まずは最後の買い物から(1)
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「ミソラ、荷物は重くありませんか?」
「問題ありません」
リリーナは平民街で日常的に開かれている市場を歩きながら、隣を歩く護衛の負担を考え一言問いかける。
自分の身を案じて言葉をかけてくれる主人に端的な返事を返す護衛は、洒落た紳士服を身にまというなじの付け根で長く黒い美しい髪を一本にまとめていた。そしてリリーナに返答を返すため向けられた青い瞳は、冷ややかなほど冷静で少し吊り気味の目元から優しく主人に視線を送っている。
だがリリーナが心配をするのも無理はない。護衛はその美しい細い体からは想像もできないほどの大荷物を易々と持ち当たり前のように歩いているのだから。
その多くは食材なので当然重たいはずで、その上で糸や大きな布の入った手提げの紙袋も持っている。
一見美しいまでに細く、なんとか男性らしい肩幅を持っていることとそこいらの女性より高身長である以外ではまるで女性のような護衛の姿から重たい荷物を易々と持ち歩く様は想像できない。
そしてリリーナはその護衛に向かって「ミソラ」と声をかけたが、それもまた間違っていないので彼女は平然と言葉を返している。
ミソラは今日、とある事情でこの買い物に男装をした状態で連れ添っているからだ。
対してリリーナは最近また袖を通す機会の増えてきた私服姿で市場を歩いている。
薄手のブラウスにジャケットとロングスカートという簡素な服装で、暖かくなった季節に合わせた装いであった。簡素と言っても、買おうと思うと平民にはとても届かない値段がするのだが。
特にブラウスはリリーナの肌に合わせて全て上質な絹と丁寧な仕事で作られているので、当然それ相応のお値段がする。
リリーナは、先日ディードリヒから勧められた家を最終的に受け取ることにした。確かに紆余曲折はあったが、やはりディードリヒとアダラートの厚意は素直に受け取るべきだと判断したのである。
おかげで私服に袖を通す機会も増え、ドレスを纏って生活するのが前提であった日常よりも身軽さを感じていい。
「ミソラお姉さんはとっても力持ちなんですね…!」
「ありがとうございます、ですが大したことではありませんよ」
「そうなんですか!? さっき会った時もあたしミソラお姉さんのことすぐにわからなかったし…ミソラお姉さんってすごいんですね!」
言いながらミソラに向かってきらきらとした視線を送るのはソフィアであった。彼女の存在こそが、今日ミソラが男装をしている所以である。
今日はソフィアが待ちに待った日が訪れているが、少女を連れた状態で女性のみで出歩くのは危険だ。
しかしアンムートは会場の準備があり、バートンはソフィアが「お客さんだから手伝いはダメです!」と断ったので結果的に同じく客を迎える立場であるリリーナの部下としてミソラが男装をし連れ添っている。
紳士服のジャケットには肩パッドが仕込まれ、足元はシークレットブーツになっている彼女の服装は、髪や化粧の印象も相待って普段の彼女からは大きく変わった印象のものになっていた。
そのせいでソフィアは今日集合した際紳士服の人物がミソラであるとわからず最初は混乱していたので、慌ててリリーナが事情を説明している。
「体は鍛えていますし、変装は練習を重ねているので」
「鍛えてるから重たいものが持てるんですね…あたしも鍛えてみようかな? 材料が時どき重たいし…」
「あまり無理をなさらないのならばいいと思います」
ソフィアと会話をするミソラの言葉は一見いつも通り平坦なものだが、その声音やソフィアに向ける視線はとても優しいものだ。
ミソラは一見表情が乏しく言葉も常に平坦で口数の少ない印象ゆえにソフィアも最初は警戒していたが、話をしてみるとその実優しく気遣いもでき、常に自分を目線を合わせるように話をしてくれるので今やソフィアはミソラにも懐いている。
ソフィアにとってミソラは“よくわからないけど優しい人”という印象ではあるが。
「アンムートが重い荷物を運ぶことはないのですか?」
そこにリリーナが素直な疑問を挟む。ソフィアはそれに対して首を横に振った。
「むしろおにいは率先して運んでくれますよ! でもおにいだけじゃ手が足らないから、あたしもやります」
「そういったことでしたのね」
ソフィアの言葉に素直な納得を見せるリリーナ。
たしかに花は一見、一本一本は軽いように思えるが量が嵩めばそれなりに重たくなっていく。アンムートのように仕事などで多くの香料を必要とするならば当然材料は多く必要になるので、アンムートだけでは手が足りないということは起こり得るだろう。
そう考えれば、ソフィアが体力や筋力をつけたいと思うのも頷ける。
「ミソラお姉さん、おすすめのやり方とかありますか?」
「後ほど簡単なものをお教えします。お役に立つといいのですが」
「きっと大丈夫です! ありがとうございます」
「ではご自宅に着いた際にでも」
荷物を持っているのでソフィアの背に合わせて屈むことができないというのに、よりにもよって今日はシークレットブーツまで履いていることがミソラは些か気になっていた。
いつもならば屈んで目線を合わせられるのだが、ソフィアはリリーナより背が低いので屈むことのできない今は彼女に威圧感を与えていないかが気になってしまう。
だが同時に、常にパンツスタイルではいられないだろうかとも考える。ドレスなどの裾が長いスカートは布の形状の問題で足周りの可動域が限られてしまう上、上半身も大きく動かすことが前提には作られていないのでやや肩が引っかかってしまう。
しかしパンツとそれに合わせた紳士服であれば大きく脚を上げられるので動きやすい上、上着を脱いでしまえば肩も動かしやすい。
だが女性というだけで纏えるパンツスタイルは殆ど乗馬服のみと言ってよく、かといって普段はリリーナの侍女である以上そういった意味でもドレスしか許されない…“影”として動いている時にスカートなど着ることはないので、そういった意味だとここしばらくの日常は大変不便だ。
しかもこの紳士服は特注品で、自分の体格から無理のない範囲で肩幅を調整できるようバランスの取られた肩パッドが入っており、ブラウスは少しゆとりをもった縫製をされパンツも動きやすいよう股上が深く作られている。さらに上着は脱ぎ着がしやすいよう見た目ではわからない範囲で留め具が簡略化されているのだ。
正直、ミソラからすれば許されるのならば毎日この服装で働きたい。
「やはりミソラがいるのは助かりますわね。荷物持ちとしてではないですが」
「違うのですか?」
「えぇ、やはり貴女の変装術には目を見張るものがありますもの。よく似合ってもいますし素敵ですわ」
「リリーナ様の言う通りです! 今のミソラお姉さんはとっても綺麗でかっこいいですよ」
「…ありがとうございます」
体は大きく動かせないので、軽く頭を下げて二人礼を述べようとして少しばかり反応が遅れるミソラ。確かに変装術に関しては同じく“影”として生きている母親からも一目置いてもらってはいるが、改めて褒められると少しばかり照れ臭い。
しかしリリーナは周囲の視線をさりげなく眺めながら自慢げに街を歩いている。男装の麗人と言って相応しい今のミソラをすれ違う女性たちが眺めては何やらきゃいきゃいと話をしているのが見えるからだ。
ミソラ本人は気づいていないのかわからないが、今の彼女はそれはもう顔の綺麗な線の細い美青年といった様子で、それを連れ歩いているリリーナは内心で自慢げに笑っている。
普段は薄い化粧に地味な存在であろうとする彼女の意識も相待って目立たないミソラだが、実際の彼女はすっぴんでも大変美人だ。なので化粧をして身なりを場に適したものにすれば必然的に目立ち、リリーナとしては大変自慢の存在である。
かといって本人に日頃から目立つような服装を強要しようとも思わないが。そういったことは結局個人の自由だ、なのでもしミソラの静かな部分を指摘して馬鹿にしてくる阿呆がいたらリリーナはそいつの顔面を引っ叩くと決めている。
リリーナが唯一彼女に指摘したのは、毎日のように黒に近い色のドレスを纏うことだけだ。流石にそれは悪目立ちしてしまうのでやめてほしいと言ったことがある。それ以来彼女は大人しいながらも淡い緑や紫のドレスなども纏うようになり、それ以降は特に指摘が必要なこともしていない。
「そろそろ着きますわね。ですが、渡した家は少し立地が悪かったでしょうか? 店からは近いですが平民街側の大きな通りに出るには少し遠かったですわね」
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