生誕祭のスケジュール
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生誕祭当日がやってきた。
貴族街は勿論平民街、貧民のいる地域に至るまで賑わいを見せるこの時期、冷える街並みには街灯や建物に装飾がつけられ、鮮やかな装飾には寒さを感じさせない温かさがある。
その賑やかさがピークを迎える今日、リリーナは午前中より首都で最も大きい教会を訪ねていた。
フレーメン王国首都ラッヘンには個人が開いているものも含め数多くの教会が点在している。首都そのものの規模が大きく、全ての民が王城に近いこの教会を訪ねることができるとは限らないからだ。
中央教会と名付けられたこの教会は、王城より徒歩で向かえる圏内にあり、フレーメン王族の祖先が建てたと記録が残っている。
それ故、王族はこの縁のある教会で毎年生誕祭恒例の“神への祈り”を捧げるのか恒例となっており、リリーナはフレーメン一家と共に祈りに参加していた。
勿論他にも訪問者は数えきれないほど待機しているが、混乱が起きないよう王族は他の民よりひと足さきに神像の前で祈りを捧げている。
「博愛にて我らを抱き祝福の中で我らを見守りし神よ。貴方が産まれいでたこの日…」
静まった教会の中で、筆頭御使である男性の声だけが響く。供物や酒の捧げられたこの場所で御使の祝詞を聴き、最後に全員で祈りを捧げるのが決まりだ。
「我らの感謝が神に届くことを願いましょう。全ての民よ、祈りを」
その場にいる全員が胸に手を当て、静かに頭を下げ目を閉じる。
十秒ほどで頭を挙げると筆頭御使が軽く会釈をしてその場は解散となった。他にも待機している民と交代するため、総員が揃って教会を後にする。
教会の大きな正面ドアを抜けると、騎士たちが人混みにリリーナたちが巻き込まれないよう道を作っており、護衛も合流してその道を進む。
滅多に見ることのない王族を一目見ようと民衆の集まる中、いくつかのストロボが瞬いた。
そこにいたのは婚約発表パーティにも取材に来ていた記者たちの姿。今年も無事神に祈りを捧げ、生誕祭を祝えた証として記事にするのだろう。リリーナとフレーメン一家はカメラに手を振って応える。
その足で次に向かったのは教会付近に造られた大きな広場。ここでは大きなチャリティイベントが開催されるからだ。
王族用の特別席に腰をかけ、少しばかり待っていると広場に建てられたステージには予め王室お抱えの音楽団と聖歌隊がスタンバイしており、指揮者の合図で演奏が始まる。
美しい音楽と歌で誕生祭を祝ったあとは、子どもたちや貧民に向けたお菓子のプレゼント。全ての民が誕生祭を祝えるように、とこの行事も毎年恒例だ。
お菓子の配布にはリリーナとディードリヒが筆頭に立ち、ディアナとハイマンはその時間に休憩を取る。
最後は、騎士団の護衛の下城までの道のりを歩いて帰る。そうしてここに来てくれた民たちと触れ合い、この国を支えてくれている民にも感謝を伝えるのだ。
城まで帰ってきたら一度解散となる。
フレーメン家ではこの時期に親戚一同あつまり、別荘にて年明けまでを過ごすのが通例だが、ディアナとハイマンはその別荘へひと足先に向かうようだ。なので最後の調整に入る二人とはここで別れる。
そしてディードリヒとリリーナがイベント後に約束していたデートは…今年は叶いそうにない。
ディードリヒに急ぎの仕事が発生してしまったためである。それもこれも、ある貴族が王城に提出するはずだった書類を紛失しひと騒動あったせいなのだが。
なので急遽時間の空いたリリーナはヴァイスリリィの様子を見に行くことに。事前に手紙を出す余裕はなかったので驚かれるかもしれないが、教会から帰る際に見た人の多さを考えると買い物客も多いかもしれない。そこで自分がなにか助けになれたらいいと思いついた。
ついでにイェーガー洋裁店に年末の挨拶に伺えないだろうか、あちらも忙しいと思われるので運が良ければ…ではあるが。
「リリーナ」
ヴァイスリリィへ向かうため馬車に乗り込むリリーナをディードリヒが見送りに来ている。リリーナは「無理に来なくていい」と言ったのだが、ディードリヒが譲らなかったのでリリーナが諦めたのだ。
「如何いたしまして?」
「夜はパーティだから、迎えに行くね」
パーティと聞いてリリーナは少し固まる。そんな話は聞いていない。
だが、感謝祭は家族で過ごす家庭も多いと言う。ここ最近で大きなパーティがあるとも聞いていないし、身内だけの小さなものだろうか。
「ご家族だけの集まり、ということでしょうか?」
「…まぁ、そんなところ」
「ですが私までよろしいのですか?」
「それは勿論だよ。むしろリリーナがいないと始まらないから」
そう返してくるディードリヒの態度はややぎこちないように見える。何が彼をそうさせるのか知りたいところではあるが、店に行くならば早くしなければ。
「貴方がそう仰ってくださるのであれば、喜んで参加させていただきますわ」
「ありがとう、リリーナ。じゃあお店の方も頑張ってね」
「勿論です。ディードリヒ様もご無理のないよう」
リリーナはそう言って笑顔を残し馬車に乗り込んだ。
***
建物の前に辿り着いたリリーナはまず侍従の一人に声をかける。イェーガー洋裁店の店長には店が出来てから何かと気にかけてもらっているので、急ではあるが一言挨拶に、と伺い立てをするためだ。
まずは時間があるか訊いてくるよう侍従に指示を出し、返事を待つ。今日が難しいようであれば年明けになってしまうが、それならばリリーナもフレーメン一家が向かう別荘に誘われているので、別荘でのお土産を持ち挨拶に向かおう。
などと考えていると侍従が帰ってくる。返事を聞くとどうやら時間を作ってくれるそうなので、ありがたく店の中に入った。
「ようこそおいでくださいました、ルーベンシュタイン様」
リリーナが入ってきたことに反応した店員が頭を下げる。そのまま店員の指示に従って別室に案内されると、部屋内に置かれた来客用のテーブルにもてなしの紅茶と菓子が置かれていた。
テーブルの周りに置かれた椅子に案内され腰掛けると、店員は「ただいま店長とマチルダをお呼びいたしますので少々お待ちください」と去っていく。
温かい紅茶と共に用意されていたのはジンジャークッキー。雪が降るほどではないとはいえ、やはり寒さの厳しいフレーメンでの冬の定番お菓子だ。他にも擦りおろした生姜の汁を紅茶に入れることもある。
国民レベルで生姜で体を温めようという習慣があるのだろう。パンドラでもそういう習慣や生活の知識はいくつも存在した。
紅茶を飲んで待っているとドアからノックの音が聴こえ、そのままドアが開く。すると二人の男女が部屋に入ってきた。
男性は恰幅のいい初老の男性で、白髪混じりの金髪をオールバックにしている。特注の紳士服に身を包み、いくらかアクセサリーを身につけていた。
女性はスレンダーだがスタイルが良く、体のラインが出やすいマーメイドドレスを美しく着こなしている。ドレスがシンプルな分アクセサリーは大胆で、赤毛の長い髪はあえてカールをつけて下ろされていた。
「お待たせいたしました、申し訳ありません」
リリーナを見て最初にそう詫びたのは紳士服の男性…この洋裁店の店長を務めるレーヴェ・イェーガー氏。マチルダとの縁から予約を取るのが難しいイェーガー洋裁店の常連となっているリリーナに気遣った言葉だ。
「いいえ、気にせずに。私が無理を言いましたから」
「ありがとうございます、リリーナ様」
そう礼を述べるのはドレスの女性…マチルダ。屋敷での出会い依頼、リリーナとはすっかり馴染みの仲である。
「私も簡単な挨拶に来ただけですから、二階に店舗を構えさせてもらっている立場ですので」
「そのようなお気遣いを…こちらがすべきだと言いますのに、申し訳ありません」
「急なことでしたから手土産も持たず無礼でしたわね…もう感謝祭ですから、殿下と別荘にいく前に一言挨拶でもと思っただけなのですが」
「お気になさらないでください。当店もヴァイスリリィの皆さんとは良好に関係を保たせていただいております」
レーヴェはいつ訪ねても丁寧に対応してくれる紳士的な男性だ。彼の代でこの洋裁店は三代目で、先祖から受け継いだこの店の売れ行きや高い品質を守り続けている。また、彼自身紳士服のテーラーとして働いていた時期があり、こと紳士服には深い見識を持つ。
そしてそのイェーガー洋裁店の筆頭デザイナーがマチルダだ。本来であれば彼女を見かけるのは勿論のこと彼女がデザインしたドレスを着る機会などよほどのことがない限りあり得ない。そしてそれだけ、彼女のデザインするドレスを求める女性も存在する。
「ヴァイスリリィさんの開店以来、当店もご予約のお客様がまた増えておりまして…店頭での売り上げしかり、ありがたい限りでございます」
「私もヴァイスリリィさんの香水はよく買わせていただいていますわ。期間限定品はどちらも素敵な品でございました」
「それは嬉しいことを聞きました。互いにファッションに関わる身…いい関係を続けていけるように努力しますわね」
リリーナはいつも通り貴族としての外向きな笑顔だ。だがやはり今日は感情が上乗せされてしまう。近隣店舗との関係が良いというのは勿論だが、ヴァイスリリィの商品が消費者に向けて新しい購買欲を生んでいることが喜ばしいと思う。
だがここで止まるわけにもいかない。パーティなどで少しずつ感じてはいるが、まだまだ男性に向けた香水文化の普及は始まったばかりだ。
「リリーナ様、少しずつ春の新作のデザインが上がってきています。春には議会も始まりますし、少し見て行かれませんか?」
「ごめんなさいマチルダ、今日は店の方にも顔を出そうと思っていますの。次の機会は年が明けてからになってしまうと思うのですが…」
「問題ありませんわ。リリーナ様にはご贔屓いただいていますから、春一番のドレスは是非私にお任せください」
「それは勿論ですわ。マチルダほど私に合うドレスをデザインできるデザイナーはいませんもの」
冬のうちに春のドレスをデザインしておかなくては、縫製が春までに間に合わない。イェーガー洋裁店は数多の予約だけでなく店頭での販売も行っているので、常に先を見据えたスケジュールで動いている。
だがいつも笑顔で接してくれるマチルダには本当に感謝しているリリーナであった。マチルダはいつも目がまわるほど忙しいだろうに、いつも会えばこちらを気にかけ、率先して自分のドレスをデザインしてくれる。本当に感謝してもしきれないほどだ。
「ルーベンシュタイン様、今年の生誕祭はどう過ごされるのでしょうか。ルーベンシュタイン様がフレーメンにいらして初めての生誕祭だとは思うのですが」
レーヴェが問う。
その問いを皮切りに少しばかり世間話をしてその場は解散となった。
***
「リリーナ様! いらっしゃい、どうしたの?」
イェーガー洋裁店を後にし、ヴァイスリリィのドアを開けたリリーナを迎えたのはグラツィア。
やはり、というか店内は多くの買い物客で混雑しており、接客スタッフが総出で対応している。
よく見ると明らかに貴族としては位が高くないであろう者や、平民と思しき姿も見かけるのでこの感謝祭を機に店に訪ねてきた新規の客と思われた。買った商品をお土産や贈り物などにするのかもしれない。
「ごきげんようグラツィア。盛況していますわね」
「ありがたいわぁ。期間限定品は勿論だけど、見かけたことのないお客さんが定番品を一緒に買っていってくれたりして。盛り上がってるわよ!」
「狙い通りと言えますわね、安心しました。アンムートとソフィアはどうしていますか?」
「二人とも品だしやってくれてるわ。最近忙しかったでしょうに…偉い子よ」
「そうですわね…ありがたい限りですわ」
兄妹は揃って、特にここ二週間ほどは忙しかったことだろう。
期間限定品はこの感謝祭に向けた目玉と言っていいので、リリーナは多めに作るようアンムートに要望を出していた。香水そのものを作ることは勿論だが、精油の精製は時間も手間もかかる上一度に作れる量が限られ、さらに原材料の入荷は一定とは言い切れない。
兄の手伝いをしているソフィアも、香水を製造する過程の中でも精油の精製を手伝ったり商品のラベルを貼ったりと、どうしても担当している作業が細かいので、集中力との勝負だっただろう。
「皆頑張ってくれていますわね。後日にはなりますが私からささやかなお礼をさせてくださいませ。勿論給金にも色をつけておきますわ」
「やだ、良いこと聞いたわ! みんなに言いふらしちゃうわよ?」
「構いません。さて、私も接客に回りますので交代で休憩をおとりになって」
「リリーナ様自ら!? いけないわ、ワタシたちだけで大丈夫よ」
「そのために来たのです。これもまた宣伝ですわ、オーナー自ら接客をすることで、皆さん私が商品を厳選しているのだとより理解してくださるはずです」
リリーナは力強く微笑む。グラツィアはやはり申し訳ないとも思うが、リリーナの言うことを信じることにした。
「そう? リリーナ様がそう言うなら…みんなにはワタシから言っておくわね」
「それは任せますわ。何か問題があれば声をかけますわね」
「了解よ。なんでも言ってちょうだい」
他の従業員に声をかけにいったグラツィアを見送ったリリーナは、早速接客を始めた。
何か商品を迷っているような客を見かけたらそれとなく声をかけ、手伝えることがあるようならば力になる、という程度のものにはなるが。
ただこの店で扱っている商品は全てリリーナが自ら使用し厳選したものなので、全ての商品の説明や解説することはできる。使ってみた感想はあくまで主観的なものになるが、求められれば所感を話した。
レジスターばかりは扱えないので、接客スタッフの一人に常駐してもらうことに。こうすることで途切れることなく会計に対応できる上、リリーナが接客に集中することもできる。
ざわついた店内は人がごった返している、と言うほどではないがそれでも混雑していて歩きづらい。
しかしリリーナとしては、自分が接客することで従業員の余裕を作ることも、自ら言った通り宣伝も一石二鳥で行えるので繁忙期には良いやり方なのでは、と考えつつ来年のスケジュールについて考えた。
はい、また五千文字をバーストしましたね
読者様の中にもいろんな方がいますので、ひとまず毎日更新ということもあり「さっと読める程度」と考え今の文字数でやっています
ただスマホで読んでると五千文字以上はちょっと、「さっと」とはいかないかな…という偏見でやっていますのでご要望がありましたら考えます
切ってしまうにはあまりにもキリが悪かったのでこうなったのですが、こうマイルールとはいえぽんぽんやぶっていいのだろうか
そう言えば一巻以来出てきていなかったマチルダさんが再登場しましたね。彼女も忙しい方なので仕方ないです
リリーナ様のドレスは基本的にイェーガー洋裁店の誰かしらが担当しています。リリーナ自身がいろんなデザイナーを育てていきたいと考えているからです
ただ「ここぞ!」というドレスは必ずマチルダが担当します。こういう時に二人の関係性が窺えますね
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