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ここは私の庭、私の夢、私の積み上げてきたもの

 

 ***

 

「ようこそリリーナ、ここが正真正銘“私の”庭よ」


 分厚く重たいであろうガラスの扉を開けた先へ足を踏み入れると、心はずむ鮮やかな花々とそれに寄り添う緑の溢れる空間が広がっている。その一つの楽園のような空間こそがヒルドが長年かけて作り上げた“庭”であった。


「確かにこれは…素晴らしいですわ」

「正面の庭はあくまで庭師たちの管理する場所で私は少しお願いを叶えてもらっているだけなのだけれど、ここはよほどのことがない限り私が管理しているわ」


 案内をするために温室になっている庭の敷地を進み出すヒルドについていくと、一つずつ建物の中の細かい部分が見えてくる。


 全体が分厚く頑丈なガラスで作られた温室は広く奥行きがあるつくりになっていた。高い天井からは春の日差しが差し込み、外で感じるより暖かい…いや少し暑いほどに感じる。屋内であるゆえに風がないので余計にそう思うのかもしれない。

 視界に入る花々はどれも色鮮やかで、花壇のように作られた場所もあれば、自分の身の丈ほどの木の枝にプランターが吊り下げられ、そこにまた違う花が咲いていたりもしている。


 温室、と言われると木々や異国の植物などが多く、全体的に緑の強い印象を抱いていたリリーナは、今いる場所の彩りの豊かさに素直に驚いた。

 入り口から二股に分かれるように作られた石畳の道をそれぞれ挟むようにして作られた三つの花壇では、スイセンやアネモネだけでなく国内では自生しない花も多く見かけ、色彩に富んでいる。


 石畳の道には奥へ進む来訪者を歓迎するように幾つものフラワーアーチが置かれていた。その枠組みに蔦を巡らせて咲いている薔薇はまだ少し先に見ごろが訪れる品種ではなかっただろうか。こうして一足先に花を咲かせ、それを長く楽しむことができるのも温室の効果なのだろう。


「見回す景色がどこも美しいですわ…! 本当にこの全てを貴女が?」

「流石に建物を建てるのには人を雇ったわ。だけど、土選びから始めて花壇やプランターに敷き詰めて、内装を試行錯誤しながら植物を育てたのは全部私一人。すごく時間がかかったけど、おかげで自慢の庭よ」


 言いながら、ヒルドは一度足を止めて両腕を大きく広げながらリリーナの方へ振り返る。満足げに笑う白髪の少女にリリーナは問いかけた。


「庭師には手伝わせなかったんですの?」

「やらせなかったわ。ここだけは一人でやりたかったから」

「土や道具など重たいものも多かったのではなくて?」

「少しずつ運んだわ。猫車って結構バランス悪いのよ、車輪が一つしかないから」


 なんでもないことのように当時を振り返りつつ、再びヒルドは歩き出す。その後に続きながら、植えられた植物たちを眺め、陽の光の暖かさを感じ、フラワーアーチに伝う薔薇の香りに包まれていると改めてこの場所が一つの楽園のように思えてくる。


 道なりに石畳を進んでいると、途中で分岐点が現れた。一つはそのまま直進方向に、もう一つは左側に道が分かれている。

 ヒルドは左に枝分かれした道を選び進んでいく、その少し後で足を止めたヒルドの一歩後ろで足を止めると、奥には小さな池が見えた。その水面を見つめるヒルドは、こちらに振り向かず一つ呟く。


「…ここはね、私の夢なの」

「夢?」

「そうよ。私が自分の手で、自分の意思でやり始めて、今の今まで貫き通している夢。積み重なった自分の自由がここには詰まっているの」


 ふと、水面を見ていた彼女が顔を上げる。そのままこちらに振り向くと、彼女の視線はリリーナの背後に広がる温室の植物たちへ向かい、ぐるりと見まわしたのちその瞳はリリーナを捉えた。


「どんなにやるべきことが辛くても、ここをつくり始めてから私は自由を得ることができた。お父様にきつく叱られても、嫌な人のいるパーティにでなくてはいけなくても、ここに帰ってこられるから頑張れたの」

「ヒルド…」

「リリーナにはある? “自分だけの自由”が」

「!」

「私はこれからもここに帰ってくる。他の誰でもない、私だけの自由があるこの庭に。そういうものはとても大切だわ、特に貴女みたいな…自分を消耗させることを厭わない人には尚更」


 聞こえてくる言葉は一つ一つがこちらに語りかけてくるようで、自分の視界に映る友人の表情は真剣にこちらを気にかけてくれているのだとすぐに理解できる。

 あぁ、まだ自分は。そう思わないでいられない。現実と自分の卑屈な感情が周りに迷惑をかけているように思えてしまう。それが本当に申し訳ない。


「…貴女から見ても脆いのでしょうか、私は」

「貴女だけ、なんてことはないわ。みんな脆い。でも貴女は誰より強く在ろうとするから、ヒビの入った部分を治すことを忘れてしまう…みんなそれが心配なのよ」

「…」


 その言葉は言い得て妙だ、そうリリーナは感じた。

 あの時、ほんの少し前に自覚した自分の“傷”は、確かに自分の脆くなってしまった部分なのだから。

 ここまでの人生でやっと一つ見つけられたものが、他にない保証などどこにもない。


「疲れたら『疲れた』って言っていいの。ただそれには場所を用意する必要のある人もいるわ、私もそう。だから私は、ここを自分だけの場所にするために一人でここを作った」


 ヒルドの言っている「疲れた」は、体力の消耗などで呟くような頻度の多いものではないことはリリーナでもわかる。この話におけるその言葉の本当の使い方はもっと根本的で原始的で、心の深い場所にあるものを指す。

 ディードリヒが何度、自分に同じ意味の言葉を投げかけていたか…思い出すのはあまりに容易い。それをわかっていて自分は、なぜまだ他人に心配をかけさせているのだろう。


「ねぇリリーナ、聞いて」

「…なんですの?」

「私ね、ここに自分以外の誰かを入れたのは初めてなの」

「え?」


 思わず間の抜けた声が出てしまった。

 同時に、ヒルドの発言がどこか少し意外なもののようにも感じて、少し混乱している。


 自分以外の誰にも…彼女の言っていることを本当にそのままの形で受け取るならば、それは家族ですらこの庭に入ったことがないということ。

 つまりそれは、この庭がヒルドという少女の中で最もナイーブな部分ということになる。それだけ大切なはずの場所に、どうして自分が?


「嘘みたいって思った? 本当よ、本当にリリーナが初めてのお客さんなの。お茶を持ってくるのだって、あの扉を超えたら自分でやるのだから」

「それは…そのような大切な場所に、私が入って良かったんですの?」

「勿論、貴女は私の特別な人だもの」

「特別…」


 困惑の隠せないリリーナに向かって、ヒルドが一歩近づいていく。それから彼女は大切な友達に向かって微笑んだ。


「貴女はいつだって私を特別扱いしないわ。無礼に接した私に対して決めつけをせず、こちらの手を取ってくれただけでなくていつも真っ直ぐに私を見てくれる」

「無礼…名前のことでしょうか? 確かにあの行動に関しては貴女はマナーに反していましたが、その後でくだらない言葉から私を守ってくれたではありませんか。とても決めつけるような基準にはなりませんでしたもの」

「そういうところなのよね。いつも公平で、自分のルールがはっきりしてるから今も私を“友達”として見てくれる。家名はそこにはなくて、互いに言いたいことを遠慮なく言い合える仲を保ってくれるの」

「“友人”とは…そういうものだと聞いていますもの」

「“友人”と“友達”は違うわ。私にとって貴女は代えのきかない友達だもの」

「…」


 貴族にとって“友人”とは、いや、貴族に限った話ではないのだろう。友人と言える仲の人間が、本当に信用に値するかなど。

 顔見知りよりは会う機会があり、知り合いよりは一歩先の交友関係…“友人”と相手との関係を線引きするのであれば、そんな程度でも案外成り立つのではないだろうか。


 必ずしも深く踏み入った仲になる必要はなく、ある程度共通の話題があり、場合によっては利害関係の上で成り立っていることすらある。

 友人とは、思いの外曖昧でよそよそしい。少なくとも自分の視界で見てきた貴族同士の“友人”とは、利害関係が大きく絡んでいないことのほうが珍しかった。


「でも私、貴女とそんな浅い関係になりたくなかった。そして貴女はその意味を汲んで今も接してくれてる…本当に会ったらなんでもない話をして、お菓子を食べて笑い合う時間に私を連れて行ってくれるの」

「それは私から見ても同じですわ。貴女は私を見上げませんもの」


 ヒルドがリリーナに向かって対等と言う言葉は、リリーナから見ても同じことが言える。これはあながち難しいことだ。

 確かに家の爵位、年齢、これまでの立ち位置…たくさんのことが重なったからこそ生まれる関係ではあるが、リリーナにとってはもう一つ大切なことがある。


 “リリーナを見上げない”ということを、ディードリヒはできないからだ。

 ディードリヒの方が確かに立場は上ではあるが、彼にとってリリーナはいつまでも憧れの対象であり、何が起きてもディードリヒ自身よりリリーナの方が優れている…とディードリヒは確かに考えている。そしてそれは彼の行動の根底に常に存在している…とリリーナは常にそう感じながら生きているのだ。


 だがヒルドは自分をそんな目で見たりはしない。自分たちはあくまで対等な“友達”で、誰よりくだらない話で盛り上がれて、ずっと関係を続けていきたいと心から思える。ディードリヒとの関係とはまた別のベクトルで特別な関係だから。

 それだけ大切な友達が今でもこうしてそばにいることも、リリーナにとっては掛け替えのない宝物。


「そんなことしないわ、リリーナは私と同じだもの。誰かが求めたから応えたのに結果は捨てられただけ…でも傷を舐め合おうなんて思ってない。だから私たちは同じ」

「勿論です。傷を舐めるような時間など、もう私たちには不要ですもの」

「そうでしょう? だからリリーナは特別なの。貴女だけはここに来て欲しいと思ったわ、だって貴女だけは私のことを白い目で見たりしないって思えるから」

「貴女の意思と結果を否定する理由などどこにも存在しませんわ。ここは確かに、貴女の勝ち取った自由ですもの」


 リリーナは言葉にも、瞳にも、どこにも嘘が存在しない。その事実にヒルドはいつも驚かされる。

 これまでの人生で嫌な人間などいくらでもいた。卑しい、醜い仮面を吐き捨てるほど見て、今も脳裏に焼き付いている。だが所詮は良い人間も悪い人間もいるというだけで、きっと貴族だから醜いと言い切ることもできないのだろう。


 だからこそ、ヒルドはリリーナが恵まれているように感じていた。

 いつも話を聞くたびに、彼女の周りにいる人間は強く、正直で、相手を見ることができる人間ばかり。だからこそ、自分がそのなかにいることがヒルドの誇りでもある。


ヒルドの庭の正体は温室でしたね。温室というのは庭園の中の種類の一つですのであえて庭と表現しています

作家はフラワーアーチが好きなので入れてみました。綺麗ですよね、あれ


そしてとうとう距離感バグってる人間シリーズが増えたように思います

まぁヒルドもリリーナも深い中を築ける友達なんて侍女かお互いだけなので、まぁ仕方ないと思わないこともない

何にせよ末長く仲良くしてほしい二人です


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