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いっそ「来ないで」って言えばよかった

 

 ***

 

 和やかな会話の中、心弾む様子で自宅のドアを開いたソフィアの一歩後ろでその奥の景色を見たリリーナとミソラは、その瞬間驚きのあまり固まってしまう。


「おかえりリリーナ。荷物は僕が預かるよ」


 そう、目の前の男が当たり前のように自分に向かって笑っているせいで。だが「なぜここに」と口を開こうとすると彼は流れるように視線を彼女の隣で荷物を抱えているミソラに向けた。


「あぁ、お前が持っていたのか。少し分けろ、流石に靴を脱ぐのに不便だろ」

「…問題ありません」


 固まるリリーナと同じように、ミソラですらやや動揺した反応を見せている。しかし目の前の男に驚いているのはソフィアも同じこと。なのでソフィアは実に純粋な質問をリリーナに投げかけた。


「リリーナ様、ディードリヒ様も来るって言ってましたっけ?」

「いいえソフィア、元より誘ってもいないですわ」

「え!? じゃあなんで…」


 驚くソフィアを見てなのか、それとも二人の会話を聞いていたのかは知らないが、ミソラからやや強引に荷物の一部を奪ったであろうディードリヒは、少し屈んでソフィアに視線を絡める。そして彼はとうとうリリーナの目の前でその“仮面”を露わにした。


「やぁお嬢さん。急にお邪魔して申し訳ない、でも恋人の大切な記念日を僕もどうしてもお祝いしたくてお邪魔させてもらったんだ。騒いだりしないから少しいさせてもらえないかな?」

「わぁ、そうだったんですね! ウチでよかったらぜひいてください! リリーナ様とたくさんお料理作りますから!」

「「……」」


 改めて“これがディードリヒの持つ仮面なのか”と目の前の男を呆れた目線で眺めるリリーナ。確かに一見美しい笑顔だが、見るものが見たら白々しい愛想笑いだと筒抜けでわかる。


 今まで自分がディードリヒに深い関心を持っていなかったことと裏表な意見ではあるが、確かにこれは紛れもない“仮面”であろう。しかし彼と付き合うようになって以降もリリーナに彼の仮面を見た記憶はないのだが、それはもう自分がいる故に猫を被る必要すらないと言外に発しているのだろうか。

 以前嫌味で「愛想笑いなら振りまいてくればいい」とは言ったものの、そもそもリリーナの記憶では自分に近寄る不埒な人間に向ける圧力としての笑顔か自分に向けた時だけの笑顔しか見た記憶はない。


 しかしこの“王子様スマイル”とでも命名できそうな笑顔に騙された婦女子は多そうだ。通りで外交的なパーティ会場でよく女性が群がっていたのも頷ける。特に他国の女性は彼の実情を知らないのだから、笑顔一つでコロッといっても不思議ではない。自分はさして興味もなかったが。


 それにしても、ディードリヒが今日になって不意打ちのように押しかけてきたのはリリーナが彼を追い出しづらくなるとわかっているからに違いない。もう来てしまった以上ここで帰らせると場の空気に差し支えるのは事実だ。

 どうせ理由など異性がいるというのが原因の嫉妬か、自分だけが誘われなかったのを不服とした…といったあたりだろうにと思うと素直に呆れる。


 今日は折角の記念パーティだ。店に大きく関わっていないディードリヒを呼ばないのは当たり前のことで、リリーナはそういった区別をつける大切さをヒルドの家に泊まりに行った際に学んでいる。

 まして今日はこれも前々からソフィアと約束していた“共同で料理を作る”という約束を果たす日でもあるというのに、ソフィアを“お嬢さん”などと呼び丸め込もうなど…思いつく理由以外にも何か企んでいるような気しかしない。


 それにしてもきらきらと輝く純粋なソフィアを騙そうと自身も純粋を装ってきらきらと煌めく笑顔を振り撒くディードリヒ、という一見綺麗に見える光景の後ろで自分たちは絶句し立ち尽くしていると思うと、これは中々の地獄絵図ではないだろうか。


「ありがとう、お嬢さん」


 ディードリヒの言葉はリリーナに対する純粋な厚意なのだという言葉に騙され喜ぶソフィアに向かって彼はもう一度微笑みかけると、今度は不意にリリーナに目を向ける。そして眉間に深い深い皺を寄せる彼女と視線を合わせるために立ち上がった。


「そんなに怖い顔しなくたって、僕は本当にお祝いに来ただけだよ。寂しかったのは本当だけど。でもちゃんとプレゼントだって用意したんだ」

「プレゼント?」

「お祝いにプレゼントはつきものでしょ? ほら、早く入ろう。今日は日差しが暖かいけどこのままっていうのは流石に体にも悪いし」


 一見なんの裏表もなさそうなディードリヒの言葉に対してむしろ怪訝な表情をしながら互いに顔をむき合わせるリリーナとミソラ。しかしソフィアはすっかり騙され客人が増えたとはしゃいでいるし、仕方ないと判断した二人は玄関の奥へと入っていく。


「あら〜お帰りなさい、リリーナ様」

「お疲れ様でした、俺が荷物を取りに行こうと思ったんですけど…すいません」

「あー…おかえり、リリーナ様」


 玄関からすぐ左のドアを開いてリビングに入ると、すっかりお馴染みの顔が揃っていた。しかしその中でも申し訳なさそうに頭を軽く下げるアンムートはともかく、疲れ果てたような表情でこちらに力無く手を振るファリカにリリーナは申し訳なさを感じてしまう。

 彼女の表情に対して何が起こったのか見当をつけることはあまりにも簡単で、リリーナは迎えてくれた人たちに軽く挨拶を返すとファリカを労るようにして隣に腰掛けた。


「迷惑をかけましたわね…」


 ひそひそと、周りに対して大ごとにならないよう気を遣いながらリリーナはファリカに向かって語りかける。そしてファリカもリリーナの行動の意図を察し小さな声で返した。


「リリーナ様は悪くないよ。ただ本当に急にやってきたんだよね…突然チャイムが鳴ったから、合鍵を持ってるはずのソフィアちゃんが帰ってきたとしたら大荷物なのかもってアンムートくんが玄関に行ったら、次には青い顔してあの人連れてきたんだもん…」

「それは呆れますわね…ですが馬車は見かけなかったのですか?」

「ううん、見なかったよ。私が見間違うわけないもん。この家は窓がすごく大きいからあんな豪華な馬車が家の前に停まったら流石にわかるでしょ?」


 兄妹に与えられた家は、兄妹それぞれの要望に沿ってデザインされている。アンムートの希望はハーブを育てるための広い庭とリビングから直接庭に行くことのできる大きな窓であった。

 庭は家の前の道路に面して作られており、ちょうど庭の左側に玄関が置かれている。なので王族が使うような派手な馬車はリリーナも普段使っているというのに、庭の柵の向こうに停まっていたからといってファリカがわからないはずがない。


「まさか別所に馬車を置いて歩いてきたんですの…!? 倒れそうですわ…」

「わかるよ、私も呆れたもん…。顔見た瞬間血の気が引いたわ…いくら貴族街から多少近いっていっても王族が平民街を歩いてるなんて信じられないよ」


 眉間に皺を寄せながら深いため息をつき合う二人。ちらりとリリーナがディードリヒのいる方に視線を向けると、彼は何やらミソラと話をしているように見えた。恐らくミソラが彼を叱っているだけだと思うが。


 しかしよく見るとディードリヒの服装には若干の違和感がある。良い言い方をすればいつもよりラフな印象というか…普段の簡素に見えるようでしっかりと要点は押さえられた服装とは違うように見えた。

 それは着ている服全体の生地の質やアイロンがけの弱い生地のよれ方、それにシルエット…


(服の質そのものがいつもより低い…? とてもディードリヒ様が纏うような品ではありませんわ、まさか…)


 そこまで思考が行き着いて、リリーナは全身から血の気が引いた。視線の先の男はわざわざ下級貴族になりきるように服装の質を落とし、実質変装という手段を使ってここまで歩いてきたということではないだろうか。


 目立つ馬車は少し離れた場所に置き、騒ぎにならないよう服の質を落とし、そして王太子ともあろう人物が当たり前のような顔をして平民街を歩きここまで来たなど…なんと言葉を出せば良いのか最早わからない。もしかしたら騒ぎにならないよういつもの豪奢な馬車も使っていない可能性すらある。


 しかしこの手段は自分がいつかにディードリヒとファリカの地元であるアンベル領の市場に使った手段だ。

 平民程度に見える古着を纏い、商人の使っている馬車を借りて移動。そこから降りたら二人で市場を気ままに周る…あの時は自分たちからは見えない位置に護衛が配備されていたので安全とも言えたが、今回ディードリヒが護衛をつけていたかは謎だ。

 自分が使った手段まで真似てやってくるなど、全くもって信じられないとしか言葉が出ない。リリーナは今にも貧血で倒れそうになっている。


(何が目的なんですの…? ここまで強引な手段を使っている以上、口先で言っていたことだけが動機だとはやはり思えませんわ)


 リリーナとしては、本当に今回は店に関わっている人間だけでパーティを上げるつもりであった。

 従業員出ないミソラとファリカがいるのは、ミソラは護衛であるという点がありファリカは店の立ち上げに際し何度も力を借りている恩がある。


 確かにディードリヒには予定として数日前に伝えることは伝えたが、決して彼を誘うために言ったわけでもなく本人もそれをわかっているはず。

 考えるほど頭が破裂しそうだ…そうリリーナはまた一つため息をつく。その様子を同情の目線で見守るファリカと視線で苦労を共有していると、隣に人影が現れた。


「どうしたんですかリリーナ様? すごい難しい顔してますけど…」

「エマ…大したことではないですわ。少し予定が乱れてそのことについて考えていただけです」


 こちらを見て何事かとリリーナに声をかけたのはエマ。不思議そうにこちらを見ている彼女にリリーナが言葉を返すとエマは一度小首を傾げ、少しして何かに思い至ったのか勢いよく後ろを振り返りすぐにこちらに向かって顔を戻す。


「まさか、殿下のことですか…?」

「こんなに要らないサプライズも早々ありませんわ…何を考えているのか見当もつきません」

「確かに事前に聞いてなかったのでなんかおかしいとは思ってましたけど、でもリリーナ様が呼んだと思ってましたよ…まぁイケメンが拝めるのはありがたいですけど」

「そういった問題ではありませんのよ…」


 エマが一度驚いた後にすぐ状況へ対応するのはいつものことだが、リリーナの言う通り現状は前向きに考えてもいられない状況と言える。

 ディードリヒも場を引っ掻きまわすことはしないと確信できはするが、大人しいのは大人しいで不気味なのも事実だ。


「諦めよ、リリーナ様…この状況じゃあの人に勝てる人もいないし。私とミソラさんで目を光らせておくからさ」

「…そうですわね、場の空気を壊したくはありませんしそれしかないようです」


 悲しみのこもった言葉と共にリリーナの肩をそっと叩くファリカを見て、リリーナもとうとう諦めがつく。

 やはり来てしまったものはもうどうしようもない。幸い料理もコースの形式で出す予定もなく品数も一人増えた程度で足りなくなる予定ではないので、もう開き直った方が良さそうだ。

 だが後でしっかりとした話し合いをする必要はある…とリリーナは決意を決める。


「私はソフィアに声をかけて料理の支度を始めますわ。何かあったら、すぐに、呼んでくださいませ」

「了解だよ。変な真似させないから安心して!」

「任せましたわ!」


 リリーナは信頼を置いている侍女に全てを託しソファから立ち上がった。そして颯爽と去っていく背中を眺めながら、エマはとりあえずディードリヒは何か訳ありなのだろうと思いつつ厄介ごとに巻き込まれたくないので口を噤む。


まぁ「ですよね」って思った読者様もいるかもしれないと作家は思っております

呼ばれなくとも付きまとう男、それがディードリヒですがリリーナ様から見ると現状ではその行動そのものがやや違和感なようです

何しに来たんでしょうね


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