初めてなのに既視感(2)
「…私は貴方が羨ましいわ」
「嫌味か? それは」
辺鄙な土地の汚い古屋の中で柱に繋がれて、憐れな自分を見て“羨ましい”などと、男爵からすれば嫌味にしか聞こえない。
「いいえ、本当に羨ましいのよ。他人の顔がわかる貴方が」
「…どういうことだ、それは」
「私の周りに、私を見てる人はいない。欲しいのは才能だけ…そんなので、周りの人間がどれも違うように見えると思う?」
「…」
主人公の言葉は自虐的だ。その荒んだ目に、男爵は何も返すことができない。
「でも貴方はきっと違う。貴方は誰かに大切にされていて、貴方は確かに“貴方”だもの。それは素晴らしいことだわ」
男爵は静かに俯いた。力をなくしていく主人公にかけることばが見つからない。
「でも、私にもやっといいことがあったのよ」
「…なんだ?」
「貴方がずっとここまで私を追いかけて来てくれたこと」
「それは…何を言っているんだ?」
男爵は主人公から一歩退く。力の均衡では明らかにこちらの方が上だというのに、この恐怖感はなんだというのか。
「正直、貴方から向けられる感情なんてなんでもよかった。ただ私を、“私”を見てくれているってわかることが嬉しかったから」
「馬鹿なのか貴女は…何度死にかけたかわからないというのに」
「でも私はこうして生きてるわ、それが答えよ」
舞台から聞こえるセリフの一つ一つに考えさせるものがある。
今度は主人公の言葉に感情移入してしまったからだ。
薄っぺらい尊敬や褒め言葉、愛という名の欺瞞を押し付けられるくらいならば、恨み嫉みであろうが自分を見てもらえる方がいいと考えてしまう。それが強欲だと言われようとも。
リリーナはふと、ディードリヒに視線を向けた。
かれは特に感情的になることもなく、ただ静かに舞台を見つめている。こういった場所ではいつも変わらない、いつもの彼の姿。
自分もそういった態度で芸術に向き合うのは変わらない。だが今日は彼が何を考えてこの劇を見ているのかが気になった。
「私ね…貴方が好きよ」
「!?」
「貴方が私を見てくれることに確かな喜びを感じるもの、方法が間違っていたとしてもね。貴方はどう?」
「俺は…」
男爵は驚きのあまり言い淀む。
それから一拍間を置いて、ふらつくように一歩踏み出した。
「俺は、もう自分の感情がわからない」
「わからないの?」
「貴女は確かに素敵な女性だ、俺から見ても…。それでも、この汚泥のような感情が消えたわけじゃない。これは…愛じゃない」
苦痛と苦悩に苛まれる男爵の声が響く。
その迫真の演技は、確かにこの台詞に重みを持たせた。
「本当にそうかしら、愛の形に決まりはないもの」
「これは、愛なんて綺麗なものじゃない。貴女を傷つけるだけの執着だ」
主人公の言葉に一歩、また一歩と男爵は揺らいでいく。見ないようにしていた何かが皆見え始めているのだろうか。
「なら、私でなくてもよかったの?」
「どういうことだ?」
「私でなくても、才能を持ってる人なんてごまんといるもの。それでも貴方は私を選んだ、違う?」
「それは…」
男爵はまた押し黙る。答えを待つ主人公に対して当てつけるように男爵は口を開いた。
「俺はただ…貴女を傷つけたかっただけだ。貴女は眩しいから、その輝きを引き摺り下ろしたら自分の惨めさが癒されると思って」
「貴方が思うような女ではないわよ。自分勝手でわがままで…貴方以外は全部同じに見える」
主人公の声は相変わらず自虐的で、寂しさが垣間見えている。唯一自分が認識できるのは相手だけなのだと、男爵に縋るように。
ラストシーンに向かっている今は、もはや二人の会話劇だ。主人公は縛られたままで、男爵は安定しない精神を表すようにふらふらと安定せず立っている。
だがこれが役者の力なのだろうか、多くの観客たちは派手な動きのないその芝居に見入っていた。次に何がくるのかと皆が期待している。
「…確かにそうだな、もう認めざるを得ない。俺は貴女を求めている、こんな人殺しまがいを好きだという…憎き貴女が」
「…それを愛だと言って、男爵」
焦がれるような主人公の声に男爵は答えない。
沈黙に視線を落とす主人公は、何かを諦めているようにも見えた。
そんな彼女に視線を送りながら、男爵は彼女の前に立ち脚を屈める。
「…俺には、これを愛などととは言えない」
男爵は一つ、そう言い切った。その言葉に主人公は「…そう」と一つだけ返してまた沈黙へと帰っていく。
だが男爵は、不意に懐からナイフを取り出した。そのナイフで彼女を縛り付けていた縄を切り裂いて解放する。
驚いて視線を上げる主人公に向かって男爵はまっすぐに視線を送り、見つめ合うような距離で口を開いた。
「だが貴女がこの感情を“愛”だと言ってくれるのならば、貴女がこんな俺を愛してくれるなら…俺は貴女を信じよう」
その言葉と共に、男爵は壊れ物に触れるような手つきで主人公を抱きしめた。
優しい抱擁にしっかりと抱きついて応える主人公。そして舞台は二人の幸せで幕を閉じた。
会場は温かな拍手に包まれ、閉じた幕の袖から役者が一人一人現れては頭を下げる。役者たちが再び舞台袖に戻ると、客席の照明が再び灯った。
次々と立ち上がる観客たちに飲み込まれないよう、ディードリヒが先導してリリーナを連れ劇場を離れる。
夕食はレストランを予約してあると聞いているので、移動するために馬車に乗り込んだ。
馬車の中でディードリヒにふと視線を送ると、彼は何か思うところがあるような顔をしている。その姿に自分もまた、あの舞台の最後を思い出していた。
あの舞台の最後に主人公は男爵に向かって「ありがとう」と感謝の言葉を述べ、その言葉に男爵は意図が読み取れなかったのか困惑する。
だが主人公はそんな彼の目を見て微笑み、「私を見つけてくれてありがとう」と言った。その言葉が、あの舞台の最後。
いつかの自分のようだ、そうリリーナは感じる。
自分を最初に見つけたのは確かに彼で、その道は闇に通じていた。それでも、彼が自分をここまで追いかけて来てくれたことに変わりはない。
闇など所詮一側面でしかないのだ、リリーナはそう感じている。
もう自分は孤独を知ってしまった。でも貴方がいる限り、私がもうあそこに戻ることもない。
(ありがとうございます、ディードリヒ様…)
観劇デートでしたね。私自身書いたのは初めてだと思います
現代ものだったら遊園地でもよかったのですが、この時代だと遊園地も動物園も移動式がメインだったと聞いたことがあったので、流石にそれは安全面考えるなぁと思いやめました。毎度移動するたびに組み立てて解体してを繰り返している遊具をディードリヒが安全と判断するとは思えなかったんですよね
演劇の内容になった小説はプロット書きながら即興で出したやつです。基本的な登場人物は主人公と男爵、それから主人公の補佐的な感じで一緒にいるメイドです。そこにイベントごとの登場人物が現れます
私は古い文学作品に馴染みがないので本当にこんなトンデモ内容の作品が存在したかは知りませんが、あったらそれはそれで面白そうですね
ちなみに男爵の手口は毎度ミステリーやサスペンスの如く証拠集めから判明します。途中から主人公は事件が起きた段階で男爵が黒幕だろうと思いつつ相手に逃げられないようにするため証拠集めをやめません。恋愛してる余裕とか最後にしかなさそうな小説ですね
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