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矜持(3)


「…あんなこと、いけないとわかっていました。それでも自分を止められなかった、自分の悔しさや悲しみを律せなかった。だから罪は私の罪です」


 こぼれ落ちる涙が止まらない。どんなに拭っても拭っても溢れて落ちていく。


「もう私はどうなっても良いのです。家族が無事で在るならば。私がいないだけで家名の矜持が保たれるならば」


 泣き腫らした目でリリーナはディードリヒを見る。相手は酷く狼狽えていて、動揺からか幾分目に光が戻っているように感じた。


「…貴方には全てあるではありませんか。家族も、矜持も、規律も、成すべき使命さえ。それで大層でないなどと、そう言ってられるのは今だけでしてよ」


 辛いと思ってはいけない。

 悲しいと思ってはいけない。

 寂しいと、思ってはいけない。


 そう心に決めてここまでやってきたのに、なんて無様な姿だろう。どうしてこんなことになってしまったのか。


「嘘でも私がいないとだめだと言うのなら、私の冤罪を晴らしてごらんなさい。そしたら少しは考えないこともありませんわ」


 口ではそう言っても、それは無理なことだ。そんなことはわかりきっているのだから、無理だと言えばいい。そうしたら、この命に諦めもつく。


「…リリーナ」


 涙の止まらない彼女をディードリヒがそっと抱きしめる。


「っやめ…やめて…っ」


 それを彼女は押し除けようとするが、彼はその腕ごと、まるで壊れ物を扱うように包み込んでしまう。


「ごめん、リリーナ」

「…なんです、急に」

「僕が君を傷つけるなんて、あってはいけないのに」

「…そう思うなら離して下さらないかしら」


 リリーナは反抗するが、ディードリヒが離れる気配はない。


「辛かったんだね、リリーナ」

「…貴方には、理解し得ないことでしてよ」

「うん…確かに僕はリリーナが今持ってない全部を持ってるから」

「…」

「でもね、僕は今リリーナが話してくれたみたいに、立場の向こうの君が知りたいし、君にもそういう僕を知ってほしい」


 少しだけ、抱擁が強くなる。リリーナはそれを黙って受け入れた。


「僕は本当に情けなくて狡くて…今だってリリーナが辛かったって聞いて不謹慎なのに喜んでる。そういう君が見たかったんだって」

「…失礼ですわ」

「ごめんね。でも僕にはそういうこともっと言って欲しいな。そして知って欲しい、君がいないと生きていけない情けない僕を」

「…」


 罰が悪いように黙ってしまったリリーナをディードリヒが責めることはない。しかし体を離すと、今度は彼女の額に自分の額を当てた。


「僕は絶対、リリーナの冤罪を晴らしてみせるよ。僕なら、君を元いた家に返してあげることもできる」


 そして、


「!」


 リリーナの頬にキスが一つ落ちた。


「だからリリーナ、全部終わったら僕と結婚して?」

「は…?」


 飛んできた言葉にリリーナは開いた口が塞がらない。正直あまりに急な話についていけなくなっている。


「貴族なんだから、普通だと思うけど」

「…それは、その通りですが」

「僕なら一生リリーナを愛して、愛でて、抱きしめて…幸せにしてあげられる」

「…!」


 段々と話が飲み込めてきて、段々と感情が戻ってきて、それに比例するように彼女の顔は真っ赤になった。


「き、急に何を言ってますの!? 状況を考えなさい! 状況を!」


 顔を赤くして怒る彼女を見守るディードリヒは、先ほどまでの混濁が嘘のように晴れやかな笑顔でそこにいる。


「な、なんですの、その笑顔は…」


 やや動揺するリリーナにディードリヒはさらに笑顔を返した。


「リリーナが僕を意識してくれてるのかなって思ったら、嬉しくなってきちゃった」

「な、なにを言っていますの!?」

「だってリリーナ可愛いくらい顔真っ赤だよ?」

「そんなことありませんわ! 私が貴方のような変態とどうこうなるなんてあり得ませんもの!」

「うんうん、これからもリリーナが大好きだよ」

「話を聞きなさい話を!!」


 ディードリヒは満面の笑みで返す。リリーナはその姿に不服を申し立てるも聞き入れられることはなかった。

 

 ***

 

「いっぱい泣いちゃったね、リリーナ…大丈夫? 蒸したタオル持ってきてもらう?」

「もう今更ですわ…」

「僕が残った涙舐めていい?」

「貴方状況がおわかりになって?」

「けちー」


 ディードリヒはむくれるが、リリーナは至って平静を取り戻したようである。


「そんなことはどうでもいいのです」

「そんなこと…」


 つん、と返したはずのリリーナは、今度はその場で頭を下げた。


「ごめんなさい」

「!?」

「私は貴方を傷つけることをしましたわ」

「…と、とりあえず頭を上げてよ。落ち着かないよ」


 言われるままに顔をあげる彼女は、なんともばつのわるそうな顔をしている。


「どうしてそう思ったの?」


 ディードリヒは問う。その疑問にリリーナは落ち込んだ様子で返した。


「この屋敷から無断で出ていったのもそうですが…」

「?」

「人が、好きな相手に『自分』という一つの形を見て欲しいのは当たり前のことです。けれども私はそれを否定してしまった。貴方を傷つけるのには十分な理由ですわ」


 貴族としての在り方と、個人としての在り方は本来違うものだということは、彼女もわかっている。

 しかし関係性の危うさに囚われ、身分でしかものを見れなかったからこそ今があるとも言うし、なによりディードリヒの求める在り方は否定される必要もない。


「確かに感情的にはなっていましたが、平静を失うなど恥ずかしいところを見せてしまいました。だからごめんなさい」

「…それは」


 その言葉に返ってきたのはひどく間の抜けた声で、リリーナが目の前の男に目を向けると相手は声と同じだけ間の抜けたように驚いている。


「僕のこと、見てくれるってこと? 君のことも、見せてくれるってこと?」


 まるで状況を飲み込みきれていない相手の反応に少し笑いそうになったが、あえてすん、と返す。


「どうでしょう…それは互いの付き合い方次第だと思いますけれど」

「そんな」

「少なくとも、あの気持ち悪い言動と行動が収まれば道は開けてくるかもしれませんわね」

「気持ち悪くないよ! リリーナはどこをどう切り取っても素敵なんだよ!」

「そんなのわかりきった事実でしょう」

「そうだよ! ピンクブロンドの髪も、僕が丹精込めて整えた爪も、整った肌も、柔らかい唇も、射抜くような金の瞳も、石鹸の向こうにある君の香りも! 見た目だけ切り取ったってこんなに素敵なのに!」

「その自重のなさが気持ち悪いんですのよ!」


 リリーナが声をあげると、今度ディードリヒはショックを隠せないと言わんばかりに半べそを描き始める。


「そんな…ぐすっ…リリーナ、僕の愛を受け入れてくれないの…?」

「あ、愛なんて…」


 受け入れられる愛などない、はずだ。


(そうだと言えば済む話ですわ…!)


 それでも言葉に出ない感情とはいかほどか。


「…いいんだ。僕がリリーナを好きなだけで、リリーナはそうじゃない。僕の一方的な感情なんだから…」


 しょぼくれるディードリヒにリリーナは呆れたため息を返す。


「まだ三ヶ月しか経ってないでしょう。互いを知り得ると言うには短い期間でなくて?」


 そうでなくてもディードリヒは屋敷にいても仕事だ何だと席を外していることも少なくない。それでは、当たり前な話互いを知り得るというのも難しい話だ。


「それは…リリーナが構ってくれないから」

「お茶会は続けていたでしょう」

「それだけじゃ足りない! もっと!」


 正直そんな催促をされても、と顔に出してしまいやや恥ずかしい思いをする。はしたない。


「では私にどうしろと言うのです。お付き合いしてるわけでもありませんし、何より貴方が普段何をしているのかも把握していないのですわよ」

「じゃあ結婚しよう」

「話を聞いていまして!?」


 そういう、必要のないところで急に造りのいい顔を前面に出さないでほしい、リリーナはそう思ったが、言うのも癪なので心にしまった。


「いいじゃないか。僕らは結婚できるようなものなんだから」

「たとえそうだとしても貴方のような気持ち悪い方と結婚なんてごめん被りますわ」

「だから、僕は全身で君を愛してるからさ」

「全身すぎますの! 王太子なら何をしてもいいと思っていらっしゃるの!?」

「そうだよ」


 あっさりと返ってきた言葉にこちらが言葉を失う。


「僕これでも王太子だからね」

「…」

「リリーナがルーベンシュタインの家に帰ったって僕の方が偉いよ」


 にこにこと愛らしい笑顔を向けるディードリヒにリリーナは頭を抱えた。


「だから結婚してね、リリーナ」


 強く奥歯を噛む。一体この王太子はどう対応したら黙らせられるかと考え込んで、一つ疑問に立ち返った。



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