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私の役目と立ち位置(1)

 

 ***

 

 二人がソファに移動すると、さも当たり前のようにリリーナがディードリヒの腕に抱きついた。そのまま彼女は満足げに彼の腕に頬を擦り付けている。


「…っ」

「〜♪」


 二人でここに来るようになってからというもの、リリーナはこういった二人の時間になるとこの調子が続いていた。特にソファが安心するのか、隣に座るとこうして腕に抱きつき擦り寄ってくる。


 しかし毎度ディードリヒにとっては心臓に悪い感触と光景であるのも確かだ。

 彼女が素直に擦り寄ってくるという喜びは天にも昇るが、同じだけこの状況に慣れない緊張と彼女を傷つけたくないという理性と…耐え難い本能の誘惑が彼の脳内では常にせめぎ合っている。


「ここにいる間は化粧を落としてもいいのが楽ですわね。帰る時にし直さないといけないにしても、貴方の服を汚すことはありませんから」

「そんなに僕にすりすりするの好き?」

「貴方と触れ合えるのであればなんであれ好きではありますが…確かに好きかもしれません。化粧を気にせず貴方の香りと感触を楽しめますもの」

「そっ…かぁ…」


 リリーナから飛んできた衝撃的な発言に脳が固まるディードリヒ。なんとか理性を保つのでいっぱいいっぱいではあるが、同時にリリーナに嫌われたくないと思うと本能のままにも踏ん切れない。


「ふふ…心地良いですわね」

「そう?」

「貴方がここにいてくださるということが心地良いですわ」


 言葉と共にリリーナは心底幸せそうに微笑む。ディードリヒは彼女の姿に少しはにかんだように笑うと、空いている手で彼女の髪を撫でた。


「ありがとう。僕もリリーナが隣にいてくれるのが本当に心地いいよ」

「嬉しいですわ。そう言っていただけるのは、とても」


 そう言って、リリーナは満足げに笑う。

 同時に今の時間はとても贅沢だと、リリーナは感じた。

 普段の服も食事も生活環境も、どれも贅沢な品を扱っているとわかっているのに。それなのに、今この時間が一番贅沢だと感じてしまう。

 彼と二人きりで過ごす、この時間が。


「ここまでたくさんのことがありましたが、こうして二人でゆっくりと過ごす時間は多くありませんでしたわね…」

「そうだね…お互いやることが多いから。全く恨めしいよ」

「私もこの時間のために予定はいくつか捨てていますが…そう考えますと、そもそもの予定の立て方が良くなかったのでしょうか?」

「えー…それに関してはずっと言ってると思うけど」


 リリーナのふとした疑問に対して大いに不貞腐れるディードリヒ。対してリリーナは彼が不貞腐れている理由がわからず、頭に疑問符を浮かべながら彼を見上げているとディードリヒは大きく頬を膨らませながら言った。


「『僕以外要らないでしょ』ってここまでたくさん言ったよ? リリーナには僕だけいればいいんだから、そもそも社交なんて必要ないんだよ」

「貴方…何を言い出すかと思えば。そういった行動は難しいと貴方もわかっているでしょう? 貴方のために方々に角が立たぬよう立ち回るのが私の役目で…」

「それで今こうなってるのに? せめてもう少し幅は狭めるべきだよ。言い方は悪いかもしれないけど、君は今オイレンブルグを傘下に置いてるようなものだし、僕にはミイルズがいるんだからシュヴァルツヴァルトも僕たちの味方だ。その時点で心配なんてないでしょ?」

「それは一理ありますが…このまま他の公爵家を敵に回すわけにはいきませんわ。特にゲリヒト家には注意して…」


 と、そこまで言いかけたリリーナにディードリヒはますます頬を膨らませると、彼女の頬を掴みうにうにと上下に動かし始める。


「な、なんれふはひゅうに!」

「お仕置き」

「ふほうれふわ!」

「不当なわけないでしょ。先のことまで考えすぎ、リリーナはもう少し母上を見習うべきだと思うね」


 ディードリヒは眉間に皺を寄せ、とてもとても不機嫌そうだ。しかし彼からすればリリーナの“頑張りすぎ”は全てこうした彼女の思考回路から来ていると言って過言ではない。


「母上はもっと適当だよ。それでも今の立場は揺らいでないし、リリーナもそのくらいでいいの」

「王妃様の立ち回りが適当などありえませんわ。彼の方は楽天家のように振る舞っておられるだけであって、行動は常に計算されています。でなければ社交場でのあの見事な話題まわしと立ち回りに説明がつきませんもの」


 ディアナは確かに冗談好きで普段の会話でもよく使うが、必要のない場面でそれを使ったり他人を傷つけるような不用意なことは言わない人間だ。

 その上で協調性が高く、周囲をまとめて和ませながら必要な話題を持ち出してくるのだから、そんな人間が適当なわけがない。


「逆だよ。母上は僕とよく似てるんだ。最低限のことだけやって、あとは自分の好きに過ごす…だから計算ぽく見えるのは当たり前。どうやったら手っ取り早く面倒なことが終わるかは考えてるんだから」

「そうなのですか…?」

「嘘だと思うなら本人に訊いたらわかるよ。本当に適当なところは適当な人だから」


 ディードリヒの言葉に驚くあまり言葉を失うリリーナ。あのディアナが本当に適当などと一見考えづらいが、他でもないディードリヒが言うのだからそうなのだろうか。


「それに考えてみてよ。僕と君が初めて会った時の“あの”ドレスを気分で選んだような人だよ? あれこそ適当の極みだと思うね」

「あぁ…」


 言われてみれば、と言った話ではあるがその言葉は確かに納得できる。

 実際にディードリヒから聞いた話によればあのドレスは“ドレスが”可愛いから選ばれたのだから、それはとても子供のことを考えているとは思えない。パーティの雰囲気程度は考えたかもしれないが。


「他にもあるよ。僕に『差し入れよ』って言って持ってきたお菓子が自分が食べたいだけだったとか、剣術の大会を珍しく観にきたと思ったら僕が優勝するって確定した瞬間帰るとか」

「まさか、彼の方は陛下にも同じことを…?」

「父上にはやらないよ。母上は父上にだけは絶対に雑に扱うようなことはしない」

「そ、そうなのですか…」


 ディードリヒにはするがハイマンにはしない…その上でディアナが普段自分をいじる内容を考えると、それはディードリヒがディアナから単純に遊ばれているだけなのではないだろうか…とリリーナとしては思わなくもない。


「あの人は自分が普段着てるドレスも割と適当だしね。普段はあるものの中から適当に選んで、必要な時は自分がデザインしたものを着てる。父上は母上を公務に巻き込むのを嫌がったし…時間の余ってる人なのは確かだよ」

「少し意外ですわね…王妃様はご自身のドレスブランドをお持ちですのに、普段着るものにあまり頓着がないというのは」

「あの人は他人に着せるのが好きなんだよ。贈りたいと思った人間に合うものを作るのが好きなのであって、自分で着るのは必要な範囲でいい人なんだ」

「世の中にはいろんな方がおられるのですわね…」


 ある種未知の価値観が興味深いリリーナ。

 少なくとも自分が言う“香水が好き”は自分で使うことが前提の上で成り立っている感情で、その延長線として好きなものを広めようという目標を立て店を開いた。


 同じようにマディもまた、自分が着たい服の延長線上にある自分だけでは描けない世界観を表すために他人に服を着せている節があったように思う。

 だが最初から自分より他人ありきの“好き”という感情や表現というのは少し珍しいように彼女は感じた。


「あの人は自分が気に入った人間以外と交友をとることも珍しいし、そろそろリリーナも見習っていいんじゃないかな」

「元より接触する人間は選ぶようにしてはいますが…王妃様のご交友は言うほど狭いようには感じませんわ」

「母上はサロンの間口が広いだけで、それ以外はすごく狭いよ。そういう意味だとリリーナは本当にあの人に気に入られてて…複雑っていうか…」


 そう言ってディードリヒは不機嫌そうに視線を逸らす。

 ディアナの開くサロンは主に芸術に関係している。自身が嗜んでいる絵画や音楽を主題に選んだものが多く絵画であれば展覧会を、音楽であれば演奏会を開くことも多い。

 さらにその道の著名人を呼びサロンの参加者と共に見識を深めることもしばしば。サロンそのものは特に内輪に限ったわけでない、“王妃が主催の社交場”といった雰囲気なので人が集まりやすい。


 しかしその中からディアナ本人が直に交友をとる人間はほんの一握りだ。ディアナは自身で親交を深める人間を見極め、認めた人間だけを彼女が開く“お茶会”に招待する。

 この“お茶会”にはディアナが自ら呼び寄せた人間だけが参加できる特別なもので、家柄や参加者の招待では絶対に入ることはできない。

 それほどディアナは慎重に、かつ己の好みで周囲に置く人間を選ぶ故にヒルドが以前リリーナに言った「お母様は王妃様のお茶会に出れる程度には頑張っている」とはまさにこのことを指す。


 逆に言えば、ディアナに気に入られればどのような身分であっても彼女の懐に入ることはできる。現にリリーナがディアナに気に入られているのは確かに多面的な理由だが、最もたる理由は“いじり甲斐があるから”。とくれば、ディアナにとって交友関係とはそういうもの、という案外適当な彼女の側面が窺えるだろう。


「そうでなくてもリリーナには母上っていう後ろ楯があるんだしさ、もう本当お願いだから一秒でも長く僕のそばにいて。これ以上写真と録音と行動記録と回収できたもので穴を埋めるのは限界だよ」

「…」


 この必死な彼の言葉に自分はなんと答えるべきか…そう思うとうまく言葉が返せないリリーナ。

 たった今、とても当たり前のようにストーキングが続いていることが明言され、挙げ句の果てに何かを常に回収されている。先日物申した櫛は確かに返ってきたが、今度は何が無くなったのだろう。それ以外に関しては最初からやめているとも思ってないが。

 あぁ、いつか思った通りにこの状況が当たり前になってしまった。それはそれでなにか悲しいものが心に広がっていく。


 一方でディードリヒの発言には一理ある。

 五つある公爵家全てと一度に関係を築こうというには、今はまだ機を見計らうべき状況だからだ。

 今後長い目でみれば、確かに全ての公爵家とある程度の関係性を築くべきではあるが、今はふらふらと多くの家に首を突っ込むべきではない。


 ディアナの後ろ楯とヒルドのいるオイレンブルグ家を味方につけていることは、比較的新しい公爵家たちがこちらに対して思うところがあったとしても十分に牽制になるだろう。ミイルズが伝統通りディードリヒの秘書についているうちは、シュヴァルツヴァルト家も王家の味方についていることになる。

 ならば確かに、現状のやり方ではやや焦りすぎかもしれない。急いで状況を保つよりも、今はじっくりと周囲を見極め確実に歩みを進めていくべきではないだろうか。


 それにそのやり方ならば、ただ波風を立たせない程度の価値しかない社交場には積極的に参加しなくてもいい、ということになる。そもそもディードリヒが現状に対してどれだけ譲歩しているのかある程度想像がつく以上、やはり益の少ない付き合いは捨ててしまったほうがいいだろう。


「わかりましたわ。では益の少ない付き合いに関しては切ってしまいましょう。これ以上貴方に心配をかけたくはありません。そうなりますと、週に一度と言わずここにくることができればいいのですが」


 ここには本当に自分とディードリヒしかいない。そうなれば自然と彼と自分の独占欲は少なからず満たされるだろう。中々そうもいかないのが現状ではあるのだが。


「そうだね…本当あいつら、寄ってたかってリリーナを引っ張り回して、嫌になる」

「そればかりは仕方がないでしょう。私は立場上『付き合いが悪い』と評されるのはあまりいいことではありませんから」


 この国で育っていたり頻繁に訪問していたりなどで初めからある程度この国の者と関係が築けているならばともかく、リリーナはそのどちらにも当てはまらない。

 それ故に今の立場に対して彼女は未だ人脈が広がり切っていないのだ。それは非常時に不利を被りかねない。となれば、多少顔を出す程度の付き合いにも意味がないわけではなかったのが現状だ。


「わかるよ…だから嫌なんだ。リリーナに声をかけてくる連中のほとんどがそれをわかっていてリリーナの…“王族”の懐に入ろうとしてるのが。リリーナを利用しようなんて…」

「そういった輩こそ、こちらが利用することに意味がありますわ。貴方に不要な心配はかけたくありませんので行いませんが」

「…それ、何するつもり?」


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