日は特異であった故に幸運でもあったように思う。
この日に着ていたドレスは卸したばかりのもので、リリーナに薦められ普段は身につけない明るい色の生地で作られたものであった。
リリーナのような目立つ人間の後ろで気配を多少消している人間の顔を覚えている者など多いはずもない。そうあるように立ち回っているのだから。
とはいえいつものドレスであったら軽い変装ではばれていたかもしれないと思うと、少しむず痒かったあのドレスには心底感謝できる。
「その時貴女はどのような姿に変装しましたの?」
不意にリリーナが問う。ミソラはなぜリリーナがそこに興味を持つのか少し疑問に思いつつも、これ以上隠し事はするまいと心に決めた思いに従い答えた。
「時間もありませんでしたので髪を三つ編みに、小道具は眼鏡を使用しました。顔を見られるわけにはいきませんでしたので」
「!」
ミソラの答えに、リリーナはある確信を持つ。その確信はミソラの発言の裏付けにもなり、リリーナの中の安堵と新しい信頼へとつながっていった。
「…そう。ありがとう、話を続けてちょうだい」
「…? かしこまりました。マイヤー様の裂傷は出血を伴っておりましたので止血処置をし、安置の後に兵を探して助けを求めました。現場に案内した際に処置について訊かれましたので、そこは『自分が見つけた時にはもうこうなっていた』とだけ」
「よくバレなかったな、まさか“あれ”を使ったのか?」
「はい」
「“あれ”とは、なんですの…?」
「話が逸れますので後ほどお教えします」
ディードリヒとミソラに共通の情報があり、そこから離れた位置に置かれていることにリリーナは少し不機嫌になるも、確かに話はそれてしまう、と思い直し渋々承諾する。
「その後は流石に騒ぎになりましたので人混みに隠れて姿を消し証拠を集めておりました。とはいえリリーナ様に危害がないとは言い切れませんでしたので護衛を優先した結果纏めるまでに時間がかかり、犯人を捕まえる前に王子殿下に先手を打たれた…というのが顛末です」
その時、今日の中で初めてミソラは感情を大きく表した。奥歯が砕けてしまうのではないかと思えるほど強く噛み締められた彼女の表情は強い悔しさと悲しみに塗れている。
深く皺のよった眉間と自分を責め続けるその瞳に、リリーナは彼女の深い後悔を感じた。
「なぜすぐに報告しなかった」
「事件が起きた段階で婚約パーティまでは八日しかなかったと言ったはずです。あの時貴方に知らせていたら貴方が飛び出していくのは目に見えていました。それはこれまでの全てを無に帰すことになってしまう」
ミソラから見てディードリヒという男は、ヘタレで変態で狡賢くてサボり癖があり自己中心的で視野の狭く倫理観の薄いこの世のクズに、なぜか蜘蛛の糸程度の良心があるだけの救いようのない偏屈な存在だが、それでも彼がリリーナのことをどれだけ思ってきたかだけは…ミソラなりに認めているつもりだ。
自分が定期報告のためにフレーメンに帰ると必ずディードリヒの隠し部屋に行くわけだが、その時の彼の浮かれようと言ったらいっそ微笑ましいほどであったと今でも思い出す。
中身はリリーナの行動を細かに書いた報告書を元にその時何があったのかを細かく話す程度のものではあったが、ディードリヒは必ず渡した報告書に聞いた話を細かく書き込み、リリーナの行動に対する考察を書き記していた。
リリーナが無くした私物を持ち帰った時は必ず手袋をつけてから触り大切に木箱に保管して、写真は毎度機密書類を扱うかのように丁重にアルバム化されていく。
やっていることはどこまでも悍ましいのだが、その一つ一つを行っている彼の表情はどこまでも輝いているのだ。
報告を聞いている間は表情を静かに変え、写真は食い入るように見た後でまた希望にも心配にも表情を変える。
普段のディードリヒはそこまでころころと表情を変える方ではないとミソラも知っている故に、その姿を見ているだけでもリリーナを真に思っているのは伝わってきた。
そして帰省した際は諸用で数日フレーメンにいることもあり、その時見かけたディードリヒは日に日に大きく成長していっているのがわかる。
なんと皮肉なことだろうか、罪を重ねるその度に翼を広げていくその姿の輝かしさが。
歪んで、飢えて、渇いて、僅かな泥水で育っていく美しい花。その花が大輪を咲かさせる程に、ディードリヒはリリーナを愛している。
だからこそ絶対に、この事件をディードリヒに伝えるわけにはいかなかった。
殺人事件に関してはリリーナを追いやろうとしていたリヒターをマークしていた結果として事前に掴んだ計画であったことと、ことが大きくなるのを見込んでディードリヒに知らせたが、突き落としの件に関しては自分の警戒が足りていなかったとしか言いようがない。
パンドラにおいてリリーナに反感を覚えている人間は多かったが、同時にその圧倒的な立場と存在感に直接的な被害を及ぼす人間も減っていった。それ故に、わざわざ周りくどく他人に危害を加えてまでリリーナを陥れようとする人間がリヒター以外にいるとは思っていなかったのである。
だがこのことがディードリヒに知れてしまったら、それこそ彼は耐えきれず飛び出していったに違いない。最初にリヒターの計画を掴んだミソラが指示を仰いだ時でさえ、万が一を考え直接報告し、案の定ディードリヒはリヒターを直接殴りに行こうとしたほどなのだから。
それがさらに第三者まで関わってくるとなれば、本当に手に負えない事態になってしまう。ここまでを何年も耐え忍び、リリーナの前に立てる人間であろうと努めてきたディードリヒの全てが水泡と化す。
彼の努力を彼自身が否定し、まして状況の全てが悪化することだけは避けなければならないと、ミソラは固く心に誓いオデッサ突き落とし事件に関する情報を隠蔽した。
「犯人グループは現場を他の人間に押さえられないよう人避けをしていたようで、本当に目撃者が私だけであったのは幸いでした。しかし証拠となる現場を押さえた写真は用意できず…犯行を裏付けできるものは主犯が仮装に使用していた物品を処分する瞬間を収めた写真のみになります」
「リリーナがレッスンを受けていた講師の証言が取れるならそれだけでもことは大きく動く。だがお前は波の落ち着いた時期を過ぎた今になって漸く話を切り出した、それはなぜだ?」
「本当の意味で機を見計らっておりました。できればリリーナ様の冤罪を晴らす際にお話ししたかったのですが、ただでさえややこしい話がさらに混乱してしまうことを考え黙っていることにしたのです。そうしたらディードリヒ様がこの件に関して相手に自作自演を断定するような発言をしたものですから、失敗であったと反省しております」
心底ため息をつくミソラ。ディードリヒも馬鹿ではないはずなのであの場はそれなりの方便で乗り切ると思っていたのだが、そんなことは全くなかった。
自分もオデッサが突き落とされた事件に関しては“リリーナがそういった罪を加算されたが、調査しても特に結果は出なかった。しかしオデッサの怪我は本物のようである。”という旨の報告をしたので非はあると認めるが、それを後先考えずに相手の“自作自演”であるということを遠回しに言って済ませようなど、あまりにも暴言すぎる。
あそこだけは会場に紛れて警護をしながら思わず殴りに行きたくなった。今思えばよくレイノルド国王が怒らなかったものである。まぁレイノルドもリリーナの行為に対して「家名の品位に恥を塗った」とし殺人が冤罪だと断定しきれない状態でリリーナの投獄を黙認した人間故に、若干ものの判断基準が極端なのかもしれない。おそらくだが彼の中では“リヒターのやったことの中身をわかっているので、その程度の暴言は言われても仕方ない”と思っていたとも予想できる。むしろそうでなければ軽く外交問題なのだが。
そしてディードリヒにも多少の反省はあるのか、ミソラの発言に対して彼は視線を逸らし黙り込む。その姿をリリーナは確かに彼を見上げる形で見ていた。
「ディードリヒ様?」
「…」
「まさか、“私の冤罪を晴らす”と言っておきながら貴方は彼女の怪我について何もお調べもしなかったと?」
「…」
「お答えになっていただけませんこと?」
「面白い!」と思ってくださった方はぜひブックマークと⭐︎5評価をお願いします!
コメントなどもお気軽に!