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頓着のなさも行き過ぎれば異常(1)

 

 ***

 

 リリーナとソフィアが台所で盛り上がっているその頃、ディードリヒは平民が買うにはやや高い程度の一人用ソファに腰掛け、もてなしとして出されたこれまた平民が買うには渋る程度の紅茶を静かに飲み下していた。


 確かに兄妹はヴァイスリリィでも職人として働いている分手当てが出ているので高級取りではあるのだが、二人とも揃って貧乏性なので給料のほとんどは貯金してしまっている。

 そして二人とも根っこが貧乏人なので、恐ろしくて仕事でもないのに貴族街に置かれた高級店にまでは金は払えても足を踏み入れる勇気がなく…結果として今提供されている茶葉は同じ貴族街の店でも勇気を出して入れた程度の店のものにとどまってしまった。


 普段からリリーナはこちらのもてなしに文句一つ言わず、なんなら労働者や平民の飲み物であるコーヒーすら平然と口にするので甘えてしまったと言っていい。

 おかげでことさら目の前の様子の異様さに怯えることになりながら、少し離れたところでディードリヒを見ているアンムートがそっとファリカに耳打ちをする。


「あの…大丈夫なんですか?」

「何が?」

「王族の人が安い紅茶飲んでますけど…」

「ほっとけばいいよ。急に来たんだから文句言う筋合いもないし、もしやっかまれたら私が言い返すから」


 そう言いながらファリカはずっと不機嫌にディードリヒを見ているが、同時にディードリヒがそんな細かいことにケチをつける男でないことも彼女はわかっていた。

 悪口のような話だが、ファリカから見てディードリヒが強いこだわりを見せるのは結局リリーナを独占することだけで、本当にそれ以外には頓着がない。そしてそれは今彼が身につけている服装で証明されている。


 今ディードリヒが身につけているのは、多少金のある貴族ならば買える程度の質の低いブランドの商品だ。そんなことは商人の娘であり、また伯爵位という貴族階級の中でも比較的良いものも悪いものも見やすい立場にいるファリカにはすぐにわかってしまう。

 フレーメンにも平民や下級貴族、そして上級貴族や王族と、客層に沿ったブランドが存在する。その上でディードリヒはわざと下級貴族向けのブランドの商品を手に入れ、なんなら新人の使用人にでもやらせたような仕上げのものを身につけている状態だ。それこそ靴の一つでさえ王族から見れば使い捨てできる安物と言っていいだろう。


 そんな程度の服を着て当たり前のように平民街を歩く…その光景は確かに相手が王族とは誰も思わないだろうし、一見安全で平穏にここまで来れてしまうだろうと考えるのも容易い。

 そしてディードリヒは、その行動に対して抵抗感がないから迷いなく実行してしまうのだ。


 今飲んでいる紅茶にさえ彼がとくに思っているところはないのだろう。“それはそれ、これはこれ”とでも言ったらいいのだろうか、彼は状況に適した価値があればそれ以上はいつも何も言わない。

 言ってしまえばあの男は本当にリリーナにしか関心がないのだ。そんな男が他にリリーナと親しいかもしれない男がお茶を出したところで、現場を押さえなければ何も言いはしないだろう。

 それこそ“過度な言いがかりはこちらが不利”とでも言いたげに。


(はー…何度考えても頭おかしいわねこいつ)


 ファリカからすると確かにディードリヒは気持ち悪いには気持ち悪いがそれ以上に“考え方がおかしい”と感じてしまう。そしてそれはどこなのかと具体的に訊かれれば、ファリカは“彼の興味関心の狭さ”だと迷わず答えることができる。


 どこかで動物が好きだとは聞いたことがあるし、リリーナとたまに行っている乗馬で触れ合っている馬には比較的砕けた様子を見せる…ような気もするが、やはりリリーナと同等の価値があると彼が感じているように見えるものをファリカは見かけたことがない。

 そういうところは、正直気持ち悪いと言うより不気味だ。


「それにしても…リリーナ様が殿下を呼んだんじゃないって…」

「そうだよ、勝手にきたの。ごめんね急に…」

「いや、俺たちはいいんですけど…」


 アンムートとしてはソフィアが喜んでいるので言及するつもりはない。エマはイケメンが拝めると深く気にした様子はなく、バートンとグラツィアはこの状態を予見していた様子で距離を見計らっている。

 だが強いて言うのであれば、アンムートからすると自分たちの家はあくまで平民の一軒家であることが気になっていた。


「リリーナ様に申し訳ないんですけど、やっぱり貴族の方やまして王族の方に釣り合うような場所じゃないんで…正直ファリカ様やミソラ様相手にも申し訳ないですし」


 そう言ってアンムートは今度ちらりとミソラに目を向ける。彼女はディードリヒが腰掛けるソファの左側に置かれた三人がけのソファで静かにコーヒーを飲んでいた。

 しかし何故ミソラが高級品である紅茶ではなく庶民の飲み物として浸透しているコーヒーを飲んでいるかと言われれば、それは単純に彼女の好みである。


 普段こそリリーナの侍女として生活しているため貴族の証明である紅茶を口にする機会が多いが、ミソラそのものはコーヒーを好んで飲むことが多い。

 理由は単純に味わいの好みの話なので紅茶に苦手意識があるわけではないが、それゆえにアンムート宅に来る際は基本的にコーヒーを飲んでいることが多かった。


 それはそれとしてアンムートからすれば、如何にこの家がリリーナが自ら建築家を雇って所謂オーダーメイドで建てた家だったとしても、あくまで平民の住まう狭い規模の家であることに変わりはない。

 なので彼からすればとても上位の人間がなんでもないような顔で安物の紅茶を飲むような場所ではないと思うと、たとえディードリヒが相手でなくともいつも戦々恐々となってしまう。


 確かにリリーナたちが来ると聞いて平民では高級品である紅茶の、できうる限り高い茶葉を自分の度胸の限界の範囲で用意はしたが、それでもディードリヒがくるなど突然すぎると言う意味も含めて彼は今胃に穴でも空きそうになっている。どうしてこうなったのだろう。


「あ、呼び方。“様”は私もミソラさんもやだって言ったでしょ。これから付き合いも長いだろうしもっと気軽にいこうよ」

「えぇ…それは不敬ってやつじゃ」

「グラツィアさんも私のこと“ちゃん”付けだし、今更じゃない? もう気にしてるの君だけだよ」

「う…」


 それを言われると弱い。確かにソフィアでさえファリカとミソラのことを砕けた呼称で呼び始めたのだから、相手の要望に応える根性がないのは自分の方だ。もう腹を括るしかないかもしれない。


「じゃあ…ファリカさんで…」

「うん、よろしく!」


 アンムートからの返答にファリカは満足げに笑う。その笑顔に対して、女性に免疫のないアンムートは少し胸が鳴ってしまい恥ずかしくなった。

 アンムートから見ると、リリーナは少し近寄り難いほどに美人だが、ファリカとミソラも美人だと常々思っている。それこそ最初は、貴族というのは美人しかいないのかとさえ思っていたほどだ。

 そんな女性が自分の前で柔らかい笑顔を見せるなど、免疫のない自分はどうしても胸が高鳴ってしまう。


「二人は何を話しているの?」


 急な緊張に逸る心臓をアンムートがなんとか落ち着けていた時、不意に後ろから声が聞こえた。反応して振り向くとそこにはグラツィアの姿がある。


「グラツィアさん」


 二人が振り向いた先にいたグラツィアは、今日は少しめかし込んでいるようだ。日頃から店の制服から着替えた私服姿は洒落た印象がある人物だが、今日は祝い事の場だからかいつもよりさらに仕立てのいい服を纏っているのがファリカにはわかる。


「珍しい二人でおしゃべりしてるから気になってきちゃったわ。もしかしてあそこの上品な方のお話をしていたのかしら?」


 鋭い、とグラツィアに対して感じる二人。確かにディードリヒを観察できる位置で話をしていたので、誰でもそんな二人を見かけたらそうも思うかもしれないが。

 だがグラツィアの日頃の立ち回りは常に細やかに周囲に気を配り、さりげなく従業員や客に声をかけ全体がスムーズに進むよう意識されている。


 常にわだかまりや接客に滞りのないよう裏方の仕事もこなしながらエマやバートンの様子をこまめに確認し、工房にいる兄妹のこともよく気にかけているのがグラツィアだ。

 それでいていつも余裕のある振る舞いを忘れず、特徴的ではあるが丁寧な物腰で人と接することのできる、所謂“大人な人”とという存在である。


 だが同時に周囲の観察が上手い分他人に何か指摘する際には意見が具体的で鋭いものも多い。口調や態度には気を使ってくれるが、仕事に関わることになると正面から物申してくる。

 なので今回も二人が何を話していたのかすぐに気づいたのだろう。そのことを察したアンムートが少し慌てた様子で言葉を返す。


「いやその…空気を壊したいとかじゃないんですけど」

「わかってるわ、アンムートくんはいい子だもの。気にしなくていいのよ」


 ディードリヒに対して言及していたことに謝るアンムートを見たグラツィアは、そう言って優しく微笑んだ。

 それからグラツィアもまたちらりとソファに視線を送る。ディードリヒは特に動く様子もなく実にリラックスした様子でソファに腰掛けているが、それはミソラがすぐそこで監視しているからなのだろう。


「とんだサプライズね…リリーナ様も相当びっくりしたんじゃないかしら?」

「気づいてたんですか?」


 グラツィアの言葉に思わずそう返したのはファリカ。本来相手は平民なのでファリカが敬語を使う必要はないのだが、相手が年上である故かその纏っている雰囲気故なのか…気がついたらお互いこの話し方が定着してしまっている。

 ファリカにもグラツィアにも特に異存はないので、余計に上下関係があるわけではないが人生としては先輩後輩…といった図式が出来上がっていた。


 ちなみにファリカはエマ、アンムート、ソフィアには砕けた口調を使い、バートンとグラツィアには敬語を使う。理由は単純に仲の良さの度合いに比例している。ミソラは誰に対しても敬語だが。


「最初のアンムートくんの顔見たらわかるわよ。この子殿下のこと苦手なんだから」

「そうなの?」

「え、いや…はい」


 なんとも気まずそうにアンムートは視線を逸らすが、ファリカはそんな彼の姿に対してそれこそ“可哀想に…”と同情の視線を彼に送ってしまう。

 どうせディードリヒが脅して圧をかけているのだろうが、アンムートはリリーナが直々に気に入り直接出向いてまでスカウトした“男性”の職人である。しかもリリーナの一つ年下程度と世代も近いとくれば、あのリリーナに対して過敏な男が反応しないわけがない。


 何を言って彼に圧をかけたのかは知らないが、後でリリーナには報告しておこう。リリーナはそれこそ憤慨と言った様子でカンカンになるだろうが、この状況はアンムートが可哀想だ。


「やだごめんね、殿下が何か言ったんでしょ? 私からリリーナ様に伝えておくから」

「えっ、それはやめてください…話が拗れそうなんで…」


 ファリカの言葉を聞いた瞬間、ぞくりとアンムートの背中には悪寒が走る。相手も悪い人間でないことはわかっているし、今は自分が初対面で受けた彼の言葉に対して勝手に怖がっているだけなのでまだいいが…リリーナが関わったら状況が悪化するように思ってしまう。


「そっか…無理はしないでね?」

「ありがとうございます…」

「そうねぇ、いっそアンムートくんに彼女でもできたら殿下の見方も変わりそうなものだけど」


 グラツィアの提案に、アンムートは「いやぁ…」と渋る様子で首を横に振る。


「今はソフィアと仕事でいっぱいいっぱいですよ。縁もないですし」

「あらそう? ソフィアちゃんには時々話しかけてくれる男の子がいるみたいだけど」


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