問われるのは彼の覚悟(2)
「では話の角度を変えよう。お前の描く“理想”とはなんだ? ディードリヒ」
「理想、ですか」
「そうだ、夢でもいい。お前はこの国をどうしていきたい?」
「…」
祖父の質問に、ディードリヒは一度口を閉じた。同時にリリーナはふと視線を感じ隣を見ると、彼が自分を見ながら微笑んでいる。
そして彼は、リリーナと目があったことに満足そうな表情を見せてから祖父に向き直った。
「私欲のようで申し訳ありませんが、やはりそれはリリーナが幸せに過ごせることに他なりません」
「幸せなのは、一人でいいということか?」
「いいえ。リリーナを…隣にいる大切な人を幸せにできないのであれば、僕に国は背負えない。彼女が幸せであるために、彼女の住むこの国をどれだけいいものにしていけるか…それが全ての答えになっていきます」
「…」
「リリーナもこの国の民の一人であることに変わりはありません。そして世界は、そこから広がっていきます。民を思うことはリリーナを思うことにも繋がるのです」
ディードリヒの視線は揺れることなく相手を見ている。言葉に過度な緊張も感じられない。
その姿をしかと見て、その言葉を確かに聴いたアダラートは、鋭い視線から一変してニヤリと笑った。
「それは大した“屁理屈”だな、ディードリヒ」
「嘘もなければ理屈にも適っています」
「そうだろう。言っていることに嘘がない、だから屁理屈と言うのだ。要するにお前は、ルーベンシュタイン嬢に大きく依存した行動を取ろうと言っているのだからな」
「それは違います」
アダラートの言葉に、ディードリヒは明らかに眉を顰める。
「ほう?」
「僕は確かに、リリーナが道を違えた行いをすることはないと信じている。ですがそれを理由に全てを明け渡すことはありません。それでは、僕は彼女の隣には立てない…彼女を幸せにできない」
強く言い放ったディードリヒの声音には明らかに怒気が含まれているのがわかった。今ままで祖父に対して“いい子ちゃん”の態度を貫き通してきたはずの彼は今、祖父のたった一言に噛み付いている。
だが豹変したディードリヒの態度を見ようがアダラートの態度や表情は変わらない。相手を煽るように言葉を選び、反応に常に目を向けている。
「僕の答えは一つです。『隣にいてくれるリリーナを幸せにできないのならば、僕に国を背負う資格はない』」
「ではどうやって彼女を幸せにする? 金か? 衣食住の確保か? はたまた権力か?」
「そんなものは、全て前提条件に過ぎません」
「言うじゃないか。ではお前の言う彼女の“幸せ”とはなんだ?」
煽るように笑っていたアダラートは、一変して鋭い視線をディードリヒに送った。少し低くなった声音には静かな圧力が存在し、ディードリヒにプレッシャーをかける。
周囲で二人のやりとりを見ている祖母や両親も、じっと彼を見つめていた。その中でただ一人、リリーナだけが程よくリラックスした様子で紅茶を飲み下している。
「僕が彼女の隣に立ち続けることです」
「随分自信家な発言だな」
「僕はリリーナがリリーナであることに素晴らしさを感じている。そして彼女は僕が隣にいることを望んでくれた…なら僕が僕として彼女の隣に立てる人間であり続けることが、二人で歩みを進めるやり方ですから」
あの日、彼女が自分を隣にと望みあの鳥籠にヒビを入れた時に答えは決まっていた。
彼女は自分を否定するのではなく、確かに“隣に立てる人間になれ”と言って自分を連れ出したのだから。そして今でさえ、彼女は自分を許容し続けている。
昔リリーナは言った。「自分の周りに置く価値のない人間は置かない」、と。彼女を追いかけて何かを積み重ねてきた自分にとって、それはこの上ない褒め言葉だ。雲の上だと思っていた彼女は確かに自分を見て、認めてくれている。
ならば彼女の望む正道を歩かなければ、彼女の望んだ通り隣に立ち続けていられる人間でなくては、彼女の笑顔に顔を向けることはできない。
自分は、彼女の隣に立てる人間にならなくてはいけないのだ。
それは彼女が望んだからだけじゃない、ずっと彼女のそばにいたい自分に示された“望みの叶え方”だから、絶対に叶えたい。
彼女の隣で、できるだけ同じものを見て、違うものは共有して、そうして日々を重ねて生きていきたいから。
「ふむ…だ、そうだが? ルーベンシュタイン嬢」
不意にアダラートはリリーナに話を振る。だがリリーナが向けられた視線に臆することはない。
「勿論私も同じ考えでございます、上王様。私はディードリヒ様を隣に望み、ディードリヒ様はそれに応えようとしてくださっています。そうして合わせた視点を持つことで、縁とは繋がっていくものだと私は思っておりますわ」
「だが視点を合わせるにしても二人だけではな…本当に君たちに民の声は届くのか?」
一見上王の疑念はもっともであると、リリーナもまた考える。だがこの話の本懐はそこではない。
「縁とは、繋がっていくものでございます。そしてその数だけ、新しい視点が見つかるもの…その見つかったものを一つ一つ分別して新しい視点に繋げていくためには、一人では手が足りません」
「…ふむ」
「だから、私たちは常にその視点を分け合える最初の一人になるために、隣に立ち会うのですわ」
リリーナは静かに、それでいて芯のある感情で微笑む。
人は、結局一人では生きていけない。
それが肉体的であれ精神的であれ、どこかで人間は他の存在と関わり合っていて、関わった誰かと何かを分け合う時もある。
私が何かを分け合うなら貴方がいい、だから私も貴方の隣に立っていられる自分でありたい。
「…そうか」
リリーナの言葉に、いや二人の回答にだろうか、アダラートはこの会話の中で初めて穏やかな笑顔を見せた。その静かな微笑みのままソファの背もたれに体を預けると、ゆっくりと腹の上で指を組む。
「どうやら俺は、二人を少し侮っていたようだ」
「アダラート様、わたくしの言った通りになったでしょう?」
「…そうだな、ファニー。君の言う通り孫というのも成長するもののようだ」
得意げに声をかけるフランチェスカに、アダラートは苦笑いを返す。その苦笑いのまま、上王は国王である息子のハイマンと、その妻のディアナに目を向けた。
「お前たちも少しは安心できたか?」
アダラートの言葉に、ハイマン夫妻は少し気疲れしたような苦笑いで返す。だがその笑みには、確かに安堵の色が含まれていた。
「少しは安心しました。とりあえず様子を見ようと思います」
「色ボケてる割には考えてるのよねぇ…」
「その物言いは酷くありませんか、母上」
「そう思うならリリーナさんに迷惑をかけるのをやめなさい。誕生日パーティのこと、まだ許してませんからね」
不出来な息子をキッと睨みつけるディアナ。
“触らぬ神に祟りなし”…ディアナの目つきを見てそう感じたリリーナはそっと口を閉じる。
「まぁいい、先ゆく未来を考えていることに意味があるからな。今すぐ王位を継ぐという話でもないというのにつまらんことを訊いてすまなかった」
「いえ、大事な話であったと感じています」
「そうか。この話全体を通して言えることだが、お前がそう真摯に言葉を返してくるのも珍しいな」
「…逃げ回っていくつもりもありませんので」
ディードリヒの表情は確かな決意を思わせる硬さであった。その表情が果たして意識的なものかはわからないが、それを見る祖父はまた一つ面白いものを見た、と静かな表情の裏側で考える。
隣に座るリリーナとしては少しばかり安心を得た、といったところだろうか。決して何も考えていないなどということはないだろうとは思っていたが、やはりしっかりとした行動理念に基づき彼は動いている。
その中でリリーナの言った“正道”は確かに含まれていて、同じ方向を向いているのだと彼の口から聞けたことに安心した。
「さて、つまらん話は終わりだ。みんなでオレのとっておきでも食べようじゃないか」
「…アダラート様、それはまたわたくしのお菓子をつまみ食いしたお気に入りではありませんよね?」
「こ、今回は違う。この間知り合いの商人が来ただろう、その時の土産品だ」
フランチェスカの静かな言葉に狼狽えるアダラート。その仲睦まじい姿に周囲の空気はほぐれていくが、リリーナは“言われるほど繰り返しているのだろうか”と少し反応に困る。
それにしてもアダラートのつまみ食いやハイマンの寝酒と、フレーメン王家の血筋は妻に隠し事をするのが特性なのだろうか。そう考えたリリーナはディードリヒの場合何が当てはまるかについて考える。
「…」
しかしそんなものは考えるまでもない、彼の場合盗撮をはじめとしたストーキング行為の数々だ。親や祖父に比較できないほど重い行いではあるが、一応“すでにバレている隠し事”という意味では同じだろう。
アダラートの言う“とっておき”の菓子が開封される和やかな空気を眺めながら、どこかの誰かさんに対して呆れ返ったリリーナの視線は少し遠くに浮遊していった。
そうですね、最初に言うならば「ディードリヒくん死ぬほど親戚に怪しまれてて草」といったところですかね
はしゃぎ過ぎなんだよあいつは。自分で書いておいてなんだけど
そのくせ仕事は有能で公私は弁えてるという…あまりにも面倒な男ですね。やることやってるのは本当なので頭ごなしに叱ることもできないという、両親は頭を抱えているのをもう隠そうともしていません
でもリリーナはそんな彼の割り切った考え方を評価している感じでしたね。どこまでも自分に向いている感情は信じている、といったところでしょうか。その上で、二人とも互いが隣であるにはどうするべきか方向性は決まっているという…でも本当にそんな綺麗事だけで片付くんですかね?
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