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差し入れを持ってきたはいいけれど(2)

 

 ***

 

「そういえば、先ほどは何故ディードリヒ様とグレンツェ辺境伯が剣を交えていたんですの?」


 訓練場の隅の一角に敷かれた大布の上にはリリーナ、ディードリヒ、ラインハート、ルアナの四人が座りリリーナの持ってきた差し入れを広げている。

 取り分け用のさらに置かれた軽食を楽しむ最中、リリーナの口から何気ない質問にルアナが口を開いた。


「あぁ、それは私のせいっていうか…」


 と、歯切れの悪い言葉を口にしながら少しばかり困ったように頬を掻くルアナはつい三十分程度前の出来事を思い出す。

 

 ***

 

「二人が実際に戦ってるところとかは見れないの?」


 自分の剣術に対して指導を入れてくれている二人の男性に向かってルアナは何気ない好奇心を口にした。すると最初に彼女の従兄弟であり結局この場に顔を出さざるを得なくなったディードリヒが一言でその好奇心を切り捨てる。


「無理だな。僕は今日動くための服装じゃない」


 そう言い放ったディードリヒは、先ほど執務室に訪れたケーニッヒから結局逃げられず、半ば引きずられるように訓練場に連れてこられた挙句二人の前に置き去りにされて今に至っていた。

 なので仕方なく先にルアナに指導をしていたラインハートと共に彼女の習得しているという剣術に口を出していたのだが、彼としてはラインハートと剣術に対する向き合い方や技術の指摘点などが対立しないことがもやりと心に残る。


 確かに一人の人間に対して二人の指導者がいるのだから意見が対立しないに越したことはない、本来であれば。

 しかしディードリヒから見ると毛嫌いしている人間とものの考えかたが同じというのは、どうにも不快感が凄まじい。

 故にますますそんな相手と剣を交えようという気持ちになれるはずもなかったディードリヒは真っ先にルアナの言葉を切り捨てたのであった。


「良いではありませんか殿下、多少の戯れ程度であればお召し物も汚れないかと」

「断る。そもそもルアナは筋が良かったんだから今教えたことを三ヶ月も続けていれば人並み以上に基礎が身につくはずだ。実践なんてそれからでいい」


 ディードリヒとしては何がなんでもここから逃げ出しリリーナに会う方が優先である。

 そしてルアナのことに関して嘘は言っていない。彼女の物覚えがいいのは本当で、かつコツを掴むための脳みその柔らかさも備えているのは見ていてわかった。であればこれ以上今何か教えるのは蛇足ではないかとディードリヒは考えている。


「それは残念です…」

「諦めろ、さっきも言ったが僕はお前を手合わせのために呼んだんじゃ…」

「ですが」


 早くこの場を離れたいと若干の焦りが見えるディードリヒの冷たい言葉にラインハートはほんの一瞬気を落とす。しかしディードリヒが彼をこの場に呼んだ本当の理由を言い切らないまま、ラインハートはディードリヒの声に割り込むように言葉を挟み込んだ。


「殿下、ここで少しお考えいただきたい」

「何をだ」

「確かに殿下が俺をここにお呼びくださったのは、お二人の結婚式にご出席させていただけるという栄誉をいただいたからでございます。しかし!」


 と、そこでラインハートはルアナに手を差し向ける。


「ここにルアナ様と殿下がおられるとリリーナ様が今ごろ聞きつけている頃ではないでしょうか? であれば彼女はここへ訪れ、殿下へ激励の言葉をかけてくださるに違いありません」

「それは…そうかもしれないが」

「その上で、殿下へ一つお尋ねしたいことがございます」

「…なんだ」


 ラインハートはディードリヒに体を向け、不敵に笑うと持っていた教練用の片手剣の剣先を彼に向けた。それから確かに一言、ラインハートは“彼女の婚約者”に問う。


「目下の者としましては、常日頃証明されない実力で民を…貴方の大切な“姫君”をお守りできるのだろうか…とは思ってしまうのでございます。まさか殿下のあの時の実力は“まぐれ”でしたのでしょうか?」


 そう言い切ったラインハートがニヤリともう一つ笑う前にディードリヒは向けられた切先を自らの手で持っていた片手剣で弾く。

 その殺気にラインハートが感じた快感のまま目を見開いたのを合図に、二人の打ち合いは本格化していった。

 

 ***

 

「…と、いうことなんだよ。まさかラインハートさんの言う通りリリーナさんが来るなんて思ってなかったけどね」


 自分の何気ない一言があの修羅のような従兄弟の姿を生み出してしまったと思い返すと、ルアナは改めてなんとも言えない気持ちになる。

 あの打ち合いはディードリヒは殺気を剣に込めて振り下ろし、ラインハートはその剣を満面の笑みで受け止めそして返していた。あの第三者として見ていても背筋が凍るディードリヒの殺気の籠った顔と動きと剣先を心底嬉しそうに受け止めていたラインハートは、ルアナから考えればおかしいとしか思えない。


 特にあの殺気を引き出すためにわざとディードリヒの中で最もデリケートであろう話題を安易に持ち出して煽ろうなど、昔本で読んだ“戦闘狂”とは彼のことを指すように思えだほどだ。正直“目当ての相手に殺されにかかられたい”と言わんばかりのあの笑顔をルアナは暫く忘れられそうにない。


「…」


 一方でリリーナは、ルアナの話の途中からディードリヒのことをずっとじと…と冷めた感情と怪訝さとじっとりとした怒りの混ざったような目で見ている。


「ご、ごめんリリーナ…」


 それに対しディードリヒはすっかりしこたま怒られた犬のようにしょげて力無く彼女に謝り続けていた。どうやら今回はラインハートの言葉に本気で耐えられなかったらしい。


「…いえ、今回は貴方ばかりを責めてはいけませんわね。どちらかと言いますと…」


 ディードリヒに向かって若干呆れたようなため息を溢したリリーナは、次にラインハートに向かって憤怒の視線を向けた。


「ディードリヒ様の扱いをよくご存知のようですわね、グレンツェ辺境伯」

「扱いなど恐れ多い…殿下がいつ何時もリリーナ様を愛しておられる証拠でございます」

「よく回る舌ですこと。そこまでしてディードリヒ様の懐に入りたいんですの?」

「それをお決めになるのは殿下でございます。俺は殿下に仕える者として、殿下の決定に従うのみですので」


 リリーナの業火のような嫉妬と憤怒の視線を受けながらもさらりと真摯な返答を返してしまうラインハートに、ますますリリーナは不機嫌を加速させる。

 何故ならば、ラインハートの言葉には一切嘘が存在しないのがわかってしまうからだ。


 ラインハートの忠誠は真っ直ぐとディードリヒに向いているが、それでも自分を臣下とするかはディードリヒに委ねている。常にディードリヒへの感情は自然な形で友好的なものであり、ラインハートがディードリヒの立場で数少ない信頼のおける存在になるであろうことは間違いない。

 それだけラインハートがディードリヒと友好的関係にありたいと願い、好意的な感情で向き合い、明らかに懐いているのはリリーナにもわかる。ディードリヒ本人もラインハートがやたらと懐いている程度は自覚があるだろう、そこにディードリヒの中で好意的な感情があるかどうかは別として。


 ラインハートは自分たちがこれだけ邪険に扱っても嫌がらない人間だ。その上剣士としても領主としても実力があるとすればある意味において誰よりも信頼できる存在となる。

 だからリリーナはラインハートが気に食わない。自分とヒルドの仲のようにディードリヒと一定以上に仲良くなれそうな男であるだけでなく、ディードリヒとの関係を諦めない精神性の強さと素直な性格が心底気に食わないのだ。


「…っ、ディードリヒ様は渡しませんわよ!」

「リリーナ!?」


 何を言ってもまっすぐに返してくるラインハートに怒りを抑えきれなくなったリリーナは思わずディードリヒに抱きつきながらそう叫びラインハートを改めて睨みつける。

 しかし突然のことに驚くディードリヒに反応せず、ラインハートはただ笑顔を返した。


「はっはっは、俺が殿下をいただくなど滅相もない。俺はお二人がご一緒に在るのが好きですので」

「「!?」」

「お二人がいつまでも仲睦まじくあられることが俺の望みでございます。まぁ殿下には手合わせの時ばかりはお時間を割いていただきたいですが」


 ディードリヒに抱きついたまま威嚇を続けるリリーナにラインハートは真摯で相手のしづらい笑顔を向けつづける。

 そんな二人のやり取りを見ながら、ルアナはリリーナが思ったよりずっと感情的な人物であることと、ラインハートはとてもゆとりを持って生きている人物なのだろうという二つを同時に感じた。


「…っ」


 相変わらずやりづらい相手だと、リリーナは奥歯を噛み締める。自分たちの関係を祝福しておきながら、ちゃっかり手合わせの時間は確保したいと本音を混ぜてくるあたりにやはり嘘がない。そういった突き抜けて性格が良くおおらかで自分の欲求に素直な部分がリリーナにとってはやりづらい相手だ。何を煽っても通じないのだから。


「グレンツェ辺境伯」


 しかしそこでリリーナに抱きつかれていたディードリヒが今度は不機嫌な声を上げた。ラインハートがそちらに目を向けると、ディードリヒが彼に向かって不機嫌極まりないと言わんばかりの吐き捨てたような表情を表している。


「僕からリリーナの視線を奪うな」

「リリーナ様のご視線を頂こうなど滅相もございません。俺が欲しいのは殿下との手合わせの時間でございます!」

「お前がリリーナをかき乱すからこうなるんだろうが。如何に嫉妬に燃えるリリーナが天使より可愛い至高の存在であろうがその視線の先がお前に向いているのは殺したくなる。なにせお前には前科があるからな」

「はっはっは、殺意の籠った剣は素晴らしいですな。是非そのまま俺と手合わせ願いたいものでございます」


 二人のどんな言葉にも肯定的に笑顔で返しつつ、それでも己の欲は忘れない…本当の意味でブレのない強い精神を持ったラインハートにいいように振り回されているリリーナとディードリヒ。

 ラインハートとしては二人が末長く仲良く、そして自分の認めた相手であるディードリヒとの手合わせの時間があればそれで幸せなのだが、それが二人をかき乱すこともわかっている。二人のそのある意味で素直な部分を彼はとても好意的に見ていた。

 そしてやいのやいのと言いながら騒がしい三人をぼんやりと眺めていたルアナがふとつぶやく。


「なんか不思議だね、三人って」


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