初めてなのに既視感(1)
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城でドレスを替えたリリーナは、ディードリヒと共に劇場へと向かった。
今日のドレスは観劇の静かで上品な空気に合わせて落ち着いた紫。ディードリヒも観劇に合わせ服装を変え、変わらず白を基調とした服装に差し色で紫が入っていた。ドレスの色は教えていないはずなのだが、どうして合わせることができるのだろう。
リリーナは一先ずそれについて指摘せず、ディードリヒのエスコートに従って劇場内に足を踏み入れた。チケットで指定した席に腰掛け、まだ少しざわつく客席で開演を待つ。大きな劇団と聞いているだけあって劇場は大きく観客も多い。
席に着いてそう時間が経たないうちに、温かな色の光に照らされていた客席の照明が消え、光はまだ幕の閉じた舞台に方向を変える。どうやら演劇の幕は間も無く上がるようだ。
ブザーのような音と共に幕が上がれば、最初の役者が顔を出す。どういった内容の作品なのかについて事前に調べることはしなかったので、内容が楽しみだ。
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「貴女が…貴女がいけないのだ」
舞台から客席へ役者の声が響く。
拡声器を使わなくとも客席の端まで役者の声は通ると言う。リリーナはその磨かれた技術と、演劇という芸術に対するセンスや努力にいつも感服しながらいつも演劇を鑑賞している。
今は低い声音の男が主人公である女性貴族に向かって恨みを発言に乗せてぶつけているシーンのようだ。
主人公は生まれ持っての才女だが、同時に努力を怠らない秀才でもある。多芸を身につけ可能性の枝葉を広げる主人公には、住んでいる国の王から王妃の座に誘われているもまだ答えは出ていないようだ。
そんな中、ある舞踏会でハンカチを落としてしまった主人公のそれを拾った男爵…今まさに彼女に恨み言を吐いている男と出会う…というのが話の始まり。
少なくとも、主人公が才能あふれる人物であったり、舞踏会で相手となる男性と出会う展開そのものはよく見かけるものだ。
だがそれ以上に、リリーナには気になることがある。
(何故、恋愛作品なのでしょう…?)
こういった大きな劇団が行う演目というのは、歴代王族の武勇伝や叙情詩を元に話を作ったものが多い。
そういった物語はわかりやすい芸術性が観客に伝わりやすく、武勇伝であれば王族の偉大さや勇ましさを表現することができる。なので大きな劇団ほど壮大にしやすい物語を描きがちなのだ。
だが今観ているのはとてもそういった雰囲気から遠い、なんとも個人の趣味ではないかと言わざるを得ない恋愛作品。
招待されて来たのではなく、こちらからチケットを買って観劇をしている状態なので文句を言う権利もないが、ディードリヒが何故この演劇を選び、かつそれを誰も止めなかったのか…不思議に思わないこともない。
(今は“デート”ですので…こういうものなのでしょうか?)
恋愛関係においてデートはわかりやすいイベントだ。そう考えれば、こういった親しみやすい作品を観ると言うのは、思ったより不思議ではないのかもしれない。
いかんせん故郷でこういった機会があったとしても、王子と行けば視察であった上両親と観る機会があっても…こういった作品を観ることはなかった。
それ故に正解がわからない。
だがそれ以前に恋人などいたことがないので、答えがわからないのも当たり前だろうか。
「努力を怠る貴方が私を殺そうなどと…あまりにも怠慢だわ!」
「誰が努力を怠ったものか! 才女である貴女に俺の苦労など…っ」
どうやら男爵は主人公の持つ才能に嫉妬し、殺してしまおうと行動しているようだ。
そしてそのために行った計画が次々と看破され、男爵は主人公に対して嫉妬の上に恨みを募らせる。その結果として今は言い合いを起こしているようだ。
「…」
客席で静かに演劇を観ている中で、リリーナは段々と既視感のようなものを感じ始める。
恋愛作品であるとわかりやすい設定の割に殺伐としたこの内容…どこかで聞いたような。
いや確かに聞いている。しかもその話を聞いたのはつい最近のことだ、確かにそれは…。
(あの時、ですわね…)
観劇をしている最中、大きくため息をつくなどはしたないのでおくびにも出さないが、今まさに額に手を添え大きくため息をつきたい。
この話はおそらく、エーデルシュタインにあるフレーメン王家の別荘で出会った少女…マディの話していた恋愛小説の内容ではないだろうか。
だとしたら、これだけ大きな劇団が大衆小説を演劇として脚本に起こしていることが不思議でならない。支配人がファンか、この劇団が行う演目の幅があまりにも広いか…どちらかでなければ想像もつかないだろう。
(ですが、見どころがないでもない…ですわね)
恋愛作品らしからぬ、というのは男爵と主人公の関係にも言えるが、他にあるとすれば男爵が主人公に行おうとしている殺害手段の多さだ。
最初に暗殺者が襲撃してくるというインパクトあふれる展開に始まり、毒殺、背中を押して馬車に轢かせようとする、メイドを買収して絞殺とバリエーションに富んでいる。
そしてその企みは都度見破られ、中には犯行の裏を取ろうとメイドが買収されたフリをして男爵が炙り出される始末。
この作品を描いた作家が何を思ってこの話を書いたのかわからないが、男爵が何度も企みを見抜かれては諦めない様はこちらに対して同情を誘う。
そして主人公は毎度男爵を見逃してしまうのだ。さらに最初こそ強く警戒して男爵に接していた主人公は、少しずつ男爵に興味を持ち意識をし始める。やがてコミュニケーションをとろうとし始めた。
「私を殺そうなどと言っている暇があるのなら、やることは他にあると思うの。でも貴方は私にこだわる…どうしてなの?」
気づけば物語は最後の盛り上がりを見せているように感じる。
主人公と関わっていく中で知らぬうちに変わっていった自分の感情に整理をつけられないまま、男爵は全てを嫉妬と嫉みのせいにして主人公を誘拐した。そして今、男爵は最後の手段として心中を図ろうとしている。
「そんなものがわかるものか。最初から貴方が悪いのだ、貴女があまりにも眩しいから…」
男爵の声は沈んでいるが、主人公は彼の発言を「それは思い込みだわ」と否定した。その発言に、男爵は反発するように叫ぶ。
「思い込みなどではない! 貴女の、その才能に驕らぬ在り方が眩しいのだから」
男爵は感情に苦しみ、現実に喘いでいる。だが主人公はその姿に確かに驚いていた。
まるで、“自分はそう思われる人間ではない”というように。
(…)
主人公に向かって感情を叩きつけることしかできない男爵の気持ちが、リリーナには少しわかるような気がした。
努力を続けることがいかに大変なことであるか、それは結果を重ねるだけ思い知ることになる。そしてその結果を上回ろうという意識がなければ維持することもできず、その分だけ後戻りもできなくなっていく。
だが、初めから才能がある者に努力が重なった時、ただ努力を重ねただけの凡人では到底敵わない溝が確かに生まれるのだ。
「貴女の輝きは、まるで俺を晒しものにするようだ。俺が重ねたものを嘲笑うように、俺の背中を照らし目の前に影を残す」
男爵はその溝に嫉妬して、恨み、嫉み、苦しんでいる。その光に焦がれている自分に気づかないまま。
いくら努力を重ねても辿り着けなかった領域はいくつあっただろうか、その数を思い出そうとするだけで虚しくなる。
目の前に変えようのない現実があるのなら、考えても変わらない。いつしかそう考えるようになった。だから自分は無意味に下を向くのをやめて、できることに全力を尽くすと決めたのだから。
だが苦しむ男爵を見た主人公は俯き、ぽつりと呟く。
「…私は貴方が羨ましいわ」
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