アポを取り、確実に、自分を売り込むこと(3)
ミイルズはどうしようもない上司である目の前の王太子を横目に見ながら、ほんの小さくつぶやいた。
確かに共に育ってきた時間に対して深い付き合いではないが、まさか女一人でここまで無能になりかけるとは。自分ではまるで想像がつかないし理解も共感もできそうにない。
リリーナが来てからのディードリヒは、ずる賢さに磨きがかかっていると言って過言ではないだろう。
元々詰め込むように仕事をするような人間ではなく、常に余裕を持てる範囲で物事を進める仕事ぶりだが、リリーナが来てからというものその最低ラインはさらに引き下がった。さらに余裕があると抜け出すようになって、いないと思ってリリーナを尋ねるとほとんどの確率でそこにいる。
“最低限はこなしているのだから文句を言われる筋合いはない”と言わんばかりの行動に見えるのは、ミイルズからすると強く鼻についた。
父王の仕事を手伝い、国政について学ぶ傍らで社会情勢に対する独自の視点や農作物の推移に基づく将来性に関する論文を発表していた彼はどこへ行ってしまったのだろうか。リリーナをよく知らないミイルズからすれば、リリーナがディードリヒを誘惑して腑抜けに変えたとしか思えない。
「あぁ、でも、リリーナ…ぐぅ」
「しつこいですね貴方は…」
何をうだうだと尾を引いてるのかミイルズにはわかりたくもないが、それはそれとしてリリーナが自らディードリヒの手伝い…つまり国政に関する物事に関わろうとするとは思っていなかった。
リリーナが何やら王妃ディアナとの関わりで自分の香水店を運営していることは有名で、その事実はミイルズの耳にも入っている。だがそれ以前に必要もなく国政に関わろうとする令嬢など聞いたことがない。
確かにフレーメンには女性領主の存在が見掛けられるが、やはりそういった自立思考の女性たちが古い考えの男性から受ける視線は厳しいもの。その上そういった立場にあるのは力のない爵位の家ばかりで、よく言えば融通が利いているのかもしれないが、悪く言えば女性であろうが継ぐしかないとも取れる。
そのような状況が見て取れる中、上王であるアダラートの代とは世情はまるで違うというのにその妻であるフランチェスカに影響された行動を取ろうなど、反発的な意見を呈する貴族が少ないとは思えない。
ディードリヒの言う通りに脳の回転が早いのならば“でしゃばりすぎだ”と非難されるとわかっているはず。それなのに行動に出るというのは果たして覚悟が決まっているのか頭がいいだけの箱入り娘なのか。
(そもそも王妃であろうが夫人であろうが、女性に求められるのは後継ぎを残せるかだ。国の万が一に予め備えることではない)
女性に多くを求める男は未だ少数派だ。容認はしていても歓迎はしていない、と言ったら正しいだろうか。
さらに言えばうっかり“リリーナの方が有能だ”などと噂が流れでもしたら自分が恥をかくだろうに、ディードリヒは気にしていないようにも見える。
ディードリヒはリリーナを余程信用しているようだが、自分が同じことをできるほど自分は彼女のことを知らない。自分が空気に押されたり言い訳のできない部分を引っ張り出されたとはいえ、なんだかんだリリーナの行動を容認したのはディードリヒの人間不信にだけは信用があるからだ。
だがそれでも、今自分の下した判断が正しかったのかと自問自答に陥る程度には先ゆくものも見えてこない。
「そんなに眉間に皺なんか寄せなくても、効率は上げる。リリーナに失望されるのだけはごめんだからな」
「…お熱いようで。そこまで入れ込まれる他人がおられるとは驚きました。確かに女性貴族の立ち回りとしては一流であると聞き及んでおりますが」
「お前にしては感情的だな。僕がそんな浅い目で彼女を見てると思っているとは」
「…」
揶揄うようなディードリヒの言葉に、ミイルズは少し不機嫌な様子を隠さず視線を逸らす。この感情の露呈が許される程度には、二人で仕事を片付けてきたというのが言外にある二人の共通認識だ。
「恋愛は人間を無能にするそうだが、少なくとも僕はリリーナのわかりやすい部分に惚れ込んだわけではないと言っておく」
「そうですか。その美点とやらを自分が知る必要もなさそうですが」
「当たり前だろ、彼女の美点を理解していていいのは僕だけだ」
ディードリヒの発言にミイルズはまた一つ苛立ち、言葉を失う。同時にディードリヒは独占欲が強い人間なのかとミイルズは学んだ。
人間不信が見て取れるような白々しさで生きてきた人間がここまで他人に執着するなど、嫌な予感しかしない。リリーナとの距離感は意識的に様子を見る必要があるかもしれないと、脳が警告を発している。
「僕はこれでも、お前を失うのは惜しいと思っている。これからもよろしく」
「…」
そう言って笑うディードリヒに、ミイルズは先ほど脳内に出た警告は本物のようだと確信した。
彼の発言から察するに、どうやらリリーナと一定以上の関係だとこの男に思われた場合には自分は公爵家の立場やここまでの積み重ねた仕事の如何に関わらず消されるのだろう。万が一の場合に命があればいいのだが。
伊達に何年もこの男の秘書として仕事はしていないので、いやでも今の発言の本気度に関しては透けて見える。歴史も信用も、リリーナという一人の女性を独占するためならこの王太子は全てあっさりと捨ててしまえるようだ。
(いやはや、これは思ったより恐ろしいな)
リリーナは何かと目立つ女性という印象だが、ここまで何人が消されたのだろうか。ディードリヒの発言の本気度を考えると一人や二人は死んでいてもおかしくはない。
抑圧された人間の感情とは、それほどに恐ろしいのだとミイルズは知っている。
「リリーナはそろそろ帰ってくるだろうし仕事に戻る。去年の納税収支が欲しい、酒税のものだ」
「…かしこまりました」
なんてあからさまな、とミイルズは思う。
“リリーナがそろそろ帰ってくる”上で自分に資料を持ってくるよう頼むなど、厄介払いをしたいと言っているようにしか聞こえない。
ディードリヒの発言にしてはあからさま過ぎるような違和感を感じるが、その程度には自分は邪魔なようだ。酒税の収支をまとめた資料ならすぐに持ってこれるので、早く帰ってこよう。
「急いで持ってきてくれていいぞ」
「それは助かります。今日は山が高いですので」
思考が顔に出ていただろうか、と考えるミイルズに対してディードリヒは思考を読むまでもないと口を開く。
「リリーナは僕を甘やかさない。やるべきことが終わってないと相手もしてくれないから、給湯室から帰ってきたところで本当に紅茶を出したら帰るぞ」
「少し意外だと、口にしても?」
「もう出てるだろ」
ディードリヒは完全に不貞腐れている。リリーナは基本的に有言実行といった行動が多いが、これでもディードリヒは自分が甘やかされていることを理解しているので余計に不服なようだ。
リリーナは、それこそ二人でいるときはすり寄ると顔を赤くして「仕方ない」と言いながら自分が張り付いているのを許容してくれるが、仕事ややるべきであることが絡むと途端にそれが通用しなくなる。
それこそ先ほどのように「何を言っているんだ?」と言わんばかりのまるで理解を示さない視線をこちらに送り、その状態で必要以上に絡もうとすれば無視を決め込まれ、最悪怒らせると三日は口も利いてくれず部屋にも入れてもらえず手を出そうとすればミソラが叩き潰してくる始末。
なのでディードリヒは今や諦め状態で仕事に向かい、リリーナの淹れた紅茶をどれだけの時間をかけて消費するかについて考えていた。
「あぁ、でもそうだな」
「如何しましたか?」
「資料を取りに行くのはリリーナが帰ってきてからにしてくれ。彼女はお前の分も用意しているから」
「どうしておわかりになるのです?」
付き合いが長い故の行動パターンの把握だろうか、と思いつつミイルズは純粋な疑問を口にする。
その疑問に、目の前の男はその瞬間だけは全てを捨てて柔らかく微笑んでいた。
「そういうところが好きだからだよ」
微笑む彼には何の重荷も無く、ただ素直に愛しい相手を思っているのが伝わってくる。彼の微笑みを見たミイルズは、なにか理論で説明できない部分がディードリヒの持つリリーナへの感情を理解したような気がした。
(意外だな。この人、本当にあの人のこと…)
今日ここまでで感じたディードリヒの表す感情は、純粋な愛というよりは歪な独占欲や支配欲に近しいのではないかとミイルズはどこかで感じていたが…あながちそうでもないらしい。
(あんな笑顔は初めてみた…世の中わからないものだ)
なんて、少し驚いたのを内心に留めているとディードリヒは怪訝な表情でこちらを睨みつけてくる。
「なんだその顔は」
「いえ…失礼いたしました」
気に触るような表情をしていたのか、とミイルズは素早く視線を逸らす。考えていることを内心に留めておくことがうまくいかない日だと思いながら、ディードリヒに追求されるかもしれないとやや身構えているとノックの音が部屋に響いた。
「はい、ただいま対応します」
おそらくリリーナが帰ってきたのだろう、正直タイミングがいい。
ミイルズは静かにノックに向かって返事を返すと、流れるようにドアへ向かった。
新キャラが登場しましたね
話の中で記述がある通り彼はディードリヒの秘書をしています
真面目でいい人なんですが、若干人相が悪いので勘違いされがち、そしてディードリヒに振り回される苦労人
何度かディードリヒを探している、という旨が伝わる描写だけ書いたことがある程度なので、まぁ存在したことそのものが初めてといっても過言ではないでしょう
厄介ごとが山積みだが頑張れミイルズ
そして仕事となると途端に私情を叩き捨てるリリーナ様
こっちに関しては安定ですね、ディードリヒくんは本当に何を夢見ているのか作家にも謎です
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