この喜びは、認めてはいけない罪だ(3)
「いつからこっちの僕も好きになってくれたの?」
何気ない、というか実に自然な疑問ではある。
彼がそこを気にするのは実に自然なことなのだが、気恥ずかしさというか気まずさというか…複雑な感情を抱えてしまったリリーナは視線を逸らした。
「…おそらく、屋敷を抜け出したあの日からですわ。初めからどこかで気づいていました、ですがそれはいけないことだと何度も蓋をしてきたのです。その思いがあったからこそ、私は貴方の手を取って飛び立つ決意をしたのですから」
具体的に、と言われてしまうといつだっただろうか。だが確かに屋敷を飛び出し、彼の側面の一つを目の当たりにしてからだ、あの瞳を好きになってはいけないと見ないふりをしたのは。
そして日を追うごとに感情は蓋から溢れ出る。彼を知っていくその度、影のように付き纏った感情が決意を侵食してくるのだ。
「…へぇ」
ディードリヒは恍惚とした表情でにやりと笑うと、リリーナにキスを落とし再び間近で視線を絡める。
「それなら初めから言ってくれればよかったのに」
「それこそ破滅へまっしぐらですわ。絶対にお断りです」
「つれないなぁ…」
「当たり前でしょう」
強く誘惑を拒絶したリリーナは片腕の手首を拘束されたまま、空いた手を彼の頬に添えて一つキスをした。そこから再び彼が視線を絡めたその瞳は、いつもの彼女のまっすぐで強い、決意のこもる瞳。
「貴方を幸せに、してみせますもの」
彼女の輝かしいとも言えるその強い視線に、ディードリヒは背筋にぞくりと快感が走るのを感じた。
あぁ、これこそ自分の愛した彼女の、根源。そう感じた瞳にこそ、そこ知れぬ興奮がある。
「じゃあ、僕は君を手放さないって信じてよ。僕は君のその矛盾に、何より喜びを感じてるんだから。だから、絶対に逃げられないって信じて」
暗い瞳が彼女をじっと捉えているが、リリーナはそれに臆することなく正面から受け止めた。
「信じましょう、他ならぬ貴方がそう言うのであれば。まだ…共に堕ちることはできませんが」
「そこはほら…“使い分け”が大事だって言ってたし、今はまだ、ね。でも、“その時”は来るって期待してるから」
「叶えましょう…いいえ、二人で探しましょう。共に良い塩梅というものを」
「あは、そうだね」
二人は約束を交わすように深いキスをする。離れても視線を絡め続ける二人の瞳は恍惚としているようで、深海よりも深い暗さを思わせた。
「虚な瞳も綺麗だね、リリーナ」
「それは感性がおかしいのではなくて?」
「そんなことないよ。あぁ、でも、手首掴んだままだったね。ごめん、痛くなかった?」
はっとリリーナの拘束を思い出したディードリヒは少し慌てた様子で彼女の手首を解放する。リリーナは寝転がる自分の頭上に置かれたままだった腕を胸元に戻すと、確かめるように軽く摩った。
手首にはまだ痛みが少し残っている。しかしそこに不快感はなく、むしろ自分に当てられた強い感情を思い出して少し嬉しくなる自分を恥じた。
「…リリーナ、何か良いことでもあった?」
「! な、何がですの?」
「手首、嬉しそうに摩ってるから」
「…痛みが嬉しかったのではありませんわ」
「じゃあ何が嬉しかったの?」
「それは…」
自省している感情を口に出すのに抵抗を感じてしまい、反射的に口籠るリリーナ。
その姿を見たディードリヒは、何か思いついたような様子でにやりと悪戯に笑った。
「ほら、答えてリリーナ。早く言わないと…そうだな、このままドレス脱がしちゃおうか?」
「なぜそうなるのです! 関わりがないではありませんか!」
「今日僕を振り回したお仕置き。ほら、嫌だったらちゃんと白状しないと」
「〜〜〜〜〜〜っ!」
つつ…とディードリヒの指先が横たわる自分の谷間から腹を伝う。その指先に一瞬何かを期待してしまって、全力で振り切った。
「僕、こう見えてもドレスの脱がし方は知ってるからね?」
「それは、どういう…」
ディードリヒの一言に戦慄する。ドレスの脱がし方を知っているということは、他人のドレスを自らの手で脱がせた経験があるか、もしくは…
「リリーナの着替えてるところ何度も見てるから」
「ただの盗撮ではありませんか!」
にこりと笑うディードリヒの言葉に思わず怒号を返す。一瞬でも嫌な想像をした自分を内心で思いきり引っ叩いた。
そうだ、こういう男ではないか、ディードリヒという変態は。
「まさかリリーナ、僕がリリーナ以外に経験があると思ったの? 心外だなぁ」
「そういう問題ではありませんわ! このお馬鹿! そもそも着替えまで盗撮しようなど何を考えていますの!?」
「リリーナの白くて滑らかな肌はいつ見ても綺麗だよ」
「話を聞きなさいお馬鹿! というか以前着替えは撮っていないと言っていませんでしたこと!?」
「言ったっけ? 覚えてないなぁ」
へらりとディードリヒは笑う。
リリーナはわなわなと拳を震わせ腹の底から叫んだ。
「さい…最低ですわ!」
「あはは、まぁ正確にはどうしても欲しくて間違って撮れたってやつを無理やり回収しただけだよ」
「結局最低ではありませんか!」
口元こそ笑っているが、目は一切笑っていないディードリヒに完全に理性を失うリリーナ。
というか、着替えが“間違って撮れた”というのはありえることなのだろうか。そしてミソラがそんなことをこの変態に言うとも思えない。何がどうなったらそんな写真がこの馬鹿の元に届くのか、誰か教えて欲しい話だ。
「リリーナの罵倒はご褒美だなぁ」
「お馬鹿なんですの!?」
完全に怒り狂っているリリーナだが、不意をついてディードリヒに抱き上げられてしまう。ベッドに座る姿勢になり、少し驚いていると背中からホックの外れる特有の音がした。
「きゃあ!?」
「ほらほら、さっきの話終わってないんだから早く言わないと全部脱がしちゃうよ?」
「貴方…っ! やることが度を越してましてよ!」
「僕が普段どれだけ我慢してると思ってるの? 特に今日ここまでを考えたらこのお仕置きだって軽い方だと思うけどなぁ」
「そのようなことがあるわけがないでしょう!」
「話逸らすなら二個目外していい?」
「!!」
威嚇する子犬のように吠えるリリーナにもわざとわかるように指を這わせながらディードリヒはドレスの二つ目のホックに触れる。
驚いて体を大きく跳ねさせたリリーナは必死で彼の腕から逃げようと全身で抵抗するも、全く抜け出せず無駄な体力を消耗しただけに終わった。
やがて何かを悟ったリリーナは真っ赤な顔をして諦めたように俯く。
「…わかりました。言います、言いますから…これ以上辱めないでくださいませ…っ」
リリーナの目尻には小さく涙が浮かんでいる。ディードリヒはその姿を見てご満悦に笑うと、彼女の目尻にキスをしてもう一度問うた。
「可愛い…いい子だね、リリーナ。それで、何が嬉しかったの?」
投げかけられた問いにリリーナは再び口籠る。しかしこれ以上脱がされるのはごめんだと、なんとか言葉を絞り出した。
「手首を握られていた時、痛みを感じる度に貴方の強い感情がこちらに向いているとわかってしまって…それが嬉しいと…思い出して…」
言葉を一つ口にする度に、リリーナの顔は茹蛸より真っ赤になっていく。そして彼女の言葉に対してディードリヒは、
「…?」
夢でも見ているのかという顔で彼女を見ていた。
「これは…夢かな?」
夢は痛覚がないと言う。なのでディードリヒはできうる限り全力で自分の頬を抓る。確かに痛い。痛い…が、本当にこれは現実なのだろうか?
「私も今が夢だと思いたいですわ。貴方の前でこんなに恥をかいて」
「それは恥じゃない、大丈夫」
「恥ですわよ! まず見抜かれる程度の嘘しか扱えないというのが貴族として恥なのですから!」
「え? 僕が見破れないと思ってるの?」
「貴方を上回らねばいけないという話ですわ」
リリーナの言葉にディードリヒは一瞬納得したような顔を見せるも。すんと当たり前のことのような態度で言葉を返す。
「できるわけないから諦めた方がいいよ」
「…その発言は癪に障りますわね」
返ってきた言葉、というよりも彼の態度がリリーナの神経を逆撫でしているようだ。しかしディードリヒ本人は彼女の言葉を理解している様子を見せた上で、「そもそもさ」と前置きしてから回答する。
「リリーナは僕に嘘とかつけないのにわからないわけないでしょ?」
「!?」
「もしかして気づいてないの? リリーナは僕に嘘つこうとすると態度に出るからすぐにわかるよ」
「…」
絶句するリリーナに向かって、ディードリヒは「この部屋に来る前もそうだったでしょ?」と笑いながら言う。
いやそんなまさか、リリーナはそう思いたかった。
しかし思い返してみると、少なくとも似たように嘘をつこう、誤魔化そうと考えて行動してうまくいった試しはない。
もしかして、それが全て最初から嘘をつく以前の問題だったとしたら?
「そういうところも可愛いし、大好きだよ」
震えて言葉を失っているリリーナに向かってディードリヒは微笑みかける。
「〜〜〜〜〜〜っ!!」
その笑顔に嘘だと思いたかった感情は打ち砕かれ、彼女は再び羞恥で顔を燃やした。
「あは、本当にどんなリリーナも可愛いなぁ」
「何を言っていますの!?」
「だってそうでしょ? 本当にさぁ…」
憤慨するリリーナに向かってディードリヒはそう言葉で注意を引き、流れるように腰に手を回す。それから空いている手で彼女の髪から頬を優しく撫でると、暗い瞳で囁いた。
「“この僕”まで好きなんて…もっと愛したくなるに決まってでしょ?」
耳元からそっと離れた彼と視線が絡めば、必然的にあの瞳が自分を見ているとわかってしまう。
「あ…」
そう気づいたら、目が離せない。
ただでさえあの普段の、綺麗な瞳ですら見つめられたら固まってしまうというのに、その目でまで見つめられてしまったら。
「あは、本当に嘘がつけないね。リリーナは」
悪戯に彼が笑う。
だがリリーナの脳内では、その笑顔を見た瞬間なにか“カチン”という音がした。
そうやっていつも相手は自分を揶揄う。まるで彼の方が立場が上だと言わんばかりに。
とてもとても、それは癪に障る。
「…」
リリーナは相手の不意をついて両手で彼の頬を包むと、そのまま唇に一つキスをした。それから額に、頬に、首筋にとキスは落ちて、最後は耳元で甘く囁く。
「勿論ですわ…私が愛しているのはディードリヒ様ですもの」
自分でできうる限り感情を込めて囁いたつもりだ。言ってることに嘘はないし、これでどうだ…などと思いつつ、そっと相手の耳元から離れる。
普段の彼から想像すれば、少なからず顔を赤くして驚いているに違いないと彼を見ると、そこで待っていたのは、
「…」
目元に影を落とし、にっこりと笑う彼の姿であった。
「え…」
「…随分積極的だね、リリーナ」
「それは…勿論そういったこともありますわ。言葉に嘘はありませんもの」
「へぇ…」
ディードリヒは、ゆっくりと目を開けてリリーナをじっと見つめる。しかしなんと言えばいいのか、蛇に睨まれたカエルのような感覚が自分を縛り付けていた。
「じゃあ、感謝の気持ちを込めてお返しをしてあげないとね」
「そ、そのようなことは求めていませんわ。私なりの日頃のお返しといいますか…」
「遠慮しないでリリーナ。僕からもたくさん気持ちを返すよ」
おかしい、笑顔なのは確かなのに相手の目が笑っていない。それどころか、獲物を目の前にした獣のようにこちらを見つめてくる。
怒らせたかったのではない、いつもと違って少し自分が優位に立ちたかっただけだ。それなのに前回似たようなことをした時といいなぜこう失敗を繰り返すのか。
そもそもどうして今の状況が生まれてしまったのだろう。自分はずっと相手の闇を好いていて、それなのに自分の言い分と感情が噛み合わずあまりも身勝手だと思いなんとかしたかっただけだというのに。
「ひぇ…」
あぁ、相手の笑顔が近づいてくる。だが腰は完全にホールドされていて逃げられない上、ドレスのホックが一つ外れたままなのでこの部屋からは出ることができない。
「んん…っ」
有無を言わさぬキスから逃げられようはずもなく、そのまま再び押し倒されてしまった。離れた唇の先に見えた彼はなぜか興奮しているように見える。
「逃げられると思っても無駄だからね? リリーナ」
そう言った彼は、不敵に笑った。
これはこれで逃げられないのではないか、そう考える頃には、全てが遅い。
はい、ということで久しぶりの暗い話でしたね
私はこういう男女が大好きなんですよ。ヤンデレを受け入れる女が好きなんですが、聖女的な慈愛ではダメなんですという話をどこかでしたような気がします
ヤンデレを受け入れて、手を繋いで歩き出して、でもちゃんと“相手”が自分の隣に必要である価値や執着を自分の中に持っている…病んでないだけで相手を執着的に愛してはいる、だから絶対幸せになってやる! という女が好きです
メリーバッドエンドやデッドエンドだけがヤンデレとのエンドではないと考えていますし、昨今SNSなどではそういったショート漫画なども見かけますので、この作品もその一つだと思っていただければ幸いです
ではなぜリリーナ様があの喜び…いや悦びを悪しとしたのか
それは彼女の中にメリーバッドエンドの選択肢の誘惑が常にあり、ディードリヒくんが本来望んでいたのはその形であると彼女自身がわかっていたからです
実はこの話、一巻の段階ですんごい小さいんですけどフラグがあるんですよ
ほんの一塊の地の文でしかないのですが、「あの濁った目を好きになってはいけないような気がする」という内容の文章があります。そこから明確化し始めたのが四巻のルーエと歩き回ってる時や、五巻前半の別荘序盤のくだりなどなのですね。随分と長くかかってしまったのですが、やっとフラグを回収できました。お付き合いさせてしまい申し訳ありませんでした
個人的にはこの五巻後半までの全てが積み重なって、その上でこの話があることに意味があると感じています。ですがやはり回収までが長く、物語を一気読みするか細かく覚えておくか…どちらかをしておかないと話繋がってない人もいるだろうなと思うと、物書きとしては悔しい限りです
まだまだ物語は続きますので、よろしければお付き合い頂けますと幸いです
よろしくお願いします
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