もう知らない、耐えられない(3)
「なんと言いますか…少し話が見えてきましたわね…」
とりあえず、ディードリヒの話に対して納得の姿勢を見せるリリーナ。
彼女からして、ディードリヒの人間関係を紐解くと少なくともラインハートに関しては自ら墓穴を掘ったとしか言いようがない。
しかしミソラに関してはやはり行動にわざとらしさというか、少し違和感を感じる。恐らくミソラにはなんらかの考えがあり、それに基づいて彼女は行動しているのだろう。
同時に自分の知らない、今や見ることのできないディードリヒ・シュタイト・フレーメンという男はやはり張り詰めたピアノ線のような生活を送っていたのではないか、という疑惑が自分の中で強くなっていく。
少なくともディアナやケーニッヒの態度はディードリヒを茶化しつつも彼の余分な緊張を解そうとしているように見受けられた。そしてディアナは自分にも同じような対応を取ることが多い。
となればやはり彼は、張り詰めた糸で自分をなんとか奮い立てながら、危険を冒してまで自分を追いかけることで立場としての重圧に耐えて地盤を作り、彼自身がつながると思っていない糸を自分に伸ばし続けていたのではないだろうか。
その予想が当たっていたとしたら、それは自分と方向性が違うだけで同じようにあまりにも虚しく心に穴を作るだけの悲惨な行いだ。ましてそこまでして彼自身が敵わぬと思っている他人を追いかけようなどと…よくここまで立ってこれたものだと心が痛む。
自分のたった一度の行いで、自分が自分であろうと足掻いたあの頃で、やはり彼の全てを狂わせてしまったのではないかと思わないでいられない。
だがそれとは別でやはりその頃の彼に正面から出会いたかったとも思う。なぜ彼は自分と会う機会になったどのパーティでも挨拶を交わすだけに済ませたのだろうとも考える。もっと幼い頃から親交が深ければ、それはそれで何かが変わったかもしれないのに。
そしてやはり、その頃の彼を知る誰もが羨ましいと思ってしまう。彼が自分に対して知らない場所を作りたくないと言うように、自分もせめてもう少し知ることができたら。
時間は遡れないとわかっていても、こればかりは複雑に思えてしまう。
「あぁ…こういう昔の話をしてると、本当にミソラのやつが羨ましくて恨めしくなる」
不意に、ディードリヒが発した言葉でリリーナは彼を見た。そして彼女の視界に映るディードリヒは心底相手に対して悔しい、羨ましい、恨めしいといった感情を隠さず表情を歪めている。
「僕は結局、君の成長を記録でしか追いかけられなかった。でも記録は所詮記録でしかない。パーティで見た君の断片しかいつも僕はこの目に映せなくて、本当の意味で全てをその目に映せたのはずっとあいつなんだ…こんなに悔しいことはないよ」
「…」
「ずっと君の近くに居たかったのに。君に婚約者が居なかったらって何度願ったか。それでも時間は戻らないんだ、なら今とこれからは一秒でも長く君と居たく…」
「それは当たり前でしょう」
平然と言いながら、リリーナはディードリヒの頬を軽く抓った。急に頬をつねられたディードリヒはきょとんとした様子で一度激しい感情を手放してしまう。
「私はこれから一体何年貴方と共に生きると思っているのです。故郷にいた何倍もの時間をここで過ごすのですから、その時間の中にいる私は全て貴方のものに決まっているではありませんか」
「それは…そんな、決まってることみたいな」
「私が貴方の手を取りここに来ることを決めた瞬間に、全て決まっていますわ。少なくとも私はそういった覚悟でここにいます。最初から貴方は私を逃したりなどしないのですから。なにか不服でして?」
「不服なんてそんな、嬉しいよ。やっぱりリリーナのそういうところにはびっくりするけど」
そんなに驚くことだろうか、そう彼の言葉を聞いたリリーナは考える。相手がどういう人間かわかっていて受け入れるということは、立場に関係なく一定の覚悟が求められると彼女は思っているからだ。
なのでディードリヒの反応を見ていると自分で思っているより自分は特殊な思考を持っているのだろうか…と少し不安になる。
「器が大きいっていうのかな、上手く言えないけどそういうところすごいなって思うよ」
「そのようなことはありませんわ。現に先ほどまでの発言は器量の小ささの表れではありませんか」
「世の中の全部を受け入れられる人なんていないし、僕としてはリリーナの嫉妬は喜びこそすれ不快になるなんてあり得ないことだから、そこは一生器量の小さいままでいてほしいなぁ」
「そう言葉にされるのは少し複雑ですわ…人の上に立つ者として相応しくありませんもの」
個人の醜い嫉妬など、金銭や立場に対する執着と並んで身を滅ぼす代名詞のようなものだ。その程度で揺らぐ愛など、彼の重たい愛を受け入れたいと願う以上不安要素ではないだろうか。
「そんなこと言ったら今話してるのはリリーナの話であって、王太子妃の話じゃないでしょ?」
「それは、そうですが…ですがそれを言い始めてしまうと私も欲が出てしまいますもの」
「何か叶えてほしいことがあるってこと?」
ディードリヒの素直な問いに、リリーナは少し気まずいと視線を逸らしながらもなんとか意を決して口を開く。
「貴方が私のこれまでを知っているのでしたら、私も貴方のことが知りたいのです。私の知らない貴方は何を思って、どのような日々を過ごして、何を求めていたのか…その全てを一つでも多く知りたい」
今、かつての彼を知ったところで虚しい思いを重ねていたかもしれない子供の頃の彼に何かができるわけではない。それでもその一つ一つを知って、理解を深めて、そこに自分の思いを重ねることはできる。
それにディードリヒのことだから、きっと心の内を明かすような人間がいたようにも思えない…ならそれを彼から聞き出せた時、自分はまた一つ彼の“唯一無二”になれるような気がした。
なんとも欲深い話だと思い本人には言うのを控えていたが、こんな話になってしまったらどうしても心の中で欲が勝ってしまう。
「え…昔の僕のことなんて知りたいの? つまんないよ?」
「勿論知りたいですわ。私が貴方の私であるように貴方は私の貴方なのですから、不公平に私だけ過去を知られているのは不快です。それに…何より貴方のことですもの、気にならないわけがないではありませんか」
「う…それを言われると弱いな。でも話すにはちょっと…話をまとめたいんだ。少しだけ待てる?」
「貴方がそう仰るのであればお待ちします。ですが長くは難しいですわ」
「そう長くは待たせないよ。でも本当につまらないからね?」
「私の過去の何が面白いのかについて貴方が説明できるのであれば、その言葉にも具体性がでますわね」
未だにリリーナとしてはディードリヒが自分の日々の全てを大切にしているのか、その価値はわかっていない。
今や妄信に取り憑かれていたと言っても過言ではないほど虚しい努力を重ねた過去も、毎日でも会えるというのに彼が自分と会えない時間の破片を集めていく今も、自分にとっては当たり前であったり過ぎた過去なのだから。
そんな人間の記録を集め続けて何になるというのだろう。なんの面白みもない人生をただ眺めるだけなのではないだろうか。
「面白い、じゃないよ。リリーナの人生はほんの一瞬だって輝かしいんだから」
「それは話題に対して正しい回答ではないのではなくて?」
「じゃあ今ここで“リリーナの素晴らしさ”について語っていいってこと? 流石に長くなるしリリーナが嫌がると思って我慢したんだけど…」
「それはそれで話が逸れるでしょう! 貴方の言う通りそのようなことをされたら顔から火を噴くので割愛なさって結構ですわ!」
何も墓穴が掘りたくてこの話題を持ち上げたわけではなかったはずなのに、結局墓穴を掘る羽目になっている。
周りにどうこうと口を出す割に自分も学んでいないとは思うが、何を話したところで墓穴を掘る羽目になるのは納得できない。
「…リリーナ」
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