掛け替えのない過去
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まだリリーナとヒルドが友人になってそう経っていない頃、リリーナと同じパーティで顔を合わせたことがあった。その時は互いに予定を伝え合っていたわけではなく、本当に偶然のこと。
そのパーティでヒルドは自身の苦手としている人間に絡まれてしまったのだ。それは醜く太り、汚い歯列を恥じることもなく、見せつけるようにアクセサリーをつけて愛想笑いとでも言いたげな気持ち悪い笑みを貼り付けて近寄ってくる、自分よりいくつも家の爵位の低い人間。
ヒルドは嫌な思いをしている相手の中でもその相手が最も苦手で、いつもなら声をかけられないよう立ち回るというのにリリーナと話をしているのが楽しくてすっかり警戒を忘れてしまっていた。
きっと相手のことなので自分よりランクの高い人間に取り入って繋がりを作るか、利用して叩き落とすか…やりたかったのはそういったところだろう。常に言動や行動からそれは透けて見えていたし、卑怯な手を使って地上げのようなことをしていると聞いたこともあった。
そんな相手と何かしら噂が流れでもしたら、家に迷惑がかかる。それなのによりにもよってその時は隣にリリーナがいて、ヒルドはリリーナまで巻き込んでしまったと思いとても後悔した。
だがリリーナは、相手に警戒されないよう挨拶だけは合わせ、次の瞬間ほんの少し警戒したような様子を見せる。
ヒルドを自分の後ろに隠すように動き、相手の興味を引いてヒルドに目が行かないように立ち回った上で、
「お可哀想に、故郷で大変な思いをなされたとか。オイレンブルグ様も叶わぬ努力の方でした」
そう言った相手に向かって、半ば発言を被せるような勢いでリリーナは確かに「無礼な」と相手の言葉を切り捨てた。
「貴方は“可哀想”という言葉を、上位の人間に面と向かって言えるような言葉だと認識していますの? もしそうならば“立場も弁えず相手を憐れむ”など、子供であっても許される相手を選びますわ。そのような醜い言葉で私たちが喜ぶなどと、ほんのひと時でも考えたという事実の露呈だけで貴方と話をする価値などありません」
今でもその強い言い返しを鮮明に思い出せる。あの時のリリーナは自分に無礼を働いたことに怒っていたのではない、ヒルドが無礼な扱いをされていたことに怒っていたのだ。
あの時、フレーメンに来たばかりのリリーナにはまだ影響力が少なく、注目はされていても敬われるほどの存在を証明できていたかと問われれば、肯定し切れない状態。それ故自身に多少皮肉や憐れみをかけられたところで、軽く流すことや遠回しに指摘することはあっても面と向かって取り合うことはなかっただろう。
だがヒルドは違うのだ。ヒルドは歴としたフレーメン王国の公爵家の娘であり、今もその立ち位置に相応しく立ち続けている。ディードリヒがヒルドを選ばなかったことに対して、ヒルドに落ち度は存在しない。
それを上から目線で、立場が下の人間がわかったような口で“可哀想”などと、侮辱も良いところだとリリーナは怒ったのである。
リリーナの反撃に狼狽えた相手は、顔を歪めて言い返そうと構えたように見えた瞬間にディードリヒに声をかけられ、手のひらを返したように相手をし始めた。
しかしディードリヒもまた『リリーナを侮辱するとは度胸があるね』と微笑むと静かに騎士を呼んで連行させたのである。ましてその対応にリリーナは「遅い」と怒っていた。
今思えば、リリーナにあんな下賎な男が近寄ること自体をディードリヒが許すはずがないので、意図的にタイミングを図っていたことに怒っていたのだろう。
それからリリーナは、呆然と立ったままのヒルドに振り向いて「大丈夫でしたか?」ととても心配した表情でこちらに声をかけてきてくれたのをよく覚えている。
目の前で自分の見ていた全てに、嘘も下心も偽善もなかった。リリーナはただ本当に目の前で友人が侮辱されたことに怒っていて、それをあたかも自分に対してのことのように見せかけただけ。
その上で自分を心から心配してくれているのがわかってしまったら、自分の感じた直感は正しかったのだと思わざるを得ない。
***
ヒルドはこの時、確かに自分も相手に報いることのできる存在になりたいと心に決めた。そんな誰より大事な彼女は、今も嘘など一つも言わないで自分をまっすぐに見てくれている。
そのことがあまりにも嬉しいと、満開の花のように笑顔を咲かせた少女は、また一つ自分の大切なものを認めてくれた彼女に対し、
「ありがとう!」
そう、一言にありったけの感情を込めた。込めた感情も、感じた嬉しさも、等身大の少女として。
「ありがとうリリーナ、貴女ならそう言ってくれると思っていたわ!」
「当然でしょう、他の誰でもない私ですもの。大切な場面でふざけたりなどしませんわ」
「ふふ、そうよね。大好きよリリーナ」
「そこまで大袈裟になるようなことではないと思うのですが…」
少し大袈裟ではないか、と戸惑うリリーナに向かってヒルドは幸せそうに笑うばかり。おかげで少し反応に困っていると、ヒルドはもう一歩リリーナへ近づきそっとその白い手を取る。
「リリーナにもきっと見つかるわ、他の誰のものでもない貴女だけの自由が。それを見つけた時、初めて人間は正しく休むことができるのよ」
「!」
語りかけるような言葉に、リリーナははっとする。
“息を抜く”とは、そういうことなのだろうか…リリーナは周囲の人間が何度もかけてくれていた言葉を思い出し、やっとその答えの端を掴んだような気がした。
誰でもない自分のための自由、それが本当の休息に繋がると言うのならば、それは、それはきっと…
「あら」
「?」
「残念、もう何か答えを見つけている顔をしているわ」
「そう…でしょうか」
「えぇ、今の貴女はとっても素敵な表情をしているもの。私が導いてあげたかったのに」
残念そうな言葉を言う割に、ヒルドは穏やかな様子で温かく微笑む。自分の表情がどういったものなのかと興味が湧いたリリーナが、ヒルドの後ろにある池の水面に向かって歩き出そうと動き出した時、ヒルドは包むように触れていたリリーナの手が抜け出さないよう少し力を込めた。
「だめよ、見たら。それが答えになってしまうもの。そんなことよりお茶にしましょう? 私がいつもお茶をする場所に連れて行くわ」
ヒルドは触れていたリリーナの手を自分の手と繋いで、そのままリリーナを誘導するように歩き出す。少し戸惑いながらも引かれる手が離れないようついていくリリーナは、何かもやのかかっていたものが見えたような気がしていた。
作品をかくに当たって、物語の合間に挟む「*」の数には途中から法則性をつけています
日を跨ぐなど大きく時間が動く場合は八個、一日のうちの場面転換や過去回想は三個です
なんで過去回想と短い時間の場面転換が同じ個数なのかと問われると、一巻で何も考えずにそれをかましてしまったので面倒になり合わせました。しかしあの頃は場面が大きく動く時に八個の「*」を使っていて今と法則が違うので、時間があったら修正するかもしれないです
リリーナ様はどこまでヒーローなんでしょうね
真っ直ぐと、困っている誰かを捨ておけないのが彼女の性分ですが、そのせいで二人も沼っているという…罪な女です
ディードリヒの頃と比べ貴族らしい方便の利いた言い回しができるようになっているのが成長を感じます。だからこそヒルドは沼ったのでしょう
あとは最後にリリーナ様が何かに気付いたようですが、彼女の答えが実現するといいですね
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