神話と童話
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静まった店内を散策するために一歩足を踏み出すと、古びた床板が軋む特有の音が響く。今にも底が抜けそうなその音に留意しつつ本棚を眺めているであろう人間の足音は彼女の耳に複数聴こえて入るが、その足音の主と偶発的に干渉しあうことは稀だ。
「…」
最早ボロ屋と言っていいその店内に所狭しと敷き詰められた書棚に押し込まれ、入りきらないものは床に積まれた本たちを眺めながらリリーナはゆっくりと店内を周っている。
この乱雑な本の置き方はメリセントの持っている物置に似ているように見えて、更に雑多でいっそ乱暴にすら感じられた。それこそ似ても似つかないといった印象と言っていい。
古い本と店を形作る古びた木材の特徴的な香りが混ざり合った少しカビ臭いような香りがする埃っぽい店内で、リリーナは不意に見かけた店の本に目を惹かれた。
「…黒い森の悪魔と白い雪の神」
どうやらこの本は自分が求めていた文学作品ではなく童話のように見える。それでも窮屈そうに詰め込まれた本棚から取り出し表紙を見ると、黒い獣のような何かにランタンを掲げた白い装束の人間が描かれていた。
惹かれるように表紙を捲り内容に目を通すと、予想通り子供向けの作品なのか大きめの文字で物語が綴られている。
「悪魔の住まう黒い森…」
そのまま内容に目を通してみると、まず黒い森と呼ばれる地域に住まう悪魔と呼ばれる存在が自分の住処に迷い込んだ人間を食べているという噂から始まり、やがて森に近寄るものがいなくなると悪魔は子供攫って食べるようになったので人間たちは報復として黒い森に火をつけたという。
しかし森が燃えることはなく、悪魔の怒りを買い人の世には厄災と疫病が振りまかれることになる。
そこで人々は神に助けを乞い、その願いに応えた神は巫女を選び巫女に神の力の宿ったランタンを持たせ森に向かわせた…。
「…」
そして結末としては巫女はランタンを用いて悪魔を封印し、それを安置している祠を守るためその地に根付いたという…。なんとも物語らしい物語だが、どこかで聞き覚えがあるような気もするのは何故だろう。
そんなことを考えると、一つの足音が近づきてくるのが聴こえた。音に反応して視線を向けるとそこには見慣れた姿が目に入る。
「気になる本とか見つかった?」
「ファリカ」
視線の先に映るファリカはいつも通りに明るい様子でこちらを見ていた。その親しみやすい視線はふとリリーナの持っていた本が気になったのか目を向ける。
「わぁ懐かしい…どの家にも一冊はあるって言われてるやつだよそれ」
「そうなんですの?」
「これは神話を改変して童話に落とし込んだ本なの。子供でもわかりやすいようになってて、本に出てくる“黒い森”って言うのはそのままシュヴァルツヴァルト家の管理してる森のことだよ」
「あぁ…」
ファリカの説明で、リリーナは自分の中にあった既視感に納得がいく。この物語が神話を基に作られたのならば、かつて読んだ神話の物語と内容が重なる部分を感じることも必然的だ。
「フレーメンって信仰心が強い国だって言われてるんだけど、私はすごく納得してる。シュヴァルツヴァルトの管理してる森なんて、そのまま宗教に繋がってるわけだしね」
「シュヴァルツヴァルトが三大公爵家に名を連ねているのは、やはりそういった側面で歴史が長いからなのでしょうね」
「本に出てくる巫女がシュヴァルツヴァルトの始祖って言われてるから、あの森をずっと守る役割を担ってるしリリーナ様の思ってる通りだと思うよ」
なるほど、とリリーナは納得するも同時にシュヴァルツヴァルト領に広がる黒い森と呼ばれる地域は領地の六割を占めていると聞いたことがあるのを思い出す。
そこまで広大な森を管理するのは大変だろうと思うと、いくらシュヴァルツヴァルトの家は領主を継げない子孫が管理を任されると言っても大変な仕事だろうと考えた。
「それにしても詳しいですわね?」
「詳しいっていうか…さっきも言ったけどその本は平民の家でも置かれてるって言われるくらい有名で、そうでなくてもシュヴァルツヴァルト家は有名だから常識に近いかなぁ」
ファリカの言葉を聞きながらリリーナは手元の本に視線を落とす。彼女が言うには余程有名な本であるから古書店にあるのだろうが、自分はこの本を図書館で見たことがない。確かに児童書の棚にはあまり行かないのでそういった理由かもしれないが。
「この国には七歳までの子供に男女逆の服を着せる風習があるんだけど、それはこの話に出てくる悪魔が子供を攫った時に男の子が多かったからだって言われてるんだ」
「風習については聞いたことがありますが、そのような理由だったとは…」
「諸説あるけど、悪魔が使う惑わしの術は男性の方が効きやすいって言われてて、女の子を男の子に見立てたら悪魔は術が効かなくて去っていくってところから来たみたい。今でも田舎だと見かけるよ」
「術の仕組みに何かあるということなのでしょうか…?」
「そこまでは知らないけど…なんかありそうだよね」
フレーメン王国に伝わる風習…そのことを話していると、リリーナはついディードリヒのことを思い出す。
その風習に倣って母親からドレスを着せられた幼い彼が他の人間に“ドレスが似合っていない”と馬鹿にされていたところを、幼い自分が助けたところから全ては始まっているのだから。
「その本、買うの?」
「そうですわね…そうしましょう。もう少し他の棚も見てまわりたかったのですが…」
「なら私が持ってるよ。好きに周ってきて」
「ありがたいですが…ファリカも見たいものがあるのでは?」
「私? 私はもうお会計も終わってるから気にしないで」
自分がふらふらと見回っているうちにファリカは用を済ませてしまってたらしい。そのため時間を持て余して自分を探していたのだろうか。
「どのような本を買ったのです?」
「知りたいの?」
「えぇ、自分で選ぶ本の参考にもなりますから」
「そっか、私は探して本と面白そうな外国の絵本があったからそれを買ったよ」
「探していた本があったんですの?」
「うん。いろんな船の船員が書いた航海日誌をまとめた本なんだけど、結構面白いんだ。知らない国や気候の話とか…でも古本でしか見つからなくて」
そう言って笑うファリカはとても楽しそうだ。先日のビーズアクセサリーについてもそうだが、彼女は国の外のことに強い関心があるように見える。
「ファリカは海外に渡りたいなどは考えていますの?」
「確かに行ってみたいよ。本当なら扱う商品も自分で買い付けたいしね」
「もしそうなってしまったら、会うことは難しくなりそうですわね」
「今は難しいよ〜、拾ってくれそうな船団にアテもないし。行けたとしてもずっと先だと思う」
あはは、とファリカは困った様子で笑う。リリーナから見ればファリカの人当たりの良さや会話能力、咄嗟の判断で機転が効く部分など能力的には渡航先でもやっていけそうなものだが、実際国が違うということは常識が違う場合も多い。道中も勿論だが、とても単身で向かうような場所ではないだろう。
そうであればどこかの商船や船団に同行するのが最も良い手段ではあるのだが、彼女に今そういった伝手はないようだ。
そうでなくとも女性が単身海に出るなど野蛮だなんだと言われて実行できるかも別な話だが。
「お父様のツテを使うと舐められそうで…それだとちょっと怖いから自分で縁を見つけたいって思ってる」
「とても強い志なのですわね。外国の絵本も買ったと言っていましたが、新しい国の言語を学びますの?」
「今回は違うよ、絵が綺麗だったから買っただけ。何でもかんでも覚えれば良いとも思ってないんだ」
「そうなのですか?」
リリーナは必要なことをできる限り詰め込んで覚えようとするので、ファリカの発想は少し予想外に思った。それと同時にファリカの言葉の真意が気になる。
「頭でっかちって結構状況判断に邪魔ってことも多くて、目の前のものを受け入れられなくったりするでしょ? それなら最低限覚えておくべき基礎は頭に入れて、あとは経験を詰んだ方が良いと思ってるの」
「ですが、知識があるというのは無駄ではないのではなくて?」
「んー、基本的な習慣とか科学で説明しきれちゃうことだとそうかもしれないけど…歴史や郷土品の解釈や事実って結構ころころ更新されちゃうから絶対って言えないとか、現地で使われてるスラングとかも流行り廃りがあるし…でもどれも知識でしょ?」
「確かにそうですわね」
「だから大切なのは経験って私は思ってるんだよね。相手は常識だって違うかもしれないけど話はしないといけない…なら経験のない知識を端から端まで詰め込むのって危ないこともあるんだよ」
普段の彼女からはとても想像できない発言の数々に、リリーナはもしや目の前の彼女は偽物なのでは…と突飛なことが一瞬頭をよぎった。
確かにファリカは普段から自分のそばにいる身近な人間で、発想が柔軟な人間だとは思っていたが手に持つ情報の選別の仕方がとても知的ですぐ機転を利かせることのできるように備えられている。
リリーナが普段渡している叙情詩などはうまく解釈するのが難しいように見受けられていたが、どうやらファリカは記憶力や情報の分解に脳を使うのではなく、柔軟な発想を活かしていく人間なのかもしれない。
「って言っても私頭悪いから最低限もできてるかわかんないんだけどね!」
あはは! と笑うファリカは利き手を頭の後ろに回し開き直った様子を見せる。対してリリーナは彼女の様子に眉間に皺を寄せた。
「開き直らないでくださいませ…脳が柔らかくても必要な知識がないのは意味がないんのですのよ。この間出題したミレニアムの共用語についてはもう覚えましたの?」
「だ、大丈夫。この間ミスしたところは覚えたよ!」
「では後でテストしますわよ?」
「できる! 多分」
「多分では意味がありませんわ…」
先ほどまでの彼女はどこに行ったのか…とすっかり呆れているリリーナ。これでは先が思いやられる。
「まぁいいでしょう、他の棚に向かいますわ。なので一度本は預けます、お願いしますわね」
「了解だよ〜。ついていくから他にも欲しい本があったら渡してね」
「ありがとう。そういえば…ミソラの姿が見えませんわね」
「ミソラさんは欲しい本があるわけじゃないからって、見張りに行ってるよ」
「…また逃げましたわね」
ミソラには基本的に教養らしい教養というものがない。なぜかと問われればそれは彼女があくまで本来の役割である“影”として特化された存在である故だが、そのことを盾に彼女は一定以上の教養を身につけようとしていないのだ。
読み書きは勿論計算などもできはするが、普段リリーナにあわせて行動を取る際に読んでいる本は基本的に武術指南書か詩集などが多く、哲学や抒情詩、文学、科学などは興味がないらしい。
なのでミソラが護衛に回ったのはそのせいだろう。以前と違いファリカがリリーナのそばにいることを利用して、あれやこれやと本を進めてくるリリーナから逃げたのだ。
「…仕方がありませんわね。まずはあの棚に向かいましょう。アンムートたちが待っていますので手早く済ませませんと」
「はーい」
向かう棚を指差し行動に移るリリーナ。
移動する二人の少女に合わせて、古びた店内にまた足音が二つ響く。
子供の衣装交換する話も一巻のフラグだけど覚えてる人いるのか? と思いながら書いていました
正直、三巻までのディードリヒとリリーナって互いの見えなかった側面が見え始めた故の擦り合わせで結構精一杯で、お話的にも他部分の掘り下げが結構難しかった部分がありまして
まぁ話の構成部分における優先順位の問題でもあるので私が“あくまで恋愛を主題とした作品である”という点を重きに置いた結果でもあるのですが
そして四巻からようやくリリーナの過去とかこの作品の細々とした世界観の一部とかサブキャラの話、そしてリリーナとディードリヒ個人の部分にスポットを当てていてるようになったので…一冊が長くなるようになったわけです
無駄な話を入れているつもりはありませんが、大筋だけで話を終わらせるならカットできる話も多いんだろうなとは思います
シュヴァルツヴァルトと神話や宗教に関する話はこの巻には出ません。ですがせっかくミイルズも出したのでどっかで掘り下げていけたらなぁと今の所思っております
そしてファリカの今後についても掘り下げていけたらいいですね。あの子はまだ掘れると思っています
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