アポを取り、確実に、自分を売り込むこと(2)
「お二人にそうまで言われてしまうと、自分は立場がないのですが…わかりました、では書類の整理からお願いします」
「ありがとう、シュヴァルツヴァルト公爵。書類の整理でしたら得意ですわ、よくお父様の持ち帰った書類を勝手に分けていましたから」
「失礼、聞き間違いでしょうか? ルーベンシュタイン公爵の書類を内密に整理していたと…? 公爵はパンドラの宰相だと聞き及んでおりますが」
「聞き間違いではありません。よく褒めていただきましたわ、初めはミスもありましたがお父様が教えてくださった物事も重なりとても得るものは大きいものでした」
「…」
ミイルズはそこで話を広げるのをやめた。
リリーナが父親の書類に手をつけたのは“何かの役に立つであろう”という程度の感覚であり、それ以上の意図はない。当時のリリーナは経験を積めると判断したものには何にでも手をつけていたので、あくまで父親の仕事を勝手に手伝っていたのもその延長線上にあった物事である。
だが別荘にて上王妃であるフランチェスカから当時の話を聞いた瞬間“自分にもできることがあるのではないか”とリリーナは思い至った。前例があるならばやっておいて損はない。
「よく言ったミイルズ。これで一日一緒だね、リリーナ!」
「? 何を言っているのですか貴方は、そのようなことがあるわけがないでしょう」
「…え?」
リリーナが書類整理に執務室に来るとディードリヒははしゃいでいるが、そのはしゃぎようはリリーナには理解できなかった。なぜならば、
「書類をただ優先順位に従って仕分けする程度の作業に一日もかかるなど滅多にあることではないでしょう。基本的には二時間もあれば終わるでしょうし、私が必要かどうかを判断するのは貴方の仕事を管理しているシュヴァルツヴァルト公爵でしてよ」
「そ、そんな…」
「そもそも話をしながら行うような作業でもないのですから、私は黙々と書類の内容から学ぶべきことを学び、効率的に作業を終えるのみです。貴方の想像しているような甘い場面などありませんわよ」
「…」
淡々と出てくるリリーナの言葉に絶句するディードリヒ。だがリリーナは基本的にディードリヒよりも公私をはっきりと分けているので、仕事として任されている作業中にディードリヒと無駄な話をすることすら滅多にないであろうことなど彼はわかっているはずなのだが、なぜ毎度夢を見ているのだろうか。
「る、ルーベンシュタイン様…」
「何でしょう? シュヴァルツヴァルト公爵」
「そのお言葉、信じてもよろしいのでしょうか…! 雑用のような仕事にそこまで言っていただけるとは思わず、自分めは今少しばかり期待を禁じ得ません」
「そのようなことで嘘をつけるほど器用ではありませんわ。私はディードリヒ様のお手伝いをしにここへ来るのであって、彼の方を甘やかすために来るのではありません」
リリーナの目はいつもと変わらずまっすぐにミイルズへ向いている。その視線にミイルズはリリーナへの評価を見直した方がいいのではないかと考え始めていた。
そう、リリーナがディードリヒを馬鹿にしたのではなくディードリヒが勝手に馬鹿になったのではないかと。
「そのようなお言葉…ありがたく存じます。自分めも誠心誠意お仕えさせていただきます」
「…そんな大袈裟に言わなくても、リリーナがそうするって言ったらそうなるから期待してていいよ…」
一方でディードリヒは悲しみに暮れながら執務机の前に置かれた椅子の上で膝を抱えている。その姿にリリーナは呆れた視線を送るばかりだ。
「本日私にできることはありますか?」
「今日…は、とりあえず終わっています。ルーベンシュタイン様こそこの後ご予定があるのでは?」
「いえ、すぐに動くことができるよう予め予定を空けてから来ていますわ。今後は朝食後の時間を空けておくようにしておきますが、事前にお話があれば午後なども調整します」
「勿体無いほどでございます…助かります。ルーベンシュタイン様におかれましてもご体調やご予定など不都合がございましたら遠慮なくお申し付けください。元来自分の仕事でございますので」
「お気遣いありがとう。こちらこそ助かりますわ」
途方に暮れたディードリヒを置き去りにしたまま進んでいく会話は、その後も事務的は話だけが進んでいく。今後の基本的な行動やすでに決まってしまっている予定などについて二人は一通り話をつけた。
「では今話をした内容でしばらくやってみましょう。私はお茶を淹れに参りますわ」
「お茶淹れてくれるの?」
「やることがないのならばその程度のことはいたします。ですがお邪魔にならないようお茶を届けたら帰りますわ」
「リリーナ…!」
「わかったのでしたらまずは手を動かしてくださいませ。貴方のお仕事が早く終われば、私もその分早く貴方にお会いすることができるのですから」
「…! わかった、お茶待ってるね!」
たかだか自分は紅茶を淹れにいくだけな上、多少恒例のお茶会の時間が早まるだけかもしれないというのに、ディードリヒの気合いの入れようを見ると思わず呆れて小さな笑みと共にため息が溢れる。
「仕方のない方ですわ…シュヴァルツヴァルト公爵、ディードリヒ様が迷惑をかけているのではありませんこと? そうでしたら私がその分作業で返しますわ」
「いえ、そのようなことは…殿下も多少機嫌がいい方が仕事も早くなると思われますので、あまりお気になさらず」
「ありがとう。では一度失礼しますわ」
リリーナは一つ頭を下げると、そう言い残し部屋を去っていった。その姿を見届けてから、静かにしまったドアと同時に執務机から大きなため息が聞こえる。
「はぁぁ…」
「…執務室でいちゃつけないとわかったからといって落ち込まないでください」
「落ち込まないでいられるか。目の前に愛しい彼女がいて何もできないんだぞ」
「ではルーベンシュタイン様には別室でお手伝いいただくのがよろしいですかね。ここで作業していただけると手間が少なくて良かったのですが」
「わかった、大人しく仕事はするから勘弁してくれ…」
「ご理解いただけたようで何よりです」
ミイルズは呆れた様子でディードリヒから視線を逸らす。こんなことでは先が思いやられると目の前の男に言外に見せつけるように。
しかし当の本人に秘書の心境が伝わる様子はない。ディードリヒからすれば今他人の感情に気づいたところで反応するような気分ではないのだ。
それこそ最初はリリーナを執務室のソファに置き、四六時中自分と共にいてもらおと確かに思っていたが、難しいだろうと考えるのも容易い。確かに最初にミイルズに話をした時はダメ元ではあった。
だが、それがほんの少しとはいえ今叶おうとしている。その上でリリーナの能力を考えれば将来性が多いに期待できるのも確実…といった状況とくれば、この機会は絶対に逃したくない。
ミソラから故郷でのリリーナが父親の書類に手をつけているのは聞いていたが、ディードリヒはその様子を知らない。リリーナの実家は隣国の宰相の家、その宰相本人の部屋に写真機を置こうなど、万が一発見されたら冗談では済まない事態になると苦渋を飲んで自重したのだ。
その姿が今、この肉眼に収められるかもしれない。せっかくのチャンスを自分の一時的な感情で潰してしまうなど元の木阿弥である。
「はぁ…どうしてこんなことになったのか」
ミイルズはどうしようもない上司である目の前の王太子を横目に見ながら、ほんの小さくつぶやいた。
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