まさかこんなことになるなんて!(1)
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交際記念日という祝うべき日にトラブルを起こしてから数日が経過した。
全く散々な記念日だったと言える。あの騒動のあとディードリヒは結果的に機嫌良く仕事に帰って行ったが、案の定案件を捌ききれず後日予定していたデートが延期された。更にあの日のディナーは二人きりだったのをいいことに昼間のことを散々いじられてしまったので、今思い出しても後悔しかない。
とはいえ、延期されたデートまでそう遠くはないのでそれはそれで楽しみだ。そんなことを考えながら侍女とメイドに手伝ってもらいネグリジェからドレスへと着替えていた時のこと。
「!」
背中に違和感を感じ、その一瞬で脳内が真っ白になった。
それはほんの少しのことだ、本来であれば気にするほどのことではないかもしれない。
しかし、所用で朝起こしに来れないミソラの代わりにリリーナの着替えを手伝っているファリカが一言。
「…リリーナ様、すこしお肉ついた?」
ファリカにとっては確かに何気ない一言だっただろう。悪意を感じるような言い方でもなかった。
わかっている、わかってはいるのだが。
リリーナはその一言に、膝から崩れ落ちた。
***
「…で、三キロ太っていたと」
淡々とミソラは言う。
「…」
つい先日のことではないか、そうリリーナは記念日の夜を思い返した。
デートは延期になったものの、そう日を空けずにいけそうだと喜んでいたのに。
つい一昨日まではドレスを身につける時になんの違和感もなかった。それなのに昨日の朝、当たり前に入っていたドレスが、少しばかりきつい。
コルセットも締められるしホックを閉じることもできる。ただホックを閉じる時、わずかに抵抗が生まれているのだ。
昨日はそのまま予定通りのドレスで過ごしたものの、入浴後震えながら乗った体重計の針は無慈悲な数字を差し示し、そこから一晩経った今日もリリーナは真っ青な顔で侍女たちに話をしている。
だが今にも倒れそうなほど真っ青な顔をしたリリーナに対して、ミソラはともかくファリカですら大して衝撃を受けていない様子であった。言うなればそう、“だからどうした”とでも言いたげな表情で侍女二人はリリーナを見ている。
「年末年始にかけて特別なデートもありましたし、その他イベントも重なって特別なお食事も少なくありませんでしたわ。ですので意識的に体は動かすようにしていたのですが…」
「って言ってもなぁ、三キロ落とすくらいリリーナ様ならすぐだと思うけど…」
「体型を維持できなかったのは初めてですわ…」
リリーナとしては自分の体重が増えた、という現実が受け入れ難いようだ。その中身の重さに関しては二の次らしい。
「え〜何それ狂気…私なんてすぐ太るのに…」
「リリーナ様の運動量は護身術の延長で私が管理していますので、効果が出ているのではないかと」
「ミソラさんの指導は厳しそうですね…」
「ファリカさんも参加しますか? 役には立つと思いますが」
「あー、えっと…考えておきます…」
ミソラの提案に苦笑いを返すファリカ。
そんな中、急に大きな物音が立ち驚いた二人が音の方向に目を向けると、向かいのソファに座っていたリリーナが立ち上がって右拳を構えていた。
「やはり今日からダイエットですわ。次のデートまでになんとしても絞らなくては」
「結局いつになったんだっけ? デート」
「来週ですわ。早速計画を立てませんと…」
腕を組み思案を始めるリリーナ。そこにミソラが呼びかける。
「お食事も調整なさいますか?」
「いえ、それは不可能でしょう。陛下ご夫婦とテーブルを同じにしている以上、私だけメニューを変えるのは失礼ですわ」
「なら、メインは運動?」
「そうなりますわね。まずは筋トレの負荷や種類を増やしましょう。太ってしまった以上これまでの基礎だけでは足りません」
リリーナはその目に熱い闘志を燃やしているが、ミソラとファリカから見てしまうと「また凝り性が出たか…」と意見が噛み合う場面だ。
「リリーナ様、頑張るのはいいけど無理したら倒れちゃうよ?」
「運動のメニューに関しましては、こちらで組んでおきます」
「無理はしません。ディードリヒ様にバレると面倒ですわ。ミソラ、早速メニューを立ててちょうだい」
「面倒…」
「かしこまりました」
ディードリヒが口うるさく言うのもリリーナを心配してのことで、それは流石に周りから見てもわかるものなのだが、言われている本人から「面倒」との評価をされてしまうとは…。ファリカは珍しくディードリヒに少しばかり同情する。
それにしても「無理をしない」と言う割にリリーナの行動は随分必死に見えるので、ファリカは内心不安を抱えた。
ミソラも同じようなことを考えているゆえにメニューを彼女自ら立てているのはわかる。なぜなら一度こうなったリリーナは話を聞かないからだ。
“やる”と決めたら突進してしまうのがリリーナなので、大体の場合はそうなると目標を達成するまで休まないし立ち止まらない。この間など“メリセントと会話できる内容を増やしておこう”と言って一体何冊の本を借りていたことか。果ては学術院に文献を借りにいけないかなどと言い始めて止めるのが大変だった。
かといって流石に多少のダイエット…ここでとやかく言うのも話が拗れそうだとファリカは判断する。
正直この場にミソラが居て助かった。彼女が運動量について管理しているならば、真面目で自分たちをきちんと信じてくれているリリーナのことなので余分にメニューを足すなどすることはないだろう。
そんなことを遠い目で考えていると、部屋にノックの音が響く。
「誰だろ?」
「私が確認します」
そう言いながらミソラは音もなく立ち上がるとやや警戒した様子でドアの前に立つ。
ミソラは来客の対応をすることが多い。話に聞く通り、彼女がリリーナの護衛を兼ねているからだろう。
ミソラが何かしらで不在の場合はファリカが対応するが、その時は細心の注意を払い、リリーナは勿論だが自分の身も守るようファリカは彼女からよくよく言い付けられている。
ドアの前のミソラがその向こうにいる人物を二、三言やりとりを終えてドアを開けると中にはよく見知った人間が入ってきた。
「ディードリヒ様!」
何故かずっと立ったままでいたリリーナが、部屋に入ってきたディードリヒへ駆け寄る。ディードリヒはその姿に嬉しそうに笑いつつも、何やら取り込んでいたと思しき空気を察して言葉を選んでから発した。
「取り込み中だったかな? ごめんね。ちょっといいものが手に入ったから一緒にどうかと思って」
「いいもの、ですの?」
リリーナの問うような反応に、ディードリヒは持っていた箱を見せる。
「今日仕事をしてたら先方がお茶菓子をくれたんだ。一緒に食べたいと思って」
いかにもリリーナと過ごす時間の口実を得たとディードリヒはご機嫌だが、リリーナはその手に持つ箱を流れるようにそっと降ろさせた。
「…ディードリヒ様」
「な、なに? リリーナ」
不意に、リリーナからとても穏やかで、語りかけるような声が聞こえてくる。急なことにディードリヒが動揺していると、リリーナはまるで聖母のように微笑んだ。
「お気持ちは大変嬉しく思います。ですが暫くこういったものをお受け取りすることが難しいのです…私は必ずご満足いただける結果をお出ししますので、少しばかりお待ちくださいませ」
部屋の照明には存在しない後光が差しているような微笑みでリリーナは言う。ディードリヒがその笑顔にますます困惑していると、彼を放置してリリーナは身を翻した。
「ミソラ」
「こちらに」
リリーナはミソラを一つ呼ぶと、まるで最初から決まっていたやりとりのように一枚の紙を受け取る。そしてそのまま部屋のドアに向かい、その前で一つカーテシーのポーズをとった。
「では皆様、大変不躾ではございますが私はこれにて失礼させていただきますわ。ディードリヒ様がお持ちいただいたお菓子は皆様で召し上がられるのがよろしいかと思われます。では私はこれにて」
言いながら一つ頭を下げ、流れるように顔を上げたリリーナはそのまま当たり前のように部屋を出ていく。
「…え? リリーナ!?」
そして一連の流れを呆然と眺めていたディードリヒは、リリーナが部屋のドアを完全に閉めた音で我を取り戻した。しかし慌てて手を伸ばす頃には、もう彼女はいない。
「あちゃー…完全にスイッチ入ってますねあれ」
「多少のダイエット程度でしたら基礎から大幅に変える必要もありませんので、適当に誤魔化したものを渡しておきました、すぐに倒れるようなことにはならないかと」
「お前たち説明して!?」
全くもって話についていけないディードリヒは完全に置いて行かれてしまい、終始困惑している。
対して流れをわかっている侍女二人は、リリーナの行動にただただ呆れるばかりであった。
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