問われるのは彼の覚悟(1)
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コンコン、と軽いノックでドアの向こうに来訪を知らせる。帰ってきた返事を合図に、ディードリヒはゆっくりと談話室のドアを開けた。
「失礼します」
「失礼いたします」
もう明日には帰ろうという日である今日、リリーナを連れ添ったディードリヒが談話室を訪れたのは、他でもない祖父母の呼び出しを受けたからである。
「あぁ二人とも、待っていた。とりあえず座りなさい」
ディナーの後に話があると言われ来たはいいものの、談話室には祖父母だけでなく両親の姿までありディードリヒは少しばかり驚く。
漂う空気も少し張り詰めたものを感じさせ、これから起こることに警戒をしつつディードリヒはリリーナと共に一つ礼をして空いたソファに腰掛けた。
「いい機会だから、一つ大事な話をしようと思ってな」
「大事な話…ですか?」
「あぁ、今年お前は漸く酒が飲めるようになって、本当の意味で成人したと言えるだろう。そしてお前の婚約者もこの場にいる。これ以上の機会はない」
アダラートの言葉に二人は反射的に身構える。その姿を見ながら、彼はある問いを投げかけた。
「ディードリヒ。お前の描くフレーメンは、どんな国になっていく?」
なんの前置きもなく、賽は投げられる。
まるでディードリヒを困惑させようと言わんばかりの不意打ちで放り込まれたサイコロはディードリヒの前で静かに佇んでいるが、かといって彼がその言葉に動揺する様子はない。
「お前が一端の大人になるほどだ。オレやハイマンがいつ死んでもいいように覚悟はできているだろう?」
アダラートはリラックスした様子で肘掛けに肘を置き、刺すような視線をディードリヒに送る。上王の視線の先にいる王太子は、その視線を強く見つめ返していた。
「まさか、考えていなかった…とは言わせんぞ」
静かな室内にアダラートの言葉だけが響く。
だが躙り寄るような圧力の中で、やはりディードリヒが目の前の上王に臆する様子はなかった。彼は特に表情を変えることもなく、ただ静かに口を開く。
「僕の描くフレーメンにあるものが平和であることに変わりはありません。しかし、平和であるが故に一つ先の“秩序”を描く必要があると考えています」
「ほう?」
「現在の法準拠では、急速に発展していく技術についていくことができず、それを利用した非道な行いが増えています。さらにその中で貧民と平民にすら収入や生活環境に大きな溝が開き、犯罪は増えゆく一方です」
「そうだな」
「国としての富や資産は勿論のこと、法という秩序の地盤を固めることで得られる平穏や平和は存在すると考えています」
昨今、国の内外を問わず科学技術の進歩は日毎に進んでいる。しかしその裏側では、定められていないルールを「合法だ」と言い張って非道な行いに使用する者も少なくない。
ルールが追いつかないことは決して合法であると認めたわけではないのだ。そしてそれは科学でなくとも、人の悪意の全てに言える。
“戦争のない平和な時代”がこれだけ維持されてきたからこそ、“秩序”という次の段階に進むこともできるのではないだろうか…それがディードリヒの考えであった。
「では他の面はどう考える? お前の考えは法整備だけではあるまい」
「来年度の案ではありますが、税率の見直し及び引き下げを行い各領地の負担を減らすべきであると考えています」
「その理由は?」
「現在国庫に納められている食材や資産と各領地の状況を俯瞰すると、現状のままでは先細りしていくのではないかと判断しました。また昨今の出生率の上昇を鑑み、税率を一時調整することで子供達の未来を育む、という目的もあります」
このやりとりから、フレーメンという国の未来への話は始まる。ディードリヒはアダラートが問うてきた言葉の一つ一つに対して冷静に、そして丁寧に回答していき話題を深めていく。
リリーナは二人のやりとりに耳を傾けながら、ディードリヒの仕事に対する技量について改めて考えた。
彼は言ってしまうと、公私の区別がはっきりしているような印象がある。リリーナを見かけると基本的にポンコツになるのは事実だが、一度“仕事”となった彼の話を隣で聴いていたり、それが何かの話題に上がると途端に表情を変えることができてしまう。
そして彼の意見はいつも資料に細かく目を通していることが安易にわかるほど具体的で、全体を俯瞰で観察していると確実に思えるほど忖度がない。それでいていつも詳細まで意見が練り込まれている。
いつ見てもこの瞬間の彼は別人のようだ。ここまで丁寧に仕事をしていたら、毎日時間に追われながら自分との時間を作るのは大変だろうに彼は必ずお茶会の時間には顔を出す。急ぎの要件が入ってしまう時は別だが。
つまりそれは効率を考えながら仕事を片付け、配分を調整しスケジュールを管理できている証拠だ。でなければ昼間城の中で見かけることすら少ない彼が、毎日同じ時間にリリーナと過ごすのは難しいだろう。
それでも手いっぱいな様子など見せたことがない。だがディードリヒがリリーナに向かって痩せ我慢をすることだけはないだろう。なにせそんなことが起きれば、それこそこれ以上ない甘えるチャンスなのだから。だからリリーナはいつもディードリヒの仕事への姿勢に対して“やる気がない”と感じているのだ。
こう考えてしまうと、改めてディードリヒ・シュタイト・フレーメンという王太子の有能さを改めて思い知る。そういう男なのだ、ディードリヒという男は…考えると少しため息が出てしまうが。
全く…と内心で少し呆れていると、一度二人の会話が止まった。それはほんのわずかな間ではあったが“間”を故意に作ったと周囲に感じさせるには十分な時間で、リリーナはそれに反応しアダラートに目を向ける。
すると視線の先の上王は、ふと話題を切り替えた。
「では話の角度を変えよう。お前の描く“理想”とはなんだ? ディードリヒ」