もう知らない、耐えられない(4)
「…リリーナ」
「?」
不意に名前を呼ばれ反応すると、唐突にキスが降ってくる。だが重ねられた唇はリリーナが驚いているうちにすぐ離れてしまい、その後で映った彼の表情は幸せそうに微笑んでいた。
「本当にごめんねリリーナ、君がそばにいてくれるのに置いていくようなことをして」
「…全くですわ。以前も言いましたが貴方に許されているのは私を見ることだけでしてよ」
ディードリヒの謝罪にここまでの怒りを思い出したのか、不機嫌に頬を膨らまさせるリリーナ。だがそんな彼女の頬には彼の掌が触れ、そのまま優しく肌を滑る感覚を彼女は静かに受け入れている。
「でもこの感覚は病みつきになりそう。リリーナが僕を求めてあんなに感情を露わにするなんて…想像してたよりずっと気持ちよかった。何度も味わいたくて意地悪したくなるよ」
「おやめなさい! そんなことを繰り返していたら、やがて私の感情は磨耗し貴方に関心を失うことになりかねませんわよ?」
「勿論わかってるよ。加減は大切だよねいたたたたたたたたた」
「加減などという甘い言葉は許しませんわ」
調子に乗った発言が続きそうだと感じたリリーナは彼が言葉を言い切らないうちに強く彼の頬を抓る。そして一時はそのまま情けない顔を晒していたが、リリーナが呆れたようにディードリヒを解放すると彼は途端に目元に影を乗せた穏やかな笑みを見せた。
「まぁ…リリーナが僕に嫉妬してくれるように、僕もあの女のこと許してないけどね?」
「まだ言いますの!?」
「そりゃそうだよ。あんなの見せつけてまで挑発してくるなんて思ってなかったし、余計に許せないな」
「見せつけ…る? ヒルドの行動のどこにそのようなことがありましたの? もしや、私が見てないないところで何か…」
ディードリヒが言っているのはつい今日の午前中まで滞在していたオイレンブルグ領でのできことのことだろうが、彼の言う“見せつける”ような行いをヒルドは行っていただろうか?
滞在中に起こったこととなると、ヒルドの大切な温室には入れてもらったがそれをディードリヒは知らないはず。その上でやったことなどありきたりにお茶を飲み、二人で買い物に行って、あとはディードリヒも同席していた出来事ばかりだ。
確かに抱きしめられるという慣れない事態は発生したが、相手は同性で友達な上ヒルドは時折口が悪いが性格は誠実で嘘をつかない。彼女は自分を友達として大切だと言っていたし、やはり振り返ってもリリーナには思い当たる節に出会えなかった。
「リリーナが見てるところでしかことは起こってないし、リリーナはわからなくても大丈夫。ただあいつとはいずれ決着をつけないといけないだけだから」
「女性相手に張り合おうと言いますの…? 紳士として恥ずかしくないのですか貴方は」
「この争いに男女はないんだリリーナ。僕にとっては人生を賭けた戦いだから」
「…?」
ディードリヒの発言が何一つ理解できず怪訝な表情を向けるリリーナ。対してディードリヒはオイレンブルグ領に滞在していた期間、散々とヒルドに煽られたのが怒りに繋がっている。
彼からすれば、リリーナとヒルドの距離感はとても“友達”で済まされるそれではない。揃いのドレスを身に纏う程度ならともかく、あれだけこちらに向かって見せつけるように密着するなどどう考えても“友達”とは言えないと、ディードリヒはあの時間を振り返った。
文字通り近いうちに雌雄を決しなければ、今後のリリーナとの関係や距離感に響くのは確実…なんとか対処しなければ。それがディードリヒの思考であった。
それ故に、
「まぁそれはそれとして…これからお仕置きはしようね」
彼には己にとってやるべきことがある。
二人の今後のためにも、リリーナには状況を“わかって”もらうしかない、と。
「!?」
完全に予想外の急展開に驚くリリーナの隙をついて、ディードリヒの掌は再びリリーナの頬を目指す。しかしそれは避けられてしまい残念…と見せかけてもう片方の手が確実に彼女の腰をホールドした。
そしてその感触にあわてて視線を逸らすリリーナはまんまと彼の策に嵌り、先ほど避けたはずの手が腹を滑る。
「な、おやめなさい! 私はお仕置きを受けるようなことなどしていないはずですわ! 今回は不当ではなくて!?」
「それ、本気で言ってるの? 僕以外に抱きしめられたのに? 僕以外があんなに近かったのに?」
「あ、あれは“友達なら普通”だとヒルドが…!」
「あは、この状況で他人の名前を出すなんて、リリーナは本当にお仕置きが好きなんだね? 普通なわけないでしょ、友達なんて浅い関係でする距離感じゃない。それこそあの女の場合は…それに僕が“友達”相手になら、あの行動を許すと思う?」
ディードリヒの言葉を聞いてから、リリーナは確かに“しまった”と思った。
しかし発言が撤回できるわけもなく、ディードリヒの笑顔は加速度的に暗い雰囲気を纏っていく。自分の中の感情としては困惑と不服が占めているというのに、彼の言葉に妙な説得力を感じるのはなぜなのだろう。
「あ…ぁ…」
声が出ない。彼の暗い昏い瞳が確かな怒りと嫉妬と束縛を孕み自分を縛り付ける。この状況は一体どうしたものかと考える自分がいる一方で、今この腕の中から抜け出す方法などないともう一人の自分が言っていた。
そしてきっと、今正しいのはもう一人の自分。
「さぁリリーナ、まずはベッドに行こうね?」
腰をホールドしていた手が尻の下に入りそのまま膝裏へ、そして腹を撫でていた手が流れるように背中に回り、軽々しく自分を持ち上げる。
「い…」
「?」
「いやぁぁぁ…っ!」
なんとか絞り出した抵抗という名の悲鳴に返ってきた言葉は一つ。
「あはは、いい子にしてたらたくさん愛してあげるからね!」
リリーナ様の堪えていたものが爆発した回でしたね
にしても痴話喧嘩始めると毎回話長ぇなこいつら…
ここ以外の以前にこういう喧嘩を書いたように思っていたんですが、思いの外ありませんでした
強いていうならばリリーナが勝手にラインハートを敵視したくだりがあるくらいしかない
そう考えると、リリーナは相当我慢していたんじゃないでしょうか…頑張ったね
だが自分が怒っていてもディードリヒくんの破滅思考は変わらないしお仕置きもされる。可哀想
そしていつかディードリヒの口から彼の過去が語られることはあるのでしょうか
あとはそうですね
この話で六巻の前半が終わる訳ですが、なんでヒルドの家に行ったかというと私が上手くヒルドを出してあげられなくて、リリーナとヒルドは本当に仲良しなんだよ!ということがうまく描けないままここまで来てしまったので「もう一冊まるまるヒルドの話にすっか!」くらいの気持ちで書き始めました
そしたら本当に一冊分くらいになったし、ディードリヒとヒルドはある意味決裂したし、リリーナ様がキレた
想定外の展開が多く書いていて苦労しましたが、そのぶんメインサブの立ち位置であるヒルドのことを掘り下げてあげられたかなと思います
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