お転婆少女との出会い(3)
「ルアナ様がお決めになることが何よりも大切なことですわ。これも参考程度に、という話ではありますが…ドレスでの礼節でも体を鍛えることができますわよ」
「そうなの?」
「えぇ、勿論です」
リリーナの一言に興味を惹かれたのか、再びこちらに振り向いた彼女に向かってリリーナはご機嫌ににっこりとした笑顔を向けた。
「ですのでまずは製本された本を五冊、頭に乗せたまま真っ直ぐ歩けるようになりましょう! 全てはそれからですわ!」
そう宣言したリリーナの笑顔はとても晴れやかで清々しい。正直ディードリヒでもこのようなリリーナの笑顔は滅多に見られるものではないが、彼はそんな彼女の肩に手を置き一度止めに入る。
「待ってリリーナ。いくらルアナが鍛えてるって言っても、製本された本の重さから考えたら難しいんじゃないかな」
「私は十二の頃にはしていましたわ」
「製本された本の重さ知ってるよね?」
「そうですわね、実家にあった本ですと軽くて五キロ程度でしょうか?」
製本される本の表紙には頑丈な木板が使われていることが多い。その上で、分厚い紙の束にそれをまとめ上げる太い糸…大きさや厚みによっては子供が持てる代物でないこともしばしばだ。
それを頭に乗せて真っ直ぐ歩く…というのは、確かに淑女教育の基礎とはいえ段階を踏まえるべきだとディードリヒは言っている。
「普通十二歳の女の子は頭に二十五キロの重りを乗せて歩く練習はしないんだよ」
ディードリヒは真剣にリリーナを止めようと視線を向けていた。いくらリリーナが行っていたとしても、基礎教育である以上ルアナまでそこまでシビアに行う必要はないと。
だが、リリーナもまた彼に視線を返す。
「ディードリヒ様。お言葉ではございますが私であっても騎士の方々がもっと厳しい訓練を受けていることは承知しておりますわ。さらに言うならば歩法は全てに通ずる基礎でございます。きっとルアナ様にいい影響を与えると思っておりますわ」
一言一句噛むことすらなく言い切ったリリーナの目に曇りはない、一切ない。紛うことなく本人はルアナに対する善意で話をしている。
おそらく、リリーナは普通の令嬢より遥かに肉体的な負担の尽きない騎士の道を志しているルアナの姿を見て、敢えて一般的な基礎よりも負荷のかかったやり方を提案しているのだろう。
だが、やはりその負荷が年相応かと言われれば否である上、このやり方を本当に十二歳当時のリリーナが行っていたとしたならば、やはりどう考えてもやりすぎである。
「すごい! リリーナさんは剣みたいに重たいものを頭に乗せて、それも真っ直ぐ歩くの!?」
しかし、それを聞いたルアナの表情はここまでで一番輝いていた。その姿にディードリヒは嫌な予感を察知し、眉間に皺を寄せ始める。
「勿論初めから五冊の本を頭に乗せることはできません。できうる限り軽い本を一冊乗せるところから始めることをお勧めします。ですが本を落とさず、姿勢を崩さず、優雅に真っ直ぐ歩くには全身の力を用いますわ」
「もしかして…母様の背筋がいいのってそういうこと!?」
「間違いありません。フレーメン大公妃…エリシア様の背筋は剣筋よりも正されていました。あの姿勢は全て筋肉でできているのですよ」
「意識してなかった…」
ルアナはカルチャーショックでも受けたような顔でリリーナの話を聞いていた。ころころと表情を変えながらリリーナの話に反応を返すルアナの姿は、見ていて少し面白いほどである。
「カーテシーも同じですわ。更に淑女たるものダンスも欠かせません。ダンスは柔軟さや体を支える筋肉だけでなく、激しい動きの中で常に華やかな笑顔を忘れてはいけないという厳しい制約もございますのよ」
「何それ…見た目よりずっと大変そう」
「何事も簡単に見える物事には、その方の途方もない努力が隠れております。ルアナ様の見たダンスや仕草が誰にでもできそうに見えたならば、それはその方の実力が凄まじいということですわ」
「剣技と同じってこと…?」
二人の会話を眺めながら、ディードリヒは一つため息をつく。割って入ってはいかないものの、完全にリリーナはスイッチが入ってしまったようだ、と。
こと努力や積み重ねの話になると、リリーナは火がついたように語り始めてしまう。今はルアナに合わせてより大袈裟にしているのも見て取れるが、ルアナがそれに気づくことはないだろうと考えるには容易い。
更に言ってしまえば、リリーナの言っていることは頭ごなしに“間違っている”と言えないのが厄介だ。リリーナなりに女性の礼節を軽んじるルアナに対して、騎士が行うような体作りと淑女が行う仕草や立ち居振る舞いの積み重ねには共通点もある…と伝えたいのだろうとわかってしまうと余計に。
追撃するように付け加えるならば、実際ディードリヒが見てきた範囲でもその辺の令嬢より余程上手い立ち居振る舞いを見せる女性騎士というのは、存在する。おかげでディードリヒの中ですら下手な説得力が生まれてしまっているのだ。
この状況でリリーナを止められる人間は少ないだろう。少なくとも多少のツッコミを入れられるであろうミソラも今ここにはいない。
「馬に乗るのにも体を鍛えなくてはいけないでしょう? 全て繋がっていると言えますわ」
「そうだったんだ…あたし、女の人はドレスを着てそれっぽい場所で笑ってればいいんだって思ってた」
「その笑顔一つのために、皆さん血の滲むような積み重ねをしているのですわ。それにただ笑っているだけではありません、女性は常に会話の中で相手の裏をかき己の利益を引き出すための算段をつけ結果を出さなければいけないのですから、頭脳も必要ですわ」
「頭のよくないといけないの!? あたしの周りにそんな女の子いないよ!?」
「それは案外ルアナ様の目にそう映っているだけかもしれません。周りと空気をあわせ、爪を隠すのも知恵ですわ」
正直に言ってしまえば、ディードリヒから見て笑顔一つのために本当に血の滲むような努力をする令嬢など、リリーナを含めても僅かではないだろうか…そう思わないではいられないが、割って入るのも違うような気がしてきたので彼は言葉にするのをやめた。
それにしてもリリーナがこんなに興奮して話をしているのを見るのはいつ以来だろうか。少なくとも自分相手にそんな姿を見た記憶は…ない。
(悲しくなんてない…悲しくなんて…)
ディードリヒは悲しみを抱え、自分に言い訳をしつつそっと二人から目を逸らす。
確かに時折ファリカに対して積み重ねのなんたるかを説いている時があるが、その時でさえ今ほど興奮した姿を見ることはできないと思うと、自分も子供だったらあるいは…などと考えてしまって余計に悲しくなった。
「騎士も時として戦略を組み立てる為に頭脳を働かせると言います。知恵や知識があることは決して悪いことではありませんわ」
「勉強も必要ってことか…メリセントみたいに本を読めばいいのかな?」
「本は読んだ数だけたくさんのことを教えてくれます。お勧めですわ」
話が進むごとに、ルアナはリリーナの発言に納得と発見を見出している。そんな中、リリーナは「さて」と軽く手を叩き微笑んだ。
「如何でしょう、ルアナ様。改めて見ていきますと、女性も男性も関係なく努力は必要なものだと思えませんこと? 見方を変えていけば、他にもつながる部分は見つかるはずです」
「すごい…知らなかったよリリーナさん。騎士は剣技だけあればいいんじゃなくて、女の人にも体を鍛える理由があるんだね!」
ルアナは純粋に目を輝かせてリリーナを見つめている。ディードリヒはその様子に同じ調子でついていくことはできないものの、リリーナの味方になれるよう一言添えることにした。
「僕は女性の仕草や立ち居振る舞いに関する努力はわからないけど、正しく鍛えられたり柔軟になった身体は確実に剣に出る。本当に騎士を目指すなら、広くものを学べるって意味も含めてリリーナの言うようなやり方もアリかもね」
「ディードリヒ兄様…」
「これからどう行動なさるかはルアナ様次第ですが、騎士の方々だけが体づくりをしているわけではない、ということが伝わりましたら何よりですわ」
「リリーナさん…」
ルアナは少し自らの両手を見つめ、何かを決めたようにぐっと握り込むとその感情を表情にも表しながら二人を見る。
「ありがとう、二人とも。あたし、お母様やマディ姉様に歩法とかダンスについて訊いてみて、メリセントにもおすすめの本とか訊いてくる!」
「努力をするための行動することは素晴らしいことですわ。ですがご無理のないようにしてくださいませ」
「ありがとうリリーナさん! あとディードリヒ兄様!」
「な、何?」
「最初に言おうとしてたんだけど、今度こそ剣術教えてね! じゃ!」
そして去り際の言葉とほぼ同時にルアナは走り去っていった。リリーナはその姿に笑顔で手を振りルアナの背中を見送る。
「素直で素敵な方ですわね」
「素直っていうか…ごめんね、従姉妹が迷惑かけて」
「いえ、構いませんわ。ただ、私の発言がエリシア様の教育方針と噛み合っているかはわかりませんので、ルアナ様に何か起こらなければいいのですが…」
「大丈夫じゃないかな…多分だけど」
思い返せばルアナは今よりずっと幼い頃からドレスを嫌がっていたように思う。以前はぶつくさ言いながらも着せられていたが、今年になってとうとう男装に手をだしたとなると…エリシアとしてはリリーナの話から女性としての仕草や立ち居振る舞いに対してルアナが興味を持ち、ドレスを纏うようになったならそれはそれで物事が解決するようにディードリヒは感じた。
「それにしても、随分楽しそうだったね」
「素直な方は好きですわ。それにルアナ様には“現状を打破したい”という強い意志を感じました。私はそれを叶えるための術を一つ教えたに過ぎません」
「それだけには見えなかったけど」
「言っていることに嘘はありませんもの。私は剣を扱うことに関しては詳しくありませんが、少なくとも筋肉がなければ馬に乗ることはできません。馬に乗るというのは、必要であれば男も女もありませんわ」
リリーナの話し方からはすでに先ほどの熱量が感じられない。今彼の目の前にいるのは、すっかりいつもの冷静な彼女だ。
「言ってることは間違ってないんだけどなぁ…」
「なにか言いたいことでも?」
「いいや、どんな君も好きだよって言ってる」
「…その言葉を信じていますわ」
少し睨みつけるようにディードリヒをみつつも、リリーナは自分の特異性についてはここまでで自覚してしまっている。それ故に、ディードリヒだけが言う“どんな自分でも愛している”という言葉は、正直信じたい。
「勿論だよ。僕の女神様」
「…」
だからといって、神のように崇めろとも言っていないのだが。
そう思うとまた一つため息が漏れる。
「…一先ずファリカたちを探しましょう。荷解きが終わったら自由にしていいと言いましたので」
「了解」
フレーメン大公エドガーの娘、三姉妹の次女ルアナの登場ですね
真っ直ぐ脳筋お転婆娘、なんともリリーナと相性が良さそうです。なにせ根性論が通じる相手なので
自由が好き、というよりはアクティブなことが好きです。一日中山を駆けずり回ってどろんこになって帰ってきたと思ったら本人は満足そうに笑ってる、みたいな感じ。現代に生きていたらアウトドアやスポーツの全般が好きだったのではないかと思います
対して大人しくしてられないので“女の子らしい”を押し付けられるのが嫌です。個人的には料理や裁縫って女性の嗜みみたいにいう人もいるけど、ある意味サバイバルの一環では? とも思うのでルアナも覚えていて損はないんじゃないんでしょうか
ただこのまま成長したら強くなりそうですよね、この子
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