記念すべき一周年パーティ(2)
「全員よく聞いてくださいませ。私から話したいことがあります」
彼女の一言で場の空気が一度静まる。それを確認したリリーナは静かに口を開いた。
「まずは今日ここにいる皆さんに感謝を。ここにいる誰か一人でも欠けて店が始まっていたら、今日を迎えることはできなかったでしょう。伝えたいことは山のようにありますが、できうる限り簡潔にお伝えできるよう心がけますわ」
そうしてリリーナはまずファリカに視線を向ける。
「ファリカ、貴女との出会いがなければ私は今の場所に店を構えることはできなかったでしょう。その後、私の侍女として今も支え続けてくれていることも含め、本当に感謝しています」
リリーナの言葉にファリカは頬を赤らめ照れ臭そうに頬を掻く。今や見慣れた彼女の照れた時の癖を眺めてもう一度微笑んだリリーナは、次に横並びになっているグラツィア、バートン、エマに視線を向けた。
「グラツィア、バートン、エマの三人は常に高い質の接客を実現してくれている我が店の看板ですわ。エマは店内の見回りを欠かさず丁寧なもてなしでお客様と向き合い、バートンは厄介な方から私を守ってくれるだけでなく女性客に威圧感を与えないよう振る舞っていてくれますね。グラツィアは最早私の代わりに店長を務めてくれていると言えますわ。三人がいなければヴァイスリリィは営業が回りません。本当に感謝しています」
優しく微笑む彼女の言葉に照れ臭そうにしつつも軽く頭を下げるバートンと、感動で少し泣きそうになっているエマ。そしてグラツィアは心から満足そうに笑っている姿をリリーナに見せてくれた。
そして三人に向かって温かな笑みを向けると、今度はアンムートとその横に来ていたソフィアを見つめる。
「何よりヴァイスリリィの立役者と言えば、職人として日々活躍してくれている二人ですわね。私の強引な話に応えてくれただけでなく、細かく繊細な仕事と私とのすり合わせだって嫌な顔ひとつせずここまでやってくれています。二人がいなければ、私はヴァイスリリィを求めていた形で開くことはできませんでした。本当にありがとう」
リリーナの言葉にアンムートは泣くのを堪えているのか眉間に指を当て俯き、ソフィアに至ってはハンカチを持って泣きじゃくってしまっていた。
自分なんかの言葉で何か伝われば嬉しいと思いつつ、最後に自分の生活に欠かせない二人へも視線を送る。
「そして常に私の身を守りそばについていてくれるミソラと、笑顔で隣にいてくださる私の掛け替えのないディードリヒ様へ感謝を」
ミソラは、この時リリーナの言葉を聞きながら珍しく笑っていた。
相変わらず彼女はリリーナには見えるものの周囲からは隠れられる位置で静かに佇んでいる。だがその表情は確かに、幸せそうな喜びに包まれ笑っていた。
そしてリリーナの隣でディードリヒも柔らかく微笑んでいる。そして彼の笑みに向かって、リリーナは喜びと幸せを笑顔にして向けるのだ。
それから視線を会場に戻した時、彼女の言葉は一度最後へと向かっていく。
「本当に、一人一人に感謝を。ここまで一年間本当にご苦労様でしたわ、そしてありがとう。そしてよろしければ、私はまたここで来年も同じように集まれることを祈っています」
今会場に向けられているリリーナの表情は、本心からの笑顔だ。だが同時に、どうしても目の奥が熱くなってしまう。
この一年はとにかく右も左も忙しい一年だった。
ヴァイスリリィを開店するにあたって、責任者は雇うのではなく自分でやろうと決めたはいいが当然そんなことをしたことはなく、ファリカの父親から紹介してもらった商人から話を聞きながら勉学を重ねていた時期は本当に目が回るようだったことを思い出す。
計算自体はできたとしても商品の需要と供給のバランスまですぐつかめるわけもなく、開店当初は在庫管理に手間取ったりアンムートが使う香料の材料の仕入れに失敗しかかったことも覚えている。
秋ごろにグレンツェ領での取引が始まると今度は蜜蝋の入手経路や運送を頼む業者を探したり、蜜蝋の管理や扱い方についてアンムートを引き連れ養蜂家に直接話を聞きに行ったこともあった。
そういった多忙を重ねた時期にディードリヒとの時間は当然だが中々取れず、リリーナは日々のお茶会の時間を作るので精一杯だったというのに、ディードリヒはずっと自分を応援してくれていたことは今でも嬉しくも申し訳なくも思う。
あのディードリヒが、自分を片時も手放すまいと付き纏い自分が他人に合うことを極端に嫌がり、とてつもない寂しがり屋で嫉妬深くて根性が捻じ曲がっているあのディードリヒが、彼が嫌だと思っている全てに耐えて背中を押してくれていたあの時間を自分は忘れない。
本当に、本当にたくさんの人の助けがあったからこそ今がある。全てに対して感謝があり全てに対して喜びがあった。何度だって全員に感謝を伝えたい。
「私は今から来年が楽しみですわ。またこうして皆で食卓を囲めると…先ほど“祈って”と申しましたが正確には“信じて”います。そのために私もできうることを全力で続けますので、どうかついてきてくださいませ」
最後にリリーナはそう言葉を締め括り、いつもの強気な笑顔を見せた。決して涙は流さず、最後までこの祝いの場に相応しく在れるようにと。
そして静かになった会場で、静かな拍手が聞こえ始める。静かながら力強いその拍手をリリーナに贈っていたのはミソラであった。
そしてそれに釣られるようにして一人、また一人と拍手の輪は広がっていく。最後の一人まで輪が広がった時、ソフィアが目元を真っ赤にしたまま満開の笑顔でリリーナに駆け寄った。
「リリーナ様、あたし今とっても嬉しいです! おにいやみんなとお店で働けるの、とっても幸せなんです!」
そう言ってまた笑いながら目の端に涙を浮かべるソフィアに続くように、リリーナへ皆が言葉を贈る。
「リリーナ様のおかげで毎日エールが美味しくて、心から感謝してます。いい飲み仲間にも出会えましたし」
「そうねぇ、ワタシもお店で働けて光栄に思うわ。素敵なお仕事だし、リリーナ様は見ているだけで勉強になるもの」
「俺は…特に何かしてる訳でもないですが、いい出会いと仕事だと思っています。力仕事と用心棒の真似事しかできませんが、今後もよろしくお願いします」
一人一人の言葉が深く胸に染み込んでいく。流石に堪えきれず目の端に溜まってしまった涙を拭くためにディードリヒがハンカチを渡し、それを受け取って涙を拭いながら彼女はまたひとつ「ありがとう」と感謝を口にした。
「アンムートくんはいいの? せっかくだし言っちゃいなよ」
「あ、えっと…」
少し言葉に詰まるアンムートを見たリリーナは、一度エマに制止をかける。
「大丈夫ですわ、エマ。すでにアンムートからはこれ以上ない言葉を貰っていますから」
ついさっきのことを彼女は思い返す。本当は、あの時すでにリリーナは泣きそうになっていた。
アンムートを店に引き込んだのは本当に自分の我儘で、あまつさえ勝手なお節介を焼いて恩を売るような真似までしたというのに兄妹はここまで何も言わずについてきてくれている。
それだけでもありがたいことだというのに、兄妹は亡くなった母親に店の話をしているなど…なんと光栄なことだろう。
だがまだ今は泣きじゃくる時ではない。せっかく用意した料理は自分の長話で冷めてしまっただろう。
確かに冷めても美味しいものをソフィアと共に作ったつもりだが、だからこそ今は丹精込めたこの料理たちを皆と共有したい。
「この場も皆の言葉も…嬉しいものを私が貰ってしまっていますが、そろそろ料理をいただきましょう。今日はケーキやクッキーも用意していますから、食べ過ぎには気をつけてくださいませ」
「リリーナのケーキ!? 僕食べさせてもらったことないけど!?」
「仕方ないではありませんか、ここまで台所に立つ時間など無かったのですから」
「ぐ…っわかるけど、わかるけどぉ…っ」
悔しさと悲しみで顔面を皺くちゃにしているディードリヒを眺めながら、リリーナは呆れつつも少し申し訳ないことをしたと反省する。
普段の生活で、それこそ城に住んでいて自分で料理をするなど基本的にはしないことだ。なので彼に手料理を作るなど発想もなかったわけだが…ディードリヒが自分の手料理を食べたがらないはずがない。それなのにすっかり失念していた。
彼から先日受け取った家には少し小さいが台所があるので、今度クッキーでも焼いて渡してみようか。
しかし今は放置である。初めて彼に贈るのが図らずも他人と共有になってしまったのは申し訳ないが、この場を放置できないのでやはり今度何か作ろう。
「さて、今度こそいただきましょう。ソフィア、温かいスープは準備できていますか?」
「勿論です! 二人がお話ししてる間に盛り付けたんであつあつですよ!」
「流石ですわ、では飲み物を回しましょう。ミソラの方はよろしくて?」
「ご準備ができております。ファリカさんがお飲み物を皆さんにお配りしますので、順次お受け取りください」
隙をついたようにソフィアがスープをテーブルに配置し、同時にミソラがグラスに注ぎ用意した飲み物をファリカが全員に配膳する。三人の流れるような連携は、まるで事前に打ち合わせでもしたかのようだ。
「皆さん、飲み物は行き渡りましたわね?」
リリーナの言葉に全員が答える。それを確認したリリーナはグラスを掲げ乾杯の音頭をとった。
「では、ヴァイスリリィの一周年を記念して」
リリーナの音頭と共に全員がグラスを掲げる。そして会場の誰もが今日という日を祝う気持ちをグラスに乗せていた。
そして、この言葉で宴は始まる。
「乾杯!」
続
はい、ということで冤罪令嬢六巻はここまでとなります
まずはいつもの挨拶ではありますがここまでお疲れ様でした。ご拝読ありがとうございます
ではいつ通り全体と今回の話をざっくりしたいと思います
まず最後の話ですね
ヴァイスリリィも一周年ということでめでたい限りです
リリーナとしては兄妹の言葉が本当に一番嬉しいだろうと思うので、それを読者の方に伝えられたならよかったと思っています
そのせいでディードリヒくんがアンムートを目の敵にしているわけですが…まぁリリーナと同性のヒルドにさえ噛み付く男なのでもうダメかもしれない
リリーナが店を経営するにあたっての苦難について詳しく時間を割かなかったのは、それこそこの作品は恋愛を主題に置き私がそこを重点的に描くと決めたからです。焦点の定まらない話は全体がボヤけると思っているので「何を描きたいのか」は常にはっきりさせるように心がけています
ですが、いつかその点について少しずつ触れていけたらと思っています。主題ではないからこそ、うまく今後に活きるようにはしていきたいです
リリーナは慕われているオーナーみたいなので今後もみんなに好かれる子であってほしいですね
***
六巻まで来まして、結構二人の周囲のキャラクターを掘り下げていくことが増えたかなぁと思います
ヒルドなんてここまで掘り下げてあげられなかったので申し訳ない気持ちすらある。結構長いこと謎の女だったし、それと登場頻度でやや浮いてたからね…結構ディードリヒにもリリーナにも深く関わりがあるキャラなのに
ごめんねヒルド…わし頑張るよ、もっと君が活かせるように…
あとはもう本当、リリーナ様は休んでくれ…とずっと思っていたので、今回新しい居場所になるかもしれない場所を用意できたのはよかったなぁと思っています。秘密基地の話の後書きにも書きましたが、彼女は家に帰る暇もないブラック企業の限界プログラマーみたいな環境で生きてきてしまったので本当に温泉にでも行ってほしい。この世界温泉あるか知らないけど
全てはディードリヒくんにかかってる…と思うんだよなぁ。周りのみんなが働きかけないといけないことだけど、結局リリーナにとって一番の要はディードリヒなので。支柱となる彼にも頑張ってほしいですね。作家はハピエン主義ゆえにいつまでも二人で歩んでほしいので
全ては一巻から始まっているので、一巻の要素という名のフラグを意識しつつ発展させていきたいですね
そして結婚式を六月と明言したのでネタバラシですが、三巻辺りから季節の概念が明確になったのを皮切りに一巻頭で描く期間を徐々に短くしています。今回の六巻と次回の七巻はそれぞれ二ヶ月ごとの時間経過で考えています
一巻の期間だけで半年使っていたと思うと驚異的に短くなっていますね…
描き始めた時は季節とか強く意識してなかったので、あとから辻褄合わせるためにあれこれ考えていたんですが今忘れています。まぁなんとかなるだろう
確実に一つの区切りに向かっている物語ですが、回収できていない要素も多くどうなるか謎な方もいるかもしれません。一応あれこれ考えてはいるのですが…
そんなことを考えながらとりあえず次巻を書こうと思います
次巻は次巻で分厚くなりそうなんで頑張ります。是非読んでいただければと思いますのでお時間がありましたらお付き合いいただければ幸いです
それではまた七巻でお会いしましょう
ここまでお付き合いありがとうございました!
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