思い出という名のプロローグ
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王城の敷地の中でも人気のない、やや不自然に開けた土地には小さな二階建ての一軒家が建っている。
上王アダラートの亡き兄であるフランツが生前過ごしたその家は、この度新たな女主人へと受け継がれていった。
そんな思い出の場所の前にアダラートは静かに佇み、その景観を思い出に重ねながら眺めている。
「…」
いつまでも兄の死を引きずるのはやめようと、ここにくることを控えるようになったのはもう何十年前のことだったか。
仲の良かった兄とこっそり食べたおやつも、博識な兄に教えてもらった星座や数学の知識も、全てが昨日のように思い出せるというのに、その記憶は確かに遥か遠くのものなのだともわかる。それはほのかに寂しくて、それ以上にこれからも大切な記憶だ。
木々の植えられた小さな庭園の中にあるような景観の一軒家は、自分がこの城を離れる最後に見たその時よりもさらに古びてしまっている。
もう基礎に使われている木材も、壁に使われている煉瓦も、あちこちが修繕を重ねられなんとか維持をされている状況であった。
城の使用人の中で最初は兄の世話をしていた二人の使用人に維持を続けてくれないかと頼み、二人は快諾してくれが…今は誰がここを管理しているのかも知らない。ただ見ていてわかるのは、今も自分の頼みは城の使用人の誰かに引き継がれているということ。その人物を見つけることができたら、何か礼の品でも渡せれば良いのだが。
とはいえアダラートがその一軒家のドアを叩くことはない。ここはもう兄の家ではなく、大切な孫の婚約者が管理をするプライベートな場所だと聞いているからだ。
「?」
ふと、一軒家の窓が開いた音に反応してそちらに頭を上げる。するとそう間を空けずにバイオリンの音色が耳に入ってきた。
どうやら弾き手は協奏曲の一つを奏でているらしい。とても有名なその曲は、バイオリンに馴染みのないアダラートでもすぐに判別できた。
しかしその音色はなんというか…少しばかりぎこちない印象だ。決して下手ではないのだが、間の取り方が少し硬いように感じる故に不器用な弾き手なのが伝わってくる。
だがそれはとても楽しげで、柔らかな音色だ。評価を気にするのではなく自由気ままに、正確なのではなく少しざっくばらんで発想の柔らかいスケッチのような音色。
とても初めて会った時の“彼女”とは程遠い、自由で暖かな音楽。
「あぁ、そうか…良かった」
アダラートは一言、綻んだ表情と共にそう溢した。そして彼は上王でも先人でもなく、一人の祖父としてその場を去るために踵を返す。どうやら孫の願いは叶えられたようだ、とそう心に温かなものを抱きながら。
そうであるならば、思い出に一つ整理をつけた甲斐もあったとすっきりとした気持ちも抱えて。
「今年は…兄上に話すことが増えたな」
とはいえ実は、今永い眠りについている兄に許可をとってからあの一軒家を明け渡したわけではない。となると兄がどこかで見ていて怒っていないと良いのだが…などとどこかで考えてしまう。兄は事後報告でも許してくれるだろうか。
だが同時に、“彼女”であればあの家を大切に使ってくれるとアダラートは確信している。だからきっと兄も許してくれるだろう、そう考えながら彼は城へ帰る一歩を踏み出した。
おじいちゃんの独白
家族との色褪せない思い出と、未来へと馳せる思い
おじいちゃん長生きしてくれ…
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