邪魔な男(2)
一般的に、貴族は爵位が上がるほど屋敷から出ることは少ない方がいいと言われている。買い物をする際は商人を呼びつけ、それができない店には使いを向かわせるのが普通だ。
リリーナは以前にディードリヒに渡したクマのぬいぐるみ以来店頭での偶発的な出会いを好むようになったが、ディードリヒとミソラはこういった行動に対して何度か苦言を呈している。
理由は簡単、防犯上の問題であることに他ならない。
貴族など、平民やそれより下の人間から見れば金が服を着て歩いているようなもの。身につけている服や小物は勿論、それを纏っている本人さえ拐ってしまえば身代金にでも高値の奴隷にもできてしまう。特にリリーナやヒルドのような容姿の整った者ならば尚更。
貴族階級に属している人間を総じて嫌う人間や、過去に貴族に虐げられ不遇な人生を歩むことになった人間も少なくない。
故にリリーナやヒルドといった個人の問題ではなく、二人が“貴族”という階級に名を連ねる人間であることがまず問題なのだ。
如何にリリーナにはミソラを初めとした護衛が陰ながら何人もついているとしても、安全に配慮するに越したことはない。なのでどうしても渋い顔をされてしまう。
一方のリリーナはその話に納得した上で、護衛の状況などを確認しながら街を歩くようにはなった。それでも二人の心配は尽きないが、ファリカの説得もあり一時的に様子見の状態になっている。
「いいわよね、連れ歩く人間が物事の火種になりかねない立場じゃない子たちって…私たちが侍女以外の子と軽い気持ちで遊んだら問題になりかねないもの」
「派閥に無駄なヒビを入れるのは良くありませんから、仕方ないと言ってしまえばそうなりますわ。公爵家も五家ある以上、オイレンブルク家が王族との親交が深い家で良かったと思っています」
「当然じゃない。歴史は勿論だけれど、王妃様のお茶会に呼んでもらえる程度にはお母様も努力しているもの。そうでなかったらリリーナと接点を持つなんて無理な話だわ」
現在公爵の爵位にある家は五つ存在するが、歴史や主に担っている役割の序列によって王家と深い関わりがあるかどうかは意外と分かれている状態だ。
仲の良い悪いというのは表面上存在しないが、かといって互いに深い関わりがあるのはオイレンブルグ、シュヴァルツヴァルト、レヒヌングの三家である。議会のオイレンブルク、秘書のシュヴァルツヴァルト、そして国家会計士の家系がレヒヌング家だ。
この三家の人間は基本的に城勤めであることも踏まえ王室との関わりが深い。
だが司法を扱うゲリヒト家、鉄道などの交通と貿易を管理しているアイゼンバーン家は城勤めではなく王室との接触が少ないため関わりもやや薄い。
レヒヌング、ゲリヒト、アイゼンバーンの三家は比較的近年に公爵の爵位を得た家であるため、より長く公爵の爵位を受けている二家とは区別されやすい傾向がある。
よって、公爵家同士に大きな対立がなくともそれより下の人間たちが勝手に派閥を生んでいたりするのが現状だ。なので二人は必然と積極的に関わり合う人間を選ばなくてはいけない。
おかげでリリーナもヒルドも、気軽な気持ちで友人とショッピングに出かけるなど絵空事だとすら思っていたのだ。互いに多くの取り巻きを連れて出かけたいわけでもなく、妙な噂が立つのは当然避けたいので、何かと立場が噛み合ったからこそ今回のような機会が生まれたのである。
だからこそ、ヒルドは明日の予定を絶対にディードリヒに邪魔などされたくない。
「ですがディードリヒ様相手となりますと、私たちだけでは限界というものが…」
「押し切るしかないかしら? 何もしなくったってお父様は殿下の相手をしたがるでしょうけど」
「オイレンブルグ公爵はヒルドを強く婚約者に推していたと聞いています。やはりそういった関わり、ということですの?」
「あぁ、それは違うわ。どちらかと言うとお父様は階級に厳しいというか…合理性の方が思考として優先的なのよ」
ヒルドの言葉に、リリーナはキーガンに対して少し勘違いをしていたのか、と思い至る。
てっきりキーガンはヒルドをディードリヒと結婚させることで地位をより盤石なものにしようとしたのではないか、とずっと考えていたからだ。
しかしヒルドの言葉から解釈すると、キーガンの中にそういった邪な思想はないように聞こえる。
「シュヴァルツヴァルトの家は下の子が女の子なのだけれど、家を継げない子は領地の管理をするのがしきたりみたいなものなのよ。古い家だからそれを強引に王家が貰うのも角が立つし、同じ公爵家でも他の三家は比較的新しいのと、男児ばかりで…お父様から見て一番相応しいと思ったのが私だっただけ」
「ですが条件に見合った上で公爵が入れ込んだのはヒルドなのですから、貴女はとても愛されていますのね」
「それはどうかしら…お父様とお母様は恋愛結婚ではないから、一概に言い切れないわね。私もお父様からひどいことをされたことはないけど、いつも少しだけ距離を感じるもの」
そう話すヒルドはどこか寂しげで、リリーナは迂闊な発言をしたと感じ慌てて口を開く。
「それは…踏み入ったことに安易な発言をしてしまいましたわ、ごめんなさい」
「謝らないで、私が勝手にそう思っているだけだから」
ヒルドは優しい言葉で返してはくれたが、リリーナとしては安易な決めつけで発言をしてしまったと内省する。貴族の婚姻が恋愛結婚とは限らないなど常識であるというのに。
「優しいお父様よ、同じだけ厳しい人だけどね。一日の予定が済むと最後にお父様と学んだことを復習するのが習慣だったのだけど、ミスがあるとよく怒られたわ」
「そのようなことが…」
「他の家のことは知らないけど、私の生活はそれがあたりまえだったの。他人に期待される人生なのは今もだけれど…どちらにせよその内に疲れたのよ、単純に」
キーガンが何を思って娘と習慣的に学んだものを復習する時間を設けていたのかはわからないが、その行動は“愛ゆえに”とも“都合よく動かすために”とも取れる行動なのではないか、とリリーナは感じた。
キーガンの行動に秘められた感情や理屈の如何によって見たものの印象が大きく変わる出来事なのは確かで、元よりキーガンとの距離を感じて育ってきたヒルドからすればよほど恐ろしい時間だったかもしれない。
リリーナから見て、ヒルドは場の空気を読みながら行動するのが上手い印象だ。それ故に彼女は成長するにつれて自分にかけられた期待の大きさを肌身で感じていただろうと思うと、小さな体に収まる心にかけられた負担は想像しきれない。
「誰も入れない場所が欲しかったの。お父様が、レッスンが、パーティが、何もかもが嫌だって叫んでも誰にも何も言われない場所が。だからここを作った」
「…」
「そうしたらね、気づけば六年も経っていたわ。十一の時から初めて、納得できたのは一昨年だもの。きっと側から見たら馬鹿なのだと思う」
自嘲気味に軽い調子で言葉を並べたヒルドは、その言葉と同じ感情で疲れたように笑う。
「馬鹿とはなんですか」
しかしその言葉に、表情に、疲れ切った感情にリリーナは強い怒りを覚えそれを隠さず口にする。
「この場所は、貴女こそが最も馬鹿にしてはいけないのではなくて? そして同じだけ貴女の勝ち取った自由を馬鹿にしていい人間などどこにも存在しませんわ」
「!」
自分の中では何気ない言葉だったというのに、目の前に座るリリーナはいつもの何倍にも怒っているのがヒルドにはわかった。それ故に少し驚きを隠せないでいると、目の前の彼女は少しばかり目を伏せる。
「私も人生経験が豊富なわけではありません。ですので例え話など自分のことから以外では言えませんが…私の人生に、貴女のような強い意志はありませんでしたわ」
「…そうなの?」
「えぇ。私はつい先日、漸く気づいたのです。今まではただ自分の自己満足に結果が出ると妄信していただけなのだと。だから自分を空にすることでしか、自分を守ることができなかった」
目の前に座るヒルドは、聞いている言葉を信じきれていないように見えた。その姿を視界に収めるリリーナからすればそれこそ自分はどう思われているのだとつい考えてしまうが、かといって自分の話を相手が全部信じてくれるとは思っていない。
自分と相手はあくまで違う人間なのだ。どんなに似通ったように見えたとしても、自分の見てきたもの以外を素直に信じるのは難しい、それをリリーナはわかっている。
「ですが貴女は自分で自分の悲鳴に気づいて、自分を守ることを選ぶことができた。それは誰にでもできることではありません。その上で、この場所を守り続けてきた積み重ねは確かに結果を出しているのですから、自嘲する場所などどこにもありませんわ」
「リリーナ…」
「私は今日、貴女の話を聞いていて今までより更に貴女のことが好きになりました。ありがとう、ヒルド」
締めくくるようにリリーナは微笑む。ヒルドもそれに釣られて笑顔を返すが、その後で気恥ずかしい気持ちが込み上げてしまい、少し頬を赤くして視線を逸らす。
「なんか…恥ずかしい話をしてしまったわ。ごめんなさいね」
「気にする必要があるんですの? 不公平だと言うのならば私の話もしますわ」
「それは勿論聞きたいけれど、今は明日の話をしないといけないわ。大きく寄り道してしまったもの」
「確かにそうですわね…では話を戻しましょう。ディードリヒ様の屁理屈を屈服させる方法でしたわね?」
「ちょっとリリーナ、それは言い過ぎじゃない?」
思いもよらぬ言葉に思わず笑ってしまうヒルド。それを見たリリーナは「冗談ですわ」と返してはきたが、とても冗談で言っているようには感じなかった。おかげで更に笑いが込み上げてしまう。
大事な話をしているはずなのにどこかくだらない話なのも確かで、なんの中身もない話をしながら二人の少女は楽しげに笑い合っている。
リリーナはヒルドの話を聞いて「貴女をもっと好きになった」と言ってくれたが、それはヒルドからしても同じ言葉を返したいと思う。
ヒルドは今日、リリーナと友達になって良かったと改めて感じる。
この温室を作り始めてからの六年間の中で、一つ一つを積み重ねる時間は自分の中にある嫌なものを空っぽにしてくれた。そして全てが完成した今、その結果がこの温室で生き生きと伸びている植物たちであることが、ヒルドにとって掛け替えのない誇りなのだから。
リリーナが自分の中に眠るそんな小さなプライドを見抜いて言葉を選んでくれたのかはわからない。それでもリリーナが自分の言葉を正面から聞いて、その全てに対して正面から返してくれることが何よりも嬉しいと感じる。
彼女は他人を真っ直ぐ見据えて、他人の思いをとても大切にしてくれるひとだから。
今が永遠に続いてほしいと、ヒルドは素直に思う。せめて、せめて少しだけ時間が止まったらいいのにとどこかで考えるのをやめられない。
花だけが見守るこの暖かな庭で過ごす機会は、そう多くはないだろうから。
ディードリヒくんあっちこっちに嫌われてて草
ディードリヒくん、顔もいいし乗馬も上手いし仕事はできるし高身長で剣も強くて王子様という完璧性の全てが揃ってる男のはずなんですが、ヒルドからは「気持ち悪い」ファリカからは「頭おかしい」ミソラからは「お前のほうが弱い」と周囲の人間から散々な評価ですね。挙げ句の果てに母親であるディアナからは犯罪をダシに遊ばれている始末
彼のハイスペックが正しく描写される日は果たして来るんだろうか
まぁ、それは時の運としても彼女が友達と遊びに行くのが気に食わないので邪魔しに行く、という展開は漫画で何度か見かけたことがあります。ベタなイベントではないですがディードリヒみたいな面倒なやつを描くのに便利なので好きです
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