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これは私のエゴだけど(2)


「正確にはお話といいますか、今日は謝罪に来たんです」

「謝罪?」


 話が掴みきれない様子のリリーナに、オデッサは椅子から立ち上がると深く頭を下げる。


「ごめんなさい、リリーナ様。私は貴女を大きく誤解していて、そのことを謝罪に来ました」

「…!?」

「これは謝っても許されない誤解です。だからこれは私の押し付けで…それもごめんなさい」


 動揺するリリーナが見えないほどに、オデッサは深く深く頭を下げていた。彼女が本心からこのことについて詫びたいことはその姿から伝わってくる。しかしリリーナからすれば、オデッサが自分の何を誤解しているのかも知らされていない以上判断のしようがない。

 だからこそ、この状況でリリーナがすべきと思ったことは一つ。


「一先ず頭を上げなさい、マイヤー伯爵令嬢。それからミソラ」

「はい」

「ここからは彼女と二人きりにしてもらえるかしら」

「!」


 リリーナはオデッサに下げた頭を上げさせると、今度は振り向いてミソラに指示を出す。しかしミソラは、出された指示に対して珍しく表情を変えた。


「おやめくださいリリーナ様、それはあまりにも危険です」

「危険? それは私が貴女から教わった護身の術を軽んじていると?」

「そういった問題では…! 貴女は今目の前にしている人物についてもう少しお考えを」

「お黙りなさい」


 心配に焦るミソラの忠告を、リリーナは一言で一蹴する。そこから動揺のあまり大きく表情の揺らいだミソラに向かってリリーナは怒りの視線を向けた。


「ミソラ、たとえ貴女であろうが今誰にものを申しているのか今一度考えてから発言なさい。私は“リリーナ・ルーベンシュタイン”でしてよ」

「リリーナ様、ですが」

「“彼の方”は、守られるだけのお姫様に興味などありませんわ。ダンスはドアの外でおやりなさい」


 強い気迫を持ってほぼ初めて“護衛”を突き放すリリーナ。そんな彼女にミソラは“それでも”と口を開くもそれ以上は隣にいたファリカに止められ、一瞬はっとして我を取り戻したミソラは悔しげに口を閉じ最終的にファリカと共に部屋を去った。

 そしてその姿を見届けたリリーナは、次にオデッサに向き直る。


「何をしていますの? 私には棒立ちの人形の話を聞くような趣味はありませんわよ」

「あ…ごめんなさい」


 リリーナの言葉にはっと我を取り戻すオデッサ。すっかり先ほどのミソラとリリーナのやりとりに気押されてしまっていたとオデッサは内心で反省する。

 そしてリリーナは席につくオデッサを眺めながら紅茶を一口飲み下し、その後でオデッサに視線を戻した。


「では、改めてお話をしてもいいでしょうか?」

「えぇ。私も貴女の言葉の仔細がわからなくては返答はできませんわ」

「ありがとうございます」


 オデッサはリリーナに礼を述べると一つ深呼吸で我を落ち着かせ、それから改めて話し始める。


「私はリリーナ様のことを、冷たくてルールばかりが大事で、なんでもできるから人の心なんてない人なんだと思っていました」

「…」


 一呼吸置いた少女から飛んできた罵倒とも取れる言葉の数々に、思わず口を開きかかって一度とどまるリリーナ。言葉の初めから喧嘩でも売っているのかという話ではあるが、ただそれを言いに来たわけではないとも思うので一度感情を落ち着かせる。


「でもその冷たさって実はとても表面的なもので、リリーナ様はいつもその場に沿った優しさで私に接してくれていたんです。私はあの頃。それに気づいていませんでした」

「私が“優しい”など、おかしいものでも食べまして?」

「いいえ。目上の人に対する言葉遣いや呼び方を都度注意してくれたのも、マナーの正誤を叱ってくれたのも、私を本当の意味で嘲笑ったりしなかった人も…リリーナ様です」

「…」


 確かに目上の人間に対してフランクに接することはマナー違反だと口酸っぱく言い、パーティでの所作や挨拶の仕方について説教をしたことは何度もあったが、それは結局自分の“ほっとけない病”の一つに過ぎない。

 少なくとも感謝してほしいと思ってやったことではなく、人と足並みを揃えることでオデッサが周囲に溶け込みやすくなればいいと思っただけだ。

 それにそんな生優しい“指摘”など、最初のうちだけであったことに変わりない。


「リリーナ様がいなくって、初めていろんなことの大切さを知りました。マナーや立ち居振る舞いのできていない人間がどういった目で見られるのか、本当に冷たい人がどういう人なのか…リリーナ様があの場所でどれだけ強い抑止力になっていたのかも」

「『マナーも守れない人間は馬鹿にされて当然』だとは何度も説いたではありませんか。話を聞いていなかったと?」

「いいえ。勿論当時言われたことの全てを重く受け止めていたわけではなかったですが…“リヒター様と結婚する”上で最低限ができるだけでは駄目なのだと思い知ったんです」

「…」

「何に関してもそうです。リリーナ様がいたから、それまで誰も私に目を向けていないだけだった。そして、自分に目が向いて初めて私は現実を知りました」


 オデッサはこれまでを思い返しながら、自分の身に何が起きたのかを一つ一つ話し始める。

 リリーナがいた時は、リリーナだけが自分を叱ったり嗤ったりしていた。だが彼女がいなくなってからは、自分の小さいミスに対して周囲にいた人間の誰もがくすくすと馬鹿にするように嗤う声が聞こえてくる。

 確かにリリーナから嫌がらせを受けていた時にもちらほらと聴こえてはいたが、彼女が居なくなってその声は大きくなり、嘲笑うような“可哀想に”という声が何度も聴こえてきた。


 自分がリヒターと歩いていれば、令嬢たちが聞こえよがしに耳打ちしあって“見窄らしい”、“身の丈もわかっていない”と話し合っている。さらには令息たちでさえ“あれならうちの妹の方が”と言っているのが何度も聞こえた。

 嫌でも耳に入ってくるこちらを傷つけるための言葉に、何度も“思いだけでは駄目なのだ”と汚い現実を突きつけられる日々。


「陰口だけじゃなくて、嫌がらせに脅迫状もありました。都度リヒター様が動いてくださいましたが、情けないことに私は守られてばかりで…そんな悩んでいた時に声をかけてくれた優しい人がいたんです」

「…そう」


 オデッサの言葉に、リリーナは嫌な予感がした。この話の流れで出てくるような人物がまともな相手に思えなかったのは勿論だが、オデッサが「優しい人が“いた”」と発言したからである。それは過去を指す言葉のようにリリーナは感じ、その嫌な予感を裏付けるようにオデッサは悔しげに表情を暗くすると沈むように俯いた。


「でも、その優しさはまやかしでした」

「…」

「最初はいい人たちだと思ったんです。優しく接してくれて、嫌がらせをしてきてた人たちから守ってくれたり。だけど」


 そこで言葉を止めたオデッサは、化粧が落ちてしまうのではないかと思うほどきつく唇を噛む。だがリリーナがそんな彼女に対して言葉をかけることもない。


「『あんな馬鹿な女を引き摺り下ろすのは簡単だ』『リリーナもいない今、誰でも殿下の隣には立てる。馬鹿な女が横にいるくらいなんだから』…お城のお手洗いでうっかり聞いてしまったあの人たちのその言葉を、今でも覚えています。その時初めて、リリーナ様がどれだけ優しかったかを思い知りました」


 リリーナはオデッサの話を聞きながら紅茶を一口飲み下す。そして同時に“あの国人間がやりそうなことだ”と素直に呆れ返った。

 陰惨で他人を嘲笑することの好きな貴族の一体どれだけいたことか。

 どれだけ表面で謙虚に見せかけたところで、内心では“自分の方が上だ”と何かにつけて考えていて、目下の人間にはそれを隠さず目上の人間には必死に取り繕っておこぼれを貰おうとする。そんな屑どもを何人切り捨ててきたことか。


 フレーメンの貴族にも似たような輩はいるが、やっていることと貴族全体の母数に対しての人数はパンドラに比べたら鼻で笑えるほどしかいない。

 故郷でそういった下卑た感情の透けていなかった人間など、国王レイノルドと第二王子のアーノルドにオデッサ、よほど階級が下の家、上位貴族の中では一握り…といったところ。中位程度の家でまともだった家はすぐに思い出せそうにない。


 やはり今の環境は平和に思えてくる。あの場所で今のような友人に囲まれた生活など、正直夢のまた夢であっただろう。

 いつどこで誰に付け入られるかわからないあの環境だった故に、自分は常に高みを目指す必要もあった。自分の意思は介在していたが、それでも家と自分を守るためであったことにも変わりはない。


「リリーナ様はそんなことしませんでした。私を叱ったり注意したりすることや、嫌がらせに見せかけて私に何かを教えたりはしてくれても、決して私を馬鹿にしたりなんかしなかった」

「…」


 オデッサの言葉に思わず否定に近い訂正を入れたくはなるも、場の空気が壊れるのも憚られて黙ってしまったリリーナ。

 “マナー一つ正確にできない人間はこういう目に遭うのだ”。と敢えてそれが周囲に露呈するような場を作ったのも自分で、“楽譜を見なければ弾けない程度のバイオリンなど楽譜を穴抜けにしてしまおう”。と密かにオデッサの発表する予定だった楽曲の楽譜の一部を隠したのも自分だ。


 予備のドレスが用意されているパーティや演奏会では本番のドレスに傷をつけ、パーティ会場では彼女の白いドレスに赤ワインをわざとこぼしたこともある。

 何度もリヒターとオデッサが密会している中に割り込んで説教をし、自分が相手にするのが面倒な客人に声をかけられた時に偶然そばにいたオデッサに押し付けたことも何度もあった。

 そこまでのことをされていてどこに前向きに捉える要素があるのだろう、とむしろリリーナは状況に困惑している。


 伯爵家という中位の家では何着もドレスは買い替えられないとわかっていてオデッサのドレスを何度も使い物にならなくして、彼女が失敗するとわかっている所作や言葉遣いを敢えて誘導して周囲が“所詮は庶民なんだ”と彼女を馬鹿にする様を何度も眺めてきた。

 あの頃行っていた行動の全てが、何も知らない顔をして自分の積み上げてきたものを呑気に持ち去っていったオデッサへの復讐でしかなかったのに。


 自分の行動に、オデッサの言うような真摯な側面など存在しない。所詮自分は醜い感情に囚われ彼女を傷つけた犯罪者に過ぎないのだ。

 確かに、彼女が貴族令嬢として召し上げられて最初のうちは自分や周囲に対する無礼を叱り、なっていないマナーや立ち居振る舞いは指摘してアドバイスをしたこともある。


 だがそれは自分が相手を決めつけで馬鹿にするのがいやだっただけで、友好的であろうと思ったわけでもない。

 オデッサは自分の意思に関わらず無理やり召し上げられたと風の噂に聞いていた故に、慣れない場所で困惑しているであろう平民に高望みをするのは抵抗があった。そしてリリーナにはそれを理由にただ他人を馬鹿にしたいだけの精神があったわけでもない。


 だが結局、時間が進むにつれて変わっていった自分からオデッサへの行いは、彼女の言う“馬鹿にしている人間”たちと何が違うと言うのだろう。周囲に馬鹿にされるよう誘導するのは、結局相手を馬鹿にしているのと何も変わらないのに。


「あの人たちは何もしない…“何もしない”んです。直接手は加えないのにこそこそ私を馬鹿にして、何かあったら嗤って、優しいフリをして引きずり下ろそうとしてくる。私ならどうにでもできるっていつでも思ってて…リリーナ様みたいに一度だって正面から向き合ってくれたことなんてなかった」

「…」

「今でも怖いです。怖くて悔しくて、辛くて…だけど負けたくなくて」

「!」


 そう言ったオデッサの瞳に光が戻る。暗い表情の奥にあったはずのその瞳には確かに強い意志が宿っていて、リリーナは少しばかりその光に引き込まれた。


「少し、話が変わるようなんですけど…私、リリーナ様が罪を問われたあのパーティで起きたことを何も知らなかったんです」


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