ある意味千載一遇の機会とも言える(1)
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「やぁ。突然で不躾なんだけど、僕もここに混ざっていいかな?」
アンムートとバートンがダイニングに置かれたテーブルで話していた最中、二人にそう声をかけたのはディードリヒである。
しかしアンムートはディードリヒを見た瞬間驚いてやや顔を青くし、それを察したバートンが先に口を開いた。
「申し訳ありません殿下、お言葉ですが俺たち下町のボンクラと貴方が関わるのは申し訳ない。あまりに互いの立ち位置が違う」
「王族は国民に支持してもらえないと意味がないから、そう言われると積極的に声をかけたいところだな。しかしそう身構えないでほしい、僕はこれでも二人を尊敬しているんだ」
「尊敬、ですか?」
ディードリヒの言葉にやや困惑するバートンとアンムート。二人が“不釣り合いだ”と言った王太子は改めて着席の許可を乞うと、話の中身が気になったのか二人は彼の着席を認めディードリヒは軽く礼を述べながら椅子に腰掛ける。
そして柔らかな仮面の笑みの中で話を続けた。
「バートン、君が学術院の哲学科に在籍したいた時の論文には縁があってね。いくつか読ませてもらったけど、個人的には『自我と哲学の境界における自我の存在意義』についての論文はとても興味深いものだった」
「!」
「アンムート君は言うまでもないね。君がリリーナ直属の職人として彼女の経営する店への貢献は見て取れるよ。耳に入ってくる評判もいい話ばかりだし、リリーナの信頼を裏切らないでいてくれていることに感謝している」
ディードリヒに褒められているという状況にどう対応していいものかやや狼狽える二人。だがよりこういった状況には慣れていないであろうアンムートを気遣ったバートンが先に口を開く。
「ありがたきお言葉です、殿下。自分の論文をご覧いただいていたとは思いもよらず…光栄に思います」
「知人から紹介された縁だったんだけど、要点を押さえつつ論文そのものにも考察の余地を残す構成には驚いた。論文として成り立っているのに一つの哲学書を読んでいるようでとても勉強になったよ」
珍しく、ディードリヒの言っている言葉には嘘がない。
確かにリリーナに近寄るにあたって全員の身辺調査は命じたが、バートンの論文は本当にかつて仕事相手であった学術院の教授に紹介されて読んだものであった。他にもいくつか勧められて読みはしたが、当時のディードリヒの印象に残る論文はバートンのものだけであったと彼は記憶している。
そのため、身辺調査の結果を聞いた時にディードリヒは何か縁のようなものを感じていた。それゆえアンムートに向かっても同じことが言えるが、彼がバートンを褒めているのは本音という珍しい事態が起きていると言っていい。
リリーナと彼女の侍女二人が見たら開いた口が塞がらなそうな状況だが。
「まぁでも、二人を尊敬してるからこそ僕は素直に目的を言うべきだよね」
「目的、ですか…?」
やや怯えているアンムートの返事を気にせず、ディードリヒは言葉を続ける。
「“敵情視察”来たんだよ、僕は」
「ひぇ…」
「敵情視察…?」
震えるアンムートに対して、バートンはディードリヒが言っている言葉の意味がわからないようだ。そして二人のその姿をディードリヒは“当たり前の反応だ”思いながら眺めている。
アンムートが初対面時のあの一言でここまで自分に苦手意識を持つのは流石に少し計算外ではあったが、彼としてはリリーナに対する感情の抑止力になればそれでいいのでずっと放置していた。
そしてバートンが状況を理解できないのは仕方がない。一見リリーナとディードリヒは周囲に付け入る隙を感じさせないほど“お熱い”のだから。
確かに“お熱い”と言っても基本的にリリーナがふざけ倒すディードリヒに向かって顔を赤くして怒っている光景ばかりではあるが、それはただの犬も食わない痴話喧嘩である。
「僕も一応男だからね、リリーナを愛してるゆえに異性のいる環境に送るのは少し不安なんだ。だから少し話がしたいと思ってね。まぁ…アンムート君とは“少しだけ”お話ししたけど」
「そ…ソウデスネ…」
愛想笑いを浮かべるディードリヒに視線を向けられすぐに視線を逸らすアンムート。バートンは二人の様子を見ながら若干嫌な予感がしつつも、事情がわかればと先手を打つ。
「俺はそういうのはないですね。確かにリリーナ様はお綺麗な方ではあるが、一応俺には他に思いびとがいるんで」
「俺もそういうのはないですよ…。あの人は異性以前に上司ですし、そもそも恋人がいる人にアプローチしようなんてどんな趣味ですか」
こざっぱりとした様子ですっぱりと言い切るバートンと、心底困った様子のアンムート。
しかし純粋なアンムートには悲しいことだが、正直貴族に浮気や愛妾は話の種になるほどよくある話だ。しかも相手が平民や使用人であれば話が盛り上がる。
貴族はそういった汚い話が大好きで、当事者になるも大好きな上に噂の種を薮から探して尾鰭はひれをつけるのも大好きな連中だとディードリヒは思っているゆえに、やはり芽があると感じたら摘んでおきたい。
リリーナが心変わりをすることなどないとわかっていても、粉をかけるようなことを考えている様子の相手は殺してしまうに越したことはないというのは、彼の中では当たり前な心理だ。
そしてバートンの言う“思いびと”の存在は本気なのか冗談なのか…向かいの椅子で聞いていたアンムートはやや気になるも問う勇気はない。
「ふむ…」
ディードリヒは二人の発言や様子から何かを察すると、取り繕った笑顔をやめて椅子の背もたれに体を預ける。その腹の上で指を組んだ彼は、リラックスした様子で二人に視線を向けた。
「うん、信じよう。二人の正直な言葉に感謝する」
そこから出たのは、リリーナが見たら目を剥きそうなほどこざっぱりと相手を信用した言葉。普段何かと疑り深い彼からは想像もできない、あっさりと素早い判断であった。
そして彼の言葉に安堵のため息をつくアンムートと若干拍子抜けするバートン。なんだったんだ、と正しく顔に書いてあるバートンはその素直な疑問を口にする。
「申し訳ありません殿下、自分は今貴方の行動の真意を掴みあぐねております。先ほどのお言葉は大変ありがたいものではありますが、これだけ簡単に結論が出ることをこちらに問うた理由をお訊きしても?」
「いいよ。まぁ経緯と理由はいくつかあるから一度省略するけど…簡単に言えば君たちの反応が見たかったんだ」
「自分たちを試されたと?」
「そんな感じに近いかな。一応僕も人を見分ける目は多少持っているつもりだから、大切な人を向かわせる場所にいる人間が彼女に対して安全かどうかは知りたくてね」
一応ディードリヒはいまだにリリーナの店の人間を時折調べさせているが、その結果では全員が白であり本来ならばこのようなことをする必要もない。
しかしこういった込み入った話をした時、不真面目な態度や茶化すような言動を使うような人間は注意しなくてはならないのも事実だ。そういった人間は本人の意思に関わらず周囲を巻き込むような問題を起こす場合が多い。
そういった無意識の人間性は実際に話をしてみないとわからないので、ディードリヒは自らこの会話を目的にここへやってきた部分はある。
互いの立場上、バートンに自分が個人的に接触を取るのはリリーナが怪しむだろう。アンムートに関しても同じことが言えるが、アンムートはディードリヒのことがすっかり苦手になってしまっているのでリリーナから向けられる視線はさらに鋭くなりかねない。
だがこういった場ならは自然と必要な人間は集まり、リリーナの鋭い視線を掻い潜ることもできる。そうなればいい機会だと感じるのは必然であろう。
そして二人の反応を見るに、ディードリヒが感じたのは二人がリリーナを人として上司として扱っていることや彼女に対する信頼、何よりリリーナに粉をかける意思はないと伝わってきた。
今後はともかく今は一度安心してもいいだろう。
「正直に言うと、浮気は勿論僕としては彼女の身の安全には常に注意を払っている。だから僕は今後も二人を信用し続けられることを祈っているよ。店での君たちの勤勉さはよく見かけているしね」
ディードリヒが何か要件があってヴァイスリリィに来店した際に周囲の様子を見ているのは事実だが、基本的に彼はミソラの報告を聞いて状況を把握している。
結局のところ彼女はリリーナの侍女のふりをした護衛であることに変わりない。それ故に観察眼にも長けているためディードリヒはこまめに店の様子について彼女に報告をさせていた。
「いやぁ…リリーナ様に手を出せる人はいないような…」
「あの見た目で腕っぷしが強いからな…」
バートンは接客兼用心棒のような立ち位置で雇われており、クレーマーなどが現れた際に責任者であるリリーナの隣に立って相手を牽制するのが役割だ。しかしクレーマーというだけあって卑怯なもので、中には弱そうに見えるリリーナに殴りかかろうとする者がいる。
そしてそのクレーマーたちを、リリーナは悉くミソラ直伝の護身術で撃退しているのだ。
隣に立っていたバートンは勿論のこと、騒ぎに対して何事かと工房から出てきたアンムートもその姿を見たことがあり、実際噂が広まったのか面倒なやっかみは減ったので二人にとって…いやヴァイスリリィの従業員たちにとってリリーナはそういった意味でも一目置かれている。
「多少腕が立つのは知ってるけど、それでもリリーナはか弱くて可愛い女の子だよ」
「「……」」
相手がどういう人物なのかをわかっていても、ディードリヒから出た言葉に怪訝な表情が隠せない二人。リリーナに当て嵌める言葉が“強くて逞しい”ならばわかるが、“か弱くて可愛い”はどう考えても結びつかない。
特にアンムートから見たリリーナというのは“気合いと根性で全てを力づく気味に解決する人”なので、ディードリヒの言うような愛らしいところなどリリーナとディードリヒが若干いちゃついている時にしか見たことがなく…嫌でも脳が混乱する。
確かに美しい彫刻のような美貌だとは思うが、それでも中身は根性と気合いをベースに高い知能が重なって隙のない印象だ。やはり愛らしいと言われると少し想像ができない。
「だからね、リリーナに何かあるのは嫌だから話はしておくべきだと思って」
「でもそうなると、グラツィアさんはどうなるんですか? あの人も多分…男性ですけど」
ヴァイスリリィの仲間内で最も信頼できるが、最も謎に包まれた存在でもあるのがグラツィアだ。
そのミステリアスな笑顔と上品な立ち居振る舞いの向こうにあるプライベートについては基本的に誰も知らないし、本人も話そうとはしない。
であれば、ある意味一番怪しいのはグラツィアなのではないかとアンムートは考える。
「あぁ、あの人は…一番危険がないだろうね」
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