思い出と憧れと渇望(3)
「…悲しい、ことは」
「君がもう他人のものだったこと」
「…」
「頭がおかしくなるかと思った。正直外交を利用して君を娶れないかなんて子供の頃からずっと考えていたことで、それなのに君はもう手が、届かなくて…!」
予想が当たってしまった。
彼が、子供の頃から自分を追いかけていたなら、などと一瞬でも考えないわけがない。
その時はもう、自分への興味を失っていたらよかっただろうに。そう、やはり彼女は考えてしまう。
「もう君の隣に立てないんだって思ったら、怖くて悲しくて、寂しくて…君が遠くに行ってしまったみたいであの手はもう無くて!」
どうしようもないのだ。彼が故郷の政治に関われるわけがなく、彼女が婚約を破棄することもなかったのだから。
そんなこと、当人たちが一番よくわかっている。
「叶わないならせめて、君を一瞬でも多く見たくなって、やってることはどんどん加速していった。君の声を聴きたくて盗聴したし、隠し撮りなんて何枚あるかわかんないし、私物無くしたことにして手に入れたこともあった。…ミソラは、黙って全部やってくれたから」
「…」
「一つ一つ君のかけらが集まって、嬉しかった。でも同時に虚しかった。辛くて、あの時みたいに、あの手を取った時みたいに君触れたくてたまらなかった!」
相手の感情が昂っていくのがわかっても、リリーナは何もしないでそこにいた。ただそれを、吐き出される感情を受け止めるように相手を見ている。
「…実は断罪の現場には僕も居たんだ。覚えてるかわかんないけど。でもあれを見て最高に嬉しかった! だってあの馬鹿王子が自分から君を切り捨ててくれたんだから! これで君に触れることができるって、それだけで感激のあまり死ぬかと思ったよ!」
「…」
「そこから先はとんとん拍子だった。もう事件の当時君が何してるかんてわかってるんだから怪しい奴に付き纏ってれば勝手に証拠なんて集まるし、囚人だった君を受け入れるために母上の別荘だったここを改造して、両親を説得して、情報をまとめて…一年かかってしまったけど、やっと君を手に入れたんだ」
吐き出された感情の一つ一つに痛みを感じた。それは喜びにも悲しみにも付き纏って離れない。
「君がそばにいるだけでどうにかなりそうだ。それは今も変わらない。でもずっとそばにいてほしいんだ、離す気もないし、離したくない。君がここで生きてるだけで嬉しくなる、君の一瞬一瞬が僕の手の中にあるんだ」
ディードリヒは恍惚と喜んでいる。しかしいつからか、その瞳はまた虚だ。そして吐き出した痛みもまた、彼を弄んでいる。
「…これが君の知りたかった僕のこと。答えは出たかな?」
「…えぇ」
そしてリリーナは紅茶を一口飲み下す。ゆらりと虚な瞳をむける彼を意識したまま。
そして一言こぼしたものには、確かな悲しみが揺蕩っていた。
「本当に私たちは、こうしてでしか出会えなかったのでしょうか」
「…そうだと、僕は思ってるよ」
伏せ目になってしまったリリーナとディードリヒの視線は合わない。
それでもぽそりと、隠れるようにディードリヒは口を開く。
「君が…君が、思い出さなければよかったのに」
「…どういうことですの、それは」
「王子様でいたかったから?」
「…それはもう一生無理ではなくって?」
警戒した割には軽い答えだ。わざと軽口を言っているのだろうというのはすぐにわかる。
しかしおそらくもう“王子様”に戻れることはないだろう。少なくともリリーナの前では。
「まぁ、くだらない冗談を抜きにしても知られたくなかったのは本当だよ。君の国ではあの風習もないし、何より情けなかった自分とかね」
「あなたはずっと情けないでしょう」
「はは…そうかも。僕は鷹には…君のようにはなれなかった」
「確かに私は気高くあろうと生きていますが、そろそろイメージの押し付けはご遠慮願いたいものですわ」
「いいや、君は鷹だよ。力強くて、気高く美しい。自由に空を飛んでいける鷹」
そう言ってディードリヒは、わずかに心を閉ざしていくように、リリーナには見えた。少しずつ少しずつ、蝕まれるように。
気に入らない、そう彼に対してリリーナは感じた。
確かに彼の立場は彼を縛るだろうし、彼が自由を手にいるのは難しいかも知れない。それでも、自由は自分が探すものだ。少なくとも彼女はそう考えてこの縛られた生活を生きて、今ここにいるのだから。
それを安易に否定されてないとは、思えない。たとえ本人に自覚がなくても。
「——翼を」
「?」
飛び込む言葉に少しばかり戸惑うと、ディードリヒは俯いたまま続けた。
「翼を、折ってしまいたかった」
「…」
「君をここに閉じ込めたのも、あの時連れ戻したのも、君が死んでないか確認したあの時でさえ全部! 翼なんてへし折ってしまいたかった!」
暗い暗い言葉が、ぽつりぽつりとこぼれ落ちる。
「やっと君を手に入れたんだ。君に触れられるんだ。子供の時みたいに絶望したくない、一生そばにいてほしい」
助けて欲しいと、言っているような気がした。手を伸ばしても届かないのに。
そこで一つ間があって、言葉がまた落ちる。
「…好きだ」
「…」
「リリーナが好き、好きなんだ。好きで好きで好きで、リリーナが好きで。両手でなんか抱えきれない、本当に、本当に、本当に、愛してる。愛してるのに!」
乾いた叫びだ。
こんなに愛を訴えているのにその中身は空虚で、乾いていて、だから言ってる相手の方が苦しそうに聞こえる。
それが一番苛立たしくて、それが一番悔しい。
「ずっとそばにいてリリーナ。ずっと僕の光でいて。愛して、僕を愛して、あの時みたいに手を差し伸べて欲しいんだ。僕は君を愛してる、愛してるから!」
リリーナは、ゆっくりと立ち上がった。
泣きそうな言葉を聞きながら、相手の側に寄る。
「もし、もしずっといれるなら、もう君が離れないなら、君が死んでしまっても、ここいてくれるなら———」
そこまで聞いて、彼女は左手で相手の胸ぐらをつかみ、右手を振り上げた。
———パンッ。
乾いた音が部屋に響く。
そのまま放心するディードリヒの頭部を引き寄せると、自らの腕の中へ収めた。
できる限りの力で、離さないように。
「…リリーナ?」
「…」
「どうしたの、リリ———」
「手を」
「?」
「手を繋げば、良いのです。そんなに私が欲しいのであれば」
「!」
言葉に驚いた彼は、次に彼女の腕が震えていることを知る。そこで少しだけ、我に帰った。
「私が飛ばないようになんて、情けないことを考えている暇があるのなら、手を繋いで一緒に飛び立てばいい」
リリーナは優しくディードリヒを解放すると、そっと彼の隣に座り、そして精一杯彼の手を握る。
「手を繋いで離れないよう側にいればいいのです」
そして彼女は、愛しいと思う相手の目をまっすぐ見つめた。
「———私は貴方を選んのだのだから」
ディードリヒは驚いて、心が真っ白になって、言葉を失う。
それは、彼が想像していた言葉ではなく。
それは、彼の中で願うことはあっても叶うとは感じていなかった選択肢。
しかし彼が求めたその金の瞳は確かに自分を見て、その柔らかく小さな手は確かに自分の手を握っている。
今この時初めて、彼はリリーナが側にいることを実感した。
「…っ」
「!?」
次の瞬間、驚いたままのディードリヒの目から、ぼろりと大粒の雫が頬を伝った。リリーナは少し驚くも、相手の言葉を待つ。
「ぼ、くが…側にいて、いいの?」
辿々しい言葉に、彼女は驚きと少しの怒りを感じた。
「何を言っていますの? あれだけアピールしておいて」
「だって、嘘みたいな」
「失礼ですわね。私を選んでおいてなんと情けないことでしょう」
そしてリリーナは握ったままの相手の手を自分の胸に置くと、自信に満ちた顔を見せる。
「私と共にいるのであれば、貴方が言うように私と同じだけ気高くあってほしいものですわ。少なくとも、私を好きでいることには」
「…一緒…」
「少なくとも私にはあなたを好きであることに誇りがありましてよ」
「誇り…?」
「人を好きになるとは、私にとってそういうことです。確かに貴方には立場がありますが、それ以前に私を愛してくださっているのでしょう? その愛に報いて生きていきたいですもの」
リリーナはいつまでも自信がある。胸を張って、自分の意見を言い切ることができる女性だ。
そんな彼女が、自分を認めているという事実が、彼にとっては何よりも嬉しいもので、また涙が溢れていく。
「なっ…まだ泣くんですの!?」
慌てる彼女を置いてディードリヒの涙は止まらず、ぼろぼろと溢れる涙を止められない。
「だって、君が、僕を好きって」
「以前告白したでしょう!」
「まだ二回目だよ…夢みたいだよ…」
「あーもう、また言ってあげますからしっかりなさい!」
塵紙で相手の涙を拭うリリーナ。ディードリヒはそこからさらに少しばかり泣いて、呼吸を落ち着けた。
「うぅ、ぐす…はい…」
「もう、世話が焼けますわね」
「僕の涙あげるよ、リリーナ…」
「要りません。さっさとお拭きなさい」
「…はい…」
とは言いつつ、涙が落ち着くと手を広げるディードリヒ。
「抱きしめて、リリーナ」
「なっ…」
リリーナは強請られた行為に少し顔を赤くするも、一つ深呼吸をして伸ばされた腕を受け止めるために応える。
抱き合って、いつもと同じ抱擁のはずなのに、ディードリヒの中に眠るたくさんの想いが流れ込んでくる様な気がした。
「もう、仕方のない人…。私に抱きしめてもらえることを光栄に思いなさい!」
「うん…ありがとうリリーナ。愛してる、愛してるよ」
「…知っていますわ」
結局最後まで照れが残ってしまい、余計なことを言ったなと反省するリリーナは、せめてもの思いで愛しい相手を強く抱きしめる。
ここまでネガティブにお付き合いいただきありがとうございした
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