叔父さんはこれでも応援がしたい(2)
「そうだな…望みになるかどうかは君の返答次第かな。まぁ取引なんて大袈裟な話でもないけど」
「僕が素直に答えるとえも?」
「思ってるよ。“今”を拒絶した後のことを、君はわかっていると信じているからね」
「…」
ワインの替えを注ぎながらそう言ったエドガーに対して、ディードリヒは“面倒な”と内心で舌打ちを叩く。
確かに、最初の質問で取り繕えなかったディードリヒに退路はない。もう式も間近な今身内に隠していてもメリットはなく、むしろエドガーが万が一にもそれを父であるハイマンに揺さぶりをかける道具として使われたら厄介だ。ハイマンもディードリヒの事情を知っている以上外部に情報が漏れることは避けたがるだろう。
つまりどの角度から状況を見ても、“全てを隠すこと”はもう難しくそこに退路は存在しない。
「…わかりました。お話しできる範囲でよければお答えします」
「うん。やっぱりディードリヒは頭が回るね」
「嫌味ですか? それは」
「まさか。そんなに意地悪なおじさんじゃないよ」
そう言ってエドガーは「あはは」と軽く笑った。軽い調子の叔父にディードリヒは内心でため息をついてから、静かに口を開く。
「確かに叔父上の言った通り、僕からリリーナへの感情は決して美しいものではなく、彼女はそれをわかっていて一緒にいてくれています」
「それは美しい愛だね、むしろ」
「…そして、あの時の彼女は確かに迷っていた。僕の汚いところを愛してくれていたから、僕の願いを叶えたいと願ってくれる心とそれを認めてはいけない理性の間で」
ふむ、と少し考えるような仕草を取るエドガーからローテーブルを挟んで正面に座るディードリヒは、いつかの“あの日”を思い出す。
あの日、あの瞬間の、もう心の誤魔化しがきかなくなってしまったリリーナから溢れ出た闇を見た瞬間のなんと嬉しかったことだろう、と。
震える彼女を見て背筋に走る快感も、嘘のように思えるほどの喜びも、彼女の白く細い喉と禁断の果実のように紅い唇から紡ぎ出される言葉たちへの悦楽も、あの時間の中では全てが自分のものだった。
白いシーツの上に広がるピンクブロンドの髪も、自分の手のひらにあっさりと収まってしまう柔らかな手首も、着崩れたドレスも…それでも曇らず自分を見つめるあの金の瞳も、まっすぐに伸びた芯のある意思も、その全てが自分の目の前に差し出されていて。
今でもあの時間は夢のように思う時がある。あのあまりにも都合のいい時間は白昼夢だったのではないかと。
だが彼女はいつだって教えてくれる。あの金の瞳で、自分に届けるための声で、彼女は確かに「貴方を幸せにする」と言い切るから、あれは夢じゃないと噛み締めることができた。
そして今、自分はその彼女へ報いるために一つの決断をしている最中にある。
「叔父上がお気になさられている顛末としましては、互いに話し合いの末平和に話がまとまっています。僕らは共依存を選んだというだけで」
「随分と歪だね。それはそれで良さがあると思うけど」
「…そうですか」
他人の意見など知ったことかと言いたいところだが、一先ず傍に置いておく。誰がなんと言おうが彼が自分の中の大切なものを変えるつもりはなく、それならば話が逸れても意味がない。
「なるほどね…通りでさっきは二人とも落ち着いて見えたわけだ。彼女の中に少し仄暗いものを感じたのにも納得だな」
「…」
「僕としては、たった数ヶ月での変化にしては急だったから甥っ子が恋人に洗脳でもしたんじゃないかと心配になってね!」
「叔父上!?」
驚きのあまり声を上げるディードリヒに向かってエドガーが「あはは!」と楽しげに笑う。
そして同様にあまり“何を根拠に”というディードリヒの思いはそのまま口に出ることになった。
「何を根拠にそのような…」
「彼女を見かけた時、強い意思で君を見ているのと同時に奥が仄暗いものだから不思議に思ったんだ。別荘で見かけた時とはまるで別人だったからね」
「だとしても、わかりやすくはしていないはずですが」
「それも勿論伝わってるよ。だからといって万人にバレない偽装なんてないわけだし、ここは諦めた方がいいと思うな」
余裕の笑みを浮かべながらエドガーはディードリヒを少し揶揄うようにそう言い切る。彼のその余裕に、ディードリヒは悔しさを覚え奥歯を噛み締めた。
そして今目の前にいる叔父は記憶にある人の良さそうな人物とは大違いだと痛感する。決して根本から人が変わってしまったというわけではないだろうが、人間の持つ多面性というものにはこういった時嫌でも驚かされてしまう。
「…彼女は、僕をある種の親鳥のように感じている」
一から十まで負けていると言っていい叔父に向かって、ディードリヒは悔しさを隠さずそう溢した。
「彼女を追いかけ続けた僕に彼女は依存していて、僕はそれを利用し続けている。リリーナがそれで手元にいてくれるならその刷り込みだって利用する僕の“これ”は、確かに汚泥です」
「…」
「でも彼女はこれが“刷り込み”だと本当の意味では気づいていません。そういった意味だと確かに洗脳に近いでしょうね…狙ったわけではないのですが」
神が本当にこの世にいるとしたら、自分はそれに誓ってでも故意に彼女に刷り込みなどしていない。
本当に彼女を追いかけていた感情に無駄な混ざり物などなく、自分の中で一番まっすぐに彼女を追いかけてきた自負がある。
だが端を切ったようにあの屋敷で溢れ出た自分の感情は確かに彼女を歪めてしまって、そしてその時自分はその歪みを“嬉しい”と強く感じた。
自分の元から離れられなくなってしまった彼女が、“ディードリヒだけは自分を正面から評価してくれているんだ”と純粋な目を向けてくれる彼女が、その積み重ねの末に自分を幸せにしたいと言ってくれる彼女の全てが…嬉しく、喜ばしく、幸福で心が満たされる。
だがそんなものは汚泥でしかない。日々の中にある彼女の微笑みは今まで積もった汚泥にさらに量を増させて、日毎に自分の心を埋め尽くそうとしている。一度は彼女と結ばれて、山も谷もあった中で減ったはずだったのに。
(あぁ…)
あぁ、愛おしい。
リリーナが、彼女がただ一人愛おしい。
こんな自分を好きになってくれて、自ら囚われにくる哀れな彼女が愛おしい。
こんなものは本当は目を覚まさせないといけない洗脳だとわかっていても、目を瞑ってしまう。
一生醒めないでいてくれたら、幸せなのにと。
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