着せ替え人形とペテン師吸血鬼(5)
「は〜い、そこまでで大丈夫よ〜!」
「!」
飛び込んできたマディの声に驚き、同時に壊れた空気に安心した体が弛緩した。今度は驚きという意味で鼓動が激しいが、同時に開放感で安堵している自分がいる。
「ふ…は、ぁ…」
心臓がものすごい音を立てて痛いほど鼓動を早めていた。たくさんの感情が重なった心臓はまだその全てを処理しきれていないと訴えている。鼓動に合わせて浅く回数の増えた呼吸も、未だ混濁の残る脳も、同じことを言っていた。
浅い呼吸を落ち着かせながらディードリヒに視線を向けると、彼はさもまんぞくそうな顔でリリーナに視線だけを向けている。その余裕に、リリーナはここまでの羞恥が一気にぶり返してきた。
「〜〜〜〜〜〜っ!!」
「可愛かったよ、リリーナ」
「あ…貴方という方は!」
「あはは」
軽い調子で笑い返す彼は心底満足そうで、リリーナはそれがあまりにも悔しく奥歯を噛み締める。ぐぬぐぬと相手を睨みつけていると、唐突に人影が現れて視線がそちらに向いた。
「二人とも最高だったわ〜〜〜〜っ!」
そして唐突に現れたマディは、まるで宝石のようにその瞳を輝かせて二人の前に立っている。その様子に思わずリリーナが少しばかり驚く中、ディードリヒはさりげなくリリーナの腰に腕を回しながら素知らぬ顔で言葉を返した。
「それはよかったな」
「高潔な貴族の少女が妖艶な吸血鬼の男に魅了されて、心も体も脱力し支配されていく中吸血のために露わにされる首筋…! 素晴らしいの一言だわ!」
「…」
「相変わらず楽しそうだな」
突然早口で語られた謎の物語に呆然とするリリーナ。対してディードリヒはマディのこういった様子は何度か見ているので軽く受け流している。
マディは洋服に関してもそうだが、好きなものの話題になると早口で良さを説明する癖があるの故この姿はある意味いつも通りでしかなく、ディードリヒの脳内では先ほど撮影したフィルムをどうくすねようかということの方が重要であった。
「今日の撮影だけで一体いくつのお話が書けるかしら…! ここから先はヒルドさんも加わるし、今日は最高の思い出になりそう〜!」
「ヒルドも撮るんですの!?」
「そうよ〜。『守護妖精と吸血鬼が奪い合う純潔の少女』が今回のメインテーマなの〜。だからリリーナさん一人で撮ってもらったのは私の趣味と兄様との交換条件なの〜」
交換条件、という言葉に眉を反応させるリリーナ。嫌な予感が脳裏によぎりディードリヒに話を聞こうと視線を向けようとすると、マディがまた話しだす。
「今回の撮影は初めからディードリヒ兄様にも参加して欲しかったから前々からお話をしていたの〜。そうしたら条件付きで参加してくれるって言ってくれたから甘えてしまったわ〜」
「その…条件の中身をお伺いしても?」
「リリーナさんとのツーショットと、兄様がリクエストした衣装での撮影、それから現像した写真の引き渡しよ〜」
「それは…先ほどソファで撮影したものも含まれているのでしょうか?」
「いいえ〜。あれは兄様が先ほど提案してくれて、あまりの素敵さに聞いた瞬間『やるしかない!』って思ったの〜!」
「…」
一通りの問答を終えて苦虫を噛み潰したような顔が隠せないリリーナ。気分は最悪としか言いようがない。
ディードリヒはまた土壇場で話をすることでリリーナを強制的に巻き込み、逃げられないよう周到に用意していたようだ。初めからいくつか案があり、その中から衣装やマディの要望に沿うものを選んだに違いない。
そしてヒルドには軽く触れる程度の話のみをして、厄介払いのように『そろそろ着替えに行った方がいいんじゃないか』と今回の主題を利用したのだろう。
その企みは許せないが、そもそも自分が今日の撮影の内容について何も知らされていないのもおかしい。何が起きているというのか。
「ディードリヒ兄様が、リリーナさんには“何も伝えない方が”いい写真が撮れるって言っていたけれど、本当だったわね〜。どれも素敵に写っていたわ!」
「そ、そう言っていただけるのは嬉しいですわ…」
マディの言葉にリリーナは思わず苦笑いを返すので精一杯だった。彼女にはほんの欠片ほども悪意がないのでどう対応したものか判断しかねる場合が多い。
あぁ、わかってはいたがやはりこういった突然の状況に対する対応力の低さは悪意のない人間に対して顕著に浮き彫りになる。
悪意や下心を持って接してくる人間は突っぱねてしまえばいいが、純粋な厚意や好意に対してうまく会話の流れを変えることはとことん苦手だ。そして何かある度にディードリヒには自分のそういった側面を利用されている気がする。
マディには悪意がなく、そしてこの状況を素直に喜んでいてかつ自分も結果的に“あの”時間を得るといういい思いをしているのも確かだ。どう考えても無理やりではあったが、それでもあの時間は思い出すだけで喜ばしく思えてしまう…そしてディードリヒは自分のこの感情に気づいているはずで、そう考えれば後から叱るための理由にするにも説得力がやや欠けてしまう。
こういった場合の頼みの綱である友人たちは何らかの理由で現場におらず、ましてマディがここにいることを知らないミソラがあの場で制止を入れていたらマディが混乱してしまったのは間違いないだろう。
全くもって今日は運が悪いとしか言いようがない。純粋な感情を自分の都合だけで傷つけるのは気が引ける上、状況まで整えられてしまっては八方塞がりだ。
確かに今日のマディの行いはやりすぎと言って過言ではなかったので多少嗜めてもよかったのだろうが、個人的にマディは立場をディードリヒに利用されたのも確かだと考えると、無闇に注意をしては彼女を傷つけるのではないかと思いとどまってしまった自分も良くなかったかもしれない。
なので結局責められるべきはディードリヒだ。
いつからものを考えていたのか知らないが、よく考えればヒルドがここにきた理由である“噂”とやらもディードリヒがそれとなく流布した可能性さえある。そうやって一つずつパーツを揃えリリーナが逃げられない状況を作り上げたのだろう。計画的に行動してなければ、自分が写る写真に絶対に写りたがらない彼がこの撮影に参加することを良しとするなんてあり得ないのだから。
(あぁ…考えを整理すればそれだけ腹が立ちますわね)
「…」
そう思うと感情が抑えきれず、リリーナはマディにバレないよう静かに隣に座るディードリヒを睨みつけた。すると彼はまた機嫌のいい笑顔で返してくるので、
「ゔぇ」
問答無用で思い切り頬をつねる。頬をつねる手とつねられている彼に向けられているリリーナの視線には確かに「お前を殺す」と書いてあった。
ディードリヒのことなので、今撮影したいかがわしい写真のフィルムは気づかれないようくすねて独占しようとするに違いない。せめて何とか先回りしてマディに事情を説明し、フィルムを廃棄できないだろうか。
あんなはしたないものを世に残そうなどと、考えただけで顔から火を噴きそうだ。
「さて、次は崩れたお洋服を直して雰囲気の違うものを撮影しましょうか〜。リリーナさんの強気なおめめを活かして兄様からの誘惑を断ろうとするシーンの撮影がしたいの〜」
「そういったことでしたら、喜んでお受けいたしますわ」
マディの提案にリリーナは爽やかで清々しい笑顔を返す。彼女の脳内ではディードリヒの誘惑をどれだけ冷たくあしらってやろうかと復讐の炎が燃えていた。
どれだけ冷たい顔を返してやろうか。顔面でも引っ叩くか、それとも今度は自分が彼のあわれもない姿を晒してやろうか…普段自分ばかりが辱められているのだと怒りの炎を燃やすと、復讐について考えるだけで少し気分が良くなる。
「わぁ、リリーナが僕を拒絶するなんて楽しみだなぁ」
会話を聞いていたディードリヒがそう言って余裕な様子で楽しげに笑う。その言葉だけでもリリーナとしては今すぐしばき回してやりたいが、それはそれで彼にとってはご褒美なのでリリーナは敢えて反応しない。
はい、ということで長らくお待たせしました冤罪令嬢七巻スタートでございます!!!!
本当に申し訳ありませんでした!(土下座)
この話に関して細かい話は次の塊が終わり次第にしようと思います
なんか上手くまとめられなかったというか、区切ったほうが話的にはいいんだけどかといってこの段階ではコメントに困る
申し訳ないです…
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