ないしょのガールズトーク(1)
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案内されたヒルドの自室は、ラベンダー色の優しい色合いでできた壁紙が印象的な部屋だった。
ガーデニング好きの彼女らしさを感じさせるように、家具の装飾や布地は植物のデザインになっている。
天蓋の付けられた大きなベッドの屋根から垂れるカーテンもまたラベンダーの柄になっており、彼女の強いこだわりが感じられた。
「さぁ来てリリーナ。今日は枕の下にポプリを入れておいたの、きっといい香りがするわ」
ヒルドは部屋のドアを開けてリリーナと中へ入ると、すぐに電気をつけてベッドへむかいそのまま腰掛ける。それから少し興奮した様子で自分の座る右側を軽く叩き、リリーナに早くくるよう催促し始めた。
リリーナはそんなヒルドに少し照れたように笑いかけると、少し緊張した様子で移動し指示された場所に腰掛ける。
「お邪魔しますわね」
「どうぞ、リリーナ。待っていたわ」
大変ご機嫌そうなヒルドとまだ少し緊張の残るリリーナ。とはいえこういった“お泊まり会”のようなものは初めてなので、わくわくと好奇心がくすぐられている。
「まさか他人が話しているのを聞いていただけのことができるようになるなんて嘘みたいだわ。夢じゃないわよね?」
「私も同じですわ、まだ夢のようです。ですが慣れないことをするというのは…少しそわそわしますわね」
「ふふ、私も落ち着かないから安心して。これからどうしましょうか、恋愛の話はいつもしているから変化がないわよね?」
「あら、それならばいつもと違ってヒルドの理想的な男性像について私は聞きたいですわ。うまく相手が決まらないほどなのですから、余程理想があるのではなくて?」
いつも自分の話ばかりさせられて不公平だ、と言わんばかりのトーンで話をするリリーナに、ヒルドは「え〜…」と少し困ったような表情を見せた。それから少しばかりヒルドは考えるような仕草を見せてから口を開く。
「言うほど理想が高いわけじゃないのよ? 私より背が高いといいとかは確かにあるけど…それ以上に礼節がしっかりしているとか、頭がいいとか、うちに来てもらう以上そういったことの方が重要だわ」
「貴女個人の好みではないような…ですが、その言い方ですと、爵位は入婿の方が継がれるということですの?」
「私自身は恋愛願望がないもの。爵位も自分で継ぎたいと思っているわ、そうしたら庭を取られる心配もしなくていいでしょう? だとしても話のできる人がいいの、仕事に詰まった時に私の相談を理解できる人がいいのよ」
“庭の権利のため”に自ら急な坂を登ろうと言うのはなんともヒルドらしいと、リリーナは感じた。
同時にヒルドという上位貴族の女性当主が現れれば、今は地位が低い故に領地を継がざるを得ない立場の女性貴族が目立つことはなくなり、本格的な女性の独立につながっていくのでは、とも考えられる。物事の新たな革新としては決して悪いことではない。
公爵家へ入婿となる人間ならば必然的に礼節や教養は求められることになる。ヒルド自身に個人的な異性に対する好みへのこだわりがない以上、決して高いハードルを要求しているわけではないように見えた。
特にオイレンブルク家は宰相であり貴族議員たちをまとめる議長も務める家。本当にヒルドが後継となれば風当たりがないとは言い切れない以上、舐められないように結婚相手に妥協がないのは当たり前のことだ。
「女ってだけで見下してくる人って少なくないし、目標のための妥協はしたくないわ。私はお母様みたいに誰かを支えられるような女じゃないもの」
「性別の垣根に有利があると思っている人間は男女問わず軽蔑しますが、どちらにせよ妥協しないに越したことはありませんわね」
「みんなリリーナみたいだったらいいのだけれどね、そうじゃないから婚約者の吟味に時間がかかってるのよ。お父様からも『見合う相手を』とは念を押されているし」
はぁ、とため息が溢れるヒルド。リリーナから見ても、国が変わったからといって貴族の在り方が大きく違うわけではないとこの国に来て学んだ。
それゆえに、その苦労の重さを想像することはできる。
商人上がりの貴族と与えられる爵位は精々伯爵止まりで全体的に礼節の程度が低い傾向があり、栄誉騎士などから成り上がった者であれは比較的高い爵位を授けられることもあるが教養が足りない者が目立つ。
かといって長い歴史がある貴族であれば質がいいのかと言われれば、その立ち位置に驕り高慢に振る舞い目下のものを虐げる者も少なくない。
さらに言えば、そういった者たちは総じてディードリヒは勿論のこと自分やヒルドに醜い尾を振って取り入ろうと必死になっている。
果たして質のいい貴族など一体いくつこの目で見ることができただろうか。この国に来てからとなると、少なくとも自分の身近にいる人間にはなる。そうでなくてはディードリヒが自分に近寄らせない。
そういった意味だと、リリーナはファリカの父親であるアンベル伯爵には既に会っているが、イドナの父であるシュピーゲル伯爵とはまだ挨拶程度の接触しかしていない故に、会える日を楽しみにしている。
地域活性に積極的なあのイドナの父親…詳しく話をしたらどのような人物なのだろうか。
「ですが侯爵家程度までが許容範囲ではありませんこと? 伯爵以下となりますとやはり家ごとの教育方針がまばらな印象がありますから」
「私もそう思うわ。ここまでくるとシュヴァイゲンの家がいいかもしれないわね…あそこの次男は学術院にいるし、侯爵家の人間だから礼節も問題ないと思うの」
ヒルドは困り果てた様子ではありながらもリリーナの意見に同意する。
いかにパーティが社交の場であり若者にとっては出会いの場であったとしても、結局結婚という結果に行き着くかどうかは本人たちの意思や親同士の取り決めに依存するものだ。
特に今回はヒルドがキーガンに直接“見合う人間”を見繕うように言われている故に、これから先ヒルドがどう立ち回るにせよ彼女の能力を試されていると言って過言ではない。
「シュヴァイゲン家ですか…“沈黙の公爵家”と呼ばれている噂は知っていますが、パーティなどで見かけた記憶はありませんわね…どういった家なのかそもそも情報も少ないといいますか」
「あそこは…そうね、無理もないんじゃないかしら。元々は“処刑人”の家だから」
「処刑人? この国に死刑は…」
おかしい、とリリーナはヒルドの発言に対して思った。そして反射的に言葉を返しかけて、はたと何かに気づく。
「もしかして、戦争時代以前の話をしていますの?」
フレーメンに死刑制度は存在しない。死刑に値する人物には最大で一千年単位の懲役が課せられ、事実上の無期懲役を言い渡される。それゆえリリーナは処刑人という言葉に最初は合点がいかなかった。
以前ディードリヒがリリーナに嫌がらせをしていた令嬢たちに対してギロチンを用いた処刑を行おう、などと言ったことがあったが…フレーメンの法律上ではそれは叶わないということになる。
ディードリヒ本人の感情如何は別として、裏で彼がなにか工作でもしない限り死刑などという物騒な代物は出てこない。
「そうよ。今の上王様が制度を変えるまではこの国の最高刑は死刑だったわ。その上で処刑人であるシュヴァイゲン、国政を支えるオイレンブルグ、神話に纏わるシュヴァルツヴァルトは王家の発端から長い歴史を共に歩んできたわけだから、必然的に歴史が長いのよ」
「国家の発端より歩みを重ねる三大公爵家については学びましたが、何故現状のシュヴァイゲン家の情報はあまりにも少ないのでしょうか…少しきな臭いような気もしますわ」
「そんな大層な話じゃないわ、少なくとも表向きはね。単純にみんな不気味がって“不吉”と決めつけて、関わりたがらないだけよ」
その話が本当だとしても、リリーナとしては少し引っ掛かるものを感じた。王家と関わりが深く、長い歴史を歩んできたはずの家が何故侯爵の位まで爵位を下げているのか不思議でならない。
処刑人というのは、王家に仇なすものを見せしめに処するという部分や処刑にあたり罪人を苦しませないよう専門的な知識が求められるため、身元の明らかな専門の家系に高い爵位を与え仕事をさせることが多い。少なくともパンドラの最高刑はいまだに死刑であるので、そういった事情を知っておくことは故郷では教養の一つだった。
それだけの功績がある家が爵位を下げるなど、一体何が…と疑問を抱くリリーナに対して、ヒルドはその疑問を予め予見していたように話を続ける。
「上王様は死刑を前時代の象徴として制度の変更を行い、同時にシュヴァイゲン家は役目を終えたとして取り潰しになる予定だったの。それを当時のオイレンブルクとシュヴァルツヴァルトの当主が上王様に掛け合って、結果的には降格する代わりに名を残すことを許された…とお父様からは聞いているわ」
「そのようなことがあったのですわね…確かに長い歴史を共に歩んできた家があっさりと取り潰しになるというのは、他の二家にとってやるせない思いがあったのかもしれません」
「顛末までの経緯に関してはお父様も詳しくないらしいのだけれど…どちらにせよシュヴァイゲン家は今では名が残っているだけで、誰も何をしているのかわからない家になったってこと」
「では、何故ヒルドはそのシュヴァイゲン家の次男に接触を図ろうとしているのです? 不吉と呼ばれ忌避されているのは事実なのでしょう?」
リリーナの何気ない問いに、ヒルドは特に何かを気にした様子は見せなかった。そしてそのままなんでもないことのように彼女はリリーナの問いに答える。
「風評を気にしていないからよ。私が相手に求めているのは教養と品格なの。それ以外はおまけなのだから、相手の家が不吉かどうかなんて瑣末な話だわ」
「それは随分と気前のいい考え方ですわね」
「確かに今のシュヴァイゲンが何をしている家なのか気にならないわけじゃないけど…私が嫁入りするわけじゃないし、極端な話関係ないわ。細かいことは話が進んでから考えるくらいがちょうどいいもの」
“細かいところにまで気にしていたらキリがない”、とヒルドの言葉は言わんばかりだ。だが一見器量の大きな発言に思えても、リリーナから見ると少し投げやりな言葉にも聞こえる。
「ですが結婚は一生に何度もすることが望ましい行為ではありませんわ。顔を合わせるところからであっても、もう少し吟味はするべきでなくて?」
「妥協や投げやりで言っているわけじゃないわ。現に数多といる貴族の子息たちの中から私が“自分から行動する”ということを選んだのはシュヴァイゲンの次男が初めてだもの。それ以上のことは相手がどんな人間かを知ってからでいいのよ」
さらりと、当たり前のようにヒルドは“全てを決める権利は自分にある”と言い切った。
確かに公爵家の娘であり、婿を取る側に立つ彼女の発言は何一つ間違っていない。その上で、彼女なりの考えがあって行動しているというのならば、友人としてリリーナが言えることは一つ。
「そうなのですね。それが貴女の選択なのであれば、私はうまくいくことを祈っていますわ。せめて良縁でありますように」
「ありがとうリリーナ。やれるだけやってみるわ」
自分の言葉に強気な笑みを返してくれるヒルド。その笑顔に少しばかりの安心感を感じたリリーナは、ふとあることに気づく。
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