大好きだから、ごめんなさい(1)
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着替えが済んで帰ってきたヒルドと合流してからは、とうとうマディの言うメインテーマである“守護妖精と吸血鬼に奪い合われる純潔の少女”という題目に沿った撮影が始まった。
それにしても午前中には集まって昼食を挟みつつ長いこと撮影しているが、もう外はだいぶ暗いのではないだろうか。このままではここに宿泊になってもおかしくはないので、別荘の使用人たちにマディが話をしているのかがやや気になる。
そんなことを考えつつ、写真屋がフィルムを替えている間にリリーナはヒルドに視線を向けた。彼女はマディの言う“妖精”をイメージした純白のワンピースを身にまとい、腰には針金細工でできた羽がついている。そして彼女の美しい銀の髪には真っ赤な薔薇の髪飾りがつけられ、この美しい姿を白黒で撮影するとは思えないほど美しかった。
場所を変え、フィルムを替え終わった写真屋によって撮影されているのは豪奢な一人がけの椅子に座るリリーナの膝にもたれかかるヒルドと、リリーナの背後に立ちリリーナを誘うように顎をそっと撫でるディードリヒという構図だが、その様子を眺めているマディは何やらずっとメモをとっている。彼女のメモには何が書かれていて、何を考えているのだろう。そう思いながらリリーナは撮影を続けた。
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三人で撮影した後はヒルドとのツーショット、そしてディードリヒとヒルドがそれぞれ単体で撮影をするということになり、リリーナは一足先に撮影を終え着替えに入っている。
今日一日何度も着替えては撮影を繰り返していたリリーナに対するマディからの配慮だろう。正直ありがたい。
手早く着替えて化粧を落としていると、更衣室としてあてがわれた部屋のドアがノックされた。
「お邪魔してもいいかしら〜?」
かけられた声にマディが来たのだとわかったリリーナは、少しだけ待ってほしいと言って最後の化粧を落とすとマディを部屋に招き入れる。
「ごめんなさいね〜お仕度中に〜」
「いえ、お気になさらないでくださいませ」
「ありがとう〜」
マディはいつも通り穏やかでのんびりとした印象だ。しかしリリーナが何か用事なのだろうかと考えていると、彼女は不意に表情を曇らせる。
「リリーナさんって私のことを受け入れてくれるから、今日ははしゃぎすぎてしまったわ…ごめんなさい。今は謝りにきたの」
自分の隣に置かれていたもう一つのドレッサーの前に置かれた椅子に腰掛けたマディは、落ち込んだ様子でいつもののんびりとした喋り口調もやめてしまっていた。
少し暗い、悲しみを感じる彼女の様子にリリーナはそっと声をかける。
「確かに慣れないことではございましたが、新鮮で楽しかったですわ。なのでそのように謝らないでくださいませ」
「それはいけないわ…本当にやりすぎてしまったもの。感謝と謝罪はどちらも大切だとお母様から教わっているから」
「マディ様…」
実際今日は何着も着替えては撮影し、ディードリヒに振り回され、ヒルドを巻き込んでしまいてんやわんやと言っていい日ではあったが、慣れないことに疲れてもマディに対し嫌悪を抱くような要素はなかった。
「今日は本当にありがとう、とっても嬉しかったわ。そしてごめんなさい。自分の趣味を貴女に押し付けただけじゃなくて、貴女に予定も伝えなかった。それに…」
「?」
「ディードリヒ兄様の提案、リリーナさんは本当は嫌だったんじゃないかって後で気がついたの」
「それは…」
マディの言葉に少し驚くリリーナ。今日の彼女の様子を見る限り、少なくともリリーナから見た印象ではそういったことを言い出す人間には見えていなかった。
「リリーナさんの普段着ているお洋服を見ていると、とても貞淑な方なのがわかるわ。だから人前で肌を晒すのは嫌だったはずなのに、私は自分の欲を優先して兄様のことを止めなかった。多分ヒルドさんがその場にいたら止めてくれていたのかもしれないけれど…話が決まった時には彼女はいなかったから、おそらく兄様はわかっていてやっていたのだと思う」
「…」
リリーナから見ても、マディの言う通りディードリヒは狙ってことを進めていたのだろう。だが今の彼女からすれば“それでも自分に非があった”と考えているのは明白で、おそらく事実を話し彼女を肯定しても嗜めても彼女を傷つけてしまう…そう思うとリリーナにはうまく言葉をかけることができなかった。
「正直に言ってしまうと、あの光景は本当に素晴らしかった…色のついた写真に残せないのが悲しいくらい美しかったわ。でもそれは貴女を置き去りにして私のやりたいことだけを肯定した結果できたものよ」
自分の中にある“強い女性”を絵に描いたような、母エリシアに似た芯のある女性が未知の存在に魅了され組み敷かれる様のなんと美しかったことだろう。メモをとる手は止まらず、その絵面を絵画で残せれば色をつけることができるのにと悲しいほどそれは魅惑的な光景であった。
しかしそれは、自分が楽しいだけの行為でしかない。ディードリヒの発案したものに乗っかって利用して、自分が見たい景色を楽しんだだけ。
そう、周りの人が離れていったときと何も変わっていない自分がやったこと。
「やりすぎると誰も近くにいてくれなくなるって経験しているのに…興奮して熱くなりすぎて、久しぶりに私の趣味に付き合ってくれた人に迷惑をかけてしまったわ」
「マディ様…」
「言葉だけでは意味がないのだけれど…今度何かお詫びをさせてほしいの。貴女に要求があれば応えさせて。もしなければ…私にできることを考えます、本当にごめんなさい」
マディは完全に俯き、いつもの明るさを失ってしまっている。そして同時に、彼女は過去の自分を思い出していた。
可愛いものが好きで、服が好きで、ときめく物語が好きな自分。その好きなものを広めようと活動していたのに、いつの間にか周囲から人々はいなくなってしまった。
でもそれは自分のせいでしかない。自分ばかりが楽しくなって、相手が何度も引いていたのを自分は確かに見ている。それがあまりにも悲しかったからこそ、広く人の集まることのできるサロンで少しずつ…せめて服飾の良さを広げようとやってきたのに。
久しぶりに好きなことができると勘違いして他人に迷惑をかけてしまった。このままでは、きっとリリーナすら自分から離れていってしまう。
(私って、お馬鹿だわ…っ)
皺になってしまうとわかっているのにドレスをぎゅっと掴んでしまった。それだけ悲しくて、後悔ばかりが胸を占める。
「マディ様」
「…?」
「マディ様は、今日一日楽しかったでしょうか?」
「え…? それは、勿論楽しかったわ。たくさんお話しできるくらいに…」
リリーナから飛んできた思わぬ言葉に動揺するマディ。
しかし確かに今日は、リリーナの問うたように楽しかった。自分だけではできないことがたくさんできて、目の前にはたくさんの“かわいい”も“美しい”もあったから。
「では、少しそのお気持ちの中身をお聞かせ願えませんでしょうか? 私はやったことがないことですので、マディ様のお気持ちが知りたいのです」
「…いいのかしら、そんな話…私が楽しいだけかもしれないし…」
「いいえ、きっとそのお話は私にとっても楽しいものですわ」
そう微笑むリリーナの表情にはおべっかのような下心も、こちらに気を遣っている上辺の感情もなかった。その笑顔は発言に対する確かな誠実さと自信に満ちていて、それがあまりにも不思議でつい疑問が口をつく。
「どうして、そう言い切れるの…?」
不安げな少女の問いに、リリーナは彼女の手を取ってもう一度笑いかける。そして真っ直ぐと彼女を見てその問いに答えた。
「今日一日、マディ様はずっと輝いておられましたもの。本当にお洋服や創作がお好きなのだと、見ているだけで伝わってきましたわ。そんな素敵な方のお話だから私は伺いたいのです。本当に何か好きなものを持っている方のお話には、力がありますから」
例えばそれはディードリヒやヒルド、普段はあまり表に出さないがファリカもそうだ。自分が出会ってきた“本当に好きなもの”を持つ者たちがその“本当に好きなもの”の話をする時、リリーナは彼らから確かな強い思いを感じる。
そこに虚栄はなく、差別もなく、優越感もない。ただはっきりと“自分はこれが好きだ”という真っ直ぐな思いが伝わってくる。
それは自分にも同じ好きなものがあるから感じられるもの。自分も香水が好きで、それについて少しずつ深く知る度に好きだという自覚が確かになっていくからこそ「香水が好きだ」とはっきり言うことができる。
だからこそマディも自分と同じなのだ、とそれこそ見ていればわかるのだ。その純粋な思いは安易に否定されていいものはないし、たとえ全てを理解することはできなくとも彼女の好きなものに対する思いをリリーナは肯定したいと思う。
「い、いいの? 本当にいいのね…?」
「勿論ですわ。あぁですが、お茶はいただいてもよろしいでしょうか?」
「あっそうね、お話をするならお茶をもらいましょう。そうしたら…少しだけ私の話を聞いて?」
「喜んで。是非聞かせてくださいませ」
リリーナはまだ少しばかり不安の残る少女に微笑み、それを見た少女は心から嬉しそうに笑顔を返した。
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