着せ替え人形とペテン師吸血鬼(4)
***
「じゃあ少し失礼するわね〜、リリーナさん〜」
「!? きゅ、急にどうなさったのですマディ様! そもそも先ほどのお話は何を…」
「大丈夫よ〜ほんの少し首元を開けるだけだから〜」
「!?」
急なマディの行動に驚き、今にも逃げたしたいリリーナだがマディがすでにブラウスにつけられたリボンをほどき首元のボタンに手をかけてしまっていたせいで身動きが取れなくなってしまっている。
そのまま鎖骨の下辺りまで曝け出された肌に困惑していると、ディードリヒが隣にやってきた。
「ディードリヒ様! 貴方マディ様に何か吹き込みましたわね!?」
「吹き込んだなんてしてないよ。マディが好きそうなアイデアを提案しただけ」
「ごめんなさいリリーナさん〜、少しだけ付き合って欲しいの。あまりに素敵なアイデアだったから…」
「マディ様…!」
ブラウスのボタンの外された部分を掴み首元を隠すリリーナはこの状況をどう切り抜けたものかと考える。
正直今の二人に話は通じそうにない。自分だけでは交渉もできないと思いヒルドに助けを求めようと視線を彷徨わせるも、彼女の姿はこの場所にはなかった。
「ヒルドはどこへ行ったんですの…?」
もう頼れるのはヒルドしかいないというのに、と不安を抱えるリリーナの前に友達であるヒルドの姿はない。どこへ行ったのかとややしつこめに探していると、不意にディードリヒがリリーナの腰を掴んだ。
「大丈夫だよリリーナ。あの女は少し所用を済ませに行っているだけだから。恥ずかしいならさっさと撮影を終わらせよう」
「え、ま、待ちなさい! 私はまだこの状態を許しては…!」
「綺麗に撮ってあげるから安心してね〜」
ディードリヒに半ば強引に背後へ振り向かされるリリーナ。やはりマディは彼を止めてはくれず、リリーナは内心でファリカに助けを求める。
しかし彼女は今日実家の用事があるとのことでここにはおらず、同じくこういった時頼れるはずのミソラは今日はマディも侍女を連れていないので驚かせまいと別所で警護にあたっていた。
流石にリリーナがはだけるなどという事態になれば、二人はリリーナが冗談では済まない話で嫌がることをわかっているので止めてくれるはずなのだが、よりにもよって二人ともいないとなると本当に助けがいない。
「…? これは、一体…」
しかし振り向いた先には、二人がけの大きなソファが置かれていた。だがここは先ほどの撮影場所と同じエントランス正面の大階段の踊り場である。つまり先ほどまでこんなものはなかったというのにいつの間に設置されていたのだのろう。
「私のおうちの使用人はみ〜んな、私があちこちで撮影をするのに慣れているから手際がいいのよ〜」
「マディ様は普段からこういったお写真を撮っているんですの…?」
「もちろん〜。可愛いお洋服は着た姿もとっておきたいもの〜」
「…」
リリーナの質問にご機嫌な様子で答えるマディ。しかしリリーナは見たことのない未知の世界に少し戸惑ってしまい言葉に詰まった。
自分の気に入った服を着ては頻繁に写真に収めるというのは流石に聞いたことがない。持ち運びできる写真機も最近は増えているのでなせるわざなのだろうが、世の中いろんな趣味の人間がいるものだ。
「さぁリリーナさん、あとはディードリヒ兄様が進めてくれるから安心して任せてね〜」
「…かしこまりました」
マディの言葉にもう逃げられないのだと確信したリリーナは、もはや諦めた様子で視線を再びソファに向ける。するとすでにソファに腰掛けていたディードリヒがこちらを手招きしていた。
リリーナは呼ばれるまま彼の元に向かうと、彼の膝上に腰掛けるよう指示をされたのでそのまま背を向けちょこんと座る。
「あは、可愛いリリーナ。でも残念、体を横向きにしてくれる?」
「こうですの?」
言われた通りに体を動かし、やや脚を開いた状態でソファに座る彼の脚の間に自分の脚を入れてそのまま垂らす。
「そうそう、いい子」
しかしだからどうしたと状況が飲み込めないでいると、不意に顎が持ち上げられた。
「次は“こっち”を見て?」
「!」
顎が持ち上げられるままに彼と視線が絡むと、そこで自分を見ていた彼の瞳は深く濁っている。
「あ…」
彼の瞳を認識してしまったその瞬間、自分の目は彼の愛を心に刻もうと必死に見開き、高鳴った心臓が体を縛り付けた。
だがここは適した場所ではないと必死に理性を掴み取り、リリーナは力ずくで視線を逸らす。
「い、いけません、このような…人がみているから」
「大丈夫、誰も気づいたりしないよ。今の僕は君にしかわからない」
「そのようなことが、あるはずが…」
「わかるわけないでしょ、僕は“君”しか見てないんだから」
「…っ!」
悪魔の甘言に耳を傾けてはならないと目を閉じるリリーナ。しかし愛しい悪魔は耳元で「大丈夫」と囁いてくる。
だがまさか、今の自分たちを写真に残そうと言うのだろうか、彼は。
「そんなに不安にならなくても、周りから見たらこんなの演出だよ。“ここ”に…僕の牙が突き立てられるための、ね」
「!!」
つつ…と甘い彼の声と共にふしくれだった細い指がはだけた首筋を滑る。リリーナは顔を真っ赤にしながら、慌てて首元を隠した。
「まさか貴方、マディ様にした“提案”とは…」
「せっかくそれっぽい格好なんだから、活かさないと勿体無いでしょ?」
「…っ」
言外に吸血鬼伝説の真似事をテーマにしようと彼は言っている。そしてそのために自分のブラウスは今はだけさせられ、ましてや撮影されようと言うのだ。
(そんなの、絶対に許せるわけが…)
羞恥に耐えきれずいっそ思ったことをマディに向かって叫ぼうと写真機に顔を向けたリリーナが見たものは、
「…!」
思わず言葉を失うほど瞳を輝かせてこちらを見ているマディの姿であった。
煌々と輝いたその瞳は確かにこちらに向かって期待に満ちた視線を送っている。そしてその視線は子供それより純粋で眩しい。
さらに言えばこの光景を何やら創作の着想にしたいのか手にはしっかりとメモが持たれていた。
そんな彼女のいるこの状況では、とても自分が逃げるなど無理だと断言できる。
「…」
リリーナは静かにディードリヒを睨みつけ怒りをぶつけた。しかし彼はこの状況になることを予め予想していたと言わんばかりに余裕の表情を見せている。
「わかってくれたみたいだから始めようか。そもそも僕から逃げられるなんて思ってないんでしょ?」
「…っ」
苛立ちのあまり汚い言葉が口を吐きそうになる。相手に対しては勿論だが、慣れていない環境に少しばかり疲れあの時ディードリヒを止められなかった自分にもその感情は向いていた。
まさか他人を巻き込んでまで自分との“あの”時間を作ろうとするとは思ってはおらず、完全に先手を取られたのが痛い。
しかしもう逃げられないのも、初めから逃げられると思っていなかったのも事実だ。ならば早く終わらせなければ。
「…少しだけですわよ」
「勿論。あの女が帰ってくるまでが限界だからね」
「…」
はぁ、と呆れ疲れたため息を隠さないリリーナ。彼女はそのため息で感情を一度整理してからディードリヒに視線を戻すと、彼が一瞬だけ写真屋に合図を送り…リリーナを誘惑するあの視線を向ける。
「ん…」
やはりあの目が自分に向いていると認識するだけで体が悦びに震えてしまう。背筋にぞわりと快感が走り、意識はどろりと溶けた飴のように崩れていく。
そうして混濁する意識の中で確かに感じる胸の高鳴りに、彼が、“この”彼も愛しているのだとまた一つ心が躾けられてしまうのだ。
その幸福が脳に行き渡った時、彼の大きな掌がはだけた首元を撫でる。その一つ一つの動きの中でシャッターの切られる音が本当に遠くの音として耳に入り、やがて自分の心音と彼の熱で消えていった。
「あ…」
彼の掌がはだけたブラウスを広げリリーナの首筋を露わにする。そのまま彼の頭は首にもたれかかり、リリーナは首筋に走るであろう痛みを覚悟した。
所詮は撮影なので、本当に噛んだりはしないだろう。しかし噛みついてほしいと思う自分は確かにいる。
そんなことを考えている自分の顔はさぞ惚けているに違いない。だらしないことこの上ないと恥が脳を過ぎると、その理性を許すまいと彼がまたリリーナと視線を絡めた。今度はキスができるほど距離が近くなり、キスなど撮られたら恥ずかしくて死んでしまうと浮かんだ感情さえ彼の目に支配された自分の脳では浮かんでは溶けて、確実に彼の支配が広がっていく。
「…?」
だが唇が重なることはなかった。予想と違い少し疑問の浮かんだ彼女の耳に吸血鬼は囁く。
「このまま後ろに倒れ込んで、支えるから」
「…はい」
リリーナはまるで意識を奪われた人形のように背後に倒れる。その力ない背中をディードリヒが支え、彼女の腕はだらりと眠っているように垂れ下がった。
意識を感じられない体と同じく脱力して項垂れる顎から繋がる首筋に吸血鬼の吐息が触れ、そのまま少しばかり期待の孕んだ吐息は下がっていく。
そして下がった吐息の感触が鎖骨の下まで届いた時、彼の唇がそこに触れた。
「!」
触れた唇に驚いて我を取り戻す。はっと頭を上げて下を覗き込むと、彼は暗く据わったままの瞳で確信的にこちらを見ていた。
そうしたら、その目を見てしまったら動けない。
胸の全体を締め付けるほどの鼓動に動けなくなってしまう。浅くなっていく呼吸に体の全てが巻き込まれていく。
(いけない、このままでは)
ここままでは、戻れなくなってしまう。
そう考え、“今はその時ではない”と脳が恐怖した時、
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