とにかく主導権が握れない(1)
麗らかな春の兆しを見せる空間で始まった、リリーナ主催のお茶会では、最初に挨拶から始まった。この場の全員と顔を合わせたことがあるわけではないイドナが初めに挨拶をして、それに応える形でファリカ、ミソラ、ヒルドの順で爵位に従い彼女に名を名乗る。
挨拶を終えたイドナが席に着くと、最初に始まったのは当たり障りのない世間話であった。それこそ新聞を読めばわかるような話題や、首都で最近話題になっている店の話。その中であえて聞き手に回っているミソラはこの場で本来そぐわない存在に思われかねないが、彼女にも書類上の爵位は存在する。
あくまで影としての身分を偽り表向きに行動しやすくするためのものに過ぎないが、領地を持たない伯爵位を彼女の父親が持ち合わせているため、書類上ではミソラも伯爵令嬢ということ。しかしミソラが身近としている範囲でそれを知るのはディードリヒとリリーナ、そしてあまりにもリリーナに近い場所にいるファリカのみ。
それ以外で彼女が仮初の立ち位置を持ち影として活動しているのを知っているのは影の同胞と家族、それから仕えている王族の人間だけ。なので一見彼女は目立たない伯爵令嬢であることに変わりはない。
それゆえリリーナの侍女として彼女のそばにいるミソラがこの場にいるのは決しておかしいことではないのだが、それでもリリーナから見ると侍女としてというよりかは護衛としての立ち位置を意識してミソラは常に側にいるような気がしている。
侍女らしい、と言うとやや語弊があるが円滑なコミュニケーションや貴族らしい振る舞いをファリカに任せることでミソラは本来の役割に戻ったような、そんな感覚がするのだ。
この様子は案外パンドラでもリリーナは見たことがない。ディードリヒの指示によりリリーナの動向や成長を常に記録する、という立ち位置にいた以上正体がバレるわけにもいかなかった故だろうが、以前の彼女はもう少し淑女らしい立ち居振る舞いを意識的に行っていたとリリーナは記憶している。
だがこちらに来てからの彼女は今までより更に静かな様子で佇むのみだ。硬い印象はないが、意図的に気配を消しているように見える。それこそが本来の彼女なのだと思うとそれはそれでリリーナにとっては新鮮に映った。以前は自分を支える立場として頼りにしていたが、こうして見ると自分が気づいていなかっただけで警護的な部分でも頼り甲斐のある存在に見える。
世間話に返す傍でそんなことを考えていたら、次なる共通の話題としてヒルドがリリーナに白羽の矢を立てた。
「そういえば、私とファリカさんは王妃様主催のお茶会でリリーナと出会ったのよね」
「そうですね、初対面からとても興味深い方でした」
「わかるわ、リリーナってば挨拶一つから見せつけてくるんだもの」
「見せつけるとはなんですか、貴女も私に劣らないと言いますのに」
「私にじゃないわ、あの時お馬鹿なことをしたご令嬢たちによ」
その言葉をきっかけに当時の思い出話が少しばかり盛り上がる。ファリカが話したリリーナの図書館での様子にミソラがリリーナの側にいた人間として言葉を返し、当時をおおまかに振り返った。
二人の侍女の会話を聞きながら目を輝かせるイドナを見て、ヒルドが一言彼女に問いかける。
「シュピーゲル伯爵令嬢はいつリリーナのことを知ったの?」
自分に話が振られると思っていなかったのか、ヒルドの質問に少しばかり驚くような表情を見せたイドナ。だがそのすぐ後で、彼女は少し照れた様子で口を開く。
「あれは…昨年に開かれた舞踏会でのことでしたわ。まだリリーナ様はこちらにいらしたばかりで、この土地に馴染みがあったわけではないと思うのです。ですが…」
思い出を振り返るように穏やかな表情で話し始めたイドナは、段々と瞳を輝かせる。やがてイドナは恍惚とした瞳で衝撃を思い返した。
「あの時のリリーナ様は、思わず息を呑むほどお美しくあられました。殿下のお召し物に合わせた色味の青いドレスで現れたリリーナ様は、まるで絵画の中に描かれる理想的な女性のようでしたわ」
言葉を口にするその中でも、イドナの脳内にはその衝撃的な光景が映し出されている。シャンデリアの輝きに引けを取らないリリーナの立ち姿は、まるでこの世のものではないように、あの時のイドナは感じていた。
「私はこれまで、自分の大好きな可愛いものが一番素敵なものだと思っていましたの。ですがあの時見たリリーナ様は確かに“美しい”と感じて、強く私の心に刻まれましたわ。今でもあの光景は忘れることができません」
城に造られた大きなパーティホールにできた人だかりの中からたまたま自分はその姿を遠目に見ただけだったのに、とイドナはいまだに思う。
そもそもあの時のパーティは自分は全く乗り気ではなくて、友人の付き添いで顔を出しただけだった。だからこそ、あの衝撃は退屈さの反動のように自分の心を奪い去って。
輝く宝石のように眩い光を放つ彼女から目が離せなかった。自分の世界で満足していたような小さい自分とは全く違う、自分の周りにいる世界を真っ直ぐと見つめるあの金の瞳が今も心に焼き付いている。
「目を奪われた、そう言って過言でない心境でしたわ。私、可愛いというものは直感的に判断できても、美しいという言葉の基準は曖昧でしたの。ですがリリーナ様を見た瞬間、私は確かに“美しい”と感じましたわ。まるで運命のような心地でした」
連なった一連の言葉を聞いた全員が、“まるで告白でもしているかのようだ”と感じるほど、その言葉には艶やかな感情と情熱的な温度を感じた。
それはまるで恋愛小説の一幕のようで、とても容易に言うことなどできない熱の籠った言葉の数々に総員揃って少し驚いている。そう、普段平坦にものを返すミソラでさえも。
「それ以来、リリーナ様を追いかけさせていただいていますわ。私ではとてもお隣に立つことなどできませんが、今日このような機会を頂けただけでも夢心地なのです」
最後にそう締め括ったイドナは、花が咲いたような温かな笑顔を見せた。その言葉に驚きと感謝を感じる一方で、リリーナの脳裏には嫌な直感が浮かんでいる。
あくまで直感故に断言することはできないが、イドナとディードリヒが直接顔を合わせるような機会を作ってはいけないだろう、とリリーナは思った。
ディードリヒのことなのでイドナがリリーナに近づいても危険がないかどうかは調べさせているに違いない。だがイドナがどういった感情を持ってリリーナを慕っているかまでを計算に入れて行動しているとも限らない…もし、イドナがどういった感情を抱えてリリーナに近づいたかがディードリヒに知れた場合、否が応でも面倒なことになるのは明白だ。
ディードリヒの屈折した愛情が、熱心に自分を慕ってくれている人間を気にいるとはとてもリリーナには思えない。警戒して、最悪敵対することになるのが関の山だ。
彼も子供ではないので公の場で騒いだりはしない…と信じたいが、話を聞く限りイドナも一目惚れのような状況に近いのがわかる。その上で自分の感じ方が間違っていなければディードリヒに似た崇拝の気配が確かにあるのだ。
直接顔を合わせて諍いにでも発展したら、などと考えるだけで頭が痛くなる。
同時に純粋な感謝の気持ちもあるのが、イドナとディードリヒを会わせたくない思いを加速させていく。
故郷であろうがフレーメンであろうがおべっかを使う人間はやはりどこにでもいる。嘘と本音をどちらも使うのが商人や貴族というもの。故にその真偽を見分け自分が有利に立ち回るようにするのは基礎的な話術の一つだ。
だからこそ、イドナの言葉には何一つ嘘偽りがないとわかる。卑しい下心ではなく、本心から自分を慕ってくれていることや素直で純粋な感情を向けてもらえるというのはやはり嬉しい。
「随分熱烈な言葉ね。ここにいる誰よりもリリーナが好きだったりして」
「もしそうであればそれは誇らしく嬉しいことですわっ。私は皆様のようにリリーナ様と親交が深いわけではありませんもの、リリーナ様を好きな思いは人一倍でいたいと思っていますわ!」
ヒルドの言葉は少し棘のある、皮肉のようにも聞こえた。だがイドナがそれを気にする様子は一切なく、果たして天然なのかそれとも精神面の強さがあるのかどちらなのだろう…とリリーナは考える。
「でもリリーナを好きな気持ちは私たちも負けてないわ。そうよね? ファリカさん」
「え!? えぇっとそれは、なんていうか…勿論私もリリーナ様のことは好きですが、それは人としての尊敬とかそういう感じで」
急に話を振られ慌てて言葉を返すファリカ。今の話の流れではリリーナを慕う感情の形がどういったものなのか形容し難いものになってしまっている、と感じたファリカは混乱しつつも誤解のない発言を…と意識してヒルドの質問に言葉を返す。
しかしヒルドは慌てるファリカを見てくすくすと楽しげに笑っていた。
「ふふ、当然じゃない。恋をしてしまったら殿下に睨まれてしまうもの。でもファリカさんのそういう素直なところがとても好きだわ」
「!!」
ヒルドの言葉にはっと何かに気づいたファリカは若干顔を赤くしつつ驚きを隠せないと言わんばかりに目を見開いている。揶揄われていたのか、と気づいた時にはもう遅い。
「ヒルド、私の侍女で遊ばないでくださいませ」
楽しげなヒルドに、リリーナが静かに釘を刺す。しかしヒルドは楽しげに言葉を返した。
「ファリカさんなら何度かお話ししてるから、冗談を許してくれると思ったの。ごめんなさいね、ファリカさん」
「い、いえ…」
反省していないわけではないようだが、かといって揶揄ったファリカの反応をまだ少し楽しんでいるように見えるヒルドに、ファリカは複雑な感情の混ざった表情で返す。今自分は身分の差を考えてなんでもないように返すべきなのか、それとも困った感情を素直に表していいのか…判別が難しい。
「貴女がリリーナを気に入って今の立場にいるのは私の目から見てもわかるわ。それに…オダ伯爵令嬢も、そうよね?」
ちらり、とヒルドはミソラに視線を送る。
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