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頓着のなさも行き過ぎれば異常(2)


「あらそう? ソフィアちゃんには時々話しかけてくれる男の子がいるみたいだけど」

「えっ」


 何気ないグラツィアの言葉に戦慄の表情を見せるアンムート。そのまま彼の視線は恐る恐る台所のドアに向かい、若干青くした状態でこちらに帰ってきた。


「余計なこと言ったかしらね?」

「まぁ、大丈夫だとは思いますよ」


 アンムートの中にディードリヒのような捻じ曲がった根性がなければ、とファリカは思いつつ内心に止める。

 少なくともたった二人で長いこと生活してきた兄妹の、しかも兄が大切にしていると割とあからさまな妹の出会いに対して何も思わないとは考えづらいので。この光景そのものは想像に難くない。


「あれ、そういえばエマがいなくないですか?」


 ふと室内を見回してエマがいないことに気づくファリカ。お手洗いだろうかと思っていると、グラツィアがやや呆れたように口を開く。


「エマちゃんなら今風にあたりに行ってるわ…」

「えっ、体調悪いとかですか?」

「大丈夫、お酒がなくて凹んでるだけよ」

「あぁ…」


 ため息まじりに聞こえた言葉に納得と言わざるを得ないファリカ。本来ならばシャンパンの一つも用意していい場なのだが、ソフィアとアンムートが飲酒年齢に到達していないのと、単純にエマの休肝日としてリリーナはお酒を用意しなかった。どうやらそれがどこからかエマに伝わったらしい。


 エマは元来他人に話しかけに行くことに対して抵抗感が薄い人間で、ファリカ同様接しやすい人物なので店の人間と打ち解けるのも早かったのだが、何かのきっかけでリリーナに日常的な飲酒の話をしてしまったらしく基本的にリリーナがいる場所で彼女はお酒を用意してもらえない。

 だがエマの飲酒の量はとてつもないようなので、周囲からすれば妥当な判断にも思ってしまう。


「あ、そうだ。俺ちょっとバートンさんに訊きたいこと思い出したんでいってきます」

「はーい、行ってらっしゃい」

「後でね〜」


 去っていくアンムートをなんとなくそのまま見送り、ふと向き合うファリカとグラツィア。そこでまずファリカが口を開いた。


「そういえば、それシュプリンガーの新作ですか?」

「そうよ〜、さすがファリカちゃんね」

「グラツィアさんシュプリンガー好きですもんね」


 二人の言う“シュプリンガー”とは、本来平民では手を出しづらい貴族向けの紳士服ブランドである。グラツィアはそのブランドの商品を長年愛用しているファンの一人だ。

 一方でなぜファリカが紳士服のブランドであるシュプリンガーを知っているのかというと、単純にシュプリンガーが首都の商会に登録された店舗であることに加え同社の社長がファリカの父親と親交がある故である。


 そして今日グラツィアは春の新作である紳士服一色を身にまとい、足元もしっかりと磨かれた革靴で祝いの場に来ていた。洒落た格好を好み、同時に紳士的で礼儀を重んじる彼らしい服装と言える。


「ワタシもいつかオーダーメイドの商品を作ってみたいわ〜。そしてそれに見合うワタシでもありたいわね」

「グラツィアさんの稼ぎなら買えそうですけどね?」


 ファリカは何気ない言葉で問う。

 ヴァイスリリィは貴族街の最も目立つ通りに置かれている店なだけあって、従業員も皆高給をもらっている。具体的なことを言ってしまうと、大きな工場に勤める一般的な男性が半年は生活できる金額がひと月で手に入る程度の金額だ。


 その上でグラツィアは元より趣味でバーの経営をしており、自らが店長兼バーテンダーとして働いている。シュプリンガーは貴族向けのブランドとは言え、決してグラツィアがオーダーメイドの一着も用意できないということないだろう。


「お金はあるわよ、バーの改築を悩むくらいにはね。でもまだワタシはあの服に見合わないわ」

「自分の理想…みたいな話ですか?」

「そうよ、お金だけじゃ服の本当の価値は引き出してあげられないもの。ヴァイスリリィの求人に応募したのも、貴族の人の振る舞いを見たかったからよ」


 言いながら微笑むグラツィアは、会話を和やかに進めるために軟化した態度をとってくれているようで、その声音は真剣なものであった。

 その決意とも言える姿勢にファリカは少し息を呑む。グラツィアは本当に服とシュプリンガーというブランドを愛しているのだと。


「好きなものを身につけるなら、いつだってそれに見合った自分でいたいの。服に着られている人間なんて服が可哀想って思っちゃうから。そういう意味だとリリーナ様って見ているだけで勉強になるわ」

「すごい向上心ですね…」

「目標っていうのはあって損するものじゃないわ。何もできなくて悩むより考えることが減るもの」


 グラツィアの言葉にファリカは感動すると同時に、少し落ち込んでいる自分を感じた。リリーナといいアンムートといいグラツィアといい…皆高い向上心を持って物事に取り組んでいる。自分にそこまでの情熱をかけたものはあっただろうか。

 “好き”なだけでは物事がなせないということを、自分はわかっているはずなのに。


「グラツィアさんもそうですけど、こういう話聞いてると周りがみんなすごくて驚いちゃいますよ…私はそういうのないから」

「それはそれよ。無理に作っても結果は出ないわ、人間は結局“やらないと死ぬようなこと”しかできないもの」

「そう…考えるとリリーナ様ってなんでも頑張ってるから、なんかすごいですね…」


 リリーナは己の価値を証明するための物事に一切手を抜いたりはしない。その積み重ねは確かに正気の沙汰ではなく、自分はそれを間近で見ている。

 だがそれは、彼女にとってやらないと死んでしまうことなのだろうか。今でさえ彼女は、眩しいほど輝いでいるのに。これ以上上なんてあるのだろうか、そしてそこを目指すのも本当にリリーナにとってやらないと死んでしまうことなのだろうか…。


「ワタシはリリーナ様について詳しくないけど…あの人もやりたいからやっているんだと思うわよ。やならいと死ぬことしかできないのと同じだけ、人間はやりたいことができないと死ぬような思いをするもの」

「死ぬような思い…」

「ワタシはファリカちゃんにも同じものがあるように見えるわ。その目標が遠いか近いかは関係ないの。結局進まないと手に入らないなら同じ意味なのよ」

「!」


 確かに自分にはやりたいことがある。グラツィアの言葉でファリカは沈みかけた気持ちに紛れそうになっていたその感情を思い出した。

 確かにそれは今の自分からは遠い目標で、すぐにできることなど外国語を覚える程度かもしれない。だがそれも目標には向かっていて、進まなければ手に入らないと歩み続けることこそが“向上心”なのかもしれないと、ファリカは思った。


「大人ですね、グラツィアさん」

「歳取るのも悪いことだけじゃないわよ。今みたいに若い女の子とおしゃべりできたりね」

「そういえば、グラツィアさんって今いくつなんですか?」

「う〜ん、そうねぇ…内緒よ」

「え〜」


 ファリカの問いに、グラツィアはミステリアスな微笑みで返す。

 どうやら謎の人物の秘密を解き明かせるのはもう少し先のようだ。


何にも頓着のない人っていますよね

私個人の見てきたなかだと、そういった方は点のように深いこだわりがあってそれ以外は生きていければいい、みたいな価値観の方が多かったように思います。ディードリヒはこの作品においてその典型例です

身の回りのものの価値を理解しておきながらそこにこだわりはなくそれぞれの利点不利点を用いて状況によって利用する…ディードリヒにとって物というのはその程度の価値しかありません。なので服も必要であれば好き嫌いせず程度に文句はつけません。女装とかは嫌がりそうですが、リリーナが見たいと言ったらやるでしょうしクオリティ高そう

そしてこの法則に当てはまらないのが「リリーナからもらったもの」と「リリーナコレクション」です。まぁ彼の興味の対象であるリリーナと深い関わりのあるものなので当たり前ですが


個人的に“やらないと死ぬようなこと”というのは肉体面でも精神面でも言えることだと思っています

お金がないと死ぬので生活していける術を見つける、も

目標や夢がない虚しさに心がやられて鬱になる、も

根本としてはどちらも命を脅かすので。敢えて曖昧で多面性のある言葉を選びました

ただ考え方というのは個人に依存する概念なのでこの考え方は私とグラツィアさんの考え方です


あと言えるとしたら…アンムートくんに春が来ることを祈っています


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