差し入れを持ってきたはいいけれど(4)
「いやはや…まさに鶴の一声と言ったところですな」
「そこまでは言いませんが…わかりやすい方なのは確かですわね」
涼しい顔でそう言ったリリーナは、慣れた手つきでバスケットの中に入っていたワインをグラスに注ぎ、サンドイッチを二つほどと菓子を一つ皿に出してケーニッヒに差し出す。
ケーニッヒはそれを受け取ると「ありがたき幸せ」と笑顔で返してからまずはワインを一口楽しむ。
「儂に何かご用ですかな?」
そして小さなサンドイッチを一口で口に納め、野菜とハムの絶妙な組み合わせに舌鼓を打ってからリリーナに視線を送り彼は問うた。
リリーナは率直な質問に“少しわざとらしく状況を作ってしまっただろうか”とは思いつつも、素直に頷いて応える。
「いつかにディードリヒ様の過去をお聞かせくださると聞いていましたので、この機会に是非と思いましたの」
「そういったことでございましたか」
なるほどな、とリリーナの回答に納得した様子を見せるケーニッヒ。それから彼はワインをもう一口と菓子を楽しみ、満足した様子で口を開いた。
「何を話したものですかなぁ。なにせ殿下とは付き合いが長いですので」
「聞きたいお話はたくさんあるのですが…何か、彼の方を見ていて気づいたことなどがあれば伺いたいと思っていたのです。私といない時の彼の方が…気になって」
「ふむ…」
リリーナの問いに少し脳内で思い出を振り返るケーニッヒ。何か面白そうな話はあっただろうか。
「姫がここにくる前の殿下について、姫は何かご存じですかな?」
「いつもどこか遠くを見ているような方で、私のことを追いかけ始めてから活発になったとは聞いていますわ」
「わかりました。では…外交の場での殿下のお話をしましょう」
彼の大きな手に包まれたグラスの中でワインがゆらゆらと揺れている。その波を眺めながら、ケーニッヒは蘇る懐かしい思い出を呆れたような温かい視線で振り返った。
「姫のおられるパーティが最も殿下を緊張させていたことは今でも覚えております。なにせわかりやすい方ですからの」
「わかりやすい…あの頃出会った彼の方にそういった印象はなかったように思いますが…」
「姫にそのようなお姿を見せるお方ではありません。しかし護衛としてそばにおりますと、殿下が一体何度貴女を見ていたかが昨日のように思い出せます」
外交的な責任のあるキーガンと、常に王太子であるディードリヒを護衛しなければならないケーニッヒではやはり見えるものも変わってくる。
護衛としてディードリヒの側にいるケーニッヒは、ディードリヒの体調なども含め様子を伺うのも仕事だ。それ故に、彼の熱心な視線の先に誰がいるのか気づくことが早かったのも必然と言って良かったのだろう。
「姫が他の方とお話をなさっているその横顔を、殿下は何度も見つめておられました。その視線は殿下の中で最も情熱的で、最も煌めいておられた。決して彼の方のことを深く知らぬ者にはわからぬようにしていますのに、それでも焼けるようなあの視線を儂は忘れられません」
「そう、でしたの…」
自分は一度もその視線に気づいたことがない。いや、彼が気づかれないように立ち回っていたのだろうが、それでもその熱い感情に心が強く締め付けられる。
同時に何故彼はそこまでして自分との接触を避けたのだろうとも思う。
確かにわかりやすいアプローチを仕掛けるのは問題だっただろうが、多少の世間話程度であれば目立つこともなかっただろうに。
「何故、彼の方はお声をかけてくださらなかったのでしょうか」
「それは儂にはわかりかねます。ですが姫とご挨拶なさっている時の殿下は発言に特に気を遣っておられるように見えましたな。彼の方の中にはなにか大きな葛藤があったのやもしれませぬ」
「確かにそうかもしれませんわね…」
ケーニッヒが真摯に話をしてくれているのはわかる。だからこそ、今見ているのはケーニッヒから見た事実のはずなのに…どうして疑問ばかりが増えていくのだろう。
真実は何をしたら見つけられるのだろうか。
「殿下の中での葛藤はその形を時によって変えながら、長く心の中にあったように思いますな。剣術もいつからか…諦めたように辞めてしまいましたので」
「諦めたように…?」
「あれは殿下が十五か十六か、その辺りだったと思うのですが…ふと抜け殻のように無気力になってしまった時期がございました。すでに陛下のお仕事は継がれておられましたので役職はこなすのですが、それ以外は本当に抜け殻のようでしたな」
彼が十五、六歳となると丁度リリーナと故郷の第一王子であるリヒターとの婚約が明確化してきた時期だ。それこそ時期によってはあの婚約パーティにも近い時期かもしれない。
そうなればディードリヒが以前言っていた“リリーナを諦めようとした”時期と重なることになる。
「姫以外には元より頓着のない方ですからなぁ。いかんせんそれまでの数年を頑張ってくださった方なだけに、ご両親である陛下ご夫婦も大層ご心配なさっておりました」
「…」
「活発でおられた時期の殿下は幼くして陛下のお仕事を継がれ、能力を証明するように学者のような論文をいくつも出されましたが、同時に泥に塗れながら身につけた剣術と馬術は儂から見ても輝かしいものでございましたからの…それが急に抜け殻となってしまっては、陛下方のお気持ちもわかるというもの」
あぁ、苦しい。
やはり自分の存在は彼を歪めてしまっていたのだ。犯罪だけではない、自分のいない時間の彼の全てさえリリーナ・ルーベンシュタインという存在が彼を支配していて、なくなってしまったら…何もなかったのだとわかってしまって、苦しい。
苦しい、苦しいのに、それが嬉しいと思っている自分がいる。
そうやって“リリーナ”の存在に苦しめられ振り回されていることこそが、彼と自分を繋ぐのだからと囁いてくる自分が確かにそこにいた。
彼は自分を見てくれる。誰でもない“リリーナ”を見てくれる…それはとても、甘美なほど嬉しいことだ。
彼は決して自分のしてきた努力だけを愛したわけじゃないことはとっくにわかっている。その過程はあくまで過程であって、彼は常に更新される“リリーナ”を愛してくれているのだ。
起きる前から眠った後まで、彼はいつまでも何年でも死んだとしてもリリーナを愛するのだろう。
「…」
なんと愚かな人だろうか。
なんて純粋で、情熱的で、視野の狭い愚かな人なのだろう。
いつまでもそのままでいてくれたらいいのに、そう思わないでいられない。“リリーナ”に夢を見て、“リリーナ”の全てを受け入れて、“リリーナ”だけを愛して。
そうやって、そうやってずっと愚かなままでいてほしいと願う自分は、あまりにも醜い。
でもその影のような自分は、今も確かに心にいるのだ。それは認めなくてはいけない。それだけが自分の全てではないから。
「そして抜け殻になったかと思ったら姫が来た途端あの調子ですからなぁ…馬鹿なほどわかりやすい。愚かとしか言いようがございませぬな」
「なんといいますか…自分が直接何かをしたわけではないのに申し訳ない気持ちですわ」
「いえいえ、姫は悪うございません。殿下がまだ未熟なのでございます」
がはは、とケーニッヒは快活に笑う。口では呆れたように言うものの、彼の変化を悪いものだとは思っていないのかもしれない。
しかしリリーナからすればやはりため息ものだ。馬鹿としか言いようがないのも事実と思うと余計に。
「それでも、貴女に向けた殿下の思いはずっと絶え間なく本物であったと、今改めて思います」
「…!」
「それこそ姫の話をそれとなく口走るだけで、殿下は顔を真っ赤にして食いついてきましたからな。その必死な思いから生まれた剣技だからこそ、見事と言えるまでに至ったのでございます」
言いながら、ケーニッヒは訓練場にて剣を交えるディードリヒとラインハートに目を向ける。リリーナが釣られるようにそちらに目を向けると、そこにはラインハートを圧倒するディードリヒの姿があった。
決してラインハートが弱いわけではない。日常的に砦の騎士たちと剣を交えているだけあってフットワークが軽く切り払いの速度が人並みではないほどだ。
それでも、ディードリヒの方が圧倒的に強いというだけで。
「身のこなしは素早く、剣筋に迷いは見せず、相手の僅かな動きから先手を打つ…殿下は突きが上手いですからな、脚のバネが良いので相手の懐に入るのが上手いのです」
自分に剣術がわかるわけではないが、目の前で起きていることの全てが去年の秋に見た二人の戦いと大きく異なるのはリリーナでもわかる。これがディードリヒが時折訓練場にいる成果なのだろうか。
ただでさえ激しい斬り合いは加速度的に熱を増し、ラインハートも本領を発揮しつつあるように見えるが、それでもディードリヒの動きがより良く見えるのは何故なのだろう。
「おぉ、やはりグレンツェ辺境伯もいい動きをする。領主でなければこちらからスカウトしましたのになぁ」
にやりと含むように笑うケーニッヒはどこか残念そうだ。リリーナは彼の声に反応して一瞬だけそちらに目を向けるも、すぐにディードリヒの方へ視線を戻す。
すると、二人は肩で激しく息をしながら強く互いを睨みつけあっているのが見える。お互い体力切れだろうか、少なくとも今回は引き分けで終わったらしい。
「さて…儂はあちらに向かいますかな」
そう言ったケーニッヒに反応してそちらを向くと、彼は更に残った最後のサンドイッチとグラスに残ったワインを食し満足そうに笑う。
「ワインも菓子もサンドイッチも、どれも素晴らしいものでございました。おもてなしいただき感謝いたします、姫」
「いえ、大したおもてなしもできず申し訳ございませんでした。こちらこそ貴重のお話を聞かせていただき感謝しておりますわ」
感謝の言葉に笑顔で返すリリーナを見た後でケーニッヒは立ち上がり、ふとリリーナを再び見ると次に彼はにやりと意地悪く笑った。
「…もっと恥ずかしいお話もございますぞ」
「あら、それも是非お聞きしたいですわ」
「では次までに話の種を揃えておきましょう。失礼致します」
ケーニッヒのにやり顔にリリーナもまた意地の悪い笑顔を返すと、最後にケーニッヒは一つ礼をしてディードリヒたちの元に向かっていく。その背中の向こうにいるディードリヒをじっと見つめながら、リリーナは答えのつけられない疑問にまた立ち返った。
自分たちは、もし離れなければいけなくなってしまった時、どうしていくべきなのかと。
ディードリヒくんわかりやす過ぎて草が生えるの巻
個人的にリリーナ、ディードリヒ、ヒルド、ラインハートは仲のいい四人組だと勝手に思っています。言うてラインハートとヒルドは挨拶程度の面識しかないのですが。ヒルドもあぁ見えてリリーナとディードリヒのことを応援はしているので、そう考えるとラインハートがいい潤滑剤になってわちゃわちゃと仲のいい四人になるのではないかなぁと作家は勝手に思っています。学パロとか書いたら楽しそうですね
もうね、ラインハートはディードリヒくんの親友だと思うんだ。んでルーエは弟分的な感じ
結局根が真面目なのでその辺は常に辺りにバレています。ひねているのも本当ですが
そして周囲の人から聞いたディードリヒくんの知らない過去シリーズ
ディードリヒにはディードリヒなりの思いがあってパーティでの立ち回りに気を使っているみたいですね。そういうところが真面目なんだよなあいつ
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