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ここが二人の仲の転換点(1)

 

 ***

 

「…………」


 つい先程までやりたくもない視察という仕事をこなしてきたというのに、何故気に食わない女に呼びつけられなければいけないのだ、と半ば不機嫌にディードリヒは指定された部屋のドアをそれこそ若干乱暴に開けかかって、一応他人の家だと心を押さえつつ改めてドアを開いた。

 だが苛立ちの隠せない表情のまま開けたドアの向こうに待っていた光景に、彼はあまりの衝撃で絶句したまま立ち尽くしている。


 そして“目の前に天使と悪魔がいる”、とディードリヒは確かに感じた。


 悪魔はともかく天使はあまりに美しく、目も心も理性も本能もそれを視界に入れた瞬間に釘付けにされる。

 その天使は絹のように滑らかな白いドレスを身にまとっていた。


 上半身は一見露出が少ないように見えて首回りが少し大きめに開き胸元が見えそうになっていて、首には白いチョーカーが付けられている。フリルで飾られた襟は細いリボンでも装飾され、風船のように少しばかり膨れた肩口から広がる袖は裾に向かって末広がりになっている。袖口のフリルはとても愛らしく、同じく袖口に入ったスリットから見えるリボンが愛らしさを加速させていた。


 だが何より注目するべきはスカート部分。

 コルセットの下に広がるスカートはふわりと雲のように広がり、以前マチルダの行っていたパニエとかいうものが入っているのだろうと思いつつ、ディードリヒの視線はその白いスカートの裾の下へ向かっていく。


 スカートが、短い。


 デザインとしては普段から気軽に着るような服ではなく、ドレスという扱いになるのは確実だ。だがそのスカート部分は膝程度で終わっており、その下のふくらはぎが白いソックスのようなものに包まれた状態で露出している。だがスカートの一番表面の布は背部に行くにつれ丈が長くなっていき、波打った布が観賞魚の鰭のようになっているところに上品さを感じさせた。


 そうでなくとも毛先の巻かれサイドテールにまとめられたピンクブロンドの髪や、恥ずかしそうに顔を赤くしつつこちらを映さない金の瞳、小物からドレスから髪飾りに靴に至るまで白一色という、まさにこの世の天使が降臨していると言って過言ではない存在がそこには顕現している。


 …と、ディードリヒは一秒以下で全てを考えた。

 ディードリヒが言うところの天使は、当然ヒルドに着せ替えられたリリーナなわけだが。

 少なくとも彼にとっては思考が高速化する代わりにそれ以外の全てが機能停止に陥りかける程度には衝撃的だったようだ。それを表すように彼は今ドアを開けたその姿勢から一ミリたりとも動けないでいる。


 そしてその様子を、リリーナの隣に立つヒルドは正しく勝ち誇った表情で眺めていた。

 一方リリーナは恥ずかしさのあまり袖で足元を隠し始めている。


「あらリリーナ、隠したら意味がないわ。せっかく着替えたのだから殿下に見せて差し上げないと」

「ひ、ヒルド、やはり私には恥ずかしいと言いますか…! あ、まって、腕を持ち上げないでくださいませ!」


 リリーナの動きを見逃さなかったヒルドは流れるようにその腕を持ち上げてタイツに包まれた細い脚を晒す。身じろぎをしながらなんとか掴まれた腕を解放してもらおうとリリーナは足掻くが、緊張からか相手への力加減がわからなくなってしまい結果として抵抗は虚しくも失敗した。


 そしてその様子すら呆然と眺めているディードリヒに向かって、ヒルドは勝ち誇った表情を再び向ける。その綺麗な顔には、とてもリリーナには聞かせられない「私の方がリリーナと仲良しだけど?」及び「男には併せたドレスを着るなんて無理よねぇ?」といった煽り文句が記されていた。


「…!!」


 その表情に気づいたディードリヒは、呆然とした様子から一転して大きく表情を崩す。大きく見開いた目と深い皺の刻まれた眉間、それから端を引き攣らせた口元が彼のこみ上げる怒りを表していた。


「…っ」


 だが彼はほんの一瞬表情を崩したかと思うと、次は速い足取りでリリーナの元に向かい彼女が慌ててもう一度スカートの裾を隠した手を取とってその甲にキスを落とす。


「!?」

「ごめんねリリーナ、あんまりにも綺麗だったから見惚れちゃった。そのドレスよく似合ってる。天使が舞い降りたのかと思ったよ」

「…っ、これは、ヒルドが」

「恥ずかしがることなんてない。白いドレスにピンクブロンドの髪が映えて、背中に羽根でもあるみたいだ」


 ディードリヒの言葉にリリーナは顔を赤くしながらあわあわと落ち着かない様を見せている。その姿を見ながら、ディードリヒは愛しい彼女に向かって優しく微笑んだ。


「可愛い、リリーナ…こんなに可愛いんじゃ、オイレンブルグ公爵令嬢に少しだけ嫉妬しそうだよ…」


 “少し”などどの口が言うのかと言わんばかりに、ふらりと逸れたディードリヒの視線は強い嫉妬と怨念を込めてヒルドに向けられる。リリーナの背後にいるヒルドはこれみよがしに勝ち誇った表情をディードリヒに向けていた。

 勝ち誇るヒルドに向かって、あくまでリリーナには見えないよう暗い感情を上乗せするディードリヒと視線を合わせたヒルドは、彼をさらに挑発するようににこりと微笑む。


「ふふ、リリーナってば何を着ても似合うから、今日のお買い物はとっても楽しかったわ…殿下もお仕事さえなければ、リリーナの愛らしい姿を堪能できたでしょうに」

「はは、確かに仕事が憎いね。そんなにリリーナが可愛かったなんて、その時の様子や服装について詳しく聞かせて欲しいくらいだ」

「やだ殿下ったら…淑女に問うには少し大胆ではなくて?」


 煽るようなヒルドの言葉に自身もまた爽やかな笑顔を返すディードリヒ。しかし二人とも目元は一切笑っておらず、その間には激しい火花が散っている。

 リリーナは恥ずかしさのと照れでそれどころではなく、顔を赤くしたままどう返したものかとしたを向いてしまっているが、リリーナの手を片手ずつ握りリリーナを挟んで睨み合いを続ける二人は氷で埋め尽くされた部屋より空気が冷え込んでいた。

 そこでふと、リリーナの耳元に淑やかな少女の囁きが聞こえる。


「ねぇリリーナ、私たちお揃いにしたから今日は二人で一つなのよね?」

「え、えぇ…そう聞いていますわ」

「じゃあもう少し近くても良いかしら? ほら、こうして…」


 ヒルドは持ち上げていたリリーナの腕を解放すると、後ろから優しく彼女の腹に腕を回す。そのままリリーナとは対照的な黒いドレスと同じ色のタイツに包まれたヒルドの細い脚がリリーナの白いタイツに包まれた脚に絡まり、名状し難いコントラストを生み出した。


「な…っ、ヒルド、これは少し…恥ずかしいですわ。ディードリヒ様が、その、見ていますから…」

「そう? 友達なんだからこれくらい普通よ。むしろ今はプライベートだし、もっとぎゅってしておく?」

「普通…? これは、普通なんですの?」

「勿論。私とリリーナくらい仲がいいなら普通だわ」


 まるで禁断の花園を覗いてしまったような光景が目の前に広がっているが、ディードリヒの中には二つの感情がせめぎ合っている。


 一つは激しい嫉妬の念。

 当たり前だがディードリヒはヒルドがリリーナにべたべたと触れるのは愚かそもそも必要以上に自分以外が接触するのも認められようはずがない。本当は今すぐにでも引き剥がしてリリーナを連れ去ろうと腕が準備している。


 だがもう一つ、この状況を写真に収められないものかとどこかで思案している自分が嫉妬の念を踏みとどまらせていた。

 リリーナを辱めていいのは自分だけなのは当然だが、やはり自分で引き出せる彼女の魅力には限界がある。そうなれば今この間違った距離感に言いくるめられつつあるリリーナを見るのはそう簡単には叶わない…そう思うと、あと三秒は焼き付けたいような、むしろ写真の一枚は欲しいような気がしてしまうのだ。


(って、いけないいけない…)


 しかしディードリヒは内心で頭を振り邪念を振り払う。今重要なのはそこではない。


「リリーナ」

「ディードリヒ、様?」

「友達もいいけど、これは僕に見せるために着てくれたんだよね? ならほら、もっと見せて」

「!! それは」

「大丈夫、綺麗だよ」

「〜〜〜〜〜〜っ!!」


 自分を「綺麗だ」と言って微笑むディードリヒの、薄い水色の瞳がリリーナにはいつにも増して美しく見えてしまった。こんなに綺麗に見えてしまったのはいつ以来だろうか、急にこんなことが起こってしまうと心臓が痛いほど音を立て頭がいっぱいになってしまう。


 確かにことの発端はヒルドであったとしても、ディードリヒに見せるという話がでた時は“どうせ見せるなら喜んでもらえたら”と考えていたのも事実。

 そんな小さな願いが叶ってしまったら、嬉しさと恥ずかしさが同時に胸を占めて、さらに目の前の彼の瞳が美しくて…


(あ、頭が、あたまがどうにかなってしまいますわ…っ!)


 そんなリリーナの心境を知ってか知らずか、ディードリヒは彼女のサイドテールに結ばれた髪の束に触れる。


「屋敷にいたときにツインテールはやったけど、これもよく似合うね。でもこんな形で見ることになるなんて思わなかったな」

「に、にあってなど…私は目つきも良くありませんし」

「そんなことないわ、とっても可愛いわよ。殿下もそう思いますわよね?」

「その意見には同意だな。なのでこのまま僕がリリーナを貰い受けよう」

「それは駄目です。私がリリーナのために買ったドレスなのですから」


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