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これは私のエゴだけど(4)


「リヒター様の元を去ろうとしたんですの?」

「はい。リリーナ様が投獄された後、リヒター様は私がリリーナ様のことについて尋ねても『大丈夫だから』と言うばかりで何も答えてくださらなくて…突き落とされた話に関しても曖昧な返事しか返ってこなくて、その段階でおかしいとは思っていましたから」


 オデッサは眉間に深い皺を寄せる。その表情に置かれた瞳には、リヒターへの信頼が薄れてしまったことが言外に語られていた。


「私がリヒター様に相談したことがいけなかったのかもしれません。だけど、私は彼と一緒にこのことに向き合ってもっと前向きな結論を出したいと思っていました。それなのにリリーナ様への対処を黙って、しかもひどく一方的なものにしたのが許せなかったんです」

「…そうでしたのね」

「リリーナ様が牢からいなくなったと聞いたのは、ちょうどリヒター様にそのお話をしようとしていた時期でした。たくさん考えた末に出した結論ではあったんですが、大きなことが起きてしまったので自分の話をするのも悩んでしまって…」

「…」


 それは少し申し訳ないことをしたような、と内心気まずくなるリリーナ。自分が望んでやったことではないので不可抗力のはずなのだが、今ややった相手が身内と考えると途端にオデッサに対して可哀想なことをしてしまったような気持ちになる。


「それでその時は様子見にして…タイミングを逃したままでいたらリリーナ様がフレーメン王太子殿下をお連れになってパンドラに帰ってきた」


 リリーナがいなくなってしばらくしてから、彼女の所在がわかったことはオデッサも聞いていたが、同時に接触しないようにとも言いつけられていた。

 当時リリーナはすでにフレーメンにいた故に、“こちらから無闇な干渉をしてしまうとあらぬ事態になりかねない”と聞いたオデッサは話に納得し、ずっと様子を伺っていたのである。


 そしてリリーナの冤罪が晴らされたあの日、リリーナはディードリヒを連れ自分とリヒターの婚約発表の場にやってきた。

 二人がパーティにくる、という話を聞いたオデッサは最初耳を疑ったが、リヒターが証拠として見せてきた招待状の返信に驚きつつも、状況を利用できるかもしれないと考えたのである。


「そしたら“おかしい”と思っていた全てが嘘偽りのものばかりで、とてもショックが隠せませんでした」

「…」

「ただ、同時にリリーナ様がフレーメン王太子殿下を味方にしているのは少し偶然にしては出来過ぎな気もしていますけど…」

「…」


 二度目の沈黙で、そっと視線を逸らすリリーナ。やはりオデッサは自分が思っていたより勘が良く頭が回るようだ。

 目の前の偶然を簡単に信じることはなく、物事の奥にあるなにかを無意識に見ようとする部分があるように見える。そうなると自分が下手を踏めばディードリヒのことについて深掘りされかねないわけだが、これはどうしたものか。


「ですがそこまでしても私を突き落とした人のことはわからなくて、リリーナ様がやったと言われていた殺人は冤罪、ましてあの場でリヒター様のやってきた身勝手がたくさん見えて…とても悲しいでは済まない感情が心に残りました」

「…それは、私でも同じことを考えるように思いますわ」

「正直あの場は混乱していて、今思い返すと自分でも何もかもが支離滅裂だったように思います。リリーナ様の冤罪も、私が突き落とされたことが自作自演のように言われたことも、リヒター様のやったことも…全部が頭の中を渦巻いていて」


 あの時の自分はただ必死だった、とオデッサはあの日を振り返る。

 リリーナが無罪であったことは確かに嬉しく、同時にディードリヒが彼女の味方をしていることに困惑し、自分の恐怖を“自作自演”と思われていることへの疑惑にリヒターが行ってきたことに対する感情の混乱…その全てが自分の中に在って。


 あの時リリーナが無実なのだと確信できたように、リヒターのことも信じたかった。だがリリーナがパーティにくるとわかってからじわじわと、そしてあの会場でリリーナの冤罪の証拠が詰まったあの使い古された封筒を見てしまったその瞬間にはもう、オデッサはリヒターを信じられなくなってしまった。


「そしてあの時、話の途中で陛下から会場を離れるように言われて…移動した別室でお別れを前提にお話をさせていただきました」

「そういったことでしたのね…」

「私が突き落とされたことについて、リリーナ様の方で犯人がわかっていないどころかこちらが自作自演扱いされるなんて、リヒター様は情報を集めてもくださらなかったのかもしれない…そう思ってしまったら、何も信じられなくて」


 体が震えるほどの不安を抱えて話をするオデッサに、リリーナはすぐにかけられる言葉が見つからない。

 あの場でリヒターがあれだけ動揺している様を見てしまったら、とてもリヒターが無実だとは思えないだろう。その状況で自分が遭った恐ろしい出来事を“でっちあげでは”などと言われてしまったら何も信じられなくなろうとも無理はない。


 リリーナも、一時期「城で事件が起きたので近寄らないでほしい」と連絡が来たとミソラに言われ一週間ほど城に行かなかった時期がある。久方ぶりに顔を出したのは冤罪をかけられたパーティの前日か前々日か…その時にリリーナは腕に包帯の残るオデッサを目にしていた。

 自分が城にいなかった間にオデッサの身になにか起きたのは明白で、オデッサが何か発言をしたか否かにかかわらず犯人は自分だと思われていたに違いない。あの時期はやたらと周囲が白い目でこちらを見ていた。

 その光景を不思議に思い、パーティが終わったら調べてみるかと思っていた矢先に冤罪騒ぎの流れでわかってしまうのだが。


「話の中でリヒター様は自分の罪を認めて何度も謝ってくださいました。その上で私といたいと言ってくださって、長い話し合いの末に今も二人でいます」

「貴女は、その選択を後悔していないんですの?」

「後悔はしていません。そのために納得ができるまで話し合ったから。そしてその時、リヒター様と共にあると決めた時、私はリリーナ様みたいになろうと決めたんです」

「!」


 リリーナの問いに力強く返したオデッサの瞳には強い意志がこもっている。そこには確かに強い決意が感じられ、この決意がオデッサを変えたのだとリリーナは確信した。


「あの時は嫌がらせもひどくて辛くて…でもリヒター様と共にあるなら負けたくなかった。だからリリーナ様くらい付け入られる隙のない人にならなければって思ったんです」

「それはそうでしょう。あんなものは叩き落とすものですもの」

「でもまだそこには遠くて、ここまでも何度も辞めたいと思うくらいつらかった…リリーナ様は初めからあんな風に所作も花嫁修行もこなせてしまったんですか?」


 オデッサの問いに対して、リリーナは静かに首を横に振る。それから自らを卑下するようにほんの僅かに目を伏せた。


「いいえ、私はただの凡人に過ぎません。ですが…」

「?」

「人が言うには、私の行いは狂気なのだそうですわ。私としましては日々を粛々と生きてきたつもりではあったのですが…思っていたより皆さん諦めが早かったようです」

「私が見てきたリリーナ様は、まるで何にでも才能があるように見えましたけど…」


 リリーナの言葉に少しばかり困惑するオデッサ。パンドラ王国でリリーナを見た殆どの人間は、彼女と同じことを言うだろう。“リリーナ・ルーベンシュタインには、全てが備わっている”、と。


「では貴女は、五冊の厚い本を頭に乗せたまま部屋の壁に沿い背筋を正したまま三周する、ということができますの?」

「えっ!? それは…」

「それを一週間続けてやれるまで諦めなかったことは? そしてそれを今でも続ける覚悟はありますの?」

「今でも…? リリーナ様は今でもやっているんですか?」


 リリーナの言葉に強い驚きが隠せないオデッサ。そしてその姿を見ながら、リリーナは自分のものの見方に変化が起きていることを感じていた。

 かつての自分は、その場所に辿り着きそして寸分の狂いもなく維持し続けることが当たり前なのだと思っていたのに、と。


 それを誰もが行っていて、もしくはそこまでしなくとも皆自分と同じ結果を出すことができて、自分はむしろそこまで自分を追い詰めなくては目標に辿り着くことはできないのだと歯を食いしばってやってきた。

 だがやはり、そんなものは自分の幻想に過ぎないのだと今ならば思える。


「私は十二の時にはできていましたし、今でも同じ訓練をしますわ。時間がかからないというのは勿論ですが、何より基礎を失ってしまえば全てを失いますもの」

「…」


 オデッサは当たり前のように飛んできた言葉に対して思わず絶句してしまう。しかしリリーナからすればもはや見慣れた光景だ。

 こういった話を振られて素直に返すと、皆が一様に信じられないものでも見たかのような顔をする。以前は自分の中の当たり前としてそこまで周囲の反応を気にしていなかったが、今は“やはり自分はどこか人よりずれているのだ”と思ってしまいどこか寂しい思いをしてしまう。


 この話をしてこういった態度を取らなかったのは、ディードリヒとルアナだけではないだろうか。

 ディードリヒはすでに知っていたのだろうと思えば無理もないが、ルアナは本当に物語の英雄でも見たような顔でこちらを称賛してくれていた。今思い返すと確かにルアナは淑女ではなく騎士などの体を動かす職に対する純粋な憧れがあるのだろう。


「芸術であれば他人の持つなにを真似ればいいのかを常に精査し、勉学は丸暗記ではなく理解を持ち、常に己の立場を意識した行動を怠らず法に準えた生活を心がけ粛々と生きる」


 これは自分に課した“当たり前”。自分の裏側に常に置き、見えない場所から自分を作り上げていった結果。これができなければ結局ボロが出ることなど、その辺の貴族を見ていればよくわかる。


「そして笑顔は咲き誇る薔薇のように、カーテシーは髪の先までコントロールして、声音はいつも穏やかにかつはっきりと相手に届くように、言葉遣いにはミスがないよう常に心がけ相手への気遣いを忘れてはならない…この全てが、私のこなすべき“当たり前”ですわ」

「…」


 初めから立っている場所が違う。リリーナの“当たり前”に対してそうオデッサはそう確信した。

 意識も、訓練の中身も、その全てが実践できている“今”という結果も、全て最初から自分とは立っている場所が違う。


「私がリヒター様の許嫁でなかったとしても、結果は変わらなかったと断言できますわ。私は“ルーベンシュタイン”を背負う人間なのですから。全ては家名に恥を塗らぬために、目下の者の手本であることを常に忘れてはならないのです」

「…確かにリリーナ様はいつも教本のお手本のようでも、美しい絵画の中の女性のようでもありました」

「正道たる美しさと邪道たる狡猾さをどちらも持ち合わせ、守るべきものを守り続ける…そうすれば自ずと必要な立ち位置に向かって進むものですわ。故にその道は困難なのです」


 かつては、家名に恥を塗らず立場に相応しい姿であるために。

 今は、何よりも失いたくない大切な居場所を守るために…自分の存在と時間の全ては在る。


「寝る間を惜しむ勉学の積み重ねも、怪我を隠しながら続けるステップの積み重ねも、全ては大切なもののためにあります。だからこそ、私と同じようになってしまうのはお勧めできません」


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