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常連客とオーナー(4)

 

 ***

 

 他の従業員たちより一足先に店を出ると、外は夕方を過ぎ夜になりかけていた。だがこれが夏であればまだ空は茜色の時間と思うと、そう遅くなったわけでもない。


 ミソラも一緒に帰るものと思い声をかけたのだが、なぜか断られた。なんでもやることがあると言っていたが、彼女がこの店で特筆してやるようなことも思いつかない。

 だがまぁ、ミソラが大きな嘘をつくとも思えなかったのでそれ以上は追及しなかった。だがやはり気になるので後でまた訊いてみようか。


 そんなことを考えつつしっかりと店の正面ドアを閉めて振り向くと、ふと耳馴染みのある声が聴こえる。


「リリーナ!」


 反射的に声の方に振り向くと、階段下に敷かれた歩道でディードリヒが手を振っていた。その後ろには路肩に停められた馬車が見えたので、それに乗って来たのだろう。


「ディードリヒ様!」


 驚いたリリーナが慌てて階段を降りようとすると、ディードリヒは「慌てなくていいから」とリリーナを止める。その言葉で彼女はゆっくりと階段を降りるも、降りきった先にある歩道を足早に進みディードリヒの目の前まで来た。


「ディードリヒ様、どうしてここに…」


 このやりとりは、生誕祭でもあったような。そう思いつつ相手に問う。

 いつであろうと急に迎えなど、やはり驚いてしまうのだが。


「リリーナを迎えに来たくて急いで仕事を終わらせたんだ。ドレスを替えるのに帰ってくるだろうと思ったから」

「ディードリヒ様…」


 嬉しさで言葉が出ないリリーナの表情に満足げな笑顔を見せるディードリヒは、彼女にそっと手を差し出す。

 リリーナがその手を取って馬車乗り込むと、後から入ってきたディードリヒが座ったのを確認して馬車は動き出した。


「忙しいみたいだね、リリーナも」

「えぇ、少し仕事が溜まっていましたので」


 なんでもないようにかけられた言葉に返しつつも、やはり気持ちが弾んでいるのがわかる。店から城までそう遠くはないのだが、相手の気遣いやこの短い時間の会話がやはり嬉しい。


「仕事してるとリリーナのお店の話を聞いたりするよ。ご婦人と話をすることもあるから…いつも評判がいい」

「流石に皆さんが本音とは限らないとは思いますが、嬉しい話ですわね。ここ最近は特に顔を出す回数が減ってしまっていたので不安だったのですが、いい従業員に恵まれました」

「リリーナの頑張りが一番だよ。オーナーが方向を決められなかったら、その下の人間も動けないからね」

「ありがとうございます。ディードリヒ様」


 優しい言葉だ。彼はそう言いながらこちらに笑いかけてくれている。自分もその優しさに笑顔で返すと、一つ暖かな空気を感じた。


「でも、また無理しないでね」

「気をつけますわ。何度も部屋に閉じ込められるのは体が鈍りますもの」

「リリーナが無理なスケジュール組まなきゃ最初からそうはならないんだよ」

「…」


 なんとも諭すような声音のディードリヒだが、言うほど“無理”はしていないはずだとリリーナは少し機嫌を悪くする。

 無理をしない、と言うのはいいのだがやはり少し大袈裟ではないだろうか。心配をしてくれるのはありがたいし、申し訳ないとも思う。かといって部屋に閉じめられるほど無理はしてない…はずだ。


 昨日も朝食後はダイエットのため運動を重ね、ディードリヒに会うというアクシデントこそあったがそのあとはシャワーを浴びて前々から考えていたシュピーゲル領との契約について改めて考えをまとめ直し記録する。


 昼食を終えて店に顔を出し大口の注文に直筆でお礼の手紙を書き商品に添える用意をした。他にもグレンツェ領に卸している商品の売り上げ推移を軽く確認し、商品の代理販売を行なってくれている商店にお礼と入荷希望についての確認について手紙を書く。


 それから蜜蝋の仕入れについてアンムートと軽く話し合い、仕入れの量を調整したいと養蜂場に手紙を出して帰る時間となった。正直まだまだ仕事は終わっていないので続けたいところだが、やりたいことはこれだけではないので一度帰城。


 唯一ディードリヒとゆっくり顔を合わせることのできるお茶会が終わると、ディナーまでひと休憩。読みかけの本を読み進めるか、個人的な手紙を書くこともある。

 ディナーのあとは風呂に入りボディケアとストレッチ、明日のドレスと予定を確認しベッドに入る…その程度だ。


 ダイエットをしていたと言っても激しい運動はそう長くしていないし、仕事は年末年始の予定の問題で昨日今日と二日に跨ったが、動き回ったわけでもなく必要な手紙を用意した程度でしかない。


 ディードリヒのように資料と承認するか否かを決めなければいけない書類と一日中格闘しなければいけないわけではないのだから、少なくとも昨日今日では無理をしたとは言えないだろう…リリーナはそう考えた。


 特に最近は姿勢とダンスの確認もあまりできていないし、メリセントと次に話す話題も決まりきっていない。ディードリヒとのお茶会で用意するお茶菓子もおすすめの店のものが中々予約が取れないので、もう直接買いに行ったほうがいいのではないかと思っているというのに。


 やりたいことなど早々尽きるものでもないのだから、一日の予定にしてはまだまだ空きがあるのではないだろうか。


「あ、また納得してない顔して…。今日お昼食べなかったでしょ? それだけ一日仕事してるなんて、僕じゃないんだからさ」

「貴方が日々お仕事を頑張っていらっしゃるといいますのに、私が怠惰に過ごすわけにはいきませんわ。それにお昼はデリバリーで済ませました」

「そういうところだよ。僕だってお昼はゆっくり食べるからね?」

「そういうディードリヒ様も、昼食はよく時間が変動しているではありませんか」

「そりゃゆっくり食べたいからだよ…」


 ディードリヒはやや呆れ顔だが、自分は相手に恥じないようにありたいと思うとうまくいかない。

 休息…は取っている。ディードリヒとのお茶会が何よりその時間だ。予定が多くない日はファリカの教養に付き合うことも楽しい。寝る時間も基本的に変動をつけないよう一日を過ごしている…のだが、それではやはり足らないらしい。


「えっとね、リリーナ」

「はい…?」

「休み時間と休日は違うよ」

「勿論ですわ。貴方とのデートはいつでも私の安らげる一日ですもの」

「あ、えと…んん、ありがとう。でもね?」


 デートの日はほぼ丸一日空けて予定を立てる。他に予定が入りかねない場合でも断ることばかりだ。

 なにせお互い何かと忙しいことに変わりはない。会う時間の短い日々に比べたら、仕事は後回しでも死んだりはしないだろうが恋人と時間を過ごせないのは精神的に苦しくなってしまう。


 だがディードリヒは一瞬だけ照れたような表情を見せるも、また諭すように自分を見る。

 リリーナは相手の真剣な表情を不思議に思いつつも、向けられた視線に正面から返した。


「僕がいなくても休もうか」

「それは…どういうことでしょう?」


 言っている意味が一旦理解できそうにないので素直に聞き返すことに。素直に疑問を抱くリリーナの表情に対して、ディードリヒは一度ため息をついてからリリーナに向きなおす。


「あのねリリーナ、ずっと言おうと思ってたしここまでの行動でわかってくれるかなって思ってたんだけど、難しいみたいだから改めて言うね」

「はい…?」

「リリーナは本当にいい加減“なにもしない日”を作ろうよ」

「それは、貴方の仰る“怠惰”のお話ですの?」


 リリーナはまだイマイチ話が掴みきれてないようだ。だがディードリヒからすれば予想通りの反応とも言える。


「まぁ合ってるような合ってないような…。リリーナが何も考えないで遊んだりとかゆっくり過ごすのって、僕と二人でいる時だけだよね」

「えぇ、まぁ…」

「時間ないから手短に話すけど…僕と遊びに行けるのもそう多くないんだから、一人でも休む時間を取ろうって話」

「ディードリヒ様にもそういったお時間があるようには見えませんが…」

「僕には君の写真の現像をする時間があるから」

「…」


 一つの発言で表情を“呆れ”の感情に切り替えるリリーナ。それに対してディードリヒは“やらかした”と珍しく視線を背ける。

 反射的に返してしまったとはいえ、もうすぐ城に着いてしまうこの短い時間に話が逸れてしまったら収拾がつかなくなってしまう。


「ごめん、それはともかく…少し考えてみて。僕はリリーナのこと本当に応援してるから、ちゃんと何も考えない時間も持ってほしいんだ」

「何も、考えない時間…」

「今すぐ答えを出すのは難しいと思うから、何度でも一緒に話し合おう。今日はちょっと、難しいけど…」


 ディードリヒがチラリと馬車のドアについた窓を覗き込む。もう城はすぐそこどころか、このまま一分としないうちに馬車は止まるだろう。

 彼がリリーナに視線を戻すと、彼女は何か考え込むように視線を落としていた。言い方をもう少し考えられたかもしれないと思いつつ彼女に声をかけようとすると、もう馬車は止まってしまう。


「…」


 ディードリヒは歯痒さを隠せないまま小さくため息をつくと、開かれた馬車のドアから一足先に外へ出る。ドアを開けたミソラに視線を向けると、彼女は小さく頷いた。


「リリーナ」


 まだ中にいる彼女に向かって手を差し出す。リリーナがその手に気づいてディードリヒの手を取り馬車のドアを出た時、彼は彼女を安心させようと微笑んだ。


「そんなに難しく考えることないよ。今は僕と一緒でしょ?」

「…!」

「僕と一緒にいるリリーナが一番リラックスしてるもんね」

「それはっ」

「あはは、顔赤いよ?」


 顔を赤くするリリーナに小さく笑うディードリヒ。彼から見なくともディードリヒといるときのリリーナが一番柔らかい表情をしているのだが、いつまで経ってもそれに気づかないのは、なんとも彼女らしい。


「さぁ、着替えてきてリリーナ。一番綺麗な君を待ってる」


 ディードリヒの言葉に、リリーナは少し呆れたような微笑みを返す。それでも、彼女頬は喜びで赤らめられたままだ。


「全く…当たり前ではありませんか。貴方のために美しくなるのですから」

「うん、わかってるよ。まぁなにもしなくてもリリーナは綺麗だけどね」

「…褒めても何もでませんわ」

「えー」


 リリーナはディードリヒに背を向け歩き出す。

 彼には見えない表情は、まだ少しばかり馬車の中での会話について考えていた。


 余裕がない、それ自体はずっと言われてきたことである。自分でも意識的に変化をつけていたはずなのだが、うまくいっていないと言われるばかりだ。

 だが、ディードリヒの言う「何も考えない」には、少し思うところがある。確かに自分が開放的に何も考えていないという状況は…そもそも想像がつかない。皆、その話がしたいのだろうか。


 そう考えると、定期的に無理やり部屋から出られないようにされたり、何かと「休め」と言われるのは…なにか納得できるような。

 確かに自分のように動き回ってる令嬢などそう多くないのはわかっていた。だがただ何もしないのはどうしても性に合わない。だから周りの言う“休む”がイマイチ掴みきれないのだ。


「…」


 それでも今すぐ答えが出ないのもわかる。答えが出ているのならもうできているのだから。

 なら今は、とびきり綺麗になるように化粧をしよう。彼の優しさに今すぐ返せるのは、きっと今日を楽しむことだから。


リリーナ様の一日が垣間見えましたね

大体リリーナ様にやることがない日はないです

毎日なにかやることがある中でディードリヒくんと必ずお茶してるわけです。そら周りから休めって言われると思うんですよ


リリーナ的にはデートとか友達やディードリヒくんとお茶してる時間とか、お風呂も寝る時間も読書も他にも乗馬してる時間とか香水選んでる時間とか…全部休んでると思っているのですが、それは休憩って感じなんですよね。丸一日ぼけーっと好きなことしてる日はないんですよ、常に頭が働いてる感じ

割といつ倒れてもおかしくない程度に予定を詰め込むので周りが心配してるわけです

少なくとも基本的に遊び倒してたと言われがちな史実の貴族からは割とかけ離れてますね。睡眠時間削るような生活してないのが救いなんじゃないでしょうか。若いんだからもっと遊び倒せよ…


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