こんなに緊張することも早々ない(2)
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「ふぅ…」
そして三人が個室に設置された長椅子に腰掛けた時、ヒルドが再び安堵に胸を撫で下ろしたような姿を見せる。
「大丈夫ですか?」
「えぇ、大丈夫。改めてうまくいってよかったと思って…つっかえされたらどうしようかと思っていたから」
「私も安心しましたわ。自分の予測を元にディードリヒ様からもお話を伺って今回ことを運びましたが、やはりオイレンブルグ公爵には心境の変化があったのでしょう」
「そうね…お父様があんなに優しく笑う人だなんて知らなかった。渡すものを選ぶとき手伝ってもらってよかったわ、二人ともありがとう」
そう言いながら、ヒルドは優しく微笑む。その姿にリリーナは改めて思い切ってよかったと感じる。
昨日、ディードリヒがリリーナに言われた通り写真機を取りに行ってから部屋へ戻ると、本当にリリーナとヒルドのドレス姿を収める撮影会が始まった。
撮影会と言っても、環境を整えるまでの余裕はなかったので随分と簡素なものにはなったが、ディードリヒとヒルドがやたらと満足そうだったのでリリーナはそんな二人を理解しきれないまま、撮影会を終えた後ディードリヒに一つ問うたのである。
“キーガンと昨日話をしていた様だが、何かディードリヒから見て変化や違和感を感じなかったか?” と。
すると、途端にディードリヒは明後日の方向へ視線を逸らし、それから大きなため息をつくと「確かに変化はあったと思うよ」リリーナに返した。
やはりか、とリリーナは納得した上で事前にヒルドに話していた「明日、出発前に買い物に行きたい」と発言したうちの“買い物の内容”について二人に改めて話をしたのである。
その中身こそが、先ほどヒルドが両親に贈った小箱の中身であった。
リリーナの話を聞いたディードリヒは「僕が参加する意味はないんじゃないかな」と反発したが、リリーナの「ヒルドにとってこれほど大切なことはありません」という一言に圧され、一方でヒルドは強い不安に揺れるもこちらもリリーナが説得をして今日の午前中に三人で街へ出たのである。
リリーナがディードリヒに意見を求めていたのは、ヒルドがキーガンに贈るものに関してだ。キーガンの好きなもの自体はヒルドが把握していたが、そのデザインや使い勝手などの参考意見を求めたのである。
一方で、最初こそ渋々といった様子でついていったものの、ヒルドとリリーナが二人であれやこれやと考えている様を見てついて行ったことに正解だったとディードリヒは感じた。
だがそのせいで案の定買い物の最中でもディードリヒとヒルドがリリーナを取り合っていがみ合っていたわけだが、これはリリーナの失策なのかそれともディードリヒが馬鹿なのか。
「カフスボタンなら邪魔にならないし候補の中では一番無難だっただろう。使いたければ使えばいいし、仕舞いたければ仕舞えばいい」
「グリゼルダ夫人に贈られたのは新しいかぎ針でしたわね。編み物がお好きな方なのは知っていましたが、かぎ針網がお得意な方なんですの?」
ヒルドが両親に用意した贈り物はカフスボタンとかぎ針である。予め予約などをして用意したものではないのでそういう意味でもヒルドはやや不安を抱えていた様だが、“日頃の感謝”という名目で彼女が両親に対してプレゼントを贈り、反応を確認するのか目的だった。なのでそこまで気負う必要はないだろう、というのがリリーナとディードリヒの共通の意見だったためその方針で今回は話を進めたのである。
「お父様はいくつか好きなものがあるから決まってよかったわ。お母様は最近かぎ編みに凝っているの、この間はそれで髪飾りを贈ってくれたわ。二人が喜んでくれるといいのだけれど」
ヒルドはまだ少し緊張しているように見えた。その姿に「きっと大丈夫ですわ」と励ますリリーナ。その二人を見ながら、腕と足を組んだ状態で長椅子に腰掛けるディードリヒは窓の外を眺めならぽつりと呟く。
「…もっと早くあぁしてればよかっただろうに」
「何か言った?」
「いいや、なんでも」
正しく“やれやれ”といった様子でこぼした彼の言葉を曖昧に拾ったヒルドが聞き直すが、あの夜の詳細について彼女には言わないほうが良いだろうと判断したディードリヒは発言という行動そのものを否定する。
自らお節介を焼きに行ったリリーナはともかく、自分にも原因があったとは言え一方的に今回の件に巻き込まれたディードリヒとしては「疲れた」という感情が素直なところだ。
不器用な父親とそれに従ってきた臆病な娘の間に父親側から巻き込まれるとは思っていなかったが、いかんせんその親子関係の根幹に自分の立場や人間関係、そしてキーガンの厚い忠義が深く関わっていると思うと結果として自分の身勝手に付き合わせてしまった部分が大きいので、彼の心にも申し訳なさは少なからず存在している。
かといってディードリヒはリリーナ以外の嫁を迎えるつもりは相変わらず無い。
それは自分の感情であり、信念やケジメでもある。最初から、リリーナを攫うと決めたあの日からその覚悟は揺らがない。
「やはりオイレンブルグ公爵の肩に乗った責任感は計り知れないものだったのでは無いでしょうか。私から見て、オイレンブルグ公爵はとても不器用な方に思えましたわ」
「不器用…そうだと良いのだけれど。でも今日のことは感謝してもしきれないわ」
「…」
ディードリヒは二人の会話をちらりと見て、またすぐに視線を逸らした。
リリーナの言っていることは正しい。キーガン・オイレンブルグという男の仮面の向こうにあるのは、実直で不器用な男であり父親としての姿なのだから。
確かにオイレンブルグ家とフレーメン王国の歴史は今のところ切っても切り離せないといったものだが、だからといって初めからキーガンが過剰な責任を負う必要などどこにもない。
彼が言い出さなかったところで誰かが似たような話をして、彼が言い出さなかったところでディードリヒが身を固めなければいけなかったことに変わりはないのだから。
そういう意味ではこの人生で自分は偶然“運命の相手”と決めつけた人間を奪い取ったに過ぎないが、それは確かに幸運であった。
夫人であるグリゼルダが家族である二人にどう接していたのかはわからないが、先ほどの様子を見る限りヒルドに対してよほど厳しかったのは父親だけだったように見える。
その状況を作り上げて娘の自由の一部を搾取し、さらに彼女に対して「興味がない」と言い続けた自分に対して娘を押し付けてくる父親の存在は…やはりディードリヒにとっては無粋と言って過言ではない。
「…様、ディードリヒ様!」
「!」
「如何なさいましたか? お体に不調がございますの?」
かけられた声に反応して自分が少し考え事に耽り過ぎていたのを自覚するディードリヒ。だが目の前の愛らしい囀りに比べたらなんと些末なことだろうと思い直し、彼は美しい笑顔で目の前の最愛の存在に言葉を返した。
「なんでもないよ。今日もリリーナは可愛いなって考えてただけ」
「な…っ! 公衆の面前でしてよ!」
「大丈夫だよ、この個室にはオイレンブルグ公爵令嬢しかいないわけだし」
「存在を認めるなら空気と同じにしないでくれる?」
若干の怒りと不服を露わにするヒルドに向かってディードリヒは仄暗い笑みを浮かべる。もはや言葉など必要はないと言わんばかりに二人の間の空気は自然と冷え込んでいった。
その光景に果てしなく機嫌を悪くしていくリリーナに気づかないままで。
少し前の話のことをきっかけに、不器用なキーガンパパも娘への歩み寄りができるようになってきたのかもしれないですね
個人的にはそこからヒルドの緊張感漂う生活が少し穏やかになってくれたらな、と思います
そしてリリーナ以外にはザ・ぶっきらぼうなディードリヒくん
そのせいでむしろ親しみやすくなってるんじゃないかと作家は思っていますが、本人は排他的な考えのままなのでそれに気づくのはいつなんでしょうね
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