疲れ果てたため息(1)
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「はぁ…」
「お疲れ、リリーナ様」
流石に抑えられないため息に、ファリカが労いの言葉をかける。その言葉に礼を返しつつも、正直に言ってこの短時間で既に一日が終わるかのような疲労感だ。
ディードリヒの親戚に対する挨拶は勿論緊張が絶えなかったが、フレーメン三姉妹の個性に対応しているのに一番エネルギーを使ったように思う。
ルアナの素直さはともかくとして、マディの中にある己の世界は少し我が強い。かといって相手に悪気があるわけでもなく、さらに自分の立場を考えると対応するだけでてんやわんやといったところ。
ただ、三女であるメリセントは終始口数の少ない少女だった。無意識に彼女の気分を害するようなことをしていなければいいのだが。立場の問題を差し引いても、他人が不快だと思うことを進んでしたいとは思わない。
「リリーナ様、お紅茶をお持ちしました。お茶請けにビスケットも、よろしければ」
「ありがとう、いただくわ」
ミソラは慣れた手つきで淹れたての紅茶とビスケットをテーブルに並べていく。リリーナはまず紅茶を一口飲み下すと、ちり紙を一枚膝に敷いてビスケットに手をつけた。
軽い食感のビスケットは口の中で簡単に解けていく。濃厚なバターの香りと小麦の甘さが相まって、ついいくつも手が伸びてしまう美味しさだ。
「それにしてもあんな話、よく即興で思いついたね?」
不意に飛んできたファリカの言葉が指しているのは、先程リリーナがマディに訊かれたことについて答えたもののこと。
「“ディードリヒ様は実は間者を通じたダブルスパイで、リリーナ様の冤罪と自国内の不届者を成敗するためリリーナ様をはじめとしたルーベンシュタイン家の監視を行っていた”…という話でしたか」
「そうそう。しかも“リリーナ様の保護は追放前から決まっていて、ルーベンシュタイン家の…ひいてはそれを利用してフレーメンの国家機密を狙った犯人を誘き寄せるためにリリーナ様が受けた断罪をあえて放置。別の誘拐犯に見せかけてリリーナ様を保護して、パンドラの王子様たちを逆断罪することで自国の犯人も炙り出していた!” なんて…映画でも作れそうだよ」
二人が話を振り返っている様を眺めるリリーナは、疲れた様子で眉間に皺を寄せる。
「…本当はそこまで大きな話にするつもりもありませんでしたし、ストーキングに関してはもう少し認めても良かったのですが…壮大に誇張した方があぁいった方は喜ばれますから」
「錯綜する陰謀の中で出会った二人の運命的なラブロマンス…リリーナ様は物語を書く才能もあるの?」
「そういった芸術的方面に才能はありませんわ。暇つぶしに読んでいた本の傾向から所謂“ありがち”な要素をつぎはぎしただけです」
自分がやったことなど、音楽と同じで所詮小手先の手段に過ぎない。さらに言ってしまえば、あんなものはその場しのぎだ。穴を突こうと思えばすぐに見つかるだろう。
「リリーナ様は意外と小手先で生きておられますから」
「そういった小手先の手段を増やすのも一つの処世術ですわ。そこに関してはミソラも大概ではなくて?」
「本来の職務以外でのこととなりますと、認めざるを得ません」
「なんか頭いい人たちの会話に見えてくるよ…」
小手先の技術を小手先と認識して故意に行うというのも、案外器用さや空気を読む技術が求められる。簡単に誰もができるとは限らないことができるというのは、脳が柔らかく注意深い証拠だ。
「商売に関してもこういった技術は覚えておいて損はないですわよ。交渉術の基本はまず相手と話を合わせることにありますから」
「それ私に言ってる!?」
「勿論です。アクセサリーショップを建てたいのでしょう?」
「それはなんていうか…将来的な夢であって直近の現実的な目標じゃないよ」
ファリカの夢は自分が経営するアクセサリーショップを建てることである。とはいっても商人らしい売り上げを重視した店ではなく、マイペースに営業する個人の自己満足のような店だ。
「商売に“長閑”の二文字を持ち込むことは難しいですわ。最低限店を構えるための売り上げは出さなければいけませんし、仕入れ先との話し合いは避けられません」
「うぅ、それはリリーナ様を見てると思うよ…。リリーナ様のお店だって『趣味だ』って聞いてるのに、いろんな仕入れ先の人と常に交渉してるんだもん。私も法律の勉強一辺倒だったの、結構反省してるんだから」
「自覚があるのはいいことですわ。将来的な夢に据える遠い目標であっても、準備はしておいて損はありません。私も貴女に法律について教わっていますし、いつかその恩を返すという意味も込めて多少話をする機会があればいいのですが」
リリーナが管理しているのは店の売上だけではない。アンムートたち職人が扱う道具に関する要望の交渉は、本人たちとともに自分も顔をだす。そこから価格の交渉をするのがリリーナの役目だからだ。当然原材料などでも同じことをする。
他にも製品に用いる瓶やラベルはデザイナーをはじめとして印刷所や工房にも連絡をしなければいけないし、その他器具や従業員の制服、売り場の内装に至るまで、決して一人で全てを行っているわけではないが責任者であり交渉の最前線に立つのは常にリリーナだ。それがオーナーであるリリーナの仕事の一部である。
「リリーナ様を見てるだけでも勉強になるよ。それに恩なんて気にしないで、契約はきちんと果たされてるんだから」
「そう言われるのはありがたいですわ。これからもよろしくお願いしますわね、ファリカ」
「勿論! ファリカお姉さん頑張っちゃうよ!」
「お二人は一つしか違わないと思いますと、私としては五十歩百歩といったところですが」
「そう言う割にミソラさん歳教えてくれないじゃないですか」
「当てることができたらワインをご馳走しましょう」
珍しく得意げな顔を見せるミソラだが、彼女が年齢を看破されない自信はどこからくるのか。
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