常連客とオーナー(2)
「おかけになって、今お茶を用意していますから」
「ありがとうございます、ルーベンシュタイン様。ではお言葉に甘えて」
イドナはリリーナに続いて部屋に用意された椅子に腰掛けた。少しするとグラツィアが用意したお茶を部屋に持ってきて配膳し、静かに帰っていく。
そっと目の前のカップに手をつけたイドナは、暖かなカップから漂う紅茶の香りを静かに楽しんだ。
「素敵な香りですわね…とても爽やかですわ」
「気に入っていただけて何よりですわ。私も好みの茶葉でして、よく取り寄せていますの」
「ですがこの香り…余程新しい茶葉を使わなければ難しいと思いますが…」
「えぇ、ですので生産者に直接長期保存の方法を教えてもらっているのです。おかげで長く楽しませてもらっています」
今飲んでいる紅茶に使われているのは、新茶の時期に飲み採れる柔らかな新芽のみを使ったもの。
その新芽を他の茶葉より浅く発酵させ茶葉として加工することで、新芽特有の柔らかさと爽やかな香りを楽しむことができる。
本来この茶葉は新茶の時期にしか出回らず、発酵が浅く痛みやすいため長く楽しむことが難しい。今は新茶が出回るような季節ではないので尚更飲むのは難しいのだが、生産者に直に問い合わせ正しく保管することでいくらかではあるが長く楽しんでいる。
「素敵ですわ! 私もお気に入りの茶葉がありますので、今度問い合わせてみようかしら」
「それもいいかもしれませんわね」
朗らかに会話は進む。
何気ない話の中で、その話題を切り出したのはイドナの方であった。
「突然で申し訳ないのですが、今年の春にヴァイスリリィ様の新作はあるでしょうか? これまでもいくつかございましたので、私毎度楽しみにしておりますの!」
「ありがとうございます。それは嬉しい限りですわ」
「生誕祭に合わせた限定品も予備とともに購入させていただきました。女性向けと広告されていたものを購入しましたが、甘くときめく香りでしたわっ!」
「気に入っていただけたのでしたら何よりですわ。春の新作については決まっているのですが、そこから先となりますと少し考えていることがございまして…まだ詳細は決まっておりませんの」
「何かお悩みでして? 私にお手伝いできることがあれば是非お伺いしたいですわ」
「実は…」
そう言いつつリリーナは敢えて紅茶を一口飲み下し、間を置いて話し始める。
「今度の商品は中身は勿論のこと、見た目にも少し変化をつけられないか、と考えておりますの。ですが中々良い一手が見つからないのが現状でして…」
「見た目…ということは、瓶や部品といったものですの?」
「えぇ。香水もファッションの一つですので、見て楽しむこともできる商品を、とは常々思っているのですが…」
リリーナは少し考えるようなポーズを取った。
ヴァイスリリィのオリジナル商品は、性別を問わないことを念頭に置いているものもあるのでシンプルなデザインのものが多い。
工房などから入荷している商品は勿論別だが、現状オリジナル商品の見た目は少し地味すぎるというのも否めないだろう。
今はそれでもいいかもしれないが、それだけではいかなくなるのも間違いない。なので春の新作以降の限定品は見た目も楽しめる商品にしたいとリリーナは考えたのだ。
「そういったことでしたら、ルーベンシュタイン様さえよろしければシュピーゲル領にお手伝いをさせていただけませんこと?」
イドナの提案に、リリーナは少し驚きつつも内心でニヤリと笑う。
この話を切り出すところまでは予定調和だ。イドナは必ず新作について話をするだろうと思っていたので、この話題には必ず持っていけると思っていた。
強いて驚いたとすれば、イドナから率先してシュピーゲルとの契約を持ちかけてきたこと。しかしそれはそれで好都合だ。もしかしたら、彼女はこの場に来た段階でリリーナの意図を汲んでいる可能性も出てくる。
もしそうであれば、話が進みやすくて大変助かるのだが。
「よろしいのでしょうか? シュピーゲル領は確かにガラス工芸で有名な土地ですので、そちらにある工房と契約をさせていただければ大変喜ばしいことですが…」
「確かにシュピーゲルの製品は王城の方々にご贔屓いただいておりますし、首都に販売店を構えている工房もありますが、領全体としてはこのままというわけにも行きません」
「わかりますわ」
「お父様も次の一手を考えているようですので、これを機に私がこのお話を提案する、というところからにはなってしまうのですが…」
シュピーゲル領には数多くのガラス製品工房が存在する。その原点は諸説あるとされているが、中でも質のいい工房の製品は王城に納められ日常的に使用されているのだ。各種グラスや皿などの日常的なものを始め、シャンデリアなどの装飾品にもシュピーゲル領のガラス部品が使用されている。
おかげでシュピーゲル領は“ガラスの街”呼ばれ大変人気の観光地であり、王族お墨付きの箔がついた商品達は高価な分価値があるのだ。
「そのお言葉だけでも光栄なことですわ。ですがこちらとしましては見返りが…」
「私としましては、是非ヴァイスリリィ様にシュピーゲルの製品を使っていただけたらと思っておりましたの。先ほどはお父様に提案するところから、とは申しましたが必ず話を通してみせますわ! 見返りに関しましては、そうですわね…」
イドナはそこで少し考える仕草を取る。
どうやら予め考えていたわけではないようだ。だがすぐ何か閃いたのか、リリーナに視線を戻す。
「シュピーゲルにもヴァイスリリィ様のオリジナル製品を卸していただく、というのはどうでしょうか? 香水のような見た目も重要な商品はシュピーゲルのガラス工芸品の繊細さをアピールできますし、そちらの宣伝にも繋がるはずですわ」
一見イドナの提案は実に理想的だが、それでは天秤の傾き方がアンバランスになってしまう。
それはいけないとリリーナは口を開いた。
「それではこちらに利が大きすぎるように感じますわ。勿論製品には協議の結果決まった額をお支払いいたしますし、そちらのイメージを損なうような扱い方はしないとお約束しますが、それだけでは見返りとして不十分ではなくて?」
「そのようなことはありません。この通りでも人気のヴァイスリリィ様にシュピーゲルの製品を使用していただけるだけで利益は発生しているといえますもの! その上でこちらのガラス製品を利用した商品をシュピーゲルでも取り扱うことで、二重の利益を得ることができますわ」
「ふむ…」
正直、話がうまい方向に進みすぎている。
リリーナとしては、信用が築かれる前の段階で話をしている以上、先方から提示された額より上乗せの提案をすることで一度話を持ち帰ってもらおうと思っていた。
王城で取り扱われている、と謳われている領の製品を扱う以上、それなりの工房を紹介してもらう代わりに代金的な利益を支払う価値があると思っているからである。
両者のイメージアップに繋がるという点についても、リリーナが考えていた話の一つであった。首都に置かれたこの店の評判を聞いて、売り上げから考えても大きな需要が狙えるとリリーナは踏んでいたのである。
そしてあわよくば、こちらの商品の卸売も視野に入れていた。やはり向こうの製品を使用する以上、その製品を使用した商品はシュピーゲルでも宣伝していきたい。
つまるところ、イドナはリリーナが思っているより話が上手いようだ。こちらで考えていた話を率先して向こうから振ることで、こちらに好条件としてのカードを切っている。ここまでされてしまっては、この後多少不利な条件を示されても後に引くのは難しい。
あとこちらですぐ用意できるカードは一つ。ここまで好条件を割り振ってくれているイドナ本人に対する謝礼程度のものだが、このまま条件を受けるだけというのはやはり気が引けた。
「ではこちらからもご提案させて欲しいのですが、そちらに卸売りする商品の中にシュピーゲル領でしか手に入らない限定品をご用意するというのはどうでしょう?」
「まぁ! それは素敵なご提案ですわ。ですがそちらのご負担にはならないでしょうか? ヴァイスリリィ様の職人はお一人と聞いていますので…」
「ここまで素敵なご提案をいただいたお礼のようなものだと思ってください。現状オリジナルで出している商品が多いわけでもありませんし、やはり香水は長く使用していただく商品ですので、すぐに増やす予定もないのです」
「でしたら、お言葉に甘えて契約の成立した際には是非お願いいたしますわっ。楽しみにしております!」
こちらの提案に彼女は気を良くしてくれたように見える。そのことにリリーナはひとまず安堵した。
それにしても、やはりイドナは少し珍しい令嬢だとリリーナは感じる。
自分と似たような年頃の令嬢といえば、マディのように社交慣れはしていても自分の住んでいる領の特徴や強みを理解していることは少ない。本来令嬢というものの価値は、嫁いだ先で子を成せるかどうかでしかないのだから。
実際、親が娘に対して「無駄な教養は邪魔だ」と言って勉学を身につける機会を与えられなかった令嬢をリリーナは何人も見ている。自分やその周りの人間は、自分が思っているより例外的なのだ。
しかしイドナは今ここで自分に自らが住まう領について正面からプレゼンをし、話し合いの場所に立っている。自分は彼女をみくびっていたと素直に反省した。
一見年頃の女性らしい、元気で明るく愛らしい印象の女性だが真っ直ぐさと強かな姿勢を併せ持つ彼女には素直に好感が持てた。
「もしよろしければ、シュピーゲル領の限定商品はシュピーゲル伯爵令嬢のお好みに合わせたものをお作りいたしますわ。イメージなどございましたら職人のほうに伝えておきます」
「そんなことまで…! よろしいんですの?」
「まだ契約が成立したわけではありませんが、シュピーゲル伯爵令嬢の誠意あるお言葉に対するささやかなお礼とさせてください」
これに関しては勿論言葉通りの意味も含まれているが、それだけではない。
あくまで今話をしているのはイドナであるということと、今のリリーナにはシュピーゲル伯爵の好むものがわからない、ということに話の主点は起因する。
今この機を逃さず伯爵の娘であるイドナと関係を築き、彼女がこの話を伯爵にすることがあれば父親である伯爵に好印象を与えることができるかもしれない。
言葉には常に表と裏があるというのならば、今こそその意味を含ませるときだ。
だがこの話も急に決まったことなので、やはりアンムートとソフィアには確認を取らなくては。こまめに話を聞いている限りでは問題ないと思うのだが、この機会は逃したくないので人員を増やす可能性も踏まえて話をする必要がある。
「では、お言葉に甘えさせていただく代わりに、必ずやお父様にこの話を通してみせますわ!」
「楽しみにしておりますわ、シュピーゲル伯爵令嬢。ですがこのままですと少し呼びづらいですから…互いを名前で呼び合うというのはどうでしょう? そのほうが手紙のやり取りもしやすいと思いますわ」
「まぁ! それは願ってもないことですわ! 是非私のことは“イドナ”と呼んでくださいませっ。私もリリーナ様と呼ばせていただけるのですから!」
「是非喜んで、イドナ様。御休憩を提案しましたのは私ですのに、堅苦しい話をして申し訳ありませんでした。また別の機会に改めておもてなしをさせてくださいませ」
「いいえ、実り多いお話でしたわっ。何かありましたらすぐにお手紙をお送りしますわね!」
「ありがとうございます。お待ちしておりますわ」
リリーナは友好の証として手を差し出し、イドナはその手を両手で握り込み応えた。その友好にリリーナが笑顔を向けると、イドナもまた笑顔を返す。
「では、私はそろそろ失礼させていただこうと思いますわ。美味しいお茶と素敵なお話、ありがとうございましたっ。また顔を出しますので、その際には限定商品のお話をさせてくださいませ!」
「ありがとうございます、ご来店をお待ちしておりますわ。お帰りのようでしたらお見送りいたします」
「もう少し店内を見回ってから帰ろうと思っていますの。お気になさらないで」
「承知しました。ごゆっくりお過ごしくださいませ」
リリーナはイドナを連れて部屋のドアを開けると、店内に戻っていく彼女を笑顔で見送った。
そのままリリーナもバックヤードへ移動し、メモとペンを取り出す。ここから先の算段について少し整理をしようとリリーナは案をいくつか書き出し始めた。
イドナが父親への交渉に失敗した際どう接点を作るか、うまく話が進んだ場合にどう手順を踏んで話を進めていくか…他にも考えることは多い。
ざっくばらんなメモを待機していたミソラに渡しておく。彼女が確認しておくことにも意味があるからだ。やはり常に行動を共にしているので考えを共有しておくに越したことはない。
バックヤードを出たリリーナは、次に工房のドアを叩く。するとすぐに返事が返ってきたので自分が来たことを伝えると、ゆっくりと開いたドアの向こうからソフィアが顔を出した。
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