とにかく主導権が握れない(3)
「次はヒルドですわよ! 言い出したのは貴女なのですから」
「勿論よ。私はすごく道に迷いやすいの、目的地に向かっているつもりで歩き出すといつも関係ない場所にいるのよね」
「貴女が待ち合わせに遅れたところは見たことがありませんが…」
「普段はシエルがついていてくれるもの。あの子は道を覚えるのが早いから」
シエルというのはヒルドについている侍女の一人である。ヒルドの幼馴染でもあり、普段彼女に付き添っている三人の侍女の中でも一番長く付き合いがあり、ヒルドにとっては欠かせない存在の一人だ。
「でも私一人で動いているとお手洗いに行こうとして庭やエントランスに出てしまうのはよくあることだわ」
「度々お手洗い一つに侍女がついていくことを不思議には思っていましたが、そういうことでしたのね…」
「右と左を間違えやすいのよね。実家では流石にそんなことはないのだけど」
「二階のフロアのお手洗いに行こうとして庭に出たとしたら随分不思議でなくて…?」
ヒルドの迷子癖のメカニズムがどうなっているのか、リリーナがすぐ理解することは難しいのでは、とミソラは思いつつ口を噤む。
おそらくヒルドは右と左の識別を瞬間的に出来ないのではないだろうか。地図を持っていたとしたら、自分が今どの方向を向いているのかうまく把握できず地図本体を回しながら道を考える人間なのだろう。
ミソラはそういった問題を抱えながら生きる知り合いを持っているゆえに言えることだが、そういった人間は自分から見た相手の右腕が、相手からしたら左腕であるということを間違えやすい。それ故にたとえ行き道はすんなり行けたとしても、左右が逆になる帰り道は全く違うところに行ってしまう、というのもよくある話だ。
だがそういった感覚はやはり少数派であることに変わりはなく、リリーナは地図を覚えて行動できる人間なのでそれができない人間の感覚に共感することは難しいだろう。
「シエルがいてくれるから大丈夫よ」
心配を隠さないリリーナに向かってヒルドは笑いながら呑気な言葉を返す。自らの欠点をまるで気にかけていないヒルドの様子にリリーナはますます不安を感じ、話題に出ているだけでこの場にはいない彼女の侍女に少しばかり同情した。ヒルドはもしシエルのいない状態でどこかに逃げなくては行けなくなった場合どうするのだろうかと、友人としては不安でならない。
「さて、私の話は終わり。シュピーゲル伯爵令嬢はどんなうっかりがあるの?」
「もう私の番なんですの!?」
すっかり話を聴く側に回っていたイドナは、ヒルドからの不意打ちのような話題振りにやや慌てるも、一つ深呼吸をして気持ちを落ち着けてから再び口を開く。
「私はうっかりばかり重ねていますわ。何もない場所で転けたり、忘れ物もよくしますし…」
「なら、うっかりお菓子を食べ過ぎる時とかありません?」
「あ、ありますわ! お父様が時折買ってきてくださる焼き菓子がとても美味しくて…!」
「私もなんですよ。ついこの間もお菓子屋さんで季節限定品が美味しそうで全種類買って食べちゃったり…」
少し自信なさげな様子で話をするイドナに、すかさず、そして自然にファリカが助けの手を入れる。ここまで話の主導権はなぜかヒルドが握っているが、緊張感の強い空気にならないのはファリカが潤滑剤として場を潤している故だろう。
イドナは緊張からかリリーナと二人で話している時よりも口数は少なく聞き手に回っているように見えたが、同じ爵位の家であるファリカ相手には少し緊張感が薄いようだ。盛り上がる二人の会話の中で、イドナの過度な緊張が少しずつほぐれていくのをヒルドは見ていて感じている。
「これで少しは空気が柔らかくなったかしら?」
「そのために私をダシにしたと言うんですの…?」
「それは偶然だわ。みんなリリーナのことが知りたいのは本当だもの、私も例に漏れないし」
「なら二人きりの時でもよかったではありませんか」
「そんなことないわよ、聞けてよかったわよね? シュピーゲル伯爵令嬢」
同意を求めるようにヒルドはイドナに視線を向け、イドナはそれに大きく縦に首を振って応える。
「勿論ですわっ。リリーナ様は勿論のこと、今ままでどこか近寄りがたかった皆様をこんなに身近に感じることなどそうありませんもの!」
「ほらね?」
「…」
狙い通りと言わんばかりのイドナの返事にヒルドは得意げな笑みを見せてくるが、リリーナとしては不服極まりない。
「そんなに拗ねないで、忘れ物しちゃうようなうっかりな貴女も好きよ」
「好きかどうかの問題ではありませんわ」
宥めるような声音でヒルドはリリーナに声をかけるが、リリーナは完全に拗ねてしまっている。
そもそも、自分が主催で開いているお茶会だというのに自分に全く主導権がないのはどういうことなのか。
ヒルドがイドナに気を遣って彼女の緊張をほぐそうと動いてくれたのはありがたいが、その代償のように話のダシにされた自分の心境についても少し考えてほしい。
「リリーナ様って外だとすごい人みたいに扱われがちですけど、結構可愛いところも多いですし印象変わっていいと思いますけどね? ミソラさんもそう思いません?」
「同意です。この場の共通的な話題となると必然的にリリーナ様に白羽の矢が立つものですし、親しみやすい印象は今後に生かされるかと」
「私も貴重なお話が聞けて嬉しいですわっ! リリーナ様の可愛らしい一面も素敵ですもの!」
肯定的な意見の多さに頭を抱えるリリーナ。確かに身内の集まり故に気兼ねなくとはいきたいものだが、現状は気兼ねなくなどという気軽な言葉で済むような空気ではないような。
「でも殿下はどこまでリリーナの可愛いところを知っているの?」
「知りませんわ。彼の方の前でそのようなミスは犯しませんもの」
とは言いつつ、ディードリヒはリリーナの情報の中でもおおよそ八割は把握しているのだろうと、リリーナ本人が内心でため息をつく。勿論隠しきれていると思われる情報もあるにはあるが、それは自分の心の内に秘めている感情や思考程度のものなのではないだろうか。
少なくとも、他人が見ることのできる範囲のことで彼が知らない情報はないだろう。自分としては特に寝起きの自分など知られたくなかったのだが、どうしてこんなことになってしまったのだろうか。
だがイドナはディードリヒの真相を知らないので話題としてはそっと伏せる。空気を読んでくれたのかミソラとファリカも一度閉口したが、リリーナとしてはイドナがディードリヒの真相を知るようなことがないよう祈るばかりだ。
「本当? 夜会の最中にお手洗いに行こうとして迷子になったらいつの間にか解散になってた私みたいなことはしてない?」
「流石にそこまで大きなミスは…と言いたいところですが、その話を聞くと私よりも貴女の家のことが心配になるのですけれど。そのような調子で相手が見つかりますの?」
「あの時はお手洗いくらい行けると思ったんだもの。それに相手は見つかる気配もないわ、いい男がいないのよ」
リリーナの尽きない心配に対して、つまらなそうに紅茶に口をつけるヒルド。彼女は今、積極的に舞踏会や夜会など異性との出会いを見つける場所に駆り出されている。ヒルドはリリーナがディードリヒと結ばれた関係で結果的にフリーな立場になり、今は実家から婿養子に相応しい人間を見つけてくるよう言い付けられているためだ。
ヒルドのいるオイレンブルグ家は当初ヒルドがディードリヒと結ばれる前提で行動をしていたため、それが叶った暁には遠縁の子供を据えて領主として育てようと考えていた。
しかしその願いは叶わず、ヒルドは宙に浮いたまま放置されてしまったので“それならば家に貢献してほしい”と言われているのが現状である。
両親としては婿入りした人間でもヒルド本人でもいいので家を継いでくれれば、と思っているようだが、ヒルドは勉学に長け経済学や法務、人権などにも興味を持ち学んでいる。そう考えれば、相手の人間が余程優秀な人物でもない限り彼女がオイレンブルグの爵位を継承するのが妥当であろう。
男性である婿養子となった人間が当主となり現オイレンブルグ当主であるキーガンの役職である貴族議会の議長を継承すれば、確かに不用意な反発は避けられるかもしれないが、少なくともそのキーガンにこだわりはないようだ。
「でも結婚に関する話をし始めたらリリーナもじゃない。いつになったら式を挙げるの?」
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