疲れ果てたため息(2)
「!」
そこにノックの音が入ってくる。ミソラが確認しに向かうと、問題のない人物だったのか中へ招き入れた。
「ディードリヒ様!」
中へ入って来たディードリヒに、リリーナは膝に敷いていたちり紙をまとめると慌てて立ち上がり彼を出迎える。
「如何なさいましたか?」
「単純に今リリーナがどうしてるかなって思って来ただけだよ。なんか、疲れてるみたいだけど大丈夫?」
「…」
心配を顔に出してこちらに言葉をかけるディードリヒの顔をリリーナはじっと見つめ、彼はそんなリリーナを見て少し戸惑ったような表情に切り替わった。
「…僕なんかした?」
「いいえ…ですがお話ししておきたいことがございます」
リリーナはそう言うと、まずディードリヒをソファへ促す。それから、先ほどマディたちとの席でなにが起こったのかを説明すると、
「…」
ディードリヒまでもが眉間に皺を寄せ頭を抱え始めた。
「…そんなことを唆す人なんて一人しかいない」
「誰かお心当たりが?」
「母上だ。母上以外にこんな冷や汗をかくような悪ふざけをする人はいない」
「王妃様…?」
どういうことだろう、とリリーナは素直に疑問を抱える。
やはり試されていたのだろうか、ディードリヒと自分の秘密を守り切れるかどうか…という意味で。
「やはり私は試されていたと…?」
「まぁそれもないとは言い切れないけど…話を聞いてる限りだと“面白そう”だと思ったんじゃないかな」
「おもしろ…?」
ディアナは確かに茶目っけのある部分がある。だがこんな…急にとんでもないことを唆すような人間ではなかったと、リリーナは記憶しているのだが。
「真に受けるようなルアナならともかく、冗談とそうでないことがある程度区別できるマディとメリセントに話したってことは、本当は僕まで巻き込もうとしたんじゃないかな。母上は年に一回くらいのペースで冗談じゃ済まない冗談を言う人だよ…あの人は僕で遊ぶのが好きだからね…」
「とてもそのような方には見えませんが…」
「今までもあったよ。母上はよくジョークを使うでしょ? その中で僕には記憶のないスポーツの記録とかを混ぜてくるんだ。おかげで真に受けた人から急に話を振られて誤魔化すのが面倒で…流石に目立って醜聞になるようなことは言わなかったんだけど」
「確かにジョークは言われる方ですが…今回は少し話が違うのではなくて?」
お茶会などで第三者がいた場合、ディアナはよくジョークを披露する。とはいっても“廊下で転けてしまった”、“メイドが盗み食いをしているのを見てしまった”といったものばかりで、基本的にはすぐジョークだと見抜かれてしまうような場を和ませるのが目的なのだろうとすぐにわかるものばかり。
一方ディードリヒとしては、母親のこの悪ふざけが自分の社交嫌いを加速させているとしか思えない。
だがどちらにせよ今回は話が違う。この話ばかりは身内であってもうっかりしたら立派に醜聞ものだ。
「まぁだから、リリーナが試された側面がないって言い切れないのはそういうこと。噂なんてどこから湧いてどう広まるかわかんないからね…それが身内だったらどう対処するか。それはそれで見たかったのかも」
「…」
リリーナは素直に頭を抱える。
以前にも思ったが、やはり蛙の子は蛙のなのだろうか…笑顔で他人を振り回すところがそっくりな親子だ。
「母上には僕から言っておくから…ごめんね」
「いえ…王妃様に嫌われているのでは、と少し心配にはなりましたが大丈夫ですわ」
「嫌ってるってことだけはないよ、むしろ気に入られてる。若い頃父上にも似たようなことをして喧嘩になったような人だから」
「…」
少し想像がつかなかったリリーナは、思わず黙ってしまう。ディードリヒは“そうだろうな”と思いつつ言葉を続けた。
「その頃はまだ父上も王位を受け継いでなくて、今ほど制約がなかったからね。母上が父上の誕生日プレゼントを忘れたフリして驚かせようとしたら先手を取られて喧嘩になったらしい」
「それは仲がよろしいのでは?」
「そう思うでしょ? そういうことだよ」
ディードリヒはそこで大きくため息をつく。正直話を聞いているだけの自分がここまで疲れるのだから、その場にいたリリーナの苦労は計り知れない。
「特にメリセントなんかは信じてないと思うよ。そもそも僕と従姉妹が会うのなんてこの時期だけだから決定打もないしね。でもマディへの対処は…正直流石としか言いようがない。マディが普段どんな話を書いているのか知らないけど、あいつ結構ミーハーだから…」
「年に一度程度しか会わない方々にしては、詳しいですわね」
「どっちかっていうとあいつらの主張が激しすぎるんだよ。三人とも自分の世界で生きてるような感じだし、ルアナとマディはすぐに僕を巻き込もうとするから」
「剣術の講義…などでしょうか?」
ルアナは先ほど会った時、去り際にそんなことを言っていたな…とリリーナは思い返す。
「まさにそれ。今まであれこれ理由をつけて断って来たんだけど、流石に難しくなってきたな…。マディはおままごと程度ならともかく、僕の服を改造しようとしたりおすすめだって言って恋愛小説を押し付けてきたり…でもメリセントは二人を止めないからすごく…その…疲れるんだ…」
発言が進むごとにディードリヒは項垂れていく。彼としては思い返すだけで疲れるほどだ。
しかし、最近似たような知人ができてしまったような…いや考えたくない。
「ご無理のないようになさってくださいませ…」
「今後はリリーナも巻き込まれるよ…」
「それは…覚悟しておきますわ」
特にルアナに関しては淑女の仕草について説いてしまったので何かと絡まれることだろう。かといってマディも忘れてはいけない。リリーナは静かに覚悟を決めた。
それから、リリーナはふとファリカを見る。
「ですがそういった話でしたら…ファリカはどうなんですの? マディ様たちとの仲と言いますか…」
ファリカにとっても三姉妹は従姉妹なので、会う機会は少なくないはずだ。いざ会った時、ファリカは三姉妹とどう接しているのだろう。
「私? マディとは恋愛小説の話をしてることが多いかな。ルアナは弟の面倒をよく見てくれるし、メリセントとはたまに法律や鉱石の話をするわよ」
アンベル家には大事な長男が存在する。名前はアーネスト、今年で八歳になるファリカの弟で、性格は姉に似て活発で接しやすい。
アンベル家はエリシアとエドガーの婚姻により一代限りのはずだった爵位を継続することが許されている。そのためアンベル家にとって商人としての面を抜きにしても、アーネストは大事な跡取りだ。
「…手慣れている」
「趣味が合うとこんなにも違うんですのね…」
「そんなにすごいことじゃないと思うけど…?」
帰ってきた反応に怪訝な顔を見せるファリカだが、二人からすればまさに超人を見るそれである。
なんせ二人は二人とも、三姉妹と趣味が合わないのだから。
まずリリーナは恋愛小説を暇つぶし程度にしか読まないので中身を細かく覚えていない。ディードリヒは剣術ができても興味はない…強いて言うならリリーナがメリセントと話すことはできるかもしれないが、彼女は積極的に他人とコミュニケーションを取るような人物には見えなかった。
しかしそこに来てのファリカの存在と言える。偶然にも彼女は三姉妹の誰とも程よい距離感が保てているようだ。これは思わぬ収穫である。
だがこの関係には不審な点もあった。
そもそもファリカはなぜ三姉妹とここまで友好関係を築けたのか、という点である。友好関係を証明する最もたる点は、ファリカが目上の人間である大公の娘に砕けた口調を使っていたこと。
ディードリヒですら年に一回程度しか会うことがないというのに、どこにそのような機会があるのか。
考えうる答えは、一つ。
「…ファリカ、貴女の家は元々画商でしたわよね?」
「よく覚えてるねそんなこと。そうだよ、エドガー叔父様は海外の取引先との仲介をやってくれてるの」
「やはりそうでしたか…」
「芸術品を扱う画商としてはやっぱり海外のお客様も大事だからね。エドガー叔父様はレーゲン領の領主だし、あそこは船の行き交いが多いから商人としては欠かせない…二人は恋愛結婚だったけど、我が家に多大な利益をもたらしてくれたってわけ」
レーゲン領は首都であるラッヘンから遠く東に離れた海沿いの領地である。
ハイマンの王位継承に伴い大公となったエドガーは、都会の忙しさを嫌い前王である父から領地を一つ賜った。それがレーゲン領であり、エドガーが領主を務めフレーメン大公一家の住まう土地である。
前任の領主が逝去し、後継がいなかったため宙に浮いていた領地をあてがわれたわけだが、本人は「海沿いなんて気ままで良さそう」と快諾。
レーゲン領は元より商船行き交う大港で有名だが、本人は“そうは言っても田舎であることに違いはない”と管理に対して舐めた態度で移住した。
しかし移り住んでみれば一般的な領地管理に限らず商人たちの集う協会での協議の立ち合いや、海外の商船と自国の商人との関係と繋いだりと…結局都会と同じような忙しさに喘ぐ羽目になっている。
「そういうわけだから、我が家はエリシア叔母様が嫁いで以来何かとレーゲン領に行くことが多くてね。マディたちとは半分姉妹みたいに育ったわ」
「マディ様とご趣味が合うのは偶然…なんですの?」
「それはたまたまだよ。私だってマディほどの熱量はないし」
「ルアナは一見趣味が合わなそうだが」
「確かにルアナはマディやメリセントほど仲良くないですけど…でも剣の練習してる時にクッキーとかあげると喜んでくれますよ」
「あいつ餌付けされてるのか…」
「餌付けなんてしてないですよ!」
そこから言い合いになった二人を横目にリリーナは少し考えに耽った。
恐らくディアナは、ファリカの存在を計算しきれておらず今回の事態が発生したのではないか、と。
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