団欒のディナー(2)
「女性達の会話は華やかでいい。ではルーベンシュタイン嬢、今度は俺が質問しよう」
「お答えできうる範囲でよろしければ、喜んでお答えいたします」
「はは、そんなに警戒しなくとも大したことではないさ。ルーベンシュタイン嬢、君の苦手なことは何かね?」
「苦手なこと…でございますか?」
急な質問に、思わず質問で返すというミスをしてしまったリリーナはすぐに口を噤む。だがアダラートがそれを気にした様子はなく、どこか楽しそうにすら見えた。
「そうだ。人間好きなものや得意なことばかりではないだろう? オレは人間のそういう不完全さが好きなんだ。長所は短所と言うように、よく見えても悪いものもある。なら逆の視点で見てみれば、それはそれで面白いじゃないか」
アダラートの笑みはやはり楽しげで、それでいてこちらを見定めようとしている。
その視線をしかと感じながら、リリーナは自分が自分として自覚のある中で苦手なものなど、一つしかないと口を開いた。
「…積み重ねたものを、自ら投げ捨てることでございます」
「ほう、その理由は?」
「私の人生は、とにかく積み重ねの上に成り立ってまいりました。それは私を意味づけ、形づけ、育てくれた。それが凶と出たこともございますが…」
リリーナはそこで少しばかり間を置く。そして隣に座るディードリヒを見てからアダラートに視線を戻した。
いつもの彼女の真っ直ぐな瞳が、アダラートの視線を絡む。
「その積み重ねの上に、今の私はありますわ。ですから私は今の私を、そのために積み重ねたこれまでを捨てることはできません」
これこそが自分の矜持だ。胸を張って“自分”と言える証、誰にも譲れないプライド。
だからこれを投げ捨てることだけは、できない。
「っはははははは!」
リリーナの言葉に、アダラートは大きく笑う。それに驚いたリリーナが少し固まると、アダラートはニヤリと笑い再びリリーナを見た。
「大した自信だ、ルーベンシュタイン嬢。この食事中君を観察させてもらったが、確かに君はマナーも仕草も文句のつけようがない。オレが見てきた女性の中では年齢以上に最も磨かれていると言えるだろう」
「ありがとう存じます」
「だが、君はまだ己が積み重ねられると思わないのかね? 既に捨てられるほどの積み重ねがあると何故言える?」
アダラートの言葉はまるでリリーナを煽るように聞こえる。しかし、リリーナがそれに感情を荒立てることはなく、変わらぬ冷静さで返答した。
「勿論、私の人生が続く限り私は幾重にも全てを積み重ねていくことができますわ。ですが」
「ですが?」
「私の今までを認めてくださった方々がいます。私はその方々のためにも自らの意思で自らを認め、それらをさらに積み重ねていく義務がございます」
それだけが、そうして周りにいる人間と日々を重ねていくことこそが、自分を認めてくれた人たちにできる唯一の報い。
だから何度でもその答えに立ち返る。
私は、私を諦めてはいけないのだと。
「ほう…強い瞳だ、悪くない」
相変わらずアダラートの視線はこちらを見定めている。初めて会った時の冷静で冷ややかな印象は今の彼には感じられず、確かな感情の高まりが瞳に宿っているのがわかった。
「ディードリヒ」
「はい、お祖父様」
「お前から見た彼女について教えてくれ」
その質問は間違いなく“今”であることに意味があるのだと、リリーナは感じる。
そう、親族が一人残らず集まっている今この瞬間であることが意味になる。
「リリーナは」
ディードリヒは、敢えてそこで一拍間を置いた。
「リリーナは、僕のやまない憧れです」
「…ほう」
「一つ一つの完成された仕草が、大輪の薔薇のような笑顔が、寸分の狂いもないダンスが、彼女の美しさを確かに彩っています。ですが、彼女の輝きの本質は前を見続ける強さにある」
その場にいる全員が、ディードリヒの言葉の隅から隅にまで注目している。ディードリヒにとってのリリーナ・ルーベンシュタインとは一体“誰”なのか、この場の誰もが知りたがっているのだ。
「彼女の積み重ねたものの先にその強さはあって、積み重ねることの大切さを知っているから驕らない。だから僕をここまで連れ出してくれた、だからたくさんの人が彼女に惹かれてここまできた。リリーナは僕のやまない憧れで、誇りです」
「…!」
そう言い切ったディードリヒは、誇らしげに笑っていて、リリーナは思わず視線を泳がせる。
こんなところで感情を大きく出すのはいけないとわかっているのだが、ディードリヒの発言があまりに告白じみているせいで心臓がうるさいのだ。
せっかくディードリヒは褒めてくれていて、それは自分もとても誇らしいことなのに、それを表情として表にして胸を張るべき場面なのにうまく行動に移せない。
「…そこまで言えとは言ってないんだがな。まぁいい、お前がどれだけ彼女を愛しているかは伝わってきた」
「お褒めに預かり光栄です」
「褒めとらんぞ」
「上王様にその口の利き方はやめろ、ディードリヒ」
「僕の思いが皆さんに伝わったようで嬉しくなってしまいました。申し訳ありません」
言葉では申し訳なさそうに言っているものの、表情はそれはもう嬉しそうに笑っている。
その姿にディアナは呆れた様子で首をふり、エドガー夫妻に至っては驚きが隠せないようだ。
「リリーナさんから見たディビはどんな子?」
「優しい方でございます。私は前ばかりを見てしまって、己を休ませることを忘れてしまうところがあるのです。ですがディードリヒ様はいつであろうと私の手を取り、立ち止まる時を教えてくださいます。そうしていつも私を見て…いつも隣にいてくださる方ですわ」
リリーナの笑顔は柔らかい。
先ほどのディードリヒの発言は惚気のようなものだが、はたからみれば今のリリーナの発言も大概甘いものだ。しかしそれを聞いたフランチェスカは柔らかく笑い返す。
「…そう、ディビは本当に素敵なパートナーに出会えたのね」
「立場が逆なような気もするが…?」
「ふふ、そんなことはありませんわアダラート様。心の在り方は立場や性別に依存しませんもの。きっとディビは優しくて素敵な王様になって、リリーナさんはたくさんの人を惹きつけられる王妃になれるわ」
そう夫に向かって語りかけるフランチェスカは、また嬉しそうに笑った。
「アダラート様が意地悪してごめんなさいね、リリーナさん。この人ったら、今年はディビの様子がいつもと違っておかしいって言ってきかなかったの」
「ファニー…そこまで言わなくてもいいじゃないか」
「でも、ディビの様子がいつもと違ったのは事実でしょう?」
「そ、それはそうだが…」
フランチェスカの言葉に反論しようにも畳み掛けられてしまい狼狽えるアダラート。しかしそのやりとりにリリーナは確かに嫌な予感がした。
だがどう考えても大っぴらに問うのは憚られる…なのでリリーナは、ディードリヒを挟んで向こう側に座るディアナにアイコンタクトを取り、助けを求める。
するとディアナはそれに気付き、そっとリリーナに返答してくれた。
「今年のディビはね、なんていうか…元気なのよ。リリーナさんがこっちにきてから嘘みたいに元気なの…」
「…わかりました、ありがとう存じます…」
リリーナにそれ以上言えることはなかった、としか言いようがない。
なんとまぁわかりやすい男なのか。自分はここに来る前のディードリヒを知らないが、かといって周囲が違和感を覚えるほど活気を得るなど怪しまれるに決まっている。これを色ボケと言わずしてなんと言えばいいのか。
これから先、いやでも様々な責任が待ち構えている。それは立場が変われば尚更で、だというのにリリーナはまた要らぬ責任を一つ自覚してしまった。
何か有事の際離れなければいけなくなるようなことが起きたら、本当にこの男はどうなってしまうのだろうかと心配でならない。
少なくとも自らの手で彼の元から逃げようなどとは一生無理だとわかってはいるが、さらに他の運命が重なってしまったらどうしようもないこともあるだろう。
そういった側面に対して、リリーナはいつだって気が気でない。自立してくれ、と言って自立できるなら今まではないのだと思うと尚更頭を抱えてしまう。
「それでね、アダラート様ったら『ディビが変な女に引っかかってたら大変だ』って慌て始めちゃって」
「いえ…ただでさえ外国から来た訳ありの女であることには変わりありませんので、上王様のご不安はもっともかと」
「そうねぇ…わたくしも『この目で見るまでは』って思っていたのだけど、ディアナさんのお話や何より実際に貴女を見て、悪い人じゃないとすぐにわかったわ。ただ…」
「?」
「少し予想外だったのは、わたくしが思っているよりずっと二人が想いあっていたことかしら」
「!!」
フランチェスカの一言に、リリーナは火がついたように顔を赤くする。そんなに側から見ても恥ずかしいのか、自分たちは。
「そんなに顔を赤くして…澄ました顔よりずっと可愛い人なのね、リリーナさんって」
「…ぁ、いや、その…」
よくない、絶対によくない。
ここは「ありがとう存じます」と笑顔で返すところであって、こんなに動揺して言葉の一つも返せないなど無礼極まりないというのに。
心臓をうるさくしている場合ではない!
一方、焦るリリーナをこれでもかと凝視する人間が、この場には二人存在する。
一人は、本来緊張感の走るこの空間でリリーナを愛でることを隠そうともしないディードリヒ。
もう一人は、リリーナの反応にロマンスを感じ野次馬の如く彼女を見つめるマディである。
ただディードリヒとしては、本来親族であろうがこんなに可愛くなってしまったリリーナは見せたくはない。しかしこの状況が生まれなければ目の前のリリーナもまた生まれない…これはなんとも激しいジレンマだ。
「ほら、アダラート様も少しはご納得いきましたか?」
「あ、あぁ…」
「では今日は一旦お開きにしましょう。少し話しすぎてしまったもの」
フランチェスカはそう言って微笑み、硬くなった空気に解放の風を吹き込む。
その少しずつ緊張の緩んでいく空気の中で、ハイマンは一人胸を撫で下ろした。
息子に活気があるのはいいことだが、それでもあの浮かれた様はあからさますぎる。いつまで続くのか、親としても王としても心配でならない。
自分たちから話を振ったら大量の惚気を喰らうご親戚方、お疲れ様です…と言ったところですかね
あいつら生きてるだけでいちゃついてんだな…と作者は遠い目をしております。誰か渋い煎茶持ってきて
後は将来が不安で仕方ないリリーナ様がいましたね。ディードリヒくんはなんの前触れもなくリリーナが死んだらどうなるんでしょうね。少なくともリリーナが後追いを望むことはないので、その意思を彼が汲み取れるかにかかっていると思います
後はそうですね…エドガー叔父さんの家族は仲良しですが、エリシアさんが気の強い人なのでそれに釣られるような形で三姉妹は自我を高めていきました。おかげで自分の世界に恥を感じない強い精神の娘たちが出来上がったわけですね。特にマディはモロに影響受けてると思います
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