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夢か現か幻か(2)


「あぁだのこうだの言ったところで…貴方はただ、自分の行いに責任を取りたくないだけではなくて?」

「!」

「“深淵を覗く時、深淵もまたお前を見ている”…そんなことが書かれている本がありましたわね。貴方は私に貴方の深淵を見せ、同時に私の深淵を受け入れたのです」

「…」

「私からすれば、貴方の愛しかたなど些事に過ぎません。私がそこまで『愛する』と言ったのですから、責任はきっちりとっていただきますわ」


 完全に予想外だったのかリリーナに押し倒され困惑しているディードリヒ。

 心臓が高鳴る彼の頬は少し赤く、うまく言葉も出せないまま彼女をじっと見つめていたが、少しの沈黙の後でなんとか言葉を捻り出した。


「責任ったって…結婚は絶対するよ?」

「あら、前提条件程度はわかっているではありませんか」

「それが前提条件ときたか…じゃあどうしようか、ここで一緒に死ぬ?」

「馬鹿ですか貴方は」


 リリーナはディードリヒの軽口を嗜めると、“うるさい口は塞いでしまおう”と言わんばかりにキスを落とす。驚いたディードリヒが静かになったのを確認してそっと離れると、彼女の強い瞳が彼の揺れる瞳に映り込んだ。


「簡単なことですわ、現実を直視なさい」


 リリーナの真っ直ぐと強い、金の輝きを放つその瞳はいつだってディードリヒを捉えて離すことはない。どころか彼はその瞳に捉えられることに至上の喜びと興奮を覚えている。

 その彼女の瞳が、確かに自分を見ていることに彼は息を呑んだ。


「私が愛しているのは、私が唯一受け入れるのは、私を満たすことができるのは…ディードリヒ・シュタイト・フレーメン、貴方一人であるという都合のいい現実を受け入れなさい」

「またそんな…いつ眠ったんだろ」


 彼女の言葉はこちらを誘惑する甘言にしか聴こえない。そんなことを言われたら、目の前の彼女が本物かどうかでさえわからなくなってしまいそうだ。

 そんなに都合のいいことなんて起こりうるはずがない。自分が行ったことの代償が、幸せで償えるはずがないのだから。


「貴方が私に『信じろ』と言ったように、私も貴方に信じて欲しい物ですわね。何度愛を伝えたら貴方は今を信じてくださるのでしょう?」

「君が僕を愛してくれてるのは信じてるよ。でもその範囲っていうかさ…ちょっとリリーナは僕のこと受け入れすぎじゃない?」

「それは、仮にも永く共にいようと決めた相手に言うことではないのではなくて? 私にも受け入れることのできないことはございますし、大袈裟ではないかしら?」


 リリーナの表情は“まるで理解できない”とでも言いたげだが、ディードリヒとしてはリリーナの今の態度が理解できそうにない。


「受け入れられないことね…例えば?」

「“部屋から出てはいけない”は勿論そうですわね」

「…そういう問題じゃないかなぁ」


 苦笑いを返すことしかできないディードリヒ。今や彼からすれば、リリーナが拒否した範囲など“その程度”でしかない。

 彼女が大人しくしていられるような人間でないことなどとっくにわかっているし、あの屋敷で最初に部屋から出したのは自分なのだから。

 “休んでほしい”というのは、勿論それとは別だが。


「では、本当に今が夢でよろしいんですの?」

「…どういうこと?」


 ふと、リリーナの言った言葉にディードリヒは眉を顰める。だが彼女は冷たく淡々と続きを述べた。


「いつでも終わりにできますわよ。私が死のうが、ここを去ろうが…いくらでも。逃げられなかったところで昏睡程度は隙があるかもしれませんわね、貴方の欲しがっている“綺麗な死体”にはなりませんが」

「また君はそういう…!」


 ディードリヒは怒りに顔を歪める。

 リリーナがまとめていた手をあっさりと振り払い、自分の上に跨るリリーナの腰を掴んで逃げられないよう固定した。


「私が愛しいと言うのならば、“都合のいい現実”を維持する程度の気概を見せてくださいませ。貴方がそうやって逃げている限り、私は一人幻を見ているのと変わりありませんわ」


 リリーナの言葉に、ディードリヒは不安で瞳を翳らせる。その姿さえ、彼女は真っ直ぐに見ていた。


「…本当に“僕”が好き?」

「えぇ、愛していますわ」

「どこがいいの、僕なんて」


 何が彼をここまで卑屈にさせるのだろうと、リリーナは考える。今すぐ何もそれらしき要因が思いつかないことはないが、それも憶測でしかない。

 だがやはり、ディードリヒはそんなことを思う必要のない人間だと彼女は思う。もしかしたら、この卑屈さが彼の陰湿な行動の原因の一つかもしれない。

 どちらにせよ、自分が言えることなど一つしかないのだが。


「そうですわね…言葉にできるものでもありませんが、強いて言うならば貴方の愛そのものでしょうか」

「また抽象的だね」

「恋愛小説さながらの綺麗な愛などそう簡単に得られませんわ。それが信用に足るという証拠も。ですが貴方はただの支配欲ではなく“私”を愛してくださっているのだとわかりますもの。それ以上の答えが必要かしら?」


 リリーナの言葉も態度も、堂々たるものだ。

 普段の、強く真っ直ぐで、背筋の正しい彼女そのもの。

 彼女がディードリヒに見せたいと確かに言った、強いリリーナ・ルーベンシュタイン。


「そ、それに、ですね…」


 だがそこから、彼女は急に顔を赤らめ始める。ディードリヒが不思議にそれを見ていると、リリーナは視線を逸らし指先をもじもじと動かしながら小さな声で言った。


「そもそも、いつもの綺麗な瞳も好きなんですのよ? どちらの瞳も見つめられれば胸が高鳴って動けなくなってしまうのは変わりませんし…愛の形は本当に関係ないと言いますか、いつでも私を愛してくださるのが嬉しいのであって、決しておかしなところだけが好きなわけでは…」


 急にしおらしくなってしまったリリーナだが、彼女のことなので恥ずかしさのあまり本来言うつもりのなかったことまで言っているに違いない。

 それだけ言葉を並べる割には慣れた様子のない、いつもの彼女を見たディードリヒは、


「っはははは!」


 “これは参った”と言わんばかりに片手で目元を隠し大きく笑う。そのまま笑う彼の姿に驚いたリリーナを抱きしめて起き上がると、少し苦笑いに表情を変えて一つため息をついた。


「はー…参ったな。リリーナはそんなに僕が好きなの?」

「えぇ勿論。貴方も私を愛していますでしょう?」


 そう言って笑うリリーナは、先ほどと違い得意げである。まだ少しばかり頬が赤いが。

 本当に、この間の気落ちした彼女はどこへ行ってしまったのかと…彼女の得意げな表情を見たディードリヒは小さく笑った。そのまま彼は力無く笑いながらまた一つため息をつき、彼女を抱きしめたままその肩に顔を埋める。


「あー…これは、重たい責任だなぁ」


 この現実は本当に重たい。どう考えても夢であった方が楽だっただろう。

 自分の行いによって生まれた都合のいい現実に支払う代償は、目の前の愛しい人の幸せを少しでも永く継続させることに違いない。

 この代償を支払うことのなんと難しいことか。彼女を落胆させたくない、失望してほしくない、一生幸せでいてほしい。


 もう戻れないのだろう、いや最初から戻れなかったのだ。夢は現実になってしまったのだから。

 女神は確かに人に堕ちて、自分の隣で笑っている。そして二度と天に戻れないように地面へ縛り付けるその鎖を、嬉しいと確かに言う。


 これこそ、自分が行ったことだ。今までのこそこそと行っていたことよりも、こちらのほうが余程代償を払わなければいけないらしい。

 だが女神を人に堕とすとはそういうことなのだろうと思うのには容易く、自分の中ではっきりと納得できてしまうのであれば、もう腹を括るしかない。


「でもまだなんか、変な感じ…僕はずっとリリーナを追いかけていくものだと思ってたのに」

「何を言っていますの? 私は初めから“隣に立て”と言っているではありませんか」

「そうだったね…期待されてるなぁ、僕」

「今更それを仰ると?」

「いいや、その言葉の重みを実感してるところ」


 また一つため息が出る。

 我ながら浮かれている自覚は勿論あったが、もう浮かれてもいられない。その事実に心から嫌気がする。


「やだなぁ…リリーナと二人きりで田舎に小さな家を建てて一生を過ごしたいなぁ…」

「現実逃避はやめてくださいませ…」

「リリーナを手錠で繋いで二人だけの部屋で一日いちゃいちゃして過ごすんだ…」

「どうして私は繋がれているんですの…?」


 怪訝な表情をするリリーナに、ディードリヒはにこりと笑う。


「それは勿論…あぁまぁ…うん。その時になれば、ね?」

「嫌な予感しかしませんので今すぐ部屋を出ても構いませんこと?」

「だめ」

「…」


 退室を拒否されディードリヒを強く睨みつけるリリーナ。自分から不信感を煽っておいて逃さないとはなんともわがままだ。


「まぁ、冗談は置いといて」

「冗談? 嘘おっしゃい、本音でしょう」

「あはは、どっちにしろ一回置いとこうよ」

「…」


 嘘とも本当とも結局言わないままただ笑顔を返すディードリヒに、リリーナは眉間の皺を深める。

 絶対に先ほどの手錠がなんだと言う発言は本心からの欲望に違いない。


「まぁ、僕はリリーナみたいに強くはなれないかもしれないけど…リリーナが本当に僕のこと好きなんだってまた一つ確証が増えたから記念日のデートとしては最高だったな」

「そういった日に問題が起きていることがそもそも…という話ではありませんこと?」

「あはは、どっかで平和な年も来るよ。次はプロポーズ記念日だね」

「感謝祭の日ではありませんか、イベントだらけになってしまいますわ」

「そうだよね、二人で過ごすしかないよね」

「話を聞いていまして?」


 お祝いをしよう、と言うにはあまりにも忙しない日になってしまったが、本当に良かったのだろうか?

 何を言ったところで時間は巻き戻らないので仕方がないと言えばそうなのだが…かといって何も考えないというのは少しもやが残る。


 今後こういった騒ぎを起こさないようにするにはどうしたらいいか、については勿論考えなくてはいけないとして、何より今のリリーナとしてはディードリヒの方が問題かもしれない。

 目の前のご機嫌な彼が、いつ自分を膝の上から解放してくれるか…想像もつかないからだ。


人間あまりにも都合のいいことが起こると、その後嫌なことがあった時にどこかで言い訳がつくと思うのですが、そうならなかったら今度は責任が発生するわけなんですよね

幸せを維持するというのも、運だけではないという面倒くささ…人間って生きるだけでいっぱいいっぱいだよ

そしてディードリヒくんはとうとうその責任から逃げられなくなっている、というお話でした


リリーナ様は基本的にプラスだろうがマイナスだろうが覚悟は決まってる女なので自分が後ろ向きだった少し前のお話だともう捨てられる前提で話をしていましたが、ディードリヒくんはヘタレなので目の前のいいことからすら逃げようとしているという根性のなさ。だがまぁリリーナ様があまりにもディードリヒくんの全部を愛してしまっているので、夢かな?って疑う気持ちはわかる


結局ディードリヒくんに必要なのは現実を認めた上で、おじいちゃんに向かって啖呵切ったことを貫き通せるのかなので頑張ってほしいですね


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