愛らしい華やかさの裏側で(3)
だが今となっては、その予測は大きく間違っていたのだとわかってしまった。
リリーナから話を聞く限りヒルドはあの立ち居振る舞いと立場を強いられるように教育され、無理をして自分の婚約者候補として立ち続けていたらしい。リリーナがディードリヒと結ばれるとわかり肩の力が抜けて楽になった、そうヒルドは言っていた…と、彼はリリーナから聞いていた。
リリーナは自分にうまく嘘をつけないので、その話が本当なのはいやでもわかる。おかげであの虚な瞳と人形のような動きにも合点がいったが、同時にあの本物のような愛想笑いは自分にはできない…いやする気がないのでそこは尊敬もできた。
あの笑顔はリリーナにも負けない美しい表情と言えるだろう。リリーナが薔薇のような輝かしさであれば、ヒルドはマーガレットのような優しさを感じる微笑みだとディードリヒは感じていた。
ヒルドの母親であるグリゼルダ夫人も口数は少ないながら優しい笑顔で周囲と接する人間なので、彼女の笑顔は母親似なのだろう。
そして“ヒルドならばリリーナに大きな害は加えないだろう”…リリーナが初めて王妃であるディアナ主催のお茶会に出ると聞いた時、ディードリヒは珍しく“なんとなく”でそう考えた。
特に思い当たる理由があったわけではないが、今思えばこれまでの彼女の印象からヒルドが自分の“婚約者候補であった”という立ち位置に執着するような人間にはとても思えなかったからかもしれない。
どちらにせよ身辺調査はさせたが、それでもディードリヒが二人が接触するのを止めなかったのはそんな理由彼らしくないだった。
そしたらまさかあそこまで仲が良くなるとは思っていなかったが。
「…」
ディードリヒの言葉に、キーガンは何か思うような表情をしつつも彼の話を聞いている。
今は話し手であるディードリヒも、キーガンの様子を見ながらいつ言葉が割り入ってもいいように慎重に言葉を続けていた。
「僕はまだ人の親ではない。故に貴様の思いの如何までは理解しきれないだろう…ただそれでも、ありのままのヒルド・オイレンブルグは十分に魅力を感じ取れる人間の多い女性だということは、僕にもわかる」
「それは…そんなことは、もうあの子が幼き日には存じておるのです、殿下」
苦しむ声はまるでヒルドに対して“そうあるように”と接していたと言外に語っている。その自覚があるというのに今更後悔を抱えるような態度を取られたところで、同情の余地はないが。
リリーナを選んだ段階で、自分には他所を見るようなことがあってはいけないという責任がある。それは不貞に至る意思があるかどうかではなく、もっとそれ以前の覚悟の問題なのだ。
だからこそ、元より情に流される気が無かろうとも、改めて自分はこの話題に対して常に情に流されるようなことになってはいけない。
リリーナ以外を見る気がない、という感情とリリーナを裏切るようなことしてはいけない、という理屈は確かに共存するのだ。
それと同時に、ディードリヒは目の前の一人の父親が理解できないでいる。
あの儚げな少女に“至高であれ”と言いつけ、人形のように仕立てたのはおそらく目の前のこの人物で、その妻はそれに関与したか状況を容認したか…どちらにせよ、当人がこのようなところで懺悔をしていても娘は何も進まないのだから。
そんなものになんの意味があるのだろうか、とディードリヒには疑問が映る。キーガンほどの男がそれをわかっていないとは思えないからこそ余計にその感情は強かった。
「ただ何が起きようとも、僕にはリリーナだけだ。無い席を争うような余地はない。それならば、彼女の生き方は彼女が決めるべきだ」
「…存じております」
「であればこの話に最早意味はない。貴様の疑問には回答済みだが、まだ何かあれば話を聞こう」
「…」
キーガンは少しばかり口を噤む。そしてディードリヒは彼の言葉を待ち、ほんの少しばかりの沈黙が二人の間を通った。
「…いいえ、殿下。自分にはもう問う言葉もございません。貴方の意思に語りかける言葉はないとわかった今、自分は自分の罪を認めるのみでございます」
キーガンはその内情で、娘への懺悔をはっきりと露わにする。
娘を、一人の子供を追い込んでいたなどわかりきっていたことだ。そうあれと…自分が望んだのだから。
王家に、国家に永く仕える家として国王に相応しい人材を用意することもまた義務であり役割であると、キーガンは信じてきた。
そうでなくとも自分が自分の役割を全うすることは当然。宰相としても議長としても、領主としても家長としても、全ての役割が自分の義務なのだから。
妻であるグリゼルダとは家同士の決めた結婚であった故に、周囲にちらほらと見かけた恋愛感情はなかったが、良きパートナーとして自分を支え続けてくれた。
だが子供は娘一人しか残すことができなかったのである。男女の如何はどうでも良かったが、身に起きた病のせいで王家へ相応しい人材を送り出す機会を、今代のオイレンブルグ家は失った。
それなのに周囲を見れば次期王となるディードリヒに相応しい人材が見当たらない。同じ公爵家の人間で王家に嫁ぐことのできる女児は居らず、侯爵家以下ともなれば不釣り合いな者ばかり。
この時キーガンは確信した。ディードリヒの隣に立つためにヒルドは生を受けたのではないかと。キーガンは確かに無理をしてでもヒルドを王家へと送り出すことが正しいと思ったのである。
当時のヒルドはまだ幼年でありながら、物覚えがよく頭のいい子供であった。であれば、この子にありったけの教育を施し、ディードリヒに相応しく裏切らず望まれた存在にと…キーガンは娘に向かって徹底的な教育を行ったのである。
暴力や恫喝を用いたりはしなかったが、自ら認めた者だけを家庭教師に置き、毎日のように復習を目の前でさせ、できていない箇所の中でも特に礼儀作法と音楽、ダンスは厳しく指導した。子孫を残した際に馬鹿にされないよう教養を持たせ、妻に社交界での歩き方を叩き込ませ…静かに睨みつけながら「なぜ失敗したのか考えて説明しろ」と何度言っただろう。
だが同時に、それを心のどこかで正しくないとわかっていたのかもしれない。いつも自分の心には“これが王国の利益になる”と、そんな言い聞かせるような声が響いていた。
そしてその度に自分と娘との距離感が正しいとは口が裂けても思えない自分も、どこかにいる。
だが残された結果はディードリヒが自らの手で伴侶を選び、それはすべてがヒルドに勝るとも劣らない上に外交的価値の高い隣国の娘。
あの子は選ばれなかったのだ。ここまで親の自己満足に付き合わせたあの子の時間が、水泡と消えてしまったである。
今ここで懺悔の思いを抱いている故に、自分はヒルドの自由を許したのだろうかと、思ってしまう。あの温室でヒルドが何をしているのか知っていて、自分は止めなかった。
グリゼルダが何度「危険なことまで一人で行っているのでやめさせて欲しい」と説得の協力を願っても、とても貴族とは思えないつなぎを着て泥まみれになったヒルドを見ても、なぜかやめさせようとは思わなかったのを思い出す。
応援もしなかったが、特に声をかけることもなかった。今思えば、そこにあるわずかな彼女の自由を自分は守りたかったのかもしれない。
だがどれだけ懺悔を重ねても時間は戻らないのだ。ただただ力の抜けていくような虚しさと、少女らしい時間を娘に過ごさせてあげることができなかったという罪悪感が胸を締め上げるだけ。
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