常連客とオーナー(3)
「リリーナ様? どうしたんですか?」
「二人に少し話がありますの。アンムートも呼んで欲しいのですが…」
「わかりました。おにいー!」
ソフィアはリリーナの言葉に了承すると後ろに振り向き大声で兄を呼ぶ。すると部屋の奥から「うるさい!」とまた叫び声が聞こえてきた。
「お前な、お客さんいるんだぞ」
部屋の奥から起こった様子のアンムートがソフィアの後ろまでやってくる。眉間に皺を寄せる兄の表情にソフィアは頬を膨らませた。
「普通に声かけたっておにい気づかないじゃん」
「だからってやり方考えろよ」
「じゃあ脇腹つついていい?」
「手元狂うからやめろ」
なんとも緊張感のないやりとりに“今日も仲のいい兄妹だ”とリリーナは和む。だが話には入りたいので様子を伺っていると、アンムートがこちらに気づいた。
「あっすみませんリリーナ様…中入りますか?」
「話ができればどこでもいいのですが…」
「じゃあ中に入ってください。今ちょっと火を使ってるんで…」
「わかりましたわ」
兄妹に案内されるまま工房内に入っていくリリーナ。几帳面な兄妹によって相変わらずここは綺麗に整えられている。
ソフィアが持ってきた椅子にリリーナが腰掛けると、アンムートが兄妹二人分の椅子を用意して目の前に置き、二人もリリーナの目の前に腰掛けた。
「それで…どうしたんですか?」
アンムートの問いに、リリーナは先ほどのイドナとの話についてかいつまんで説明する。
「…と、いうことでして、新しい商品の制作が恒常的に加わる可能性があるのです。生誕祭も過ぎましたので春まで新作は考えていなかったのですが…予め話をしておくべきだと思いまして」
「それは、もう決まった話なんですか?」
「まだではありますが、大切な機会ですので勝ち取りたいとは思っていますわ」
「なるほど…ソフィア、お前はどう思う?」
「え、あたし!?」
自分に話題が振られると思っていなかったのか、心底驚いた様子で反応するソフィア。だがそれを見た兄は何を驚いているのかわからないといった様子で言葉を返した。
「お前のほうが作業細かいんだから、お前の意見も要るに決まってるだろ」
「えー…まぁそうか…。でもどうだろ? 毎回いっぱい作るんですか?」
「そればかりは売り出してみての反応次第ですわね…最初は一つか二つ程度の店舗に出して様子を見る形になると思いますから、すぐ大量に作ることはないと思いますわ」
「一度にたくさん作るんじゃないなら、大丈夫かなぁと思います。今もラベルを貼ったりする作業より下準備の方が大変なくらいですし…」
ソフィアの返答に反応したリリーナは、少し考えるような仕草をとる。
「やはり人手を増やした方がいいでしょうか。他にも少し考えていることもありますので…」
「考えてること?」
「えぇ、シュピーゲルに交換条件として限定品を提案した以上、グレンツェ領を疎かにするわけにもいきませんから」
グレンツェ領では変わらず蜜蝋の仕入れと商品の卸売りを行なっていて、卸した商品は領の中でも比較的栄えた地区にある商店で取り扱ってもらっている状況だ。
おそらくシュピーゲルでは同じように商店で扱ってもらうか、場合によっては瓶を作成してくれた工房の方でも販売してくれるかもしれない。
グレンツェ領の蜜蝋を使用した練り香水は、発売から数ヶ月経った今でも人気商品だ。どころか、冬になり手の荒れやすい季節になったせいか他の商品より人気が高い。
ただの蜜蝋をハンドクリームのように使うのは味気ないが、香りのついた練り香水ならば変化があり使いやすい…という一定の需要があるのではないかとリリーナはみている。
リリーナとしては今後もグレンツェ領での取引を続けたいのが本音だ。季節によって蜜蝋を仕入れる量の変動はあるだろうが、練り香水の人気や卸しているオリジナル商品の販売店舗を確保しているという点でも失いたいとは思わない。
なので、新しくシュピーゲルが取引先になった場合、どちらかを贔屓するというわけにはいかないのである。
「グレンツェ領に出す商品は決まってるんですか?」
「まだ詳細が決まっているわけではありません。現状の結果を見ながらの判断にはなると思いますが、コロンなどの安価なものを考えていますわ。濃度の高いものはそれだけ高価になりますので、手の出しづらく格式高い印象が強まってしまうかもしれませんから」
リリーナの言葉に、アンムートは納得したように首を振った。それから彼は、リリーナに向かって少し尊敬の眼差しを送る。
「リリーナ様って結構視野広いですよね…商売も才能があって始めたんですか?」
アンムートの何気ない問いに、リリーナは横に首を振った。それから彼女は冷静に回答する。
「基本的に私の中に“才能”というものはありませんわ。今回の話もあくまでこれまで見聞きしたものの中からベターなものを拾い上げているだけです。応用が効くようになりたいですわね」
あくまで淡々と回答した後で、リリーナは小さく微笑む。
「ですがもう言ってもらえるのはやはり嬉しいですわ。ありがとう、アンムート」
「…あ、はい」
アンムートはリリーナの言葉を半信半疑に聴きつつ、ぎこちない返事をするので精一杯であった。
おかしい、背筋がとてつもなく寒い。ここにあの、目の前のオーナーの恋人はいないはずなのに。
あの綺麗で冷たい微笑みを思い出してしまったのは、どうしてなのだろう。
「ここまで長話を聞いてもらいましたが、全てがまだ決まったわけではありません。ゆっくり考える時間を設けてほしいと思い早めに話をしましたわ。ですからその分しっかりと考えてくださいませ」
「わかりました」
「あたしも、ちょっと二人で相談しますね」
「ありがとう。では作業中に失礼しましたわ、応援しておりますので頑張ってくださいませ」
そう残したリリーナは、流れるように工房を出る。それからグラツィアを軽く探すと、そちらに向かって歩き始めた。
「さて、もう一仕事ですわね」
リリーナは顔の横に垂れた煩わしい髪を軽く払いながらグラツィアに声をかける。
今後の予定はまだ決まっていないことも少なくない。詰められるところはしっかり詰めていかなければ。
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