母国からの客人(1)
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リリーナとディードリヒの結婚式までもう後五日を切った今日、フレーメン王城の大門の前に停まった豪奢でそれぞれ大きさの違う数台の馬車から計八人の人間がこの地に降り立った。
まず現れたのは輝くスキンヘッドに温厚そうな顔つきの男性である。男性はパンドラの伝統工芸で作られた王冠と美しい装飾のされた赤いマントを身につけた服の上から羽織っていた。この人物こそがパンドラ王国現国王レイノルド・クォーツ・パンドラである。
次に現れたのはレイノルドのエスコートで馬車を降りた女性。長い金の髪を華やかなまとめ、美しい柔らかな印象の紫のドレスを身に纏うも冷徹な雰囲気を隠さない彼女は王妃であるハリエットだ。
その後ろから次は若い男が一人降りてくる。短く快活な印象の茶髪に気の強い印象の目つき、高い背ではあるがやや捻くれた印象を拭えない彼は第一王子であるリヒター。
そしてリヒターのエスコートで馬車を降りた少女は、うなじが隠れる程度の短い赤毛におっとりとした愛らしい目を持ち、女性らしいぷっくりとした愛らしい小さな唇を持つ。彼女がリヒターの婚約者であるオデッサだ。
そして一台目のもっとも大きな馬車から最後に降りてきたのはやや長い金の髪をうなじのあたりでまとめ、同じく長い前髪を額を中心に左右に分け母親に似た鋭い目つきを持つ少年。第二王子のアーノルドである。
一台目の馬車から全員が降りると、今度は二台目の馬車の扉が開く。
二台目の馬車から最初に出てきたのは、誠実さと精悍さを感じさせる顔つきに金の瞳と短な黒の髪を持つパンドラ王国の宰相でありリリーナの父親マルクス・ルーベンシュタイン。
そしてマルクスのエスコートで降りてきたのは、淑やかにまとめられた長い長いピンクブロンドの髪に聖母のような優しい表情、そして髪色に合わせた淡い赤のドレスを纏うエルーシア。
最後に降車したのは、美しい金糸の髪に優しく純粋な垂れ目が印象的な少年。いつの間にかリリーナの背を大きく越してすっかり青年と呼ぶのに相応しくなった彼はルーベンシュタイン家の後継者であり養子のルーエであった。
この八人はそれぞれパンドラ王国の重要な賓客として、そしてリリーナとディードリヒに深い関わりがある人物としてこの地に赴いたのである。
そして彼らを出迎えたのはフレーメン王国国王ハイマン、王妃ディアナ、王太子ディードリヒとその婚約者リリーナ、宰相であるキーガンであった。
「皆様、遠き地パンドラよりよくお越しくださった。フレーメンは皆様の来訪を喜んで歓迎しましょう」
ハイマンがそう言って友好の証にとレイノルドに手を差し出す。レイノルドがそれに応え確かな友好が確認されると、ハイマンは男性陣を、ディアナが女性陣を連れてそれぞれ別部屋への移動となった。
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移動先の一室では客人をもてなすためのお茶会が開かれている。集っているのは女性ばかりだ。
「本日は遠方よりようこそお越しくださいました。おもてなしとしてお茶の席をご用意させていただきましたのでゆっくりとお寛ぎくださいませ」
大きな円形のテーブルを囲むように座る女性たちにそう挨拶をするのはディアナ。そして彼女と共にリリーナと、この場のセッティングを行っていたフランチェスカが客人に向かってカーテシーで歓迎する。
「素敵なおもてなしに感謝いたします。ここまでの道中で見かけたフレーメンの豊かな景色は変わらず、素直に感激いたしましたわ」
挨拶を終え席についたディアナに向かってそう返したのはハリエットだ。だが彼女の笑顔は柔らかそうな印象の向こうにいつも冷たいものが滲み出ている。
「ありがとうございます、ハリエット王妃。我が国をすでに楽しんでいただけているようで何よりですわ」
対して、ディアナはハリエットに向かって暖かな太陽のような笑顔を返した。
ハリエットとディアナではまるで正反対だと二人を眺めるリリーナは、久方ぶりに見たハリエットの姿に懐かしさを覚える。
少なくとも、故郷にいた頃のハリエットは基本的に笑うような人物ではなかったため、外交などでの彼女の笑顔には常に冷たさのようなものが少しばかり滲んでいるをよく見かけた。
基本的には常に厳しく冷たい印象の人物で、家族の前でも大きく笑ったところは見たことがない。しかし家族には判断が甘く、周囲の人間は能力を重視して選ぶ割に息子であるリヒターやアーノルドに冷たい言葉をかけることもなかった。
温厚でありながら公平さを優先する国王レイノルドとはある意味対極に位置する彼女はリリーナにとってとても印象的で、そしてハリエットが優秀な人間を好むゆえにリリーナは当時、彼女に気に入られていたようには感じている。それもあくまでハリエットがこちらにかけてくる言葉の所々にあるイントネーションの柔らかさからの推測でしかないが。
(ハリエット王妃様とのお茶会はいつも緊張しましたわね…)
連なるように出てくる記憶に思いを馳せるリリーナ。
ハリエットは基本的に必要なこと以外は自発的に発言をしない人間だったため、何か話題があっても膨らませるのがとても難しく、それでいてその場をいつも試されているようにリリーナは感じていた。
なんとか話題をつなげて会話を続けていたが、今でもあの無言に満ちた冷たい空気の緊張は忘れられない。
「今日はディアナ王妃とフランチェスカ様にご紹介したい娘がおりますの。オデッサさん」
ディアナとハリエットの会話の中で、ハリエットが機を見計らいオデッサのことを切り出す。
名前を呼ばれたオデッサは「はい、ハリエット王妃様」と一言返すと、静かに席を立ちカーテシーの構えをとった。
「お初にお目にかかります。パンドラ王国はロアルド・ルーディ伯爵が娘、オデッサ・マイヤーと申します。以後お見知り置きいただけますと幸いでございます。本日はお招きいただきました栄誉に最大の感謝を申し上げます」
言いながら、赤毛の少女がこちらに向ける挨拶は、リリーナの知る“それ”ではなくなっていた。
元来平民上がりであるオデッサは厳しい手本を真似なければいけない貴族の礼儀作法を中々身につけることができず、以前はカーテシー一つでさえ動きはぎこちなく頭を下げる角度一つすら間違っていたというのに。
今目の前でオデッサが披露しているカーテシーは、とても伯爵令嬢の持つ動きではない。自然で流れるような動きに頭の角度から足の先まで整った、まるで美しい姿のお手本のようだ。
確かにまだこの動き一つでさえもっと上を目指すことはでき、自分はその場所を維持している。だが目の前の光景を行っているのがオデッサとなれば、今の彼女はあの頃とはまるで別人のようだ。
「…」
以前冤罪の証明をしたパーティでも思ったことではあるが、オデッサはリリーナがパンドラにいた時よりも確実に成長している。しかもこの短期間でだ、とリリーナは素直に感心した。
あの不器用な印象しか思い出せない少女では、この短期間であれだけのカーテシーを行えるようになるだけでも血反吐を吐くような思いをしただろうに。ここが私的な場であれば真っ先に彼女へ拍手を贈りたかったほどだ。
そんなことを考えていたら、リリーナの視界にはオデッサの隣に座るハリエットの姿が目に入る。
この場で最も地位の高いフランチェスカの右に座り、ディアナと共にフランチェスカを挟むように座っている彼女は、口元を隠す扇で口元を隠していて、そしてその向こうで醜く唇を歪めているのがちらりと見えた。
そしてハリエットの視線はこちらに向き、リリーナと交わってもそらされる気配はない。まるでその姿はオデッサの成長をこちらに当て付けたいように、リリーナには思えた。
「「…」」
ハリエットはこのような人物だっただろうか、そう思ったリリーナは動揺のあまり思わず表情を崩しそうになるもなんとか堪える。だが確かにリリーナの中でハリエットの醜い笑顔は記憶の中の彼女とは食い違っていた。
リリーナの記憶の中のハリエットは、他人に厳しく自分にも厳しく、家族には甘い。他人を評価する際に見ているのは常に秀でた能力を持っているか否かで、それ以外は無駄なことだと切り捨てるような人間でさえあった。
その“家族への甘さ”が、今まさにハリエットの歪んだ様を生み出しているようにリリーナには見える。
ハリエットは自分を憎んでいるのだと…リリーナの中にあるハリエットとの記憶が確かに脳内で告げていた。
(そうまでして、私がリヒター様を捨てことが許せないのでしょうか)
ハリエットの個人的な感情とは何も関係ないオデッサを使ってでも“お前はこれを捨てたんだ”と当て付けるほど、彼女にとってリリーナの行いは許せなかったのだろうか。
何よりハリエットは、リヒターが自分に何をしたのかをわかっているはずだ。それでも自分に当て付けをしようというのだろうか。
あぁ、醜い。リリーナは確かにそう感じた。そして故郷はそんな醜さの跋扈した場所だったと思い出す。
あの故郷にあったのは、華美な世界とは裏腹に陰惨で卑怯な空気が影のようになってこびりついている場所だった。
笑い合いながら相手を貶す場所を探して、本心から出た温かい言葉など存在せず他人を信用していい場所などない。常に自分の足場は自分で守らなくてはいけないような場所。
生まれついた時から強い権力のある家に生きていた自分を何度“運がいい”と思っただろうか。爵位の低い家は常に馬鹿にされ、不安定な立場の家が転落すれば自分たちが馬鹿にしていた存在から虐げられる…そしてその光景を周りはいつも話の種として楽しんでいる場所だったのだから。
こちらに来て自分が常に立場を気にしていたのは、パンドラでの経験から他人を信用していなかったからだ。
自分はいつ蹴り落とされてもおかしくない、王妃は替えがきくのだからとずっと恐れていた。ディードリヒはリヒターの時のように諦められる存在ではないのだと思うたび、足元が不安になる感覚になんど襲われたことか。
そんな、あの日々を思い出すゆえに自分はハリエットのあの醜い表情に気がついたのかもしれない。
あの笑顔はそう、「お前はあの小娘に負けたのだ」とでも言いたげだ。故郷を出ることになって、目下の立場であったはずの人間が自分のいた場所に立っていることを悔しがれと言っているように聞こえる。
だがあいにく自分にそのような感情はない。なにせ自分の中にあったのはずっと家族を守るための矜持と常に上を目指すための志であって、立場やリヒターに対して個人的な感情があったわけではないのだから。
ゆえにリリーナは何事もなかったかのようにハリエットから視線を逸らし、歓迎の意を込めてフランチェスカから始まった拍手の輪に加わって席に座り直すオデッサを見届ける。
「マイヤー伯爵令嬢の挨拶もとても美しいわ。流石はリリーナさんのいた国の子ね」
ディアナはオデッサに温かな言葉をかけつつ、あえてリリーナの名前を出しハリエットを牽制しているように見えた。ディアナもハリエットの様子が何か何かおかしいように見えているのかもしれない。
そしてかけられた言葉にオデッサが感謝の言葉をかけると、冷たい笑みを浮かべたハリエットが口を開く。
「ありがとうございます。この子が褒められると私も自分が褒められたように嬉しくなりますわ。この子はリリーナさんに負けないほど“淑女”として成長してくれました」
ディアナの言葉に負けじと返してくるハリエットの言葉には所々棘のようなものを感じる。これこそまさに“笑い合う貴族”の典型例のような景色だが、それ以上にリリーナの中ではハリエットが自分に対してオデッサを当て付けているのだという確信が持てた。
どうやらハリエットは自分がリヒターを裏切って恥をかかせたと思っているらしい。そもそもこちらのことを貶めたのは彼なのだが、家族に甘いハリエットの中で悪役はリヒターの罪を公に晒した自分なのだろう。
なんと厄介な、と内心で憂鬱な感情を抱えながらも、リリーナは普段通りの立ち振る舞いで和やかに会話へ参加する。
そして歓迎を兼ねたお茶会は二時間ほどで解散になるも、全員が揃って部屋を出るとなった時ハリエットはなぜかリリーナの後ろを歩いた。
そして、
「“こちら”は随分過ごしやすいようね」
そうリリーナの耳元に囁くと、ハリエットは何事もなかったかのようにリリーナを追い越して去っていく。
「…」
だがリリーナが足を止める必要など存在しない。彼女は今日も凛と前を向いて歩みを進める。
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